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86. クレアは女の子…の、はず
しおりを挟む扉がゆっくりと開いていく。
室内に廊下からの光がだんだんと入り込んでくる。
男性のようだ。
大きな人影が光を背に室内へと入ってくる。
部屋は暗く、廊下からの光は眩しい程だ。
男性は逆光になっており、クレアには人影としか判らない。
だんだんとクレアに近づいてくる。
クレアは手に持ったランプを握りしめる。
このランプを投げつけようか…
ぶつかったランプの油が男性にかかれば、男性は大やけどを負うだろう。
見ず知らずの男性に怪我を負わせてしまう。もしかしたら、殺してしまうかもしれない。
そんなこと、できる訳がない。
クレアはランプを握りしめたまま、動くことが出来なかった。
「クレイ、クレイだろう?」
「えっ」
男性の声に手元のランプを見ていたクレアは顔を上げる。
しかし、暗い室内では男性の顔がはっきりとは見えない。
「ああ、やっぱりクレイだ!
大きくなった。大きくなったなぁ。こんな所で会えるなんて。なんて幸運なんだ。
さあ、顔を見せくれ。
ん?どうしたんだ、そんな恰好をして」
この声は…
聞き覚えのある、懐かしい声。
「頭取っ!!」
懐かしい人物の登場に、クレアは手に持ったランプはそのままに、頭取へと駆け寄っていく。
ランプの光が上下し、部屋の中の明暗も大きく動く。
「大きくなった、大きくなったなぁ。
心配していたんだぞ、急に商会に来なくなったからな。
あの時は……ライオネルのことは、力足らずでクレイには辛い思いをさせてしまい、申し訳なかったなあ」
イッツ=ファーガは近づいてきたクレアの頭をそっと撫でる。
クレアは泣きたくなった。
クレアがまだクレイと偽って商会で働いていた時、イッツ頭取はよくクレアやライオネルの頭を撫でてくれた。
『良く働いて偉いな』と言っては、ポケットから飴やクッキーを出して、食べさせてくれていたのだ。
イッツ頭取の大きな手は、あの頃とちっとも変わっていない。
温かくて、優しい。
今までの緊張が解け、クレアはその場にしゃがみ込む。
「おおっ。クレイ大丈夫かっ!」
慌てたイッツ頭取からクレアはベッドへと腰掛けさせてもらう。
「イッツ頭取、あの時はすみませんでした。
ライが居なくなって…仕事も放りだしてしまって…」
「いやいや、仕事は気にせんでいい。
クレイがどんなに悲しい思いをしたか、皆判っている。クレイが仕事のことで負い目に思うことは何も無い」
「イッツ頭取…ありがとうございます」
クレアの瞳はいまにも涙が零れ落ちそうだ。
「それはそうと、クレイの恰好は何だ。それにどうしてここにいるんだ?」
イッツ頭取は首を傾げる。
「イッツ頭取こそ、何故ここへ」
クレアは嫌な考えが浮かぶ。
もしかして、リリが自分を売り飛ばした相手がイッツ頭取なのだろうか。
イッツ頭取は、そういう目的のために、この部屋へとやって来たのだろうか。
「いや~。ほらクレイは知っているかなぁ?ファーガ商会のある旧ネライトラ領の隣に小さなハートレイ領があっただろう。
そこの男爵夫人と商工会のパーティーで知り合ったんだが、しつこく纏わりつかれるようになってなぁ」
イッツ頭取は困ったと言わんばかりに眉をヘニョリと下げる。
クレアは何と答えていいのか判らず、黙ってしまう。
「男爵夫人も悪い人では無いんだろうが、どうも身の危険を感じてしまってなぁ。
いやぁ、60爺が言うことではないんだが。
身の危険といってもな。ほら、何と言うか。
人気のない所に連れて行かれそうになってしまってな。思わず、苦し紛れに『自分は幼女趣味で、十代の少女しか相手にしない』と言ってしまったんだよ。断る口実が欲しかったんだ。
いくら美人の奥さんでも、人妻とどうこうなる気はさらさらないからなぁ」
イッツ頭取の話しに、クレアは開いた口が塞がらない。
母は何をしているのだ。
「いや、あの……申し訳ありません」
「ん、何でクレイが謝るんだ?
今、商会の新しい仕事の件で王都に来ていたんだが、男爵夫人と偶然会ってしまってな。自分の知り合いを紹介するから、是非にとここに来るように言われたんだが……
まさか、会わせたい人とはクレイのことなのか?
おおっ、そうかっ!
男爵夫人はクレイがファーガ商会で働いていたことを知っていて、儂に会わせてくれたんだな。いやぁ、男爵夫人のことを誤解しておった。苦手な人だと思っておったが、良い人だったのだな」
ポンと手を打って、イッツはニコニコと笑う。
いや、違うし…
クレアは人のいいイッツにどういうべきか悩んでしまう。
しかし、イッツに会えたことは純粋に嬉しい。
「しかしクレイ。その恰好は何なんだ。
もしかして、もう寝ていたのか。それだったら済まなんだな。すぐ来るように男爵夫人から何度も催促の連絡が来ていたのだが、まさかクレイが居るとは思わなかったから、ちょっと…来たくなくてな。来るのが遅くなってしまったんだ。いやぁ、申し訳ない」
どこまでも人のいいイッツの言葉にクレアは力が抜ける。
それにしても、いくら室内が薄暗いとはいえ、この格好のクレアを見て、いまだクレイ=男性と思っているのだろうか。
クレアはチラリと自分の胸元を見る。
うん、少しは膨らんでいる。
「えっと、話せば長くなるんですが…」
クレアはライオネルが王子だということ。自分が侯爵家に養女に行き、侯爵令嬢(女侯爵になっていることはまだ知らない)になっていること。
この二つのことは伏せたまま、イッツに今までのことを語るのだった。
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