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閑話.エルの幸せ!

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エル・ノヴァックはラーコーツィ屋敷領の居住区に住む少年であった。
父は馬の世話をやっており、5歳になったエルは父親の手伝いをするようになっていた。
平民であるエルにとって普通のことであった。

「お~い、エル」
「オジサン、おはようございます」
「今から馬の世話か?」
「はい」
「なら、これを持ってゆけ!」

オジサンが放り投げたのは果実園でなったりんごであった。
受け取ったエルの顔が微笑んだ。

「傷ものだ。お昼でも食べろ!」
「ありがとうございます」

果実園の物はすべて領主様の物であったが、鳥や虫が食った傷ものは好きに食べていい事になっている。
甘味に飢える子供にとってりんごはご褒美であった。
エルはそのりんごを見つめながら馬小屋に向かった。

きゃあ、角で少女とぶつかった。
馬小屋への近道である花園の隅をショートカットしていたエルはりんごに気を取られて前が疎かになっていたのだ。
少女は倒れるほどの衝撃ではなかったので、2~3歩後に下がった。

「すみません」
「気をつけなさい」
「すみません」
「まぁ、いいわ! 今度から気をつけなさい」

それはお互い様でしょう。
少女も花に気を取られて前をまったく見ていなかったのだ。
でも、自分が悪いとはまったく思っていない。
エルは居住区に住む庶民だったので屋敷のことは何も知らない。
そして、目の前に少女が侯爵令嬢のカロリナとは思いもしなかった。

だって、カロリナはドレスではなく、パジャマのままで出歩いていたからだ。

早く目が覚めて、従長のオルガの目を盗んで窓から出てきた。
庭園に紛れ込んで迷子になっているとは思わないし、カロリナ自身も迷子と思っていなかった。
どちらに行けば、屋敷があるか判らないだけだ。

じ~~っと!
少女の目がエルの手に集中されていた。

「あのぉ、要ります?」
「いいの?」
「はい」
「よし、貰ってやる」

少女はエルの手から2個のりんごを奪って食べ始めた。
そのまま齧りつく。
エルもそんな少女が屋敷のお嬢様とは思わない。

「いつも食べる奴よりおいしいわ」
「それは熟れ過ぎた奴です。熟れ過ぎると虫や鳥がいたずらをして傷が付くのです」
「これのこと?」
「はい」
「私は気にしないわ。おいしい方がいいじゃない」

そう言ってにっこりとする少女にエルは頬を赤めた。
それがエルとカロリナの出会いであった。
その日を境にカロリナは馬小屋に度々訪れ、エルのおやつも奪いにやってくる。

「この瓜もおいしいわ。どうして私のテーブルに乗らないのかしら?」
「それは水瓜です。昨日、森できのこを取りに行ったときに見つけた奴です」
「森に行ったの?」
「はい」
「私も行きたい」
「お嬢様は無理です」
「どうして、エルが大丈夫なら私だって大丈夫でしょう」
「僕は庶民ですから怪我をしても構いませんが、お嬢様が怪我をされたら大変です」

狡い、狡い、狡い!
カロリナがダダを捏ねるのが日常であった。
エルがポケットから赤いものを出すと馬が美味しそうにそれを食べる。
カロリナはそれをじっと見る。

「それは何?」
「人参です」
「それをよこしなさい」
「これが最後で」
「いいからよこしなさい」

カロリナは強引に奪うと小さな人参を齧り付いた。
ガリッという音の後にカロリナの頬がわずかに赤くなる。

「嘘ぉ~、おいしいわ! 私が普段食べている人参よりおいしいわ。これも熟れて傷が付いた奴なのかしら?」
「これは熟れ過ぎて腐りかけの奴です。こんなものを食べさせたなど知れたら怒られます」
「そんなことはどうでもいいのよ。まだ、あるのですか?」
「今、収穫中です」
「行きます」

厩務員にそう告げてエルを連れ出した。
お嬢様に逆らう者はいない。
畑に行くと収穫中の人参を選別していた。
収穫をしていた人参をカロリナが漁るので奥方達も困っていた。

「お嬢様、こちらが腐りかけの奴です」
「お嬢様、それもう」
「これにするわ」
「ですが!」
「いいから洗いなさい」

男達は屋敷で仕事を持っており、屋敷領の畑はその奥方達で面倒を見ていた。
腐りかけた人参ばかり選ぶので困った。
でも、お嬢様の命令は絶対であった。
井戸から水を汲んで、人参をごしごしと洗った。
そして、綺麗になった人参をごつごつした手から受け取った。

「お嬢様、どうかお止め下さい」
「貴方達もこれを食べているのでしょう」
「もちろんです。捨てるのも勿体ないので食しておりますが、お嬢様が食べるようなものではありません」
「なら、問題がありません」

がりっと人参を齧った。
カロリナは少し甘い人参をおいしそうに食べた。
見ている方が心配であった。

「大丈夫よ。そのごつごつとして手で取ってくれたのでしょう」
「申し訳ございません。このような不作法な手に触れたことを不愉快に思われたなら罰を受けます」
「何を言っているの?」
「しかし」
「私はそのごつごつした手が好きよ。それこそ、神の手だわ!」
「お嬢様!」

女達はカロリナの言葉に感動して涙を浮かべる。
貴族の手は白く柔らかい。
定期的に治癒魔法を掛けるので淡いピンクの肌を維持できる。

それに比べると、庶民の女の手は日々の仕事でごつごつとしている。
女としては恥じる所だ。
誰でも美しいドレスで着飾り、柔らかく傷1つない手でありたい。
そんな思いがどこかにあった。
でも、こんなごつごつした手をカロリナが好きだと言ってくれた。
神の手と褒めてくれた。
女達はすべてが救われた気がした。

「残りの人参で何か料理を作ってくれない」
「お嬢様をおもてなしできるようなものは」
「珍しいものでなくていいのよ。普段食べている料理で一番においしいと思える人参の料理を食べてみたいの?」
「お嬢様をお招きできる場所ではございません」
「心を込めた料理こそ、一番のおもてなしよ」
「お嬢様」

屋敷のご令嬢を家に招く。
これ以上の名誉はない。
カロリナは奥方達の心をがっしりと掴んでいた。
旦那達は尻を叩かれてカロリナに奉公させられる。
家臣の心を掴んだのだ。
でも、カロリナはそんな難しいことを考えていない。
おいしい人参から作れる料理を食べたいだけであった。

ごつごつとした手がおいしいものを作る秘密なのよ。
きっとおいしい料理がでてくるに違いないわ!
トンでもない勘違いをしていた。
エルの手をカロリナがぎゅうと握る。

「これからも色々と私に教えてね!」
「もちろんです。お嬢様」
「私はエルの手も好きよ。柔らくてざらざらしているの!」

無邪気なカロリナはエルの心も掴んでいた。
楽しそうに報告するカロリナの話を聞いて、侯爵はエルをカロリナの側付きにした。
カロリナはお父様に感謝した。

「喜んでくれて、儂も嬉しいぞ!」
「お父様、大好き!」
「ははは、そうであろう」

侯爵令嬢の従者は貴族でも中々なれない。
庶民でも底辺の馬飼いの子がなるのは異例のことだった。

エルは護衛の為に早朝から剣術を教えて貰い。
カロリナと一緒に授業やダンスのレッスンを受ける。
そして、カロリナの休憩時間に礼儀作法を習う。

カロリナと出会って日からエルのすべてが変わっていった。
今でもエルには信じられない。
夢を見ているようだ。

「カロリナ様に取り次いで頂きたい」
「畏まりました。しばらく、お待ち下さい」
「よろしくお願いします」

エルに貴族子息・令嬢達が頭を下げる。
もちろん、エルに頭を下げている訳ではない。
そんなことは判っている。
それでも庶民に貴族が頭を下げていることに変わりない。
これは夢だ。

今日もカロリナ様と一緒にダンスのレッスンを受ける。
途中でふらついて倒れてしまった。
情けない。

早朝から休憩なしでがんばっているエルだから力尽きた。
決して、恥ずかしいことではない。
でも、エルは納得していない。
早く追い付きたいと心から願っていた。

でも、カロリナはそんなことは願っていない。
むしろ、倒れてくれて休憩時間が早くきた。
逆に喜んだ。
エル、ナイスグッジョブと思っているくらいだ。

そこにクリフ王子の手紙が送られてきた。
いつもの奴だ。
ちょっと焦った。
クリフ王子の手紙がくると、次の日は休みになる。
するとカロリナが声を掛けてくるのだ。

(エル、明日は暇になりました。いつも準備をしていて下さい)
(オルガさんが怒りますよ)
(私とオルガ、どちらの命令が大切なの?)
(お嬢様です)
(よろしい)

最近、カロリナは城壁に外へ出たがる。
外はやはり危険だ。
カロリナに傷1つ付けることが許されない。
でも、お嬢様の命令は絶対だ。

すべての幸運はカロリナから与えられた。
命に代えても絶対にお守りする。
天使のような主に笑顔を守るのが自分の使命を心に誓った。
エルの幸せはいつもカロリナと共にあることだった。

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