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Ⅲ これからの魔王
五.シアちゃんは魚を所望する 1/2
しおりを挟む魔王城から漂ってくる、かぐわしい香りに、ラフレシアのシアはフンフンと花弁を震わせる。
今日は魚の煮込み料理!!
シアは喜びに触手を伸び縮みさせる。
シアは魚が大好きだ。
だが、魔の森に住むシアは魚を食する機会が少ない。
本日の料理を是非にとも食べたい所存だ。
そろそろと触手を魔王城の窓から中へと入れていく。
シアの触手は目の代わりもしている。
抜き足差し足忍び足。触手は足ではないけれど、リーリアに見つからないように、いい匂いをまき散らしている鍋にむかって、注意しながら触手を伸ばしていく。
バシィッ!
腰に手を当てた魔王様が、シアの触手を手に持っていたおたまで叩き落す。
「シアちゃん、いつも言っているでしょう。盗み食いは駄目だって! 夕飯まで待ちなさいっ!!」
叩き落された触手はシオシオと、シアの元へと戻って来る。
酷い。
繊細なシアの心は傷ついた。
夕飯まで待てだなんて、シアの魚を食べたい心を踏みつける魔王リーリアが憎い。
いつかリーリアに目にもの見せてやる。
心に誓うシアだが、リーリアの料理の前には、その心は直ぐに屈服してしまうのだ。
リーリアは料理が上手い。
リーリアの作る料理は、魔物心をくすぐる美味さだ。
マンドラゴラ夫婦も土に埋まるのを忘れてリーリアの料理を待っているぐらいだ。
だが、今日のシアは負けるわけにはいかない。
だって魚料理なのだ。
前回魚を食べたのは、1月以上前だ。
絶対に食べたい。いや、食べてみせる。
シアは魔王城へと、再び触手を伸ばすのだった。
バダンッ!
「シアちゃんは夕飯まで魔王城への立ち入り禁止!」
シアの目の前で無情にも魔王城の窓が閉じられてしまった。
酷い。
鬼だ。リーリアは鬼に違いない。魔王では無くてオーガだったんだ。
閉じられた魔王城の窓を見ながら、涙にくれるシアなのだった。
「あれ、シアどうしたの?」
声に振り向けば、そこにはギルフォードが立っていた。手にスコップを持っている所を見ると、マンドラゴラ夫婦の畑の手伝いでもしていたのだろう。
ピコン!
シアの花弁の上にビックリマークが浮かび上がった(イメージ)。
シアは急いで魔王城の横に併設されている物置の中に触手を突っ込む。そして、ガサゴソと物色すると、ある物を取り出し、ギルフォードへと差し出す。
「え、何?」
いきなりシアにスコップを奪われ、それを手渡された。
そう、釣り竿を。
「どうしたのシア。釣り竿なんか…… うわぁっ!!」
ギルフォードが釣り竿を持った瞬間、シアの触手はギルフォードを抱え上げる。
そして、そのまま魔王城を出て、ある場所へと向かうのだった。
とは言っても、シアの本体は動かない。シアの鉢植えは魔王城入り口の横にあるままだ。鎮座したままギルフォードだけを触手で運んでいく。
だって、魔王城の窓が少しでも開いたら、そこから触手を入り込ませる必要があるから。
リーリアが作る魚料理はそれほど絶品だということだ。
シアの触手が届く範囲。
魔王城から、そう離れていない距離。
始めての場所にギルフォードはポイと捨て置かれてしまった。
魔王城の屋根が見えているから、ほんの近く。帰るのに迷うことは無い。だが、魔王城の近くにこんな場所があるなんてギルフォードは知らなかった。
だって、ギルフォードの前には泉が広がっているのだ。
綺麗な水を湛えた泉は、静かに佇んでいる。
「こんな所に泉があるなんて、ぜんぜん知らなかった…」
ギルフォードはそっと泉に手を差し入れてみる。
ヒンヤリとした水が気持ちいい。もう少し暑くなったら、水浴びができそうだ。
シアに持たされた釣り竿を思いだす。シアはギルフォードに釣りをさせたいのだろうか?
シアは魚好きで、リーリアと夕飯の魚を取り合っているのを見たことがある。
今生では、ほぼ監禁されていて、釣りなんかしたことはなかったが、前世では、たまに暇な時は、近所のため池に魚釣りに行っていた。
懐かしい思いが沸き上がり、ギルフォードは釣り竿に巻いてある糸をクルクルと解いていく。
シアは、ギルフォードを抱えた触手とは別の触手で、バケツも運んでいた。
「餌はミミズでいいかな?」
シアにスコップは奪われたが、落ちている木の棒で辺りを掘ってみると、丸まるとしたミミズが出て来た。ギルフォードはヒョイとミミズをつまみ上げると釣り糸の先に括り付ける。
「よっとぉ」
ギルフォードが竿をしならせて釣り糸を泉へと投げ入れる。
ぽちゃん。小さな音を立てて、ミミズは池の中へと沈んでいく。
さて、後は腰を据えて、待つだけだ。
ギルフォードは腰を下ろそうと、足元を見る。
「え、えええ、えーーっ!」
手に持っていた釣り竿が、いきなり強い力に引っ張られる。
咄嗟に釣り竿を両手で握り、何とか踏ん張る。
だが、強い力に幼い身体は耐えきれない。
泉の中に引きずり込まれそうになり、とうとう手を離してしまった。
「ああ、釣り竿がぁ」
シアから持たされた釣り竿が池の中へと吸い込まれていく。
ギルフォードには、どうすることもできずに、ただ泉を見つめていることしかできない。
帰るわけにもいかず、釣り竿が沈んだ辺りを見ていたギルフォードだったが、泉の水面が揺れだしたのに気が付いた。
「あそこだけ、水面が揺れている。釣り竿があそこにあるのかもしれない」
だが、水面が揺れている場所は、ギルフォードの立つ場所からは距離がある。
たぶん、水深は深いだろう。
ザバァッ!
水面の揺れは徐々に激しくなり、とうとう水柱が立つと、その後には女神のような女性が立っていた。
水面を思わせる光を反射する透き通った青色の髪に、水底のように濃い蒼色の瞳。たおやかな姿をした美麗な女性。
女神オフィーリアを彷彿とさせる、神聖な女性だ。
ギルフォードは驚きのあまり、固まってしまい、ただただ女神を見つめているだけしかできない。
だって女神は水面に立っている。沈むことなく水の上に立っているのだ。
「あなたが落としたのは、この金の釣り竿ですか? それともこの銀の釣り竿ですか? それとも…… この呪われた釣り竿ですか?」
美しい微笑みを湛えてはいるが、決して瞳は笑っていない女神は、ギルフォードへと、柔らかい声で問いかけるのだった。
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