6 / 6
ビアンカの過去
しおりを挟む──ここは?
次にビアンカが目を覚ましたとき、彼女は小綺麗な部屋に一人寝かされていた。ゼーラ草の匂いをこすりつけたローブはどこかへ消え失せ、代わりに薄いクリーム色の寝間着を着ていた。部屋には誰も居ないが、廊下では絶えず誰かがばたばたと動き回っている音がする。
そのままぼーっとしていると、ふいにドアが開きアルバートが顔を覗かせたため、ビアンカは反射的に背筋を伸ばした。
「目が覚めたのか?」
アルバートは洗面器やタオル、飲み物などが雑多に詰め込まれたカートを部屋に運び込み、ベッドのふちに腰掛けてビアンカに手を伸ばした。
「ええ。……ここは?」
アルバートに精を注がれたことで、ビアンカの体は淫紋の効果を抑えることができていた。ただ、この安心感はそれだけではないだろうと思っている。なし崩しに体をつなげてしまい、なんだか記憶が曖昧だが──彼は悪い人ではないと、ビアンカの理屈ではない部分が訴えかけているからだ。
「ウォルデン城だ」
アルバートはビアンカが気を失ったあと、彼女をこの城に運び込んで介抱していたのだと言う。なんと、あれからまる二日も経っているらしい。
「ありがとうございます」
清潔で、肌触りのよい寝具や寝間着に包まれてぐっすりと眠れたのは何時ぶりだろう──ビアンカが感謝の気持ちを込めてぺこりと頭を下げると、アルバートは愛おしげにビアンカの頭を撫でた。
「番の面倒を見るのは片割れの役目だからな」
「番……」
ビアンカも人狼の国にやってくる前から、話には聞いた事があった。そうして、今廊下が騒がしいのは「坊ちゃまが番を見つけた!との事で大急ぎで婚礼の儀を行う準備が始まっているのだと言う。
「こ、婚礼って……そんな、私……」
「番になると、言っただろう!」
アルバートはビアンカを抱き寄せ、首筋を甘噛みした。
「ひゃっ、わ、わかりました、わかりましたから、その……何かされると、また『ああいう風』になってしまうかもしれないので……」
アルバートとしては『そうなって』しまっても全く構わなかったが、ビアンカはまだすっきりした状態で居たいらしい。少し残念に思いながらも、アルバートは自分の番の瞳を覗き込んだ。
「私を娶る、その事については異論はありません。とても……うれしい気持ちです。でも……その前に私の事を話さなくてはいけません……」
紫の瞳は森で見かけた時とは違い、理知的な光を放っており、唇はきゅっと引き結ばれている。
「お前の体に刻まれた紋章のことだな」
ビアンカはそっと目を伏せ、絞り出すような声で続けた。
「私は隣国のラモンド伯爵家の娘です……」
ビアンカは産まれたと同時に母を亡くした。数年後に父が再婚して妹が生まれたが、継母はビアンカと差をつけて妹を育てたが、それ自体は仕方のない事と割り切り、ビアンカは本を読んだり、裁縫をしたりして華やかな貴族生活とは距離を置いて過ごしていた。
「ある時、私に縁談が舞い込んできました」
第三王子が妹の小間使いのように働かされているビアンカを見初めたのだと言う。ラモンド伯爵は地味で陰気な娘が金の卵になったと大はしゃぎで婚約を取り付けた。
「それを面白く思わなかったのが、義母と妹です」
妹はビアンカをごろつきに襲わせて純潔を奪うより、もっと恐ろしいことを考えついた。
淫紋を刻み、ビアンカが自ら男性を求めるようにする。
効果は永久ではないが、体に刻まれた魔術は精神を蝕み、一定の期間で精液を受けないと体が疼いて日常生活を送るどころではない。
そうしてビアンカを貶め、彼女の尊厳と王子妃の座を奪いとろうとしたのだと言う。
ビアンカはなんとか魔術師のところから逃げ出して、人気のない森へと逃げ込んだ。体からにじみ出る異性を誘う香りがバレぬよう、わざと汚い格好をして、人狼が嫌う薬草の香りを纏い、体調が落ち着いているときには書物から得た知識をもとに薬草を売りにゆき、糊口をしのいだ。体の疼きは、自らを慰めることである程度の衝動を抑える事ができた。そうして森で潜伏しながら術の効果が薄まるのを待っていたのだと言う。
「……苦労をしたんだな」
アルバートは唇でビアンカの瞳からこぼれた涙を拭い、彼女が落ち着き元実家へ復讐を決行する暁には、最大限の、それこそウォルデン家の総力を持って「仕返し」してやろうと考えた。
「はい……でも、番と言うのは一人につき一人しか見つからない……と考えると、これはこれで……良かった……と言うことにしていいんでしょうか?」
「確かにそうだ」
自信なさげに微笑んだビアンカに、アルバートはぱっと花が開いたような笑顔を向けた。
人間は自分の番を判別する力が備わっていないし、誰とでも番う事が可能だ。番に恋い焦がれても受け入れられず破滅に至った男の話は古今東西話の物語に登場する。
「お前も俺が番だと分かってくれたのか?」
「すみません、それはちょっとわかりません」
「そうか……」
アルバートはビアンカの言葉にしゅんとして俯いた。その姿は威圧感のある外見とは裏腹に大型犬のようで、ビアンカは彼の事をかわいいと──自分の夫になると主張する男性の事を、喜ばせてあげたいと心から思った。
「あ、いえ……でも……あなたの匂いは……好きです。落ち着くと言いますか……」
「そ、そうなのか!?」
アルバートはビアンカを軽々と抱き上げ、額に口付けた。
「そうと決めたら寝室を今日から一緒にしよう」
「あの、でも、そうすると……多分、私、またああなってしまうと思うのでご迷惑を……」
「迷惑な事なんてあるもんか。大歓迎だ。一生あのままでもいいぞ」
「それは、困ります……」
呪いを解いて欲しいのは本心だが、アルバートがいるならばひとまずはそれでもいいのかもしれないと、ビアンカも思った。
21
お気に入りに追加
88
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
腹黒王子は、食べ頃を待っている
月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
落ちこぼれ魔法少女が敵対する悪魔の溺愛エッチで処女喪失する話
あらら
恋愛
魔法使いと悪魔が対立する世界で、
落ちこぼれの魔法少女が敵側の王子様に絆されて甘々えっちする話。
露出表現、人前でのプレイあり
悪役令嬢なのに王子の慰み者になってしまい、断罪が行われません
青の雀
恋愛
公爵令嬢エリーゼは、王立学園の3年生、あるとき不注意からか階段から転落してしまい、前世やりこんでいた乙女ゲームの中に転生してしまったことに気づく
でも、実際はヒロインから突き落とされてしまったのだ。その現場をたまたま見ていた婚約者の王子から溺愛されるようになり、ついにはカラダの関係にまで発展してしまう
この乙女ゲームは、悪役令嬢はバッドエンドの道しかなく、最後は必ずギロチンで絶命するのだが、王子様の慰み者になってから、どんどんストーリーが変わっていくのは、いいことなはずなのに、エリーゼは、いつか処刑される運命だと諦めて……、その表情が王子の心を煽り、王子はますますエリーゼに執着して、溺愛していく
そしてなぜかヒロインも姿を消していく
ほとんどエッチシーンばかりになるかも?
慰み者の姫は新皇帝に溺愛される
苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。
皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。
ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。
早速、二人の初夜が始まった。
軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら
夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。
それは極度の面食いということ。
そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。
「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ!
だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」
朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい?
「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」
あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?
それをわたしにつける??
じょ、冗談ですよね──!?!?
色々と疲れた乙女は最強の騎士様の甘い攻撃に陥落しました
灰兎
恋愛
「ルイーズ、もう少し脚を開けますか?」優しく聞いてくれるマチアスは、多分、もう待ちきれないのを必死に我慢してくれている。
恋愛経験も無いままに婚約破棄まで経験して、色々と疲れているお年頃の女の子、ルイーズ。優秀で容姿端麗なのに恋愛初心者のルイーズ相手には四苦八苦、でもやっぱり最後には絶対無敵の最強だった騎士、マチアス。二人の両片思いは色んな意味でもう我慢出来なくなった騎士様によってぶち壊されました。めでたしめでたし。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる