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35 思わぬ遭遇
しおりを挟むエクルワース王国の王都の居住区は、階級によってわけられている。
王都の中央には王城があり、その周りを上級貴族の屋敷が囲っている。ハーツシェル公爵家は、勿論そこにある。続いて、北や西に下級貴族の家、南に貴族街、東に魔法学園がある。
そこから、高い塀と結界魔法を挟み、中流階級層、下級階級層の居住区と、王城から離れて行くほど、そこで暮らす市民の階級は低いものになっている。
貴族の居住区と、中流階級層の居住区を分ける高い塀のすぐ内側に、騎士など準貴族の居住区がある。警備の目的もあり、塀に沿うように騎士達の家々が連なっている。
目的の騎士の家も、そこにあった。
塀の内側であって良かった。さすがに、塀越えは目立たずに行うことは難しい。下手をしたら、曲者だと思われて警邏兵に攻撃されかねない。まあ、今の時点でも私達は十分怪しいので、見つかったら攻撃されそうではあるが……。
騎士の家の使用人は、さながら黒ミサ集団という出で立ちの私達を見て、怯えて門扉を閉めようとしたが、ポートナムが前に出ると、慌てて門扉を開けて頭を下げて来た。
その使用人に案内されて、ゾロゾロと家の中へと入る。公爵家の屋敷よりは、やはり随分こじんまりとしている。玄関ホールも狭いので、計十三人の集団の私達が入るとぱんぱんである。隣の人間同士で肩がぶつかりそうだ。
騎士の妻だろうか、使用人に呼ばれて急いでやって来たご婦人が、玄関ホールを埋めている黒装束集団を見て、小さくヒィッと悲鳴を上げていた。
それでも、なんとか引きつった笑顔を浮かべながら、ご婦人は挨拶と歓迎の言葉を述べた。
「ここまでご足労頂き、ありがとうございます。こんなに大勢の方に助けに来て頂いて……本当に主人は果報者です」
どうやら、この奥方は、私達全員が呪術士だと思っているようだ。この格好だから、そう思われても仕方がないのかもしれないが。
お嬢様は、魔道具で低めに変えた声で、手短に挨拶をして、早速騎士のいる部屋へと奥方に案内して貰う。
「こちらです」
悲壮な顔の奥方が立ち止まったドアの向こうからは、ドアを隔てていても、もう笑い声が聞こえて来る。
「ゲッヘッヘッヘッ……」
うむ。確かにこれは品のない笑い声だ。盗賊とかが、悪巧みする時に発していそうな笑い声だ。
部屋の中へ入ると、虚ろな目をした頰のこけた男が、ベッドの上に枕を背にして力なく座っていた。
「貴方、ポー様がご紹介してくださった、呪術士の方々が来てくださいましたよ」
ポーというのは、ポートナムの偽名だ。裏社会では、呪術士ポーで通っていると聞いたことがある。
ベッドの上の騎士は、こちらへ顔を向けて、不自然に口角の上がりすぎている笑顔を見せた。
「ガッハッハッ!どうもグヘヘ、ありがヌフフフフッございヒーッヒッヒッヒッます!ブワッハッハッハッ!」
うむ……。重症である。
これでは、確かに人前には出られない。気が狂ったと思われかねない。
お嬢様は、すぐにベッドのそばに歩み寄ると、笑い続ける騎士の体を色々な魔道具を用いて調べ始めた。
私は、サディアスの腕の中で、その様子を見守る。
ちなみに、護衛の騎士達は半分ほどがこの部屋の中に入り、もう半分は扉の外を固めている。
ベッドの上で、
「ウヒョヒョヒョヒョッ!」
と、謎の奇声をあげる男を囲む、謎の黒装束の集団。なにかの儀式にしか見えない。
しかし、そんな中でも、同じ黒装束だがお嬢様は明らかに輝いていらっしゃる。分厚い黒のローブに阻まれていても、そのお美しさは隠し切れていない。洗練された所作が、ただならぬ身分のお方であるということを表してしまっている。
幸いにも、笑い続ける騎士は、周りを見る余裕があまりないようで、お嬢様の溢れ出てしまう麗しきオーラには気づいてはいないようだ。
しばらくすると、お嬢様は診察を終えられて、ポートナムと専門用語を交えて話し合い、
「これから、解呪の作業に入ります」
と、悲痛な満面の笑顔の騎士に説明なさった。
どうやら、解呪の目処が立ったようだ。私達や護衛に、少しベッドから離れるように指示されて、ポートナムと新しい魔道具や薬を取り出して、段階的に慎重に解呪の魔法を施していく。
この作業には、またしばらく時間がかかりそうだ。
様子を見守りたい所だが、私は少々もよおしてしまった。ペシペシと、サディアスの腕を尻尾で叩いて、それを伝える。
サディアスは部屋の外へ出て、そこで心配そうに待機していた奥方に、手洗いの場所を聞いて、私をそこまで連れて行ってくれた。
用を足し、手洗いを出て、またサディアスの腕に抱かれて部屋へ戻る途中、廊下の奥に三毛猫を見つけた。
えっ!?なぜ、こんな所にヒロインが!?と一瞬焦ったが、魔力を見るに、ヒロインではないただの三毛猫だった。
この家の飼い猫だろうか。その三毛猫は、廊下の奥のドアの前をウロウロして、そこへ入りたいのか、カリカリとドアの隅を引っ掻き出した。
ドアが、キィッと少しだけ内側に開く。三毛猫はビクリッと跳び上がって、中に入ることはなく身を翻して逃げて行った。
なんだ……?なぜ、あの猫はあんなにも驚いていたのだ?ドアの向こうに、なにがいたんだ?
家人ならば慣れているだろうし、よほど臆病な猫でなければ、あれほど驚くことはないはず……。
まさか、中に曲者でも潜んでいたのでは……!?
私は、不安になり、サディアスにその部屋の前まで行くように、顎を動かして合図をする。サディアスも、三毛猫の不自然な行動を見ていたようで、静かにその部屋のドアの前へ移動した。
「……中に、数人いるな」
サディアスの得意な魔力探知で、ドアを挟んでいてもそれがわかったらしい。
臆すこともなく思いきり良く、サディアスがそのドアをノックすると、ややの時を置いて、ドアがキィッと少しだけ開かれた。
その隙間から、大柄の目つきの悪い男がこちらを睨んでいる。黒装束姿のサディアスを見て、男は腰に差した剣の柄に素早く手をかけた。
上等そうな服装と剣から見て、この家の警備兵ではなく、騎士のようだ。呪いをかけられた男の、騎士仲間だろうか。
剣の柄に手をかけて構える男の後ろから、
「やめろ」
と、それを制する声が響いた。
男が体をずらすと、部屋の奥から、幾人もの騎士に囲まれたロイドが出て来た、
なんっ!?なぜ、ここにロイドが!?
ま、まずい!
私は慌てて、サディアスの腕の中で身を縮こませて、尻尾を丸めて体の下へ隠す。
ロイドは、眉間に皺を寄せて、ジロリと黒装束のサディアスを睨む。
「君は、呪術士の一人か?」
お嬢様のように、変声の魔道具をつけてはいないサディアスは、言葉を発さずにコクリと頷き、さっさと部屋の前から立ち去ろうとする。
「待て」
ロイドは、サディアスを呼び止めて、腕の中の私をジロジロと眺めてくる。
わ、私は、黒い布をかぶった、ただの猫ですよー。小型犬ですよー。黒い布の塊ですよー。
「それはなんだ?」
私を指差して、そう聞いてくるロイドに、サディアスは無言で首を横に振り、教えるつもりはないという意思を示した後、またさっさと大股で歩き出す。
今度は、ロイドは呼び止めては来なかった。
しかし、本当になぜあの部屋にロイドがいたのだ。まずいぞ……お嬢様に危険をお知らせして、早くこの家から去らなければいけない。
お嬢様が呪術を使うということを、万が一ロイドに知られでもしたら、格好の追い落としの証拠材料にされてしまう。
だが、元の部屋に戻ると、お嬢様はまだ解呪の作業の途中で、笑う騎士に杖状の魔道具をかざしながら、真剣に呪文を唱えておられた。
うぬぬっ……。
サディアスの腕の中で、落ち着きなく体を動かす。
お嬢様、なるべくお早くっ。早く帰らないとっ……。
「グッフッフッ……フッ……?」
ベッドの上の騎士の笑い声が段々と小さくなり、その顔から笑顔が消えていく。
お嬢様が、ゆっくりと杖を下ろす。
「えっ……?な、治った……?治ったああああ!」
笑っていない自分の頰をペタペタと確認しながら、戸惑っていた騎士が、ベッドから飛び起きて喜びの声を上げた。
「貴方……っ!」
その声を聞きつけたのか、部屋の外で待機していた奥方が、勢いよくドアを開けて中に入って来た。
呪いが解けたことを、抱き合って喜ぶ夫婦を見ながら、お嬢様とポートナムは少し微笑み合ってから、使った魔道具を手早く片付けていく。
「本当にありがとうございました!どうお礼をすればいいか……」
夫婦は、二人揃って深々と頭を下げる。
「お礼は、予め決めていたお代だけで結構ですよ」
お嬢様は、鷹揚にそうおっしゃり、サディアスから私を受け取り、後のことはポートナムに任せて、早々にその場を去ろうとする。
しかし、部屋を出ると、廊下でこちらの護衛の騎士達と、ロイドを囲っていた騎士達が睨み合っていた。
「何事ですか?」
「この者達が、部屋に入りたいと……」
お嬢様の問いに、護衛の一人がそう答えると、部屋の中から騎士の夫妻が出て来た。
「おおっ!ケネス!本当に治ったのか!」
ロイドの騎士達が、こちらの護衛を押しのけて、呪いが解けた騎士に駆け寄る。
「ああ、こちらの呪術士様達のおかげでな!お前達にも、心配をかけて悪かったな」
「なんのなんの!本当に良かった!お坊っちゃまも、こちらにお越しくださっているのだぞ」
騎士達の後ろから、ロイドが進み出てくる。
「ケネス……」
「お坊っちゃま!わざわざ、こちらにまでお越し頂いて……ありがとうございます。ご迷惑をおかけいたしました」
「いや、お前は私をかばって夢魔に呪われてしまったのだから、私が責任を持つのは当然のことだ。無事に呪いが解けて良かった」
騎士のケネスはロイドの言葉に感極まり、目を潤ませながら頭を垂れる。
感動の場面ではあるのだろうが、お嬢様と私達は、ロイドに目をつけられる前に早く帰りたい。
そろりそろりと、徐々にその場から後退し、フェードアウトしようとする。
だが、喜びを分かち合っているケネスと仲間の騎士達の輪を抜けて、ロイドが私達を呼び止めて来た。
「お待ちください。貴方達が、ケネスを治してくださったのですよね?ケネスの主人として、私からもお礼を言わせてください」
私達は皆同じような黒装束だが、ロイドはお嬢様が私達の中心的な存在だと見抜いたのか、お嬢様の前に立つ。
「ケネスを助けて頂き、本当にありがとうございます」
ロイドが頭を下げて来たので、お嬢様も軽く礼を返す。
「では、私達はこれで……」
「いや、私からもなにかお礼の品を……」
「いいえ、結構です」
「しかし……」
食い下がって来やがるな、こやつ。案外、部下思いな所があるらしいというのは良いが、早くこの場を去りたい私達にとっては迷惑でしかないのだ。察しろ。
お嬢様は、小さく溜め息をこぼして、
「では、そのことは、部屋の中にいる私達の仲間のポーに相談してください」
と、おっしゃって、話を打ち切ろうとなさった。
「わかりました……」
そう言いながらも、ロイドは訝しげに眉根を寄せながら、お嬢様の顔を覗き込もうとする。
ぶ、無礼者!下がらんかっ!
お嬢様は、身を引いて素早く踵を返し、玄関へ向けて歩き出す。
しかし、ロイドが引き止めるようにその腕を掴んだ。
「エミリア様……?」
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