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08 お嬢様の飴と鞭

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 翌日、サディアスの目元には薄っすら隈が出来ていた
 サディアスは、出された課題を八割がた終わらせて来ていた。
 家庭教師は、やや大袈裟なくらいサディアスを褒めた。そして、ちらりと窺うようにお嬢様を見た。
 これくらいで十分上出来ではないでしょうか……という、家庭教師の視線をさらっと無視して、お嬢様は頰に手を当てて小さく溜め息をついた。
「残念ですわ……。また罰則が必要なようですわね。ですが、今日は友人とのお茶会があったので、あの飲み物を用意出来ていなくって……」
「…………!」
 サディアスの顔色が少し良くなる。
「ですから、これから作りに行きますので、ついて来てください」
「…………!?」
 サディアスの顔が一気に青褪める。
 否も応もなく、サディアスはお嬢様の研究室へ連れて行かれた。
 薄暗く、蝋燭の火だけがゆらゆらと灯る室内。いくつか置かれた鉢植えから、蠢く魔草の触手が侵入者を捕食しようと、サディアスの袖近くまで伸びて来る。
 お嬢様は、その中の一つの触手を淀みない仕草で小刀でぶった切り、本体から切り離されてもなお蠢くそれを、小型の鍋へと放り込む。
「良い出汁が取れるのよ」
 そう言ってから、今度は蝙蝠の羽のような物を取り出し、肉を取り除き細い骨だけを同じ鍋に入れる。それを火にかけ、グツグツと煮立ってきた所へ、邪甲毒蛇の舌と赤い血、猛電ヤモリの尻尾、最後に謎の生物の青色の卵を割り入れ、魔力を込めてグルグルとよくかき混ぜる。
 魔力の力で全ての材料が溶けて、ドロリとした紫色の液体になったら火を止め、冷気を放つ魔法がかけられた棚の中にしばらく置いて冷ませば、お嬢様特製栄養満点高級激苦ジュースの完成である。
「さあ、どうぞ」
 グラスに注いだ出来立てのそれを、サディアスの前に差し出すお嬢様。サディアスの顔は、青を通り越して土気色である
 今まで自分が飲まされていた物の製造過程が目に見えてわかり、戦慄を覚えたのだろう。呪術を知らない者から見たら、恐ろしい毒薬を作っているようにしか見えないかもしれない……。だが、不純物一切なしのれっきとした栄養ジュースである。安心して、グイッといくと良い。
 最早言葉を発することも出来ず、ブンブンと首を横に振りながら、涙目で後ろへ下がるサディアス。しかし、後ろには、謎の生物の目玉や内臓が入った瓶がいくつも並べられた大きな棚。それ以上、下がることは出来ない。
 追い詰めたお嬢様が、いつものようにサディアスの顎をガッと掴んだ。
「…………っ!?」
 サディアスの声にならない悲鳴が、薄暗い部屋に響いた。
 栄養ジュースを飲んだというのに、サディアスは憔悴しきっている。わずかに、グスグスと鼻をすする音まで聞こえて来る。
 ええい、泣くのではない。魔王だろう。
 お嬢様は、ジュースを作るのに使った道具を片づけ終えてから、
「では、課題を頑張って頂戴ね。出来るわよね?」
 と、手近にあった食鳥植物の首を、素早く小刀で切り落としつつ、サディアスに聞く。
 サディアスは、力なく首を縦に振った。
 ちなみに、その不気味な食鳥植物の首は、これからお嬢様がお作りになってくださる、私の薬の材料だ。
 サディアスよ……慣れれば、どうってことはないぞ。
 お嬢様への感謝と忠誠心を持ってすれば、この地獄の底のような光景の部屋も、女神が腰を休める清らかな楽園にしか見えぬようになるのだ。
 女神が差し出してくださった聖なる液体は、平伏しお礼を述べて全て飲み干すのみである。さすれば、大いなる祝福を得られるであろう。

 翌日、サディアスの目元にはくっきり隈が出来ていた。
 フラフラになりながらも、サディアスは全て終わらせた課題を家庭教師に提出した。
 サディアスは、目をしょぼつかせながら、恐る恐るお嬢様を見る。
「あら、全部出来たのね」
 お嬢様が微笑みながら、サディアスに近づく。ビクリと後ろに下がったサディアスの頭を、優しくひと撫でし、
「良く頑張ったわ。良い子ね」
 と、お誉めになられた。
 初めてお嬢様に誉められて固まるサディアスから、お嬢様はさっさと離れて家庭教師の方へ話しかける。
「今日は逃げ出さなかったので課題は倍にはなりませんが、サディアスは出来る子のようなので、少しは課題を増やしてもよろしいかと思います」
「え、ええ。では、そういたしましょうか」
 サディアスの課題は倍にはならなかったが、少し増やされた。
 それは良い。そんなことは、どうでも良い。
 それよりも、サディアスめ……。お嬢様が頭を撫でてくださったからといって、調子にのるでないぞ。私なんか、いつも撫でて貰っているんだからな!いつも「良い子」だって誉めて頂いているし!
 一回ぐらい、お嬢様が気まぐれに他の者の頭を撫でたからといって、決して悔しくなんか……っ。お嬢様ぁ!私の頭も撫でてください!私の方が断然良い子ですよ!
 お嬢様を物欲しげに見上げながら、尻尾をフリフリしていると、お嬢様はそんな私に気づき、一回と言わず幾度も頭や背中を撫でてくださった。
 フッ……やはり、私こそお嬢様の一番のお気に入り。一番の従者。フハハハハ、サディアスなど及ぶべくもないわ!
 ニンマリとサディアスの方を見ると、まだ固まっていた。しかし、その顔はわずかに赤くなっているような気がする。
 むぅ……そこはかとなく嫌な予感がする。
 私のその嫌な予感は当たり、その日からサディアスは、見事に“良い子”になってしまった。
 授業にも時間通りに来る、宿題もやって来る、予習復習もやって来る、など……。反抗的な劣等生だったのが、見違えるようである。
「サディアス。貴方はもう一人でも大丈夫そうね。これからは、また私とは別々に授業を受けることになるけれども、わからない所があれば先生に質問して、しっかりお勉強しなさいね」
 お嬢様から、そう一人立ちのお許しも出たほどである。
「…………」
 サディアスはコクリと頷く。
「返事は、はい、でしょう?」
「……はい」
「そうよ。良い子ね」
 意外と素直に返事をしたサディアスの頭を、お嬢様が柔らかく撫でる。サディアスは無表情で目を逸らしたが、耳が少し赤くなっている。
 ぐぬぬ……この魔王め。お嬢様から二回も撫でて頂いたからといって、良い気になるでないぞ。
「そろそろ、貴方のその長い前髪も切らなくてはね。教養が身についたら、他の家の子女達が集まる場所に行く機会も増えるでしょうし」
「…………っ!」
 サディアスが、お嬢様の言葉を拒否するように、さっと下を向く。
「サディアス。授業でも教わったでしょう。ハーツシェル公爵家の者が、そのように下を向いてはいけません。顔をお上げなさい」
 お嬢様が、うつむくサディアスの顎を無理矢理くいっと持ち上げて、長い前髪をかき上げる。夜の闇のように黒い瞳が露わになる。サディアスは狼狽し、お嬢様の手を振り払った。
「やめろっ!」
 久し振りに反抗的な態度である。
 サディアスの目は、ただ黒いだけではなく、黒い虹彩の真ん中に火を灯したように紅の瞳孔があった。
 紅の瞳孔を持つ者は魔族に多く、不吉だと言われている。伝承にある、その昔現れた魔王の瞳も血のような紅き瞳孔だったらしい。それでなくとも、人間で紅の瞳孔を持つ者は珍しい。
 ゲームにより知っているが、サディアスはこの瞳がコンプレックスなのだ。だから、陰気に見える長い前髪で隠している。
 珍しいとは言え、紅の瞳孔を持つ者は人間にもいるし、実際の所不吉な訳もなく、ただの迷信ではあるのだが……。しかし、サディアスだけに限っては、かつての魔王の生まれ変わりであるがゆえのその色なので、ドンピシャ正しい。
 かつての魔王も黒髪で、髪の色さえも同じなのだ。
 若干、耳も尖り気味の形だし、犬歯も長いし、サディアスの外見には魔王の生まれ変わりだというヒントが、これでもかと散りばめられている。気づいて、お嬢様!
 お嬢様が、厳しい目つきでサディアスを見る。
「私は、顔をお上げなさいと言ったのです。聞こえなかったのかしら?」
 ビクリ、と怯えたようにサディアスの体が震える。
「しかし……」
 髪の隙間から、黒の虹彩に縁取られた紅い瞳孔の瞳が、ユラユラと揺れているのが見えた。
「ハーツシェル公爵家の者は、うつむいてはいけないのです。貴方の瞳が何色だろうと、人にどう言われようと、ハーツシェル公爵家の者ならば、人前では背筋を伸ばし前をお向きなさい」
「だが……っ!」
「だがも、だってもありません。情けない礼を失する姿を人前で見せることこそ、なによりも恥だと考えなさい。堂々としなさい、サディアス。知識と教養を身につければ、瞳の色よりも、その整えられていない前髪と、うつむきがちの姿勢の方が問題であると気がつくでしょう」
 サディアスは、しばし迷う仕草を見せたが、お嬢様に言われた通りに、真っ直ぐ顔を上げて前を見た。
 お嬢様はゆっくり頷く。
「それで良いのよ、サディアス。常にそうしていなさい。それと、貴方のその瞳の色、悪くはないわ。私、赤は好きなの」
 サディアスの瞳が戸惑うように揺れ、頰が一気に赤く染まる。
 お、お嬢様……!確かに、お嬢様が真っ赤な薔薇や、真っ赤なドレスがお好きなことは承知いたしておりますが、橙も……私の瞳の色の、橙色も好きですよね!?橙色の方がお好きですよね!?
 うぬぬぬ……マジで調子にのるでないぞ、サディアスッ……。
 お嬢様の一番のお気に入りは……一番お好きなのは、この私だからな!
 おのれ、魔王め。お嬢様のお心を、この私から奪おうとしおって……。絶対に……絶対に、この家から追い出してやるんだからなぁーっ!
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