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37. 違くて似てる
しおりを挟む欲の強さだけ見ればSランク——それは綾春が二十歳を過ぎた頃、病院を訪れたときに医者から言われた言葉だ。
当時、恋人としてもプレイパートナーとしても付き合っているDomの男がいて、それなりに楽しい日々を送っていた。恋もプレイもしていて満たされていると思っていた。一方で、抗不安薬は手放せず、抑制剤も増えることはあれど減ることはなかった。
そんなことはそれまでもあったから、綾春は気にも留めなかった。そんなもんだろうと思ってた。けれど、薬の減らない綾春を訝しく思った相手が「お前、なんかおかしくないか」と言うから、そこで病院で詳しい検査を受けたのだ。
「そのときまで、欲求不満も不安症も、Subは頻繁に起きるもんだと思ってたんですよね。うちは両親ともNormalだから全然知らなくて」
気づくのが遅いですよねと、綾春は自嘲気味に言った。
その相手とは、残念ながらそう保たずに別れた。
病院での診察結果を伝えたら、はじめのうちは綾春のランクに理解を示し、より満足できるプレイを模索してくれた。だが、どんなにグレアを強めてコマンドを増やしても綾春の薬の量が減らないのを見て、Domとしての自信を無くしてしまい、別れを告げられた。綾春としても、彼のことを考えるとノーは言えなかった。
「そんなことがあって、ようやく自分の欲深さに気づいたんです」
欲だけ強いって淫乱かよ。
強いSub欲を持ってる? んじゃ、どんなに酷くしてもいいな。
痛いの好きなんだろ、この変態。
いずれも、かつてプレイをしたDomに言われた言葉だ。
こんな酷い言葉を吐く人はさすがに多くはなかったけれど、呆れたりガッカリしたりして去っていったDomは多い。綾春が自分の想像していたSubでないことに対して。あるいはSubを満足させられなかった自分に対して。
自分と見合わぬランクを持つ、欲深い綾春を相手にするのは難しいと、誰もが遅かれ早かれ去っていく。
「前に東雲さんに『グレアとコマンドに弱いか』って訊かれたとき、ちょっと驚きました。そんなこと、言われたことなかったから……」
いつだって、グレアもコマンドも足りなかった。
自分よりランクの低いDomが相手の場合、きちんと意識しないと従えないことは多々あった。世の中にいる多くのDomは自分よりランクが低いからか、どんなに強いグレアにもコマンドにも——調子が悪いときはさておき——大抵はさほど意識せずとも抵抗できてしまう。
でも、抵抗すればプレイがままならない。だから、先日のように求めていない相手じゃなければ抵抗することはない。いつだって「相手はDomだ。自分を支配する相手だ」と強く意識しないと、プレイが長続きしない。
——東雲以外は。
「まあ、グレアにはSubとの相性みたいのがあるらしいですからね。俺が久慈さん相手にグレアを出せたり、久慈さんが俺のグレアに従いやすいのも、相性があるかもしれませんよ」
「そうかも、しれませんね」
綾春とプレイをして東雲が『弱い』と感じたのは、彼の言うように相性の問題もあるのかもしれない。
ただ何にせよ、東雲が綾春よりも高いランクであることが綾春を満足させるプレイに繋がっているのには違いないと思う。
「俺、Sランクにするには高ランクDomへの抵抗力が足りないってことでAって判定なんです。不安になりやすさもAだから強いほうですけど、薬で全然抑えられるからSほどじゃない。そういうアンバランスさみたいのも、いい相手が見つからないのかもしれません。Domの方からしたら、手綱を取りづらいSubなんでしょうね」
昔、若い頃に行ったプレイバーでAランクのDomと知り合い、お互い高ランク同士なこともあってプレイを試したことがある。けれど、そのDomとのプレイでも完全に満たされることはなかった。
その男が言うには、綾春を躾けて、気持ち良くさせるのは大変らしい。
まあ、その男と性的接触はしなかったので、セックスまで持ち込めば違ったかもしれないが。でも、綾春からすると性的な魅力を感じる相手ではなかったし、相手も男相手には勃たないタイプだったので、互いに笑って店を出たのだ。
AでダメならSランクのDomと——そう思うのは自然なことだったが、SランクのDomなんて、そう簡単にお目にかかれない。
綾春のことを有無を言わさず従順させて、躾けて、ぐちゃぐちゃになるまで飼い慣らして、甘やかしてくれるDomなんていない。体だけでなく心ごと深く支配してくれるDomなんていないのだ……。
そうやって考えるようになるのに、そう時間はかからなかった。
だから、圧倒的なグレアを放つ東雲に、綾春がどうしようもなく意識してしまうのは仕方がないことで……。
「つまり、久慈さんは実質Sランクだったんですね」
「そんないいもんじゃないですよ。Sub欲がやたら強いだけですから」
東雲はカクテルを飲みながら綾春を見ていた。彼が溢した言葉は慰めなのか、単純な感想なのか。おそらく後者だろうけど。
「まあそんな感じで……パートナーを作らなかったというか、作れなかったんです。情けない話でしょう? 東雲さんの話にのったのは、自分より高ランクのDomとプレイしたいっていう、ひどく利己的な理由です。人助けなんて言って、実際は単にがめついだけですよ」
自嘲気味に笑って、綾春は話を締めた。
自分がパートナーを作らない理由に、東雲のような決定的な出来事があるわけではない。すべては綾春が欲深いだけのこと。それに見合う相手がいないだけのこと。至極単純で、面白みのない話だ。
そう自分で笑い飛ばせるくらいには、もう諦めている。
と、隣から突然、身を委ねろと絡む支配のオーラを感じた。
「っ、ぁ……東雲、さん……?」
東雲がほんの僅かにグレアを放ったのだ。
プレイバーのカウンター席でグレアを放つなんて、あまりマナーの良い行いではない。けれど、彼はグレアのコントロールが上手いのか綾春に向けてだけグレアを放っていた。本当にグレア不全症なのかと疑うくらい、彼のグレアの扱いは上手い。——だから勘違いしてしまう。
土曜夜の店内は、それなりに客が入っていた。綾春たちの近くには別のDomとSubが一組いるが彼らに影響はないようで、普通に会話と酒を楽しんでいる。
やや離れたところで接客していた晴海がチラリと東雲を見遣ったが、店内に影響がないと判断したのか咎めることはなかった。
「急にグレアなんて、どうして……」
巧妙に綾春だけを捉えて放たれるグレアに、戸惑いながら訊ねる。
すると、東雲は「なんか求められてる気がして」と目を細めて笑った。たしかに今日はもともとプレイをする予定で、前回からも二週間空いているので彼からのグレアやコマンドが欲しいには違いないけれど。
でも、東雲がそういう意味で言ったわけではないことくらい、綾春にだってわかっていた。
求められるように語った、自分の不器用さに気落ちする綾春を包み込むような、あたたかなグレアがそれを物語っている。今までの東雲とのプレイでは感じたことのない、優しいグレア。いつものどっしりとした、息ができなくなりそうな重いグレアではないそれに、ふと涙腺が緩みそうになる。
(こんなグレアも使えるなんて……ずるい……)
温かな湯に包まれているかのような、心地の良い威圧感。
髪の毛一本逃すことを許さないといった有無を言わせぬ圧倒的な存在感を放っているのにもかかわらず、ただ単に恐怖で縛りつけるわけでもない、穏やかな波のようなグレアに、脳がじんじんと痺れていく。
「情けなくなんてないし、がめつくもないし、不器用でもないです。話すの、勇気がいりましたよね。なのに俺を信頼して話してくれて、ありがとうございます」
「東雲さん……」
嗤いもせず、揶揄いもせず、ありのままを受け止めてくれる。
それがどんなに綾春にとって救いになるか、東雲は知らない。
「満たされないって、つらいですよね」
俺も久慈さんと会う前は、グレアなんて出せなかったからわかります、と東雲は言う。東雲の言葉はひどく綾春に沁みた。
二次性からくる本能が満たされないつらさは、綾春より東雲のほうが多かっただろう。前の会社を退職したときからグレア不全症を患っているのなら、もう三年もまともにプレイできてなかったということだ。リハビリで年に数回プレイできていたらしいが、それにしたってつらすぎる。
ランクの高さと二次性の欲の強さは比例するというから、Sランクの東雲がいかに我慢を強いられているか想像するのは難しくない。
「俺たち、似てますよね」
東雲がぽつりと呟いた。
「そう……ですかね……」
言わんとしていることは、なんとなくわかる。
客観的に考えて、東雲はDomで、綾春はSubだから全然似ていない。
見た目だって、身長はどちらも低くはないけれど、綾春よりも東雲のほうが遥かに上背があるし、体格も立派だ。顔立ちだって双方整ってはいるけれど系統は違う。年齢だって六つ離れている。
取り巻く状況だって全然違う。高慢なSubに脅されて職を失い、グレアも出せなくなってプレイが満足にできないDomと、欲だけは天につくほど高いくせに面倒なこだわりを持つゆえに満足できるプレイができないSubじゃ、全くもって似たところはない。
でも——二人は、よく似ている。
そう言ってくれる東雲の優しさが、気恥ずかしくて、嬉しかった。
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