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19. まぐれではない

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 今でも、彼が纏う穏やかな空気感は変わってはいないと思う。
 けれど以前では見られなかった、Domらしい押しの強さや自尊心の高さ、ともすれば傲慢で居丈高といったオーラを滲ませている。この男は、葉山で出会ったあの日、大仕事に一瞬怯んだ様子を見せた陶芸家と同一人物だろうか。

 怖いようでいて、けれど目が離せない。

「俺は久慈さんとのプレイ、すごく良かったです。久慈さんも良かったんじゃないかなって思ったんですけど、違いました?」

 そう告げる東雲に、ぐっと胸の奥を掴まれたような気持ちになった。

 気持ちよくなかったかって? ……むしろ逆だ。
 もう少しプレイが続いて、もっと際どいことを指示されていたら危なかったほど、彼とのプレイは良かった。良すぎた。——正直に言うと性的にも興奮する寸前だった。
 もし東雲が止めてくれなければ、パンツの下の己が完全に勃ち上がってたかもしれないほどに、綾春は昂っていたのだ。そのくらいSubとしての本能が「もっと強い刺激がほしい」と言っていた。

 性的興奮とDomやSubの本能的欲求が別の人もいるが、綾春はどちらかといえばどちらの欲も延長線上にある感じだ。性行為を介さないとSub欲が刺激されないわけではないが、一緒に与えてもらえるとより気持ちいい。
 だから、もしあのまま東雲とプレイを続けていたら、NGとしていた性的接触を求めてしまう可能性は十分にあった。

「久慈さん?」

 名前を呼ばれる。
 今、綾春は『答えて』とも『話して』とも命じられていない。グレアも出されていない。なのに、東雲の質問に答えないといけないと思った。この男に答えたい。綾春の答えを聞いてもらいたい。期待に応えたい。

「違くは、ない、ですけど……」

 綾春だって、東雲とのプレイは驚くほどに良かった。

 ——このDomに支配され続けたい。

 でも、戸惑っている。
 そもそも東雲とは仕事で知り合った相手だ。綾春から見れば東雲は発注先であり、東雲から見れば綾春は発注元。ダイナミクスの云々を抜いたとしても、プライベートで安易に近い距離になってよいものかは、しっかりと一考するべきだ。

 それに、プレイだけの相手を作るのは、もう何年もやっていない。
 変に執着されたり、自分や相手の恋人からの嫉妬の対処に困ったりするのが面倒だし……心までは支配してもらえないという関係は、ひどく苦しい。
 だから、そういう虚しい関係を作るのは、もう止めたのだ。

 けれど……いま、綾春に恋人もプレイパートナーもいない。
 そして東雲もまた、恋人もパートナーもいないと言う。

(どっちかに相手ができるまでって考えるのはアリ……なのか……? いや、でもそれは虚しいってずっと思ってきただろ……)

 互いに特定の相手がいないので「嫉妬される」という状況は発生しないだろう。東雲に執着されないかという懸念に関しては、正直やってみないと何とも言えない。
 一見、物静かで紳士的な対応をしていたDomが急に態度を変えるという可能性もなくはない。よもや取引相手に面倒ごとは起こさないとは思うが、そう思って何度か痛い目に遭ってきたので慎重に考えたい。

 慎重に考えたいのだけれど、こうも思っている——もう満たせぬ日々を過ごしたくない、と。

(ぶっちゃけ、東雲さんのグレア、マジですごいんだよな……)

 たとえ心まで明け渡せないプレイパートナーとしてでも、欲求不満に怯えて、渇いた本能に翻弄されるよりは、マシなんじゃないか。なんだかんだと理由をつけて、東雲からの勧誘に安易に頷かないようにしているだけで、じつは自分は彼とのプレイを望んでいるんじゃないか。
 東雲ほどのDomが相手をしてくれるのなら、虚しさを感じる暇もなくSubとしての幸福に浸れるんじゃないか。 ……そう思わずにはいられない。

 けれど、何かを取れば何かを諦める必要があるのではないか。そう旨い話などあるものか。冷静な自分がそうブレーキを踏む。

 そんなことをぐるぐると考えていると、東雲は苦笑いを浮かべながら、口を開いた。

「やっぱり、プレイの提案をするからには、誠実でいないとですよね」
「……?」
「久慈さん……じつは俺、こんなにグレア出せたのは久しぶりなんです。いや……もしプレイに付き合ってもらえるのなら、ちゃんと伝えたほうがいいよな」

 ぶつぶつと何かを呟いたと思ったら、東雲は意を決したように言った。

「久しぶりというか、俺、ここ何年かは、自分ではグレアがろくに出せない状態なんです」
「え……?」

 東雲から出てきた言葉に、綾春は混乱した。

「出せないって……え? 本当に?」

 綾春は驚いた表情のまま、東雲に問うた。
 グレアが出せない? そんな冗談を言って、いったい何になるというのかさっぱりわからない。

「だってさっき、出してましたよね?」
「はい」
「それじゃあ、出せないだなんて、どういう冗談……」

 つい先ほどまで綾春はたしかに、東雲からグレアを浴びていた。それも生易しいものではなく、ずっしりと重く、圧倒的な支配を感じるグレアだった。とてもじゃないが「グレアが出せない」なんて信じられない。
 そんな綾春の考えを見透かして、東雲は言葉を続ける。

「信じてもらえないかもしれないですけど、本当です。グレア不全症っていうんですけど」
「信じられないもなにも……」

 グレアを出せないだなんてこと、あり得るのだろうか。
 二次性を持つという意味ではDomもSubもSwitchも同志ではある。けれど互いの素質は異なるため、基本的な理解はしていても、細かい知識までは完全に理解できていない。だからDomなりの病や不都合があることは想像はつく。綾春は詳しくないこともあるだろう。

「まあ疑いますよね。久慈さんにならグレア出せてるし」
「そう、ですよ。だって、出してたじゃないですか……今日だけじゃなくて、この前だって」

 今日のプレイもだし、二日前にだって、サブドロップした綾春を助けてくれたじゃないか。あのときもグレアを放っていたのを覚えている。相手のDomを圧倒し、簡単に蹴散らすグレアだ。
 あれは気のせいだったのだろうか。

「嘘だと思うなら、晴海に訊ねてもらってもいいですよ。あいつは事情知ってるんで」

 苦笑しながら東雲は言う。
 けれど、そうは言われても、東雲にとって晴海は友人だとして、綾春から見れば今日顔を合わせただけの他人だ。その人の言うことにどれだけ信憑性を得られるかは疑わしい。二人がグルになって綾春を揶揄おうとしている可能性だってある。

 でも、話をする東雲の目や表情は真剣そのもので、綾春を騙してやろうという意図を感じることはできなかった。
 それに、グレアが出せないという嘘をつくメリットが綾春には思いつかない。

 なおも困惑を続ける綾春を余所に、東雲は話を続けていく。

「この前、久慈さんを助けたときも、まさかグレアを出せるとは思ってなくて。あのときはまぐれかと思ってたんですけど、今日また偶然会って、グレアが漏れてしまったところで確信しました。俺、久慈さん相手ならグレアが出せるって」
「俺相手に?」
「はい。なんでかは、わかりませんが」

 にわかには信じがたい話だが、東雲はいつもは意識をしてもグレアを自由に出すことすらままならないのに、綾春相手にならグレアを出せるという。
 それを言われてしまうと、綾春は口を噤むほかない。だって綾春からすると、東雲が他の場面でグレアを出すところを見ていない。見せてほしいとも言えない。彼の言うとおり「綾春が相手ならば出せる」というのが真実なら、綾春がいればグレアを放ててしまうのだから検証にならない。

「なので、これは完全に自分都合の提案です。久慈さん相手だとプレイができそうだし、プレイ自体が気持ちいい。となると、俺としては藁にも縋りたい気持ちと言いますか……」

 ただ……理由はさておき、彼が紡ぐ言葉の端々に滲み出ているのは「支配したい」という欲求よりも「助けてほしい」という願いだ。

「久慈さんとプレイしてグレアを出すのに慣れたら、グレア不全症も治るかもしれないなって。そうじゃなくても服用してる抑制剤を少なくできるかも。プレイできるってだけで、俺としては本当に有り難くて……。だから、その、人助けと言いますか……治療に手を貸すと思って、また俺とプレイしてくれませんか? 久慈さんが付き合っていただける間だけでもいいんで……!」

 そう言って、東雲は深々と頭を下げた。

 東雲の真意はいまだ掴めない。
 掴めないが……これが冗談だとして、こんなに必死になるだろうか。

 真摯な眼差しで事情を話す東雲に、嘘を言っている様子はない。それに「誠実でなければ」と呟いた東雲の顔がどうしても頭から離れない。あの戸惑いながらも真摯な色を帯びた瞳に、嘘偽りはなかったように思う。

(東雲さんを『手助け』すれば、またプレイができる……のか)

 そこに興味がないわけではない。いやむしろ——大いにある。
 東雲のグレアは、今までプレイをしていたどのDomのグレアよりも心地が良かった。ずっとあのグレアに包まれて、屈服させられて、従わせて、躾けてほしいと願ってしまいそうなほどに。

 こんな気持ちになるのは、生まれて初めてだった。

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