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第三章

39. 義務と願い

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(だとしても、確かめる術はないのだから考えても仕方ないか)

 私にとって都合の良い——もう確かめる術もない妄想を頭に巡らせる。
 すると、その想像の中にいるディオンと同じようでいて同一人物とはやはり言い難い貴公子の、強い光を帯びた双眸が私に向いた。

 ランタンの光を映した赤い瞳はより強く、深い赤を湛える。その奥深くまで射抜くように、彼は私を見定めていた。

「イリエス。聞いてほしい」
「はい」

 真剣な声色に小さく肩が跳ねる。
 彼から告げられる言葉が何であっても、その言葉を真摯に受け止めるべきだ。そう自分に言い聞かせてつつも、構えてしまうのは仕方がなかった。

 身を硬くし、緊張しながら彼の言葉を静かに待つ。彼が紡ぐ言葉は、きっと私にとって不都合のあるものではない。頭の中をそんな期待に無理やりに塗り替えていく。
 とはいえ、今は、これまでの人生が嘘のように、ディオンのことを信じられていると言っていい。体の強張りはどうしようもなくとも、心は前ほど凍っていない。随分と穏やかな心持ちでいることは間違いない。

 私の緊張が伝わったのか、ディオンは、ずっと握ったままの私の手を何度も何度もあたたかな手のひらで慈しむようにこすり……やがて、一つの決意をげた。

「俺はもう——きみをその若さで死へと追いやりたくない」

 目の前にいる私が、幻ではないと確かめるように。
 死した者ではなく、今はまだ血の通う人間であると確かめるように。
 一瞬一瞬を、強く。優しく——。

 触れ合う手から私の体温を確かめ、命が鼓動していることをディオンは何度も確かめていく。その煌めくルビーの瞳の中に、私の姿がきらりと映る。

「きみは九度『死』を経験し、十度目の人生を生きていると言ったね。もしかして、それはすべて……この日記に記された〈一度目〉の命日と同じ日に命を落としているのではないかい?」

 その問いに、私は目を瞬かせた。そこまで話していなかったはずなのに、まさか言い当てられるとは思っていなかったからだ。

「ディオン様は聡い方ですね。……おっしゃるとおり、自死をした一度を除いて、私はまったく同じ日に死を迎えています。死因はさまざまですが、命日はいつだって同じ。——二十三の誕生日を迎えてから一ヶ月後です」
「それは……」

 何かを訊きたい様子で、それでも口にしたくないと躊躇うような仕草でディオンは首を傾げた。何かをじっくりと思案している姿も様になっている。
 そして幾分かの迷いの末に、ディオンの強い瞳は私の視線とぶつかった。

「それなら……今世も、イリエスは二十三歳と一ヶ月で命を落とすと?」

 言葉にしたくないと言いたげな彼に、私は「わかりません」とだけ答えた。

「そう、か……。ねぇイリエス……どうしたら、きみを救える? どうすれば、繰り返す生と死から、きみを救い出せるんだ? 俺は——きみに生き続けてほしい」

 握られていた両手は痛いほどに包み込まれる。
 ディオンの手は僅かに震えていた。

 ぎゅうっと心臓が痛くなる。私の死を許容したくないと訴える彼の想いは、触れ合う手を通して、切ないほどに伝わってしまった。
 この手も、このぬくもりも——紡がれる言葉も、想いも、すべて本物。紛いものではない彼の想いを、私は生まれてはじめて素直に受け止めていた。

「ありがとうございます、ディオン様。私も……私だって、できることなら同じような死を繰り返したくはありません。死は……何度経験しても、いつだって苦しいものですから」

 はじめて誰かに吐露した思いに、自分でも驚く。ああ、本当はそう考えていたんだなぁと。

 死を繰り返したくない意味では、ディオンの話す願いと、私の願いは同じだ。
 終わりのない生から抜け出したい。今度こそ穏やかな死を迎え、そのまま眠りにつきたい。これ以上、十四歳の誕生日には戻りたくない。

「そうか……そうだよな」
「ええ。ですが……今世でも今までと同じ日に命を落とすのかも、今世を終えたときに再び生まれ戻って無為な生を繰り返してしまうのか否かも、私ですら知りようがないのです。それはおそらく、神のみぞ知ることなのでしょう」

 死して十四歳に戻るたびに、これが最後であるようにと願ってきた。
 でも、今の今まで叶えられた試しはない。

 そもそも死に戻っている条件もわからないので、今世が最後になるか否かなど、私が死ぬときまでわからない。今世でこの命が尽きて、そのまま目覚めなければ私の願いは叶ったことになるし、そうでなければまた十四歳のあの日からを日々を過ごす必要がある。
 今、この瞬間に死を迎えて試すこともできなくはないけれど……自死という選択があまり良くないことは過去の経験からも薄らと察している。ゆえに、その選択は避けたいところだ。

 それに、ディオンは私を「死へと追いやりたくない」と言っていた。
 その言葉を、信じてもいいと思ったのだ。

「神、か……」

 そう呟いたディオンの視線は、私の手を握る自身の両手。……いや、その下にある青い日記へ注がれていた。

「この日記をもっと詳しく調べれば、何か手掛かりが掴めるかもしれない。僅かに魔力の残滓を感じるんだが、俺ではそれ以上はわからなくてね。日記が何なのか判れば、日記が時を超えて俺のもとへ届けられた意味も、イリエスが命を繰り返している原因も見えてくるかもしれない。そこには、きっと何か理由があるはずだから」

 そう話すディオンの瞳に、柔らかな色が滲む。
 どうやらディオンは「日記は神からの思し召しなのではないか」と考えているようだ。一種の希望を、その日記に見出したのかもしれない。

 対して私は、どちらかと言えば懐疑的だった。
 先ほど神のみぞ知ると言ってみたが、その神が私にはことごとく無慈悲なことを知っている。仮に、その神が繋ぎ残した日記だとしても、私に対して慈悲のあるものだとは限らない。

 まるで神の悪戯いたずらだ。しかも、おそろしく悪質な。
 終わらぬ生に翻弄される私が、今度はディオンがもたらした日記に翻弄されようとしている。私は何も言わずに、ディオンの視線の先にある日記を見つめた。
 もし本当に日記に手掛かりがあるとして、それが私にとってさちをもたらすものになるとは……やはり思えそうにない。

 ディオンへの想いは別にして、前向きにはまだなれなかった。
 しかし、そんな私とは対照的に、ディオンはどこかさっぱりとした空気へと変わる。まるでわだかまっていた何かが吹っ切れたような……何か良い未来さきを見つけたような、そんな様子だ。

「なあイリエス。ほかの願いはあるかい? 繰り返す生から救い出す方法は、残念ながら今の俺にもわからない。ごめん。今後、日記から手掛かりが得られればいいけれど……それだって未知数だ。不確かな希望を見るのはつらいことだと思う。でも……ほかのことなら、今の俺でも叶えられるかもしれない」

 何だっていい。自分のできることならば、とディオンはまなじりを下げる。

 ようやく涙が乾いてきた私は、いつしか彼の優しい表情に釘づけになっていた。
 その優しげな表情には、どんな願いを言ってくれるだろうという期待が込められている。彼は私の回答を楽しみにしているように見えた。

(願い、か……)

 その言葉に頭を巡らせてみる。
 しかし……思い浮かぶ内容は、自分でも笑ってしまうほど。だって、可愛げのある願いなんて、一つも思い浮かばなかったのだ。

 幾度も生を繰り返してきて、願いらしい願いなど忘れてしまった。
 いつも頭の中にあるのは「今世で終わりにしたい」、「次に死んだときこそ私の最期にしたい」、「もう生きたくない」という仄暗い願いばかり。でも、それをディオンに言ったところで彼を困らせるだけなことは明白だ。

 願いなど、それ以外に何もない——。
 そう思いながらも、何とか良い願いを捻り出そうと頭を巡らせてしまうのは、親身な彼をがっかりさせたくないからかもしれない。

「何でも言ってほしい」

 強く頷くディオンに……ようやく私は、一つの願いに行き着いた。

「……私は、ここで……この場所で、今の暮らしを続けたいです」
「ここ、というのは劇団のことか?」
「はい。今から一年後——二十三歳になったとき、私が命を落とすのか、それとも生きながらえるのか。それは、私にもわかりません。ですが……どうせ死ぬのならば、今いるこの場所で死にたい」

 言葉を紡ぎながら、これまでとは違う〈今世〉を思い返す。

「リュシオン殿下にも申し上げましたが、劇団リベルテは私の命の恩人で、今では私の暮らす場所です。私は『イリエス・デシャルム』という人生を捨て、ただの『平民イル』として生きてみたい。薄情かもしれませんが、デシャルムの家にも、ジード伯の家にも、もう戻りたくありません。ここで——劇団リベルテの一人として、穏やかに暮らしたいです」

 もう生を繰り返すことのない穏やかな死を迎えたい、という根本の願いは何ら変わらないのだけれど。

 もし……もし、今世で何かを願ってよいのなら、死を迎えるそのときまで、今の暮らしを続けたい。
 はじめて、生きることが楽しいと思えた日々の中で、二十三歳の誕生日を迎え、来たる命日を迎えられたのなら。——それはきっと、幸福だ。

 とはいえ、その願いを叶えるにはいくつかの障害もあるだろう。
 私が名前を変え、出自を隠して生きていることがリュシオン殿下とディオンに見つかってしまったことで、祖国へその情報が渡ってしまうのではないか。そうなれば、父や兄が私を連れ戻しに来るのではないか。そういった不安は、彼らの姿を見たときから頭をよぎっていた。

 リュシオン殿下が私に会う目的は、虐待の事実をつまびらかにすることだと聞いたものの、殿下が意図しないところで情報が漏れ出るとも限らない。まして、殿下が本当に私の味方かはまだ確証を得られていない。
 国政の障害となる貴族の自滅を狙うためには手段を選ばぬ冷酷さを、あの王子は持ち合わせている気がする。私を証人として何かしらの場に呼び出すこともあるかもしれない。だとすると、今の平穏な日々は壊されてしまう。

 そんな私の不安を知ってか知らずか、ディオンは私が発した願いを一言一言噛み締めるように頭の中で反芻しているようだった。その様子に不安が育つ。

 ディオンは、リュシオン殿下に仕える近衛騎士だ。
 高位貴族の次男で、陛下の覚えもめでたい彼が一時いっとき交流しただけの私と、忠誠を捧げた王族とを天秤にかけた場合、どちらの願いを優先するかは……考えるまでもないだろう。

「貴族の義務を放棄していることは重々承知しています。身勝手であることも」

 私がどの家の生まれであろうと、本来であれば貴族の家に生まれたからには王家のため、国のため、民のために尽力しなければいけない。それらをすべて放棄して、平民として生きている状態など看過できないと……そう言われる可能性に覚悟を決めながら、私は目を閉じた。

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