上 下
35 / 120
第一章 魯坊丸は日記をつける

三十四夜 魯坊丸、 夏だ。海だ。海水浴だ。

しおりを挟む
〔天文十六年 (一五四七年)夏五月はじめ〕
海だ。海だ。お魚だ。
今日は大きな日傘をもって、母上や養父などの中根一家揃って海岸にお出掛けであった。
海が一望できる場所に陣取ると、ドンドンとなる太鼓の音を合図に、皆が地引網を引きはじめた。
遠くの深い箇所まで広げた地引網を引いて範囲を狭めてゆく。
やがて網が底に付いてぐっと重くなってきたようだ。
そこで止めの合図が入った。
熱田ではじめての地引網漁というので多くの人が駆け付けて、一度は引いてみようと物見遊ものみゆさんに参加しよう思う見物客も多いので、その気になれば陸まで引き上げることもできそうだった。
だが、予定通りに網が正面まで引いた所で止めておいた。
渡し幅の中ほどになる三十間 (50m)辺りに竹で作った浮きがぷかぷかと浮いているのが見える。
夜寒式地引網漁は完全に引き上げない。
止め合図と同時に用意した酒を開けて、皆に配って宴会がはじまった。
総指揮は義理兄上の忠貞がとっている。
途中で止めてことを不思議がった母上が俺に聞いてきた。

「魯坊丸。其方から以前に聞いた『地引網漁』は海岸まで引き上げるのではなかったのはありませんか?」
「あ、い。ぶぅ、つ、う、ばぁ、そ、う、で、す」(はい。普通はそうです)
「奥方様。夜寒の海岸は潮が引けば、膝まで下がります。月のはじめは足元近くまで下がります」
「当然です。海が渡れなければ意味がありません」
「あの辺りも潮が引いてきます。待つだけで引き上げたと同様なのです」
「なるほど」

魚は潮が引くと沖に逃げる。
頭のよい魚は二つ護岸壁の外側を回り、地引網を迂回して逃げる奴もいるだろう。
だが、普通に魚は沖に逃げる。
小さな稚魚は網目を無視して逃げてゆくが、それなりの大きさを持つ魚は逃げられない。
あとは潮が引くのを待つのだ。
一先ず終わって、回りが何やら騒がしくなってきた。
中根一家の隣に千秋家と熱田神宮の神官家の方々が並び、その脇に熱田の城主をしている一族が陣取りをして、尾張で初の『地引網漁』の見学にきていた。
笠寺から山口宗家の代理として、市場城主の山口やまぐち-盛隆もりたかと挨拶を交わした。
他の方々は去年の冬に挨拶を交わしたことがあった。

さて、この地引網は五郎丸が仕入れて、気前良く俺に献上してくれた。
俺としては助かる。
しかし、俺に恩を売るにしても露骨過ぎて気味が悪い。
何が狙いだ?
献上した地引網の交換条件として、今日の催しが行われた。
主催は千秋季光だ。
熱田神宮の大宮司が主催となれば、断わる理由がない者は参加せざるを得ない。
五郎丸が琉球より取り寄せたという焼酎を振る舞い。
うどんをはじめ、俺が考案した料理が次々と披露された。
季光は俺を持ち上げると美談を語り、織田家の繁栄を約束すると締めくくり、秋の戦での皆に協力を求めた。
こうやって眺めていると、料理をふるまって支持を集める選挙活動のようだ。
戦とは、選挙とその宣伝活動かもしれない。
選挙に勝てねば、タダの人。戦に勝たねば、すべてを失う。
どちらも広報が大変そうだ。

食事を楽しんでいる間に潮が引いて、見物客から喝采が湧いた。
海に入る解禁だ。
皆が義理兄上の忠貞に注目し、そして、太鼓がなった。
うおぉぉぉっと村人や参加した見物客が海に入ってゆく。
それに混じった武士の姿もあり、思い思いのザルや桶を持って、ぴちぴちと跳ねる魚の掬い捕り漁がはじまった。
地引網で生け簀化した海に、膝より低くなった水位で魚がぴちゃぴちゃと跳ねて泳いでいるのだ。
魚を捕った者から歓喜の声が上がってゆく。
引き上げに参加すると、ザル一杯分の魚を一文で持ち帰る権利が生じるとした。
自主的に引き手を確保する工夫だ。
但し、鯛やヒラメなどの高級魚は除外される。
今日はその鯛やヒラメなどがその場で捌かれて焼かれてゆくと、主催の千秋家から順に運ばれていった。
俺の前にも白身のムニエルが運ばれてきた。
白身に小麦粉をまぶして焼く。
バターの代わりにごま油を使ったので、ムニエルがどうか怪しい。
同じく、小麦粉をまぶして油で揚げるフライ。
試食用に一度だけ作らせたが、無駄に油を使うので二度目は禁止された。
そう言えば、まだエビやタコを食べてない。
今度、探させよう。
デザートの一つミルクチーズも出てきた。
季光はこれを『』と言い張って朝廷に献上したとか?
一方、一般客の料理は単純だ。
魚のぶつ切りにして、野菜を一緒に煮込んだ塩スープの男料理を振る舞う。
皆、楽しそうで何よりだ。

そんな中、青い顔をして漁師風の男達が領主らに陳情し、五郎丸に話し掛けると、五郎丸が上機嫌になったのがわかった。
五郎丸は他の城主、領主、代官などを回った後に、俺の元に挨拶にきた。

「ぎ、げ、ん、が、よ、さ、そ、う、だ、な」(機嫌がよさそうだな)
「魯坊丸様は、五郎丸様が健やかなことをお喜びでございます」

福、ちょっとニュアンスが違う。
俺は心の中で突っ込んだ。
五郎丸はそれを喜び、手の内を晒してくれた。

「魯坊丸様のおかげで次の地引網の注文を受けることができました。大量に捕れる魚を見て、周辺の漁師等が慌てて領主に陳情しました。このままでは夜寒にすべて奪われて、魚が売れなくなると。そして、領主から銭を借りる約束をつけ、いくつかの注文をもらいました。これで献上した地引網の元手は回収でき、後は売れるだけ儲かる。しかも地引網は買い換える品と聞いておりますので、尾張でも作れる準備を進めております。次の注文からは、自前で作った網を売れれば、儲けは倍となります。しかも、大殿より尾張での独占販売をお認め頂きましたので笑いが止まりません。ははは」
「な、る、ぼぉ、ど」(なるほど)
「千秋家にも戦費として、儲けの一部を献金させて頂きますので、熱田神宮も損もございません。魯坊丸様と付き合うようになって儲かるばかり、これからも五郎丸共々、大喜屋をご贔屓にお願い申し上げます」
「ご、ち、ら、も、よ、ろ、し、く、だ、の、ぶぅ」(こちらも宜しく頼む)

流石、腹黒商人だ。
損して得を取れと体現していた。
両者両得なら恩を感じる必要もないと、胸をなで下ろした。
よし、遊ぶぞ。
着物を脱ぐと、裸で海に入って波に押し返された。
そして、しょっぱい海の水を福らと掛け合う。
皆と笑って楽しかった。
寝る前の体を拭く頃になって後悔した。
日焼けだ。
俺の白い肌は真っ赤に焼き上がり、体中がヒリヒリするのだ。
失敗だ。
日焼け止めのレシピって、どうだったけ???
回れ、灰色の脳みそ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛する彼には美しい愛人が居た…私と我が家を侮辱したからには、無事では済みませんよ?

coco
恋愛
私たちは仲の良い恋人同士。 そう思っていたのに、愛する彼には美しい愛人が…。 私と我が家を侮辱したからには、あなたは無事では済みませんよ─?

後輩と一緒にVRMMO!~弓使いとして精一杯楽しむわ~

夜桜てる
SF
世界初の五感完全没入型VRゲームハードであるFUTURO発売から早二年。 多くの人々の希望を受け、遂に発売された世界初のVRMMO『Never Dream Online』 一人の男子高校生である朝倉奈月は、後輩でありβ版参加勢である梨原実夜と共にNDOを始める。 主人公が後輩女子とイチャイチャしつつも、とにかくVRゲームを楽しみ尽くす!! 小説家になろうからの転載です。

結婚して5年、初めて口を利きました

宮野 楓
恋愛
―――出会って、結婚して5年。一度も口を聞いたことがない。 ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。 その二人が5年の月日を経て邂逅するとき

熱血豪傑ビッグバンダー!

ハリエンジュ
SF
時は地球人の宇宙進出が当たり前になった、今より遥か遠い未来。 舞台は第二の地球として人類が住みやすいように改良を加え、文明が発展した惑星『セカンドアース』。 しかし、二十数年前の最高権力者の暗殺をきっかけに、セカンドアースは地区間の争いが絶えず治安は絶望的なものとなっていました。 さらに、外界からの謎の侵略生物『アンノウン』の襲撃も始まって、セカンドアースは現在未曽有の危機に。 そこで政府は、セカンドアース内のカースト制度を明確にする為に、さらにはアンノウンに対抗する為に、アンノウン討伐も兼ねた人型ロボット『ビッグバンダー』を用いた代理戦争『バトル・ロボイヤル』を提案。 各地区から一人選出された代表パイロット『ファイター』が、機体整備や医療、ファイターのメンタルケア、身の回りの世話などの仕事を担う『サポーター』とペアを組んで共に参戦。 ファイターはビッグバンダーに搭乗し、ビッグバンダー同士で戦い、最後に勝ち残ったビッグバンダーを擁する地区がセカンドアースの全ての権力を握る、と言ったルールの下、それぞれの地区は戦うことになりました。 主人公・バッカス=リュボフはスラム街の比率が多い荒れた第13地区の代表ファイターである29歳メタボ体型の陽気で大らかなドルオタ青年。 『宇宙中の人が好きなだけ美味しいごはんを食べられる世界を作ること』を夢見るバッカスは幼馴染のシーメールなサポーター・ピアス=トゥインクルと共に、ファイター・サポーターが集まる『カーバンクル寮』での生活を通し、様々なライバルとの出会いを経験しながら、美味しいごはんを沢山食べたり推してるアイドルに夢中になったりしつつ、戦いに身を投じていくのでした。 『熱血豪傑ビッグバンダー!』はファイターとサポーターの絆を描いたゆるふわ熱血ロボットSF(すこしふぁんたじー)アクション恋愛ドラマです。

VRMMO レヴェリー・プラネット ~ユビキタス監視社会~

夏野かろ
SF
第三次世界大戦後、2084年。 日本は戦災によって監視社会となり、人々は自由のない日々を過ごすこととなった。 ある者はVRMMO「レヴェリー・プラネット」に興じることで監視のストレスから逃げようとする。 またある者は、テロによって監視社会を革命しようとする。 その他、ゲームに課金するために犯罪に走る者、その犯罪者を利用する者、取り締まる者、 多くの人がそれぞれの道を歩いていく。 この物語は、そんな人間模様を 『ブギーポップは笑わない』や『パルプ・フィクション』のような形式でまとめた小説です。 一括投稿。

VRMMOのキメラさん〜雑魚種族を選んだ私だけど、固有スキルが「倒したモンスターの能力を奪う」だったのでいつの間にか最強に!?

水定ユウ
SF
一人暮らしの女子高生、立花明輝(たちばなあきら)は道に迷っていた女性を助けた後日、自宅に謎の荷物が届く。開けてみると、中身は新型の高級VRドライブとプレイヤーがモンスターになれると言う話題の最新ゲーム『Creaturess Union』だった。 早速ログインした明輝だったが、何も知らないまま唯一選んではいけないハズレキャラに手を出してしまう。 リセットができないので、落ち込むところ明輝は持ち前の切り替えの速さと固有スキル【キメラハント】で、倒した敵モンスターから次々能力を奪っていって……。 ハズレキャラでも欲しい能力は奪っちゃえ! 少し個性の強い仲間と共に、let'sキメラハント生活! ※こちらの作品は、小説家になろうやカクヨムでも投稿しております。 個性が強すぎる仲間のせいで、かなり効率厨になる時があります。そういう友達が劇中に登場するので、ゲーム的な展開からかけ離れる時があります。

婚約者から婚約破棄のお話がありました。

もふっとしたクリームパン
恋愛
「……私との婚約を破棄されたいと? 急なお話ですわね」女主人公視点の語り口で話は進みます。*世界観や設定はふわっとしてます。*何番煎じ、よくあるざまぁ話で、書きたいとこだけ書きました。*カクヨム様にも投稿しています。*前編と後編で完結。

皇太子から愛されない名ばかりの婚約者と蔑まれる公爵令嬢、いい加減面倒臭くなって皇太子から意図的に距離をとったらあっちから迫ってきた。なんで?

下菊みこと
恋愛
つれない婚約者と距離を置いたら、今度は縋られたお話。 主人公は、婚約者との関係に長年悩んでいた。そしてようやく諦めがついて距離を置く。彼女と婚約者のこれからはどうなっていくのだろうか。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...