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第一章

10. 公爵家の来訪

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 その日私は、クラヴリー公爵家の馬車の到着にあわせて、屋敷の前で父や兄たちとともに客人を出迎えた。
 デシャルムの屋敷を訪れたのは、クラヴリー公爵家の当主アンセル・クラヴリーと、その妻エリザ。そして、次男であるディオンの三名だ。

 クラヴリー公爵閣下は、明るい栗毛に赤い目をしている美丈夫で、ディオンとの血のつながりを確かに感じる精悍な容貌の男性だ。そして、彼にエスコートされながら馬車を降り立ったのは、美しい金髪に琥珀色の優しい瞳を持つ女性。彼女が公爵夫人のエリザ様だろう。たしか公爵夫妻は二男一女に恵まれたはずだが、子を三人産んだとは思えない見事なプロポーションをされている。
 公爵家の親子三人が並んでいると、金髪赤目の美青年ディオンが父親と母親の良いところを多分に受け継いでいることがよくわかる光景だった。

 なお、第一子である長女はすでに他家に嫁いでおり不在と聞いている。
 また、クラヴリー公爵家の嫡男でディオンより五つ年上のアレックスは、公爵閣下が不在中の領主代理として領地に残っているらしい。これも次代領主になるための経験なのだと、現領主アンセルは鷹揚に笑った。

「ようこそいらっしゃいました、クラヴリー公爵閣下」
「歓迎ありがとう、デシャルム侯。いや、これを機にジョスラン殿とお呼びしてもよいかな?」
「もちろんですとも」
「エリザ様に、ディオン様もようこそ。お疲れでしょう。すでに部屋の用意はしてございますので、まずはごゆるりと休まれてください」

 外向けの表情を浮かべ、父と継母が彼らを歓迎する様を、私は兄と弟の間に挟まれながら見ていた。

 俯くわけにはいかず、かといってディオンを直視することもできない。
 目下の立場ゆえに目を合わさなくても礼儀には反しないので、私は目線を少し下げながら、交わされるやりとりを耳だけで窺っていた。だから、ディオンが近くまで来ていることにも気づかなかった。

「レイナルド、一家で押しかけてしまってすまないな。世話になるよ」
「よく来たな、ディオン。歓迎するよ」
「隣がきみの弟たちかい? 紹介してもらえるかな」

 すぐ正面から聞こえた、涼やかなテノールの声。
 私が心穏やかでいられないことなど知らぬディオンは、レイナルドに私たちの紹介を求めた。それにレイナルドも気分よく応じ、私や弟たちを促す。

「イリエス、グェンダル、エヴェリン。挨拶なさい」
「……はい、兄上」

 緊張と不安と、期待と焦燥。よくわからない感情に揺さぶられながらも、私は乾ききった口をなんとか開いた。
 きらりと揺れる金の髪と、屈託のない笑顔に浮かぶルビーよりもきらめく双眸が憎らしいほどに視界に痛い。

「お初にお目にかかります、ディオン様。デシャルム家が次男、イリエスと申します。お会いできて光栄です」

 いつか、どこかでしたような自己紹介。
 私のあとに続くようにして、弟のグェンダルと妹のエヴェリンもディオンへと挨拶をする。そのやりとりを隣で聞きながらも、私は息が上がらぬようにじっと耐えていた。

(いったい、何がまずかったのだろう)

 今世で、ディオンと顔を合わせるつもりなどなかったのに。

 内心でそっとため息を零す。
 発情期が明けた翌日——あのときに、ただのひと時だけでもディオンの姿を見てしまったのが引き金になってしまったのだろうか。けれど、庭園のお茶会で楽しげに話すディオンを見ただけで、ほかに何もしていないのに?
 強いて言えば、あの日にディオンと目が合ったような気はしたが……だとしても、『会わないように』と心がけていた。あれから二ヶ月が経った今でも、〈一度目〉の人生で彼と邂逅する秋まで気を抜くまいと、慎重に過ごしてきたはずだった。

 人目につくこともなく、定期的に庭園で開かれるパーティーを頻繁に目に入れるでもなく、ひっそりと。家族と使用人しか会わない屋敷の中で、外で暮らす人々に興味を持たれることなどない『病弱の次男』でいたはずだ。
 それが、どうして……。

「クラヴリー公爵家が次男、ディオン・クラヴリーだ。三人とも、よろしく」

 目の前から聞こえた優しい声に、体の奥がざわざわと煩く喚いた。
 ずっとずっと聞きたくて、ずっとずっと聞きたくなかった、伸びのある涼やかで綺麗な声。

 私は目を合わせることもできずに、「またあとで」と笑って屋敷の中へ消えていくディオンの足元だけを見ていた。


 + + +


 その日の晩餐。
 私は与えられた席で、いつもは食べることのない馳走に目眩を覚えながらも、なんとか食事を口に運んでいた。日頃、私が口にしているのは硬いパンと薄いスープが主だ。それに時折、肉や魚の切れ端や腐りかけの果物が与えられることもあるけれど、回数は多くない。それゆえに、私の食は非常に細い。
 七歳になる前までは食べていたはずの料理たちは、今はすっかり忘れた味をしている。食べ慣れない味付けの料理は、私の舌には刺激が強く、少し口にしただけでも腹が膨れていく。

 しかし食事を残そうものなら、父たちから冷たい視線が投げられることだろう。
 公爵家の方々の前で無礼な振る舞いをするわけにもいかず、慣れぬ食事を吐き出しそうになるのを何度も堪えながら、私は歓談に耳を傾けていた。私から話しかける必要はないと言われていたのが幸いしてか、話が振られることがないのは助かった。口を開けば、無理やり詰め込んだものを吐き戻しかねなかったのだ。

「今年のクラヴリー領は、果実がよく実りそうだと伺いましたが、いかがですか?」
「おや、情報が早いですなジョスラン殿。おっしゃるとおり、すでに杏子あんずやさくらんぼが良い出来でして。妻が大変喜んでいたところです」
「ふふふ、旦那様ったら。お恥ずかしい。でも、そうですね。果実の実りが良いのは嬉しいことです。領民たちの暮らしも豊かになりますし、わたくしは数年前から果実の加工品に力を入れるよう支援をしておりますから、特に喜ばしく思ってしまうのです」
「まあ。エリザ様自ら? それは素晴らしいですわね」

 公爵閣下と公爵夫人は、私の父や継母と、互いの領地での流行りや領主同士の苦労話を含めた情報交換などに花を咲かせている。

 クラヴリーの領地は、デシャルムの領地と隣り合わせだ。それゆえに領地間での輸出入は盛んだし、事故や天災が起これば互いに支援し合うような関係性を築いている。
 そんなクラヴリー公爵家だが、デシャルムのようにアルファ至上主義といった極端な思想を持ってはいない。それどころか、じつに品行方正で穏健。領民からも愛されている素晴らしい領主だと聞き及んでいる。

 父としては、「アルファもベータもオメガもなく、皆等しく健やかに」というクラヴリー公爵の考えを好ましくないと思っているようではあった。だがそれでも、父がクラヴリー公爵家を蔑ろにできないのは、単に爵位がデシャルムよりも上だから、という理由だけではない。
 我が領地は鉱山の恩恵にあずかっているために領民の誰もが貧困に喘いでいるわけではないけれど、農作物に関しては少し心許ないのだ。自領だけでは賄えない小麦や野菜などの農作物の頼り先が、広大な農耕地を有するクラヴリーであった。

 アルファ以外を認めぬ危険な思想を持っていると思われるデシャルムだが、じつは領民からの評判はそう悪くない。というのも、アルファは優等の性だからこそ、ベータやオメガの上に立つべき者として領地を治めることは当然と考えているからだ。

 我が領は、クラヴリー領ほど穏やかな暮らしができているわけではないが、それなりの生活ができる良好な土地ではある。かといって、ベータが大半の領民を領主の父が過度に評価することもないけれど。でも平穏無事に、それなりの人生を楽しむ暮らしは営める。
 滞りない領地経営は、父の矜持を保つために必要なことだった。口では「ベータなんて、オメガなんて」とは言っても不用意に領民を脅かす愚昧な領主というわけでもなかった。大多数のベータは領地の働き手——言わば資源なのだから。

 ちなみに、我が家の使用人や侍従侍女はほとんどがベータだが、父たちは使用人に対しても非道な振る舞いをしない。使用人に限らず、市井にほんの僅かにいるオメガをわざわざ捕まえて暴力を振るうこともない。
 つまりは、彼らの怒りの矛先は「デシャルムに生まれたにもかかわらずオメガである」ことなのだ。血を穢す憎き者とでも思っているのだろう。オメガを娶るくせに矛盾しているとは思わないのか。

(それにしても……子供たち同士の交流をしたいと言われたらしいけれど、この調子なら父上は話を鵜呑みにしすぎたのではないか……)

 食事をどうにか口に運びながら、私は晩餐の場をそっと見渡した。
 和やかな空気が流れる場は、まさに高位貴族同士の良き交流の場となっている。一方で、事前に聞いていた話はなんだったのかとも思う。

 話の中心は大人たちだ。その間を縫うようにして子供たちも話をしているが、ディオンは学友であるレイナルドや、麗しの貴公子に目をきらきらと輝かせているエヴェリンと話をするばかりで、グェンダルと私は話を聞いているだけ。
 ああ、いや……グェンダルはレイナルドを通じて話の輪には入っているので、なのは実質私だけか。

 そういう状況が目の前で繰り広げられているので、これなら私がこの場にいる必要はなかったかもしれないと思った。体調が優れないからと理由をつけて、私を部屋に籠らせてくれてもよかったのにと内心で父を恨む。

(本当に熱でも出せばよかったかな)

 そんなに自由に体調をどうこうできるものではないけれど。この日に向けて無理やりに風邪でも引けばよかったなどと考えてしまう。
 後悔先に立たずといったところだろうか。

 残念ながら今さらこの場を辞するわけにもいかない。会話をしなくていい分、まだマシだと思うしかないのだ。食事をするのは大変だが、にこにこと微笑んでればいいだけなのだから、私でもどうにか最後まで己の立場を弁えた振る舞いができるだろう。
 内心の感情を隠して笑顔を作ることなど、もう十度の生を繰り返している私には造作もない。今はただ、この晩餐が何事もなく過ぎることだけを考えよう。

 そうして、晩餐会は和やかに進んでいったのだった。

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