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九話 『五人の、季節』

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――

子どもの頃から、縁日が好きだった。

小さい頃は、お祭りと呼んでいたっけ。
屋台から溢れる電球の灯りが闇夜を照らし、賑やかな人々の話し声がどこまでも響く通りを、みんなで歩く。
美味しいものを食べて、楽しいものを見て、どんどん通りを進んでいき……お寺の本堂まで行って、そっと手を合わせてお願いごとをする。
みんなで過ごすその時間が、一年間の、何よりの楽しみだった。

でも、唯一。
お祭りで嫌いな事が、私には一つだけあるのだった。

…… それは……。

――

「さ、着付け完了。いっといで、チビスケども」

お母さんが私の浴衣の帯をきゅっと結んでくれ、全員の着付けが完了した。
清海ちゃんは、白地に牡丹の花が淡く描かれた控えめな浴衣。色が白くいかにも和美人という清海ちゃんにはぴったりの浴衣だ。
夏は黒に近い藍色の、「麻の葉」の浴衣。女の子らしさが控えめで、どことなくクールな感じの浴衣を夏は好んで着ている。
悠と蜜柑は、それぞれ朝顔の浴衣を着ている。悠が白、蜜柑は明るい藍色だ。華やかで、可愛らしさのある浴衣。


「わあ、柚子ちゃん。可愛い」

「そ、そうかな……。毎年コレなんだけどな」

「だからいいのよ。やっぱり柚子ちゃん、その浴衣が一番似合うよ」

清海ちゃんは、こう言って毎年褒めてくれる。そして私も、毎年のように照れる。
私の浴衣は椿が描かれている。中学くらいから毎年着ている、お母さんのおさがりの浴衣だ。
清海ちゃんが毎年こう言ってくれるので、私も毎回この浴衣にしてしまうのだが……自分の衣装に無頓着な私にとっては、着る服が決まって有難い話でも、少し、ある。

「もー、遅いよ。ボク待ちくたびれたー。早く行こうよー。タイクツな田舎の唯一の楽しみなんだからさー」

「蜜柑が一番早く着付けてもらったからだろ。ちょっとは待ってろよ」

駄々をこねる蜜柑の頬っぺたを、夏が伸ばして茶化す。

「ほい、それじゃあ三週間分のお小遣いね。清海ちゃんの分と……はい、蜜柑の分」

「いつもいつも申し訳ありません、愛純さん」

「やりー。ありがとー、愛純叔母さん」

市川二姉妹が、お母さんから三週間分のバイト代……もとい、お小遣いをもらう。
あくまで民宿で市川さんの家の子どもを預かっている、という体が昔から続いていたので、この日にもらう金額は子どものお小遣い程度のものだった。
しかし。

「……!! あ、あの……愛純さん、少し多すぎるんじゃ……」

「清海ちゃんはもう高校三年生だしね。働きに応じた金額としては、少ないくらいだよ。遠慮なく受け取っておいて」

「な、なんだかすいません……。どうしましょう……」

ほぼ戦力としてカウントしていて、いなければどうにもならないという働きをした清海ちゃんへのお小遣いは、かなりのものだった。

「えー、おねーちゃんだけいいなー。ボクにももうちょっとちょうだいよー」

「蜜柑はまだ小学生でしょ。そんな大金あげれません。 それに働きぶりとしてはまだまだだよ。清海ちゃんの十分の一くらいだね」

「ぶー」

とはいえ、蜜柑も夏のお小遣いとしてはなかなかの金額を貰っている。
昔は半分遊びで来ていたのだが、しっかり手伝いをしてくれるようになって蜜柑も頼もしくなったものだ、と感心している。

「じゃあ、我が山賀美三姉妹へも。お小遣いね」

「「「 ありがとうございまーす 」」」

私、夏、悠も、夏の働きに応じた特別お小遣いがこの日に支給されるのが毎年恒例となっている。
私は……清海ちゃんと、ほぼ同額。夏もそれなりで、悠はそれよりはやや少ないが、蜜柑と同じくらいは貰っている。


「じゃ、縁日。気をつけていってくるんだよ。無駄遣い禁止。二人以上で行動する事を心がけて、怪しい人に声をかけられたらすぐ逃げる事。
あと、我が家のお土産にしっかりと美味しいもの買ってくる事。いいね?」


「「「「「 はーい 」」」」」

浴衣姿の私達は、玄関を出て、暗闇の道へと歩み出る。
少し先にある、お寺の灯りを目指して。

――

民宿から歩いて十分ほど行ったところには、お寺がある。
子どもの頃は、私達はこの日の縁日を「お寺のお祭りの日」と呼んでいた、8月13日の夜。

元々はお盆のお供え物を買いそろえる市としてこの日に栄えたそうだが、私達の小さい頃から既にこの日の夜は、屋台が沢山でる縁日となっていた。
飛沢商店の店先から、お寺の本堂までは約500mほど。
その道路の両端を様々な屋台が立ち並び、夜のお寺の暗い闇夜を明るく照らしている。
いつもはシンと静まり返り、漆黒の闇が辺りを包む田舎の夜だが、この日だけは違う。
近隣。いや、村中の人々がお寺の周りに集まり、縁日の買い物を楽しんだり、お盆さまのお参りをお寺に行いにいく人で大賑わいとなるのだ。

普段の夜とは違う、特別な、一夜限りの縁日。
幻想的で活気あふれるその光景と雰囲気が、私は小さい頃からたまらなく好きだった。


「わー。焼きそばうまそー。早く食べたいなー」

「ダメだよ、蜜柑ちゃん。お寺のお参り先にしなきゃ」

「わ、わかってるよ」

蜜柑を、悠が窘める。
我が家の、この縁日のルール。それはお寺の本堂へのお参りを必ず先に行ってから屋台の買い物が解禁となる事だ。
お盆に関連した縁日なので、ご先祖様に必ず礼をしてから楽しむ、というのが山賀美、市川、両家のルールとなっている。

浴衣姿の私達は、人を避けながらお寺の参道を進んでいく。
今年も相変らず人がたくさんいる。この南桑村の何処にこんなに人がいるのかと思うくらい、たくさんの人々。
小学生、中学生が友達と一緒に屋台を回る姿がよく見られるが、家族連れやカップルも多い。
皆それぞれ浴衣を着たり、男性は甚平を着たりして、夏の装いを楽しんでいる。

そんな風景を楽しく見ているうちに、本堂へと到着した。

「さ、着いたよ。みんなお賽銭出して、お参りするよ」

私達五人は、財布からそれぞれ硬貨を出し、お寺のさい銭箱にそっと入れる。
静かに両手を合わせて、目をつぶり……私達は本堂に向けて、一礼した。

お参りが終わり、階段を降り終えると、私は他の四人に向かっていった。

「さ、お参りはおしまい!はぐれないように気をつけて、屋台巡り楽しもー!!」

「「「「 おー !!! 」」」」

――

このお寺の参道は長く、入口から本堂まで200mほどある。
田舎の寺としてはかなり大規模なものだが、かと言って有名なお寺というわけでもなく檀家は多いが普段の人は疎らだ。
しかし、縁日の日は違う。
お寺から飛沢商店の店先までが沢山の人で賑わい、活気づく。

そんな活気の中で屋台巡りを楽しむ。
それが、私達五人の夏休みの始まりだった。

「さ、まずはお面でしょ!」

蜜柑が言う。
お面屋さんには昔ながらのひょっとこのお面から最新のキャラクターもののお面まで沢山の品ぞろえが並んでいた。

「えー、小さい頃はよく被ってたけど……流石にもう」

「まずは雰囲気づくりが大事!ボク、この可愛いヤツね!」

私が軽く拒否をしても、蜜柑は気にしない。田舎を嫌がっていた蜜柑だが、お祭りは昔から何より好きだった。昨日までとはテンションが違う。
蜜柑が手に取ったのは、猫のキャラクターのもの。なんのキャラクターかは知らない様子だが、それは私が東京で春辺りに見た『会社猫』のものだった。

「まー、歳のいった二人はまだ許すとして、夏と悠にはつけてもらうよ」

「歳のいったってやめなさいよ」

「えー、じゃあえーと……これ、かな」

夏が手に取ったのは……先日NIOMで見た、ジンバのお面だった。

「あ、それなの?夏、随分子どもっぽいお面選ぶんだねえ、ぷぷぷ」

「む。なんだとこの蜜柑。お前だってそんなにカワイイヤツ似合わないからな」

「なんだよこのー!やるかー!」

おそらく仲がいい二人が言い争っている隣で、清海ちゃんと悠がお面を見つめて笑っている。

「悠ちゃん、コレ似合うんじゃない?このキツネのお面。ちょっと頭の横につけて……わあ、可愛い……!」

「わたし、オリプリのお面がいいな」

「えー、まあなんでも似合うんだけれど……でもやっぱりこっちのお面も捨てがたいしなぁ……」

あれこれ、悠に似合うお面を付け替えている二人を、私は微笑ましく眺めていた。

――

「んー!おいしい! やっぱりお祭りといえばたこ焼きだよねー!はい、悠。あついから気をつけなよ。はい、清海ちゃんも」

「ありがと、柚子ちゃん。ふー、ふー」

「うん。やっぱり大玉のたこ焼きって、お祭りならではで美味しいよね。……あ、じゃあコレ。さっきそこで買ったベビーカステラ。二人とも食べない?」

「わ、ありがとう清海ちゃん!食べたい食べたい!」

私と清海ちゃんと悠の三人は、屋台のグルメタイム。
買ったものをシェアして、少しずついただく。これもまた、みんなで縁日をまわる楽しみの一つだ。

「わたしかき氷食べたいなー」

「あ、ダメだよ悠。この間それでお腹壊したんだから。しばらく禁止」

「えー」

「まあ、そんなことがあったの?大丈夫だったの、悠ちゃん」

「もう大丈夫だよー」

そんな会話をして、笑いあう。

……その中、私はチラチラと横目に映る、他の二人の姿を見る。

「うっしゃー!チョコバナナはボクの勝ちー!」

「むぐぐ……ぐあー、くそー!!……蜜柑っ、次は綿あめで勝負だ!ついてこい!」

「はっはっはー。早食いならボク、負けないもんねー!」

……早食い勝負を先ほどから延々と続けている夏と蜜柑を、呆れた目で見ていた。

「ねえ、清海ちゃん。アレ、止めたほうがいいのかな」

「……放っておけばいいんじゃない?二人とも、楽しそうだし」

「夏ちゃん、楽しそう」

……なんだか、夏の精神年齢がグッと下がったような気がするけれど……まあとにかく、盛り上がっているから、いいか。

――

「……よっ!」

夏の銃の放ったコルクが、小さなチョコ菓子の箱を落とした。
屋台のおじさんが「おめでとう!」と渡してくれた箱を、夏が少し照れて受け取る。

「夏ちゃんすごいねー!これで三連続だよ、お菓子ゲット!スポーツならなんでも得意なんだね」

「ははは、射的がスポーツかどうかは分からないけど……まぐれだよ、まぐれ」

清海ちゃんが大げさに夏を褒めるので、余計に夏も照れているが、悪い気はしていないようだ。

一方の蜜柑は……。

「ぐあーー!!一個も落とせなかったーー!!」

憐れ、これで二十発もの弾丸を使いきり、一つも落とせなかった。

「蜜柑ちゃん、もういいよ。わたしスーパーでも買えるし」

「だめだっ!ボクがアレを取って悠にプレゼントするまで、絶対にあきらめないからなー! おじさんっ、もう十発!」

悠が少しだけ「あれいいなー」と言った、オリプリの食玩菓子。蜜柑がいいところを見せようと射的で取ろうとするが……ついに、つぎ込んだ金額は二千円に達した。

「……お小遣い使い切るよ、蜜柑」

私が呆れて止めても、蜜柑は無視しておじさんに千円札を渡す。

「なんならアタシがとろうかー?蜜柑」

「黙れ夏ッ!!死んでもボクが取るからな!!」

ニヤニヤして言う夏に余計に蜜柑の頭から湯気が出る。
そして放った狙いすましたコルクの弾丸は…… 見事にまた、オリプリの箱の上を掠めていくのであった。

――

「……楽しいなあ」

「そうだね。毎年、コレが楽しみでたまらなかったもんね、私達」

しばらく、お寺の縁日を満喫した私と清海ちゃんは、参道から少し外れた小道のベンチに座り、休憩をしていた。
蜜柑と悠はまだ遊び足りないらしく、今度は少し遠いところでヨーヨー釣りに興じていた。今度は夏が保護者役になり、二人を見守っているので私達は安心して離れていられる。

参道からは徐々に人々の姿が少なくなってきていた。
20時を少し回るくらいの時間。既に片付け始める屋台も出てきて、ゆっくりとゆっくりと、人々の灯りが消え始める時間。

私達の眼前には、民宿から見る景色と同様、夜景が広がっている。
山から見下ろす、街の夜景。
人々の灯す、家々の光。
山の木々から見えるその遠景は、いつにもまして綺麗に見えた。

「本当に、綺麗な景色。……ずっと、見ていたいなぁ」

清海ちゃんが、ポツリと言う。
普段は見慣れた夜景だけれど、隣に清海ちゃんがいるからか、私も珍しくそんな事を想う。


「私さ」

「え?」

少し沈黙があったので、私は、今思っている事を、なんとなく話す事にした。
別にそんな気はなかったけれど……口から出てきたのは、心で思っていた、そのままの言葉だった。

「お祭りの日って大好きだったんだけどね。一つだけ嫌な事があったなあ」

「柚子ちゃんに?」

「うん」

「……どんな事?」

清海ちゃんが、私の顔を覗き込んで聞いてくる。

「このくらいの時間が、どうしようもなく寂しくて、嫌だったんだ。
だんだんみんなが家に帰り始めて、屋台も片付け始めちゃって。灯りが消え始めて、賑やかだったお祭りが終わっちゃう時間。

毎年、夏休みの初めから清海ちゃんと蜜柑が来てくれて、夏休みが始まるでしょ?
そこからお盆までずっと遊んできて。お祭りの日をずっとずっと楽しみにしてきて、8月13日。いよいよ、楽しみにしてきたお祭りが始まって。
それで……すっごく楽しくって。
……でも、こんな風に、終わっちゃう。
それが、嫌で嫌で、悲しくてさ。心の中では、もっともっと。ずっとずっと。この時間が流れてほしい、って思ってたんだ。毎年」

「……柚子ちゃん。
……分かるよ、私も、同じ事思ってたから」

「あはは、ありがと。……今年も、終わっちゃうんだね。
……高校最後の夏、かあ。なんか感慨深いよね。私、進路まだ迷ったままだしさ。
清海ちゃんみたいにもっとしっかりしてればよかったんだけど、私どうもフワフワしてて……。どうしよっかな、って。
このままずっと、夏休みでいたいなあ。民宿は忙しいけど、みんなで働けるからすっごく楽しいし。こんな風に……楽しいお祭りが待ってるしさ」

「…………」

ベンチに座る、私と、清海ちゃん。
お互いに、視線は街の夜景を見ながら。

すっ、と清海ちゃんは、私の方へ少しだけ、席を近づけた。

「柚子ちゃんは、自分が思ってるより、もっとかっこいいよ」

「……え?」

突然言われた清海ちゃんの言葉に私は驚く。

隣を見ると、彼女の目は、真っ直ぐに強い瞳で、私を見つめていた。

「高校生活だって、夏休みだって……何かが始まる時って、柚子ちゃんは、当たり前のように訪れるものだ、って思ってるでしょ?
でも……本当は、違うんだよ。楽しい高校生活も、最高の夏休みも……それはいつだって、柚子ちゃんのがんばりで訪れていたものだったんだよ」

「……清海、ちゃん?」

「柚子ちゃんは、もっともっと『いい』スタートをしたいから、今は迷ってるんだと思う。それは……『いい』ゴールをしたいから、なんだよ。
でもさ、柚子ちゃんって、自分が思っている以上にもっともっと、頑張り屋さんで。人の事を思いやれる、強くて、可愛くて、かっこいい女の子なんだ。
……小さい頃から、柚子ちゃんは、私の憧れだったの。
楽しい事を、幾つも教えてくれて。いつも、私の手を引っ張って、遊んでくれた。今日のお祭りだって、そうだったじゃない。
柚子ちゃんの背中を見てきたから、私ももっと頑張らなきゃ、強くならなきゃ、って……そう思って、ここまできたんだ。

柚子ちゃんは、絶対大丈夫。
楽しい『始まり』も、最高の『終わり』も、自分でちゃんと見つめられる、強くてかっこいい、女の子なんだから」

「…………」

おっとりした、清海ちゃんの言葉。優しく、暖かく……けれど、その言葉は今までに感じた事がないほどに、強く、私の心の奥底まで刺さるように響いてくる。

初めてだった。
彼女が、こんなにも私に言葉を届けようと、頑張ってくれている事が。

そして……それが、伝わった。

「……ありがとう、清海ちゃん」

私は、目に涙を浮かべている。

嬉しいから。
こんなにも、人に、自分の事を考えてもらえるのが。
こんなにも、自分自身に「大丈夫」と言い聞かせてもらえる事が、なかったから。

「高校生も、夏休みも、これで終わり。けれど……また楽しい未来が、きっとあるよ。
だから……また一緒に、お喋りしようね!柚子ちゃん」

「……うん!」

涙目で笑う私と、にっこり笑う清海ちゃん。
二人は、そっと手を取って、お互いに頷いた。

またきっと、会えるように。

民宿、ヤマガミで。
暖かくて優しい時間が、共に過ごせるように。

「あ、夏ちゃんと悠ちゃんと蜜柑、帰ってくるよ。私達もいこっか、柚子ちゃん」

「……うん!そうだね」


春が、過ぎた。
夏が、始まり……終わろうとしている。

けれども、時間は過ぎ去るのを止めない。
それは時に、非情に人に、決断を迫る。

ただ……過ぎていく時間は、決して無駄なものではない。
人に、優しくできる。人から、優しくされる。
人間は、きっと……それを求めて、生きているのだ。

私の行く先は、暗闇の一歩ではない。
家族が。親友が。沢山の人々が。暗闇に光を照らしながら進める、幸せの一歩なんだ。


……きっと、また会える。沢山の、暖かい人々に。

その時を、待つために。最高の笑顔で、私が迎えられるように。


 「民宿ヤマガミへ ようこそっ!」


―― 完
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