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7 アーネスト

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アイリスは俺の婚約者候補だった。
それが何なのか幼い俺には分からなかったが、いつも一緒にいる一番大好きな相手だった。
両親は国王夫妻だということもあり、よくても週に1度会えればいい方だったし、兄である年の離れた第1王子は、王太子教育が忙しいのか、ほとんど会うことはなかった。
乳母やばあやは職に忠実だったのだろうが、愛情を感じたことは無かった。


「さあアーネスト。今日こそは侍女が見たっていう猫ちゃんを探しだすわよ!」
「こんな王宮の奥庭に猫がいるわけがないよ」
フンスと両手を腰に当てて、やる気をみなぎらせるアイリスを俺は止める。
アイリスが耳にした侍女の話は、信ぴょう性が無いし、本当に猫の話だったのかも分からない。

「何言っているのよ、探してみないとわからないじゃない。いくわよ!」
「うわあっ」
アイリスは俺の手を引っ張ると走り出す。

理屈をつけて動こうとしない俺を、アイリスはいつも連れ出してくれた。
感情の起伏が少ない俺に、色々なことを教えてくれたのはアイリスだった。笑うことも驚くことも何も知らなかった俺に全てをアイリスが教えてくれた。アイリスがいなければ、俺は周りの大人達から言われるままに、何にも興味を持たずに、ただ勉強だけをしていただろう。
俺を人間にしてくれたのはアイリスだ。


ある日からパタリとアイリスが王宮にこなくなった。
アイリスの母親が亡くなって数カ月後のことだ。それまでは毎日来てくれていたのに。母親が亡くなり泣いていたアイリスが心配だ。
俺は何度もアイリス宛に手紙を出した。ハーナン侯爵家にアイリスに会いに行きたいとも言ったし、父親である国王陛下にアイリスに会えるようにお願いもした。
けれどアイリスに会うことはできなかった。

ハーナン侯爵家からの返事は、アイリスの体調が悪く登城できないというものだった。
それ以上ハーナン侯爵家に強くは言えなかった。俺とアイリスの関係はただの友人だったから。
アイリスは俺の婚約者候補だったけど、まだ婚約者にはなっていなかった。

今なら分かる。ハーナン侯爵は、アイリスを王家に嫁がせたくなかったのだと。
王家に娘が嫁ぐことはほまれだが、アイリスはハーナン侯爵家の唯一の跡継ぎだから。アイリスが王家に嫁げば、跡取りがいなくなり養子を迎えなければならなくなる。
愛人の娘ジェイニーをハーナン侯爵家の跡取りにしたい侯爵は、養子など迎える気は無い。養子が跡を継げばジェイニーは屋敷から追い出されてしまうだろう。
ハーナン侯爵はアイリスを屋敷から出さなくなった。成長したアイリスをジェイニーだと偽って遠くにやってしまえば、アイリスとジェイニーを入れ替えることができると考えてのことだろう。

それなのに幼かった俺は、アイリスの体調が悪という話を信じてしまった。
アイリスの体調が良くなり、また俺に会いに来てくれることを、ただ願っていた。
その頃アイリスが苦労していたなんて、気づきもしなかった。

時が経つにつれて、周りは俺に婚約を勧めてきたが、そのころにはアイリスへ向ける自分の感情に気づいていた。ただの好きではないことに。
俺はアイリスしかいらない。
色んな女性達と出会うことはあったが、何の思惑も無く、俺自身を好きだと言ってくれていたアイリスを俺は欲しい。
初恋を拗らせているのは分かっている。
無理矢理婚約させられないように、出来ることは全てやった。勉強もしたし身体も鍛えた。宰相も味方に付けたし、見合い相手にはちょっと手厳しい対応をしてしまった。

アイリスを迎えに行くことは決めていた。
ただ成人しないと動くに動けない。
ハーナン侯爵家からはアイリスは病気をしているという返事がきて近づくことができない。一刻も早くアイリスを迎えに行きたいのだが、さらうわけにもいかない。結婚は成人しないと出来ないから。

手をこまねいていたある日、アイリスから手紙が届いた。
俺はただ単純に喜んだが、この手紙1通を届けるために、アイリスは相当苦労をしたらしい。
屋敷の中にアイリスの味方はおらず、唯一味方をしてくれた年老いた庭師に頼み、隠していた数少ない母親の形見を売りに行ってもらい、便箋と封筒を手に入れたのだそうだ。そして、なんとか父親の書斎に忍び込んで手紙に封蠟をした。
ただ手紙を出しただけでは、王子の俺までは届かないから。

俺は陛下に頼んで王家の “影” を借りた。
“影” は王家が代々抱える選りすぐりの密偵だ。アイリスの部屋へと俺の手紙を直接届けてくれて、アイリスからの返事も俺へと持ってきてくれる。
ハーナン侯爵家の警備など、鼻で嗤っていた。

その時に初めてアイリスの境遇を知った。
ハーナン侯爵に対してはらわたが煮えくり返る思いだが、アイリスのお願いを聞くことが先だ。
アイリスの願い通り、王家の圧力をかけて成人祝いのパーティーに娘を二人とも参加させるように通達した。このパーティーに出席しないと、ハーナン侯爵家に跡取りはいないとみなすと言えば、ハーナン侯爵は嫌でもアイリスを表舞台に出すしかない。

ドレスや扇、アクセサリーを影に届けさせる。
俺の誕生日はまだ来ていないが、今年成人するし、成人のパーティーへは出席するのだから、もういいよね。
やっとアイリスの手を取ることができる。

アイリスに結婚を申し込む。二度とアイリスを手離したりなんかしない。
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