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33 王家の確執
しおりを挟む空は高く快晴。吹く風は涼しく、鮮やかに色づいた落葉樹が、その木の葉をはらりはらりと舞い散らして行く。
カッ、ガッと剣戟の音が、ハーツシェル公爵城の修練場に、絶え間なく響いている。
私は、一つ欠伸をして眠気を覚ましてから、改めて目の前の打ち合いを眺めた。
練習用の刃のない鉄剣で行なっているとは言え、両者の剣の振りは鋭く激しい。相手も強いが、それを受けるサディアスも退いてはいない。
実力は拮抗しており、打ち合いは長く続いていた。だが、やはり相手に一日の長があったようだ。
強力な一撃を受けて、サディアスが剣を弾き飛ばされないように堪えた所で、その隙を突かれ、首元に相手の剣の切っ先が当てられた。
「……参りました」
サディアスを負かした相手は、ゆっくりと剣を下ろして、二カッと爽やかな笑顔を浮かべる。
「これほど、強くなっているとは思わなかった。楽しかったよ。またやろう、サディアス」
「はい、よろしくお願いいたします」
そうサディアスが頭を下げた直後に、脇で見学していたエルシー様が、片手に剣を持ちながら立ち上がる。
「次は、私のお相手をお願いいたします、ランドルフ様」
「良いけれど、少し休ませてくれ」
ランドルフは、鉄剣を従者に預けて、汗を拭きながらこちらへ向かって来た。
お嬢様が、近くに立っている執事のマーティンに、
「お茶のご用意を」
と、お命じになられて、時を置かずに、修練場の外の庭園に置かれた机の上に、素早く飲み物や茶菓子が運ばれて来る。
ランドルフとサディアスは、椅子に腰をかけて、まずはレモン水をグイッと飲み干した。
なにを隠そう、このランドルフという男、隣国のジオハウル公国の公子である。
お嬢様とは、従兄弟の関係に当たる。
大旦那様、つまり現ハーツシェル公爵には三人の息子がいる。長男は、お嬢様の父親である旦那様。三男は、エルシー様の父親で、現在は軍に所属し、参謀を務めている。
そして、次男は、隣国のジオハウル公国の公女と結婚し、婿入りして、出来た子供の一人がランドルフである。
お嬢様と私が暮らすエクルワース王国と、隣国のジオハウル公国とは長い友好関係にある為、何年かに一度ではあるが、こうしランドルフは公爵領へやって来る。公子として、公式に来るのは、王都の屋敷へのことが多いが、今回は休暇中にお忍びで公爵領へ訪れたようだ。
ランドルフは、白金の髪に褐色の肌と、その外見はあまりお嬢様やエルシー様とは似ていないが、唯一同じ色の若草色の瞳を輝かせて、のびのびと公爵領での休暇を楽しんでいる。
実は、ランドルフは、ゲームの攻略対象者でもある。
学園生活二年目になると、出て来る隠しキャラなのだが……。敵である攻略対象者とは言え、ランドルフは気の良い、憎めない男だ。さすが、ハーツシェル公爵家の血を引いているだけはある。
今回も、手土産として、私の好物であるお菓子を、公国からたくさん持参してくれたし。お嬢様やエルシー様へも、装飾品や貴重な織物などを、お土産に持って来てくれるという、大変気の利く好人物なのである。ルーファスとは大違いだ。
ランドルフは、茶菓子を摘みながら、お嬢様の膝の上の私の背中を、豪快にわしゃわしゃと撫でた。
「クインも、随分調子が良さそうだな。安心したよ」
「その折は、薬の材料などを送って頂いて、ありがとうございました」
「なにが良いかわからなかったから、うちの治療魔道士に言われるまま、あれこれ送ってしまったが、少しでも役に立ったのならば良かったよ」
私の体を持ち上げて、今度は腹側を撫でながら、ランドルフが微笑む。
これほど、私を撫でさせてやるのは、本当に特別なのだからな。苦しゅうない、存分に私の愛らしさを堪能するが良い。
「それにしても、サディアスが剣術に長けていることは、エミリアからの手紙で知っていたが、短い期間でこれほど強くなっているとは驚いよ。もうすぐ、私も追い抜かれてしまいそうだな」
「いいえ、ランドルフ様の剣さばきには到底敵わず、私はまだまだ修練不足であるとよくわかりました」
サディアスが、そう謙遜したが、ランドルフはハッハッハッと豪快に笑い飛ばした。
「一応、私の方が、剣を習っている年数は長いからな。しかし、サディアスの成長速度には敵いそうもないな。そういえば、今年の収穫祭のオレンジ潰し大会でも、良い線をいったそうじゃないか。さすがだな」
「いえ、準優勝にも手が届きませんでした」
「大人の部の壁は、相当分厚いそうだから、仕方がないさ。私も、あと少しこちらへ来るのが早ければ、飛び入り参加出来たのだが……。残念だ」
ランドルフは、私をお嬢様の膝の上に戻し、また一つ茶菓子を摘む。そして、少し真剣な顔つきになり、今度はお嬢様へ話しかけた。
「そうそう、ここへ来る前にエクルワースの王族の別荘へ行き、ルーファス殿下とも少しお話をして来たんだ」
「あら、休暇でいらしたのかと思いましたが……。外交ですか?」
「ああ、近頃あちこちの国で魔物の出没が増えているだろう?うちの国も例外ではないから、その情報交換の為に、母から書簡を預かっていてね。届けるついでに、ルーファス殿下にもご機嫌を伺って来た。ほら、エミリアと婚約をなさったこともあるし、お会いしておきたくてね」
「そうでしたか。私のことにまでお気を配って頂き、ありがとうございます」
お嬢様が頭を下げようとすると、ランドルフはそれを手で制して微笑む。
「そういう堅苦しいのは良いから。それにしても、ルーファス殿下とエミリアが婚約すると聞いた時は、本当に驚いたよ。父も驚いていた。よく祖父上が許したね」
「お祖父様は、反対なさっておられたそうですが……。王家から、正式なお達しがありまして」
「やはり、そういうことか……。エクルワースの王家は、随分ごたついているそうだからなぁ。祖父上も、さぞご心労のことだろう」
ランドルフのその言葉に、先ほどまで静かにお茶の飲んでいたサディアスが、わずかに眉根を寄せて顔を上げた。
「ごたついている、とは?」
「ああ、サディアスは、まだあまりその辺の事情は知らなかったか。エミリアは、少しは知っているのだろう?サディアスに話しても問題ないか?」
「はい……。私も、噂程度でしか聞いたことがないので、そこまで詳しい訳ではありませんが……」
お嬢様に確認を取ってから、ランドルフはお茶を一口飲み、喉を潤してから、ゆっくりと話し出した。
「そもそもの始まりは、国王陛下が、王太子殿下と現王太子妃殿下とのご結婚を決めたことだった。当時、王太子殿下には、他に思う方がいらしたようでね……。しかし、国王陛下のご意向に逆らうことも出来ず、ご結婚された。だが、王太子殿下は、思い人を側室に迎えるというご意志だけは、国王陛下にどれだけ反対されても、頑としてお曲げならなかった」
ふむ……。ルーファスと、その弟のウィルバートの母親が違うということは、ゲームにより知っていたが……。ルーファスの両親の結婚は、国王が強引にまとめたものだということは知らなかった。おそらく、政の面で王家やこの国に利のあることだったのであろうが。
私は、ゲームでのルーファス周りの設定を思い出しながら、ランドルフの話の続きを聞く。
「結局、王太子殿下のそのご要求は、例外的に認められることとなった。その後、王太子妃殿下はルーファス殿下を、側室のセレニア様はウィルバート殿下をご出産なさった。順当に考えれば、正室である王太子妃殿下の御子であるルーファス殿下が、将来王位を継承されることになるのだけれど……。王太子殿下が、反対されていてね。王太子殿下は、ウィルバート殿下に王位を継がせたいというお考えらしい」
うむ……。ルーファスとウィルバートが、王位継承権を巡って、ギスギスしているのは知っている。
「一方、国王陛下は、勿論ルーファス殿下に王位を継がせたいというお考えだ。お二人のお考えは、真っ向から対立してしまっているんだ。それで……エクルワース王国の王侯貴族の間にも、第一王子派と第二王子派で、現在派閥が出来てしまっている」
うむ。かなりゴタゴタしているな。
普通ならば、現国王の意向が優先されるのだろうが、しかし、現国王が亡くなるなどして王位を退いたら、次に王になるのは現王太子だ。そうなれば、現王太子の天下。ウィルバートを、強引に次期王位継承者にしてしまうことが出来るだろう……。
ちょっと待て……そうなると、ルーファスはともかく、お嬢様のお立場はどうなる!?
「ハーツシェル公爵と、公爵家が率いる派閥は、これまでどちらの王子の派閥にも属さず、中立を貫いていたんだ。それなのに、ここへ来て、ルーファス殿下とエミリアとの婚約に同意なさった。つまり、ハーツシェル公爵家という強大な後ろ盾が、第一王子についたということになる。これにより、今まで拮抗していた、第一王子派と第二王子派の情勢が大きく傾いた」
あ、あの国王っ……いや、狸親父めっ!そこまで考えて、お嬢様を強引にルーファスの婚約者に!?
それは、大旦那様も反対するというものである……。なぜお嬢様が、貴様ら王家のゴタゴタに巻き込まれなければならないのだ!
「そういう訳で、王太子殿下が率いる第二王子派は、少し追い詰められている。いくら、王太子殿下の御代になったとしても、多くの貴族の反対を押し切るようなことをすれば、強い反感を持たれるだろう。それが反乱の芽となり、王太子殿下の御代や、ウィルバート殿下の御代で吹き出さないとは限らないからね」
ここで、ランドルフは、少しの間を置き、一つ溜め息をこぼした。
「……だから、ちょっとエミリアの身が心配なんだ。第二王子派の中には、過激な者もいると聞くから……。勿論、祖父上ならば、その辺のことも考えて、警備を十分強化されているだろうけれど」
ま、まさか……第二王子派が、第一王子派の勢力を削ぐ為、お嬢様のお命を狙うと!?
な、なんてことだ……。ルーファスが暗殺されるだけならば望む所だが、なぜお嬢様まで狙われなければいけないのだ!
そういえば……ゲームでも、ルーファスの暗殺イベントがあったが、あれはこの王家のゴタゴタが原因だったのか!?
ゲームでは、ヒロインの活躍もあり結局暗殺は失敗し、犯人は捕らえられたが自害していた。暗殺を指示した黒幕などは出て来なかったから、てっきり敵対国から送られた刺客だったのかな、と思い込んでいたが……。第二王子派が送った刺客という可能性も考えられるのか……。
ゲームでは、お嬢様の元に刺客が送られたような描写はなかった。少なくとも、処刑直前までは、そのお命はご無事だったのだから……。
しかし、お嬢様は“悪役令嬢”だったので、ゲームでの主な出番は、ヒロインを虐めたり邪魔をする時のみであった。描写されていなかった裏で、もしかしたら危険な目には合われていたのかもしれない……。
そして、私は、本当にちょっとしたことで、現実はゲームとは違う展開になると知っている。もしかしたら、ゲームとは違い、断罪イベント前にお嬢様のお命に危険が及ぶ可能性も……っ!?
あわあわと、お嬢様のお膝の上をグルグルと回る。
「どうしたの?クイン」
お嬢様が、いつものように麗しき微笑みで、私の背を撫でてくださる。
お、お嬢様……!笑っている場合ではありません!この婚約が、こんなにも……二重にも三重にも、危険なものだったとはっ!
お嬢様が、ルーファスとの婚約直前の顔合わせの夜、そして休暇突入のパーティーの夜、「ルーファスを守る」と決然とおっしゃっていたことの本当の意味が、私にもやっとわかった。
お嬢様は、第二王子派からルーファスを守るというご意思を、すでに固めてしまっておられるのだ。
いけません!お嬢様が、ルーファスの盾となる必要など、全くないのです!奴は、将来的にお嬢様との婚約を破棄する腹積もりなのですから!
私は、お嬢様に訴えかけるように、尻尾を逆立てて、そのお顔を見つめる。
ランドルフの話を、最後まで黙って聞いていたサディアスは、眉間に皺を寄せ顎に手を当てて、なにやら考え込んでいる。
エルシー様は、持っていた紅茶のカップを静かに置き、やにわに椅子から立ち上がった。
「ランドルフ様。そろそろ修練を再開なさいませんか?次は、私のお相手をして頂く約束です」
「ああ、そうだったな」
ランドルフが立ち上がると、エルシー様は修練場へ歩き出す前に、胸の前で拳を強く握り、力強い眼差しで、お嬢様を振り向いた。
「大丈夫ですわ、エミリアお姉様。ハーツシェル公爵家には、この私がいます。お姉様のことは、私がお守りいたします」
お嬢様は、少し目を見開いた後、かすかに困ったように眉尻を下げて、笑顔を浮かべる。
「エルシー……ありがとう。でも、貴女も公爵家を継ぐという重責があるのですから、あまり無理はしないで」
「いいえ、全て私にお任せください。この剣と魔力に誓って、お姉様に迫る王家の闇を、聖なる炎で焼き払い、紅蓮の義憤の剣と純白の清浄なる旗を打ち立てて、暗き漆黒の狭間から、光り輝く太陽をこの国に取り戻してみせます!」
エルシー様は、胸の前で握っていた拳を、天高く突き上げた。
その肩に、ポンと手を置き、ランドルフが苦笑いする。
「エルシー……それだと、まるで王家への反乱を企てているように聞こえるよ」
「……あら、そうですか?」
「身内だけの場とは言え、発言には気をつけないと」
「わかりました……。私は、この剣と魔力に誓って、この世に蠢く闇の勢力を、聖なる炎で焼き払い」
「やり直さなくて良いから」
ランドルフにツッコまれて止められて、エルシー様は不満顔だったが、時間が惜しいと思われたのか、早足で修練場へ向かって行った。
サディアスも立ち上がり、唇を強く引き結び、真剣な表情で修練場へ歩いて行く。
そうだ……私も、エルシー様を見習わなくては。
私としたことが、少々狼狽えてしまった。こんなことではいけない。
なにがあろうと、お嬢様をお守りするのだ。敵がルーファスだろうと、王太子率いる第二王子派だろうと、お嬢様を害そうとする者は、全て蹴散らしてやるのだ。
私にお任せください、お嬢様!ゲームにはなかった展開になろうとも、誇り高き竜族たる私が、この魔力と知力と命に誓って、全力でお守りいたします!
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