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第二章
17. 予期せぬ熱の交わり *
しおりを挟む天井近くに設けられた小窓から、僅かに光が差し込む小屋の中。
寝台の上では衣服の乱れたみすぼらしいオメガと、壮絶な色気を帯びたアルファが重なり合っていた。
ディオンと肌を重ねている事実に、頭の中で警告を鳴ったのは何分前だろう。
甘く溶かされた思考は理性をほとんど手放していて、卑しいオメガとしての本能が頭の中を一心不乱に塗り潰している。今では全身が彼の愛撫を甘受してしまい、悦びに震えていた。
「あっ、あっ……ん、ふぅ……」
発情期に入った体は、ディオンの指先が軽く肌を撫でるだけで容易く溶ける。
クラバットはとうに外され、乱れたブラウスの間から手を差し込まれて摘まれた乳首はツンと立ち上がってしまっている。もう片方の手は器用にズボンを寛げて、その中に隠されていた小さな性器を掬い取っていた。
性器はもう緩やかに勃ち上がり始めていて、触れらたことにより、なお膨らもうとしている。オメガの男性器はさして大きく成長しない。けれど、それでも男としての機能はゼロではないゆえか、触れられれば、すぐに熱くなってしまう。
まして、ヒートに加えて、ずっと想い慕ってきた相手だ。本能ばかりでなく、その本能に引きずられて心の奥底にしまいこんでいた浅はかな欲が育つのに、そう時間はかからなかった。
「ん、はぁっ。あ……ぁ、んんっ」
ディオンの手は私の性器を扱き上げながら、首筋や胸元に唇を寄せて舌を這わせる。オメガのヒートにあてられたアルファというのは目の前の獲物を喰らい尽くすほどの気迫を纏うと本で読んだことがあったけれど、まさにそんな感じだ。
胸の突起を舌先で捏ねられると、甘い痺れがじわっと広がる。その痺れをさらに塗り広げるように、性器を撫で上げていた手が会陰を伝い、その奥で熱い欲を注がれるのを今か今かと待ち侘びる蕾へと辿った。
「あ……待っ、て……ああっ」
ぐちゅ、と濡れた音をさせて後孔を騎士の指が暴いていく。
浅いところをゆるゆると撫でていた指先は徐々に奥へと潜り込む。しなやかな指に翻弄され、息つぐ間もないままに体は雄を求めていた。
はぁ、はぁという二人分の呼吸音。
ごめんと謝罪の言葉を口にしてから、ディオンは何も言ってくれない。ただ熱っぽい視線が体じゅうに絡みついてくるのは感じていて、それがさらに体に終わらぬ熱を灯していた。
溶けた頭で快楽を求めるうちに時折、唇が寄せられる。
喘ぎ声が漏れるのを止められない半開きの口は、そのたびにディオンの滑らかな唇に捕えられ、差し込まれる舌を受け入れる。舌と舌が絡み合って熱を分け与えたかと思えば、じゅっと音が立つほどに吸われて腰が砕けそうになった。
その間もディオンの指は私のなかの奥深くまで侵入を試みる。
彼に体を預けるのは初めてなのに、まったく痛みのない優しくも性急な手つきに心の準備が終わらぬうちに体は芯からぐずぐずに溶けていった。
「やぁ……も、っ……ん、そっち、あぁっ」
「——……っ」
思わず上がる催促の意図が含まれる甘ったるい言葉。
それが意味することは薄らとだけれど理解できて、かぁっと顔が赤くなった。でも、どうしても本気の拒否ができない。
嫌なのはディオンの愛撫でも、なし崩しで体をつなげることでもなく、こんなに自分がはしたない生きものなのだと知られること。それと同時に、もう高ぶりすぎて吐き出す以外に解消しようのない欲を堰き止められること。
相反する感情に、自然と涙が溢れた。
「あっ、あっ……! ディオンさま、ぁっ、も……おかし、な……ひあぁっ」
先に進むべきなのか、どうにかして止めるべきなのか。
いや、しっかりと理性が保たれていたのなら、このまま続けるのはまずいと二人とも思えたはずだった。それなのに二人が二人とも止められないのはアルファとオメガの本能のせい。——きっと、そうに違いない。
ディオンは、激しい口づけを与えながらも私の体を確実に暴いていく。
それでいて、今すぐにでも熱く猛ったもので貫いてほしいという欲求にいまだ答えてくれず、前でしとどに濡れる私の性器を撫で、後孔を掻き回し続けるだけ。それは、私をこの上ないほどに乱していった。
「だ、め……もっ、出ちゃ、んんぅっ!」
大きな手で擦られ、なかの悦いところを責め立てられて、目がチカチカする。高められた熱はついに行き場をなくして、内から外へ溢れ出そうとしていた。
粗相をしてしまうと思ったときにはすでに遅く、体を大きくのけ反らせ、私は堪えられずに吐精する。
「あ……はぁ、っ……は……」
射精の余韻でふわふわしつつも、まだ熱は収まらない。
「ん……もっ、と……」
肩で息をしながら、涎を垂らしながら猥りがわしい本能に塗れた要求を口走ってしまう。もはやヒートに崩れた体は言うことを聞いてくれない。
細い腕をめいっぱい伸ばせば、ぐっと歯を食い縛る音と、ごくっと生唾を飲み込む音がした気がした。
「ごめん、イリエス……」
耳元で再び告げられる謝罪の言葉。その甘く切ない響きに「いい」も「ダメ」も言えずに、でも体は欲しいと素直な反応を見せていた。止めないでという意思を、ゆるゆると横に横に振ることで示せば、僅かに眉を寄せたディオンが私の腰をぐっと引き寄せた。
瞬間、後孔に熱いものが押し当てられる。オメガが求めてやまない、アルファの猛った雄——その熱さと硬さに腰が期待で跳ねるとともに、ぐぐっと剛直が押し進められた。
「あぁっ!」
はぁっ、という艶めかしい吐息にあわせて、ディオンの勃ちきった性器が私のなかへ入ってくるのがわかった。ヒートの孔は柔らかく濡れていて、どんなに大きな雄であってもどんどん飲み込んでいく。
「あっ、んっ……や、あぁっ」
根元までぐぶぐぶと埋め込まれると、全身が甘く痺れた。
わけもわからず、大きな背中に縋りつけばいっそう深く杭を穿たれる。
「おっき、い……奥、深ぁ、あっ」
揺さぶられて、抉られて、それでもなお腹の奥が疼き続けていた。
もっと。もっともっと、この男の熱が欲しい。私の奥の奥まで屹立をぶつけて、滾る欲をぜんぶ叩きつけてほしい。
二人分の体重を受けた簡素な寝台がぎしぎし音を立て、粗末なリネンはぐちゃぐちゃに皺になっていく。
「イリエス……っ、く……!」
ぐっと奥まで貫かれたかと思うと、最奥に熱い迸りを感じた。そして、それに呼応するように私のなかがきゅうきゅうとうねったことも。
まるで子種の一滴も逃すまいと搾り取るような自身の動きに、激しい羞恥が生まれる。けれど、同じくらいに幸福感や充溢感を得てしまい、混乱する心とは裏腹に、どうしようもないほどに体は満たされていた。
+ + +
一度男に抱かれたことでいくらかヒートの熱が落ち着いたタイミングを見計らって、ディオンは私を小屋に残して使用人を呼びに行ってくれた。それから、アルファ用の抑制剤——我が家にはオメガの私に与える薬はなくとも、アルファの家人が使用する薬の準備は抜かりないのだ——を飲んだらしいディオンが、使用人とともに戻ってきた。
薬を飲んだからもう大丈夫、と伏せ目がちに教えてくれた彼から、そっと小さな薬包を渡される。それはオメガ用の抑制剤ではなく、緊急時用にと常時されていた避妊薬だろう。
差し出されたコップに入った水でそれを飲み干したときには、どうしようもなく申し訳なさが込み上げた。
「ごめんなさい……」
思わず、そんな言葉をディオンにかけていた。
すると、ディオンは僅かに目を瞠った。けれど私の言葉に何かを返すこともなく、代わりに使用人に私を運ぶように言いつけていた。
小さな拒絶の態度に胸を痛めるうちに、私はべとべとになっていた体を濡れたタオルで拭かれ、ベータの使用人に横抱きにされて運ばれた。
運んでくれるのはディオンではないのか、というお門違いの寂しさと、彼にそんなことをさせなくてよかったという安堵が綯い交ぜになる。
使用人の腕のなかで揺られながら、無意識のうちに思い出されるのは、どんなに素っ気ない態度であっても私に笑いかけてくれる、眩いほどの笑み。しかし、その笑顔は今は見えない。
重なり合った肌の熱さも、絡み合った舌先や痴態も。触れ合った唇と指も。
すべては幻だったかのように、ディオンとの距離を遠く感じた。
(私は、なんて身勝手なことを考えているんだ……。あれだけ彼を避けていたのに、こういうときほど微笑みかけてほしいだなんて……なんて、浅ましい……)
麗しの貴公子に、人を運ばせるなんてありえないことだ。さらに言えば、私の自室まで彼について来られるのもまずい。
まして、イレギュラーに起きた私のヒートはまだ完全には終わっていない。再び肌が触れ合えば、いつ再熱するかもわからないゆえに、彼が私と距離を置くのは至極当たり前のこと。なにより、私とディオンはそんな間柄ではないのだから。
なのに、寂しさを感じてしまうなんて。自分の貪欲な性と、その性のせいにしようという愚かしくて卑しい己の欲望が恥ずかしくて、心底疎ましい。
「イリエス、すまなかった。しっかり休んで。それから……」
自室のある階へとつながる階段の下。
あとは任せてくれと告げる使用人に「イリエスを頼むよ」と答えたディオンはようやく、苦悩が滲んだ小さな笑みを私に向けてくれた。それから、不意に彼が近づいてきて、耳に口元が寄せられる。まだ吐息が熱く感じる距離に体が再び疼きそうになり、私はぎくりと身を硬くした。
ディオンは、そんな私の態度を気にも留めず呟いた。
「——俺は、きみにしてしまったこと、じつはそれほど激しく後悔はしてない。……ろくでもない言い分だが、俺はきみのことが——」
そこまで言って、離れていく想い人をぼんやり見つめる。
先ほど呟かれた最後の言葉は、よく聞き取れなかった。使用人に聞かれないように配慮してか、ディオンの声が小さかったのもあるし、まだまだヒートが抜け切れていなくて頭がぼうっときていたせいもある。
ただ、その前の……「後悔していない」という言葉はしっかり耳に届いていた。
後悔していないという言葉の意味を考える。けれど、行き着く先に幸せな理由があるはずもない。そんなことは、考えずともわかることだ。
彼が後悔していない理由——それはもちろん、私がオメガという性を持っているからに他ならないだろう。ディオンの持つ性であるアルファと、ある意味で対をなす存在——厭わしいオメガ。
(ああ、私はディオン様になんてことを……)
一説によれば、ベータであってもアルファであっても、オメガを抱くのはたいそう『いい』らしい。それがアルファならばなおのこと。そして反対に、オメガもまたアルファに抱かれると言いようのない快楽を得ることができる。
実際に、つい今しがた事故的に起こってしまった行為に、オメガという疎ましいこの体も全身で歓喜に沸き上がっていた。……それはきっと、ディオンのようにどんなに優れた人物でも同じはず。アルファという性には抗えないに違いない。理性なんて意味をなさない。
つまり、清廉なディオンは私を抱いたことを『悪いものではなかった』とすることによって、『望まぬものではなかった』ことにしたいのだと……私は、そう理解した。
あれは、突発的で予想できなかったヒートと、二人の逃れられない性による不幸な事故。いや、後悔すらしなければ良いも悪いもない、ただの事象。そこに意味を求めることすら烏滸がましい。
「ではまたね、イリエス」
そう言うディオンの瞳には、悲しげな色が浮かんでいた。赤の双眸にはいつもと異なるきらめきが混じる。
他の誰でもない私が——本能を制御できない卑しいオメガの私が、彼に、そうさせてしまった。そう思うと、胸が張り裂けそうになる。だがこの私に、頭を下げること以外のいったい何ができよう。
結局は「お大事に」という言葉を背に受けるだけで、私は何も返せぬままに使用人に運ばれてその場をあとにするしかなかった。
◇◇◇
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