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最終章
99. 後遺症
しおりを挟む「先生、すみません。お待たせしましたか?」
「いいや、ちょうど前の患者を見終わったところだ」
診察室で待ってくれていたのは、兵役中もレオンスのことを気にかけてくれたクロードだ。
帝国軍が無くなり、軍医という立場ではなくなった彼は今、皇国の管理の下で主に元帝国兵の傷病人を診ている病院で、医師として働いている。
「どれどれーっと。この一週間変わりなかったか? ここに来れたってことは、まあ変わりないんだろうが……」
「はい。おかげさまでというか、残念ながらというか」
眉間を寄せながらも小さく笑ったレオンスに、クロードも「そりゃ困ったもんだな」と同じように笑って返した。
一週間変わりがなかったというのは、体調に大きな変化がなかったことを喜ぶと同時に、発情期も来ていないことでもある。オメガと発情期は切っても切り離せないものだ。
発情期が正しく来ないと心身へ不調をきたしかねない。それはレオンスの自覚のないところで起きる場合もあるため、こうして今はクロードが週に一度、診察をしてくれている。
「吐き気はまだ続いてるか? あとお前さん、前は頭痛や目眩なんかもあっただろ。あれはどうした?」
「今日は大丈夫ですけど、昨日はムカムカしてました。頭痛や目眩はたまに。吐き気があると、あまり食事をとれないのがよくないんだとは思うんですけど、そういうときは食べようとしても、なかなか難しくって……」
「あー、そうか。まあ、無理して食べて戻すのもなんだしなぁ。先週と同じで栄養剤は出しておくから、それはしっかり摂っておけよ。もちろん食えるときはちゃんと食えー」
クロードとは、兵役中と終戦後でのフュメルージュ砦でも多くの言葉を交わしたこともあり、随分と気安い話ができる間柄となった。以前は迷惑をかけまいと構えてしまうところもあったレオンスだが、クロードが何度となく「医者をなんだと思ってるんだ」と呆れるように指摘し続けたこともあって、今は気負うことなく自分の不調を話せるようになった。
問診を受けながら、レオンスは検査着に着替えた。下着一枚だけを残して、膝上までのガウン型のそれを着たレオンスは、診察台に上がって腹部や背部の診察を受けていく。
「ここの腹を押すとどうだー? 痛かったり、気持ち悪かったりは?」
「いえ、特には」
「うぅーん、そうだなぁ……そんじゃ、こっちは?」
「そっちも大丈夫です」
「はいはいーっと。体のほうは問題なさそうで何よりだな」
聴診器をあてられたり、腹部を押されたりしながら、レオンスはクロードの質問に答えていく。新薬の後遺症を探るための診察でもあるが、同時にかつての暴行の後遺症がないかも確認されているのだ。
レオンスは終戦直前、エドゥアールの部下たちから暴行を受けた。
あのときはだいぶ手酷く扱われ、腹や背中を殴られ蹴られたこともあって、クロードは見えないところ——つまり内臓が傷ついていないかと、ずっと気にしてくれている。
今日の診察でも問題は見られなかったようで、引き続き様子見といったところだ。
「不眠のほうはどうだ?」
「あー……そっちのほうが結構ダメかもですね。今週はあんまり眠れてなくて」
「やっぱりか。目の下、すんごい隈ができてるからなぁー」
「あはは……」
クロードに指摘されているように、レオンスは小さな体の不調と発情期の遅れのほか、不眠に悩まされていた。
かつての暴行でできた傷や痣はきれいに消え、今は痛みもないのだが、時折あのときのことを悪夢に見ることがあった。一度見てしまうと眠ること自体が怖くなってしまい、それから数日はなかなか眠れなくなってしまうのだ。
体の傷は治っても、心のほうはまだ時間がかかるということなのだろう。
「あれはまだ使わないほうがいいだろうからな。せめてもう少し眠れるようにしとかねーと、いざヒートが来たときに困るだろ? ま、あんまり考えすぎねーこった。あとは昼寝でもなんでも、眠れるときには眠るようにな」
「はい」
クロードが言う『あれ』というのは発情促進剤のことだ。
発情期が遅れているレオンスは、可能であれば医師の管理のもとで発情促進剤を打って、ヒートを促したほうがいいと言われている。先に述べたように、発情期がこないといずれは心身の不調に繋がるためだ。
本格的に不調をきたす前にと、発情促進剤の使用を勧められ、先日クロードがその促進剤を打ってくれるはずだった。
だが、促進剤を打とうとしたとき、レオンスは軽いパニックを起こしてしまったのだ。注射器を太腿に向けられたときに、無体を働かれるのではないかと錯覚して過呼吸になり、そのまま卒倒しかけた。
それで促進剤の使用は中止となり、クロードからも自然に発情するのを待ってみようと診断が下った。あの下衆な男たちから受けた辛苦は、まだレオンスの中に残っている。
(相手はクロード先生だってわかってるはずなのにな。ままならないもんだなぁ)
もう着替えていいぞと言われ、レオンスはいそいそと着ていた服へと着替える。
(うじうじ考えても仕方ない。本当の本当にヤバくなったら、先生もどうにか対処してくれるって言ってたし、気楽にいかなきゃな)
クロードの言うように、あまり考えすぎもよくない。だからレオンスは体の不調も心の不調もあまり思い悩まないように気をつけている。自分の思い通りにならないことを考え続けても解決しないのだから。せめて前向きに暮らしていかなければ鬱々としてしまう。
いつも通りの診察が終わり、部屋をあとにしようとしたところで、「あーそうだ」とクロードに声をかけられた。
「今日もあいつのところに寄ってくんだろ?」
診察内容を書いていた手を止めて、クロードがレオンスを見ていた。
「ええ、そのつもりです。顔を見ないと落ち着かなくって」
「ほぉー? しっかり通い妻みたいになってらー」
「いやいや、そんなんじゃないです。ただ、いつか目が覚めてくれたらいいなって……それだけです」
そういうところがお前さんの可愛いところだろうな、と茶化すクロードに頭を下げて、レオンスは診察室をあとにした。
向かうは、同じ病院内にある病室だ。
毎日のように通っているそこには、レオンスにあたたかな手を差し伸べ続けてくれたシモン・ブラッスールが目覚めぬままに眠っている。
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