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犬役に限界を感じつつある日、さらなる難問が到来
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とはいえ、ロジャーを意識しないようにするには二日は必要だった。
一日の終わりは彼と同じベッドで就寝しなければならないというのも、全然心が休まらない。
そのうえロジャーは『長い間迷子になっていた愛犬が家に慣れた』と思ったのか、二人の間のクッションを取っ払ったのだ。そして――隣同士横に並んでいるだけでもじゅうぶん近いのに、なぜかフェリシアの肩を抱き寄せた。
(なぜ!? 近いわっ)
愛犬は犬用ベッドだと聞いていたのに、話が違う。
フェリシアは、イヴァンとエーゼに目で助けを求めたが、二人も意外そうに見つめていた。
「旦那様、ジャスミンは――」
「僕と離れるのはまだ慣れないだろうから、しばらく一緒だ」
「――そう、でございますか」
なるほど?という感じでイヴァンは下がったが、フェリシアは納得しないでほしいと思った。
「私はもう慣れました!」
そう主張してみたのだが、ロジャーはまるで想像の中の〝愛犬ジャスミン〟と喋っているみたいに、話しが通じない。
「ジャスミンはまだ慣れていない。不安だろう」
「いえ、不安はありませ――」
「そうかそうか、不安か。それでは抱き締めてあげよう」
「ふぎゃっ」
反論した途端に両手が背に回り、彼のほうへ引き寄せられてフェリシアはぎゅむっと胸板に顔を押し付けられた。
悲鳴が寝室に上がったが止める人はいない。
【ロジャーの考えに反対したら抱擁という恐ろしい目に遭う】
その夜の一件でそう学習したフェリシアは、引き続き彼がしたいようにさせることを決めた。
抱き締められてしまうのは避けたいと思った。
自分でも分からないくらい胸がどきどきするからだ。
令嬢教育を受けてから抱き締められた記憶はあまりない。そのせいで、自分を犬だと見えているうえ思い込んでいるとんでもない男の腕に、こんな安心感も同時に抱いてしまうのだろうか。
というわけで、フェリシアが落ち着くまでには時間が要った。
二度と耳に『躾』をされない心構えで、数日を過ごした。そうするとロジャーの愛犬扱いに対して、冷静でいられるようになってきた。
(同じベッドというのは淑女としてもアウトだし精神的に削られるのに、それを含めて一日が始まると冷静に受け止められるようになったのも嫌ね……)
犬役は仕事だ。
そう思って接することには慣れたが、平常心でいなければならないという感情が腹の中で暴れているせいで、疲労感は拭えない。
「それはお可哀そうに……」
「フェリシア様、どうぞデザートをお食べください。午後も頑張って」
厨房仕事の雑務を手伝う傍ら、話しを聞いてくれたコックたちが甘いものをくれた。
「ありがとうございます」
「いえ、平気そうに見えて葛藤しているのだなと……」
「それはそうだろう、犬役だぞ? 俺もいまだにわけが分からん」
「旦那様が気付く気配はまだないんですよね?」
「はい」
そこにはフェリシアも困り果てているところだ。デザートを食べながら、同年代のコックに答えて、頷く。
見つめ合って数秒後、そこにいた全員がフェリシアと共に溜息をこぼした。
「いきいきとされているのはイヴァン様だけだよな……」
「旦那様の仕事がすごく円滑なんだと」
「気付いてショックを受けてしまうことを心配されていないのでしょうか」
気になってフェリシアは尋ねてみた。
これまで新しい、いや、異国の国敵地に到着した途端おかしな境遇に置かれたせいで、慣れるにも時間がかかった。とはいえ冷静になって思い返してみると、フェリシアは今日までにイヴァンの考えをすべて聞いたわけではない。
屋敷で仕事を始めてから、イヴァンがどれだけ優秀な執事なのかは分かった。
時間を作ろうとしない限り対面の機会はない。ロジャー関係で向こうから手短に指示を受ける時くらいしか見ないでいる。
「俺は大旦那様時代からよく知ってる」
料理長が悩ましげな表情で腕を組んで、そう言った。
「二年かけて少しずつ、旦那様らしいやり方で受け入れようとはしていた。最後、乗り越えなくちゃいけないところに旦那様は立ったんだろう。苦しくていったん現実逃避した――そう思わないか?」
質問されたコックたちが「はい」とためらいがちに答える。
「今は嘘でも、徐々に傷は癒えていくものだと思う。我に返った時、旦那様はそこを乗り越える力を持っていると俺は思うんだ」
「乗り越える、力……」
「だから、フェリシア様にはご迷惑をおかけするが、そばにいてやってほしい。今の旦那様は、二年ぶりに見る元気な姿なんだ」
久しぶりに、というのは、フェリシアがこの屋敷で過ごすようになってからひしひしと実感していることだ。
この屋敷の誰もが喜んでいた。戸惑いはあるものの、イヴァンが医者に聞いた話にも安心している。
(うぅ、でもこのことを家に知られたら大変になりそう……)
考えが頭にずっしりとのしかかってきたものの、フェリシアはぐっとこらえ、
「はい……」
と答えて、デザートを平らげた。
犬役なのは屋敷内だけだし、ひとまず今のところ何も打開策もないので頑張るしかない。
◇◇◇
だが午後、普段の日課とは違うことが起こった。
「えっ、仕事場にですか!?」
書斎から出てきたロジャーをイヴァンと迎えたのち、休憩室へと移動したばかりのタイミングで、フェリシアは驚きの声を上げた。
メイドたちは彼がこれから外出するのは知っていたのか、ロジャーがベストの上から着る外出用のジャケットなどを渡している。
(させないのね……)
その姿はフェリシアには見慣れず、つい眺めてしまう。ロジャーがてきぱき着用している姿を見ると、彼は自分でなんでもできる人なのだとは分かる。
若い頃は騎士として訓練も受けていた時期があったのも、関係しているのだろう。
「嫌なの?」
ロジャーの目が、不思議そうにフェリシアを捉えた。
今、他のことを考えているどころではなかった。何せ彼は――『愛犬を職場に連れていく』と言ったのだ。
(無理。いえ、止めないとっ)
ロジャーがこれから行くのは王宮だ。彼が任されている護衛と警備を管轄としている第二部隊のほうを見に行くようだが、そこに無関係のフェリシアが行ったら……と考えると恐ろしい。
他国の王宮に行くなんて思ってもいなかったことだ。
「あ、あの、嫌というか、さすがに職場は縁慮したほうがいいと思うのです」
「陛下から許可はいただいている」
「え」
フェリシアは、言い訳の希望が打ち砕かれるのを感じた。
「……とすると毎回……?」
おそるおそる述べた言葉が続かない。慌てるフェリシアの様子を見つめていたロジャーが、「ぷっ」と笑ったからだ。
「いつも連れて行っていただろう?」
彼のそんな言葉を受け、フェリシアは心の中で涙を流した。
(それ、私じゃなくてわんこ様のお話ですよね……)
どう説明するつもりなのだろう。さすがにみんな動揺すると思うのだ。
フェリシアは助けを求めてイヴァンを見た。彼はフェリシアのことを完全に無視して、外出の手配の報告を使用人から受けている。
(あ、これ無理そうだわ)
見捨てられた気分になって沈黙する。
「旦那様、剣を」
「ありがとうイヴァン」
ロジャーが受け取るのをフェリシアは見た。それは柄部分にも金の装飾がされ、陛下から賜った特別な一本の一つであるとは分かる。
「軍区から出る際に正面庭園を散歩しよう。好きだっただろう?」
――だからそれ、犬の話!
フェリシアは口をぐっと閉じていた。行くのは決定事項だ。ますます令嬢と知られないほうがいいだろう。
「メイド服のままでいいんですよね?」
ロジャーに続いて部屋を出ながら、イヴァンにこそっと確認した。
「もちろんです。それ以外だと入るのも難しいかと」
「ですよね……」
イヴァンは手帳を見返しながら、お付きのメイドだと説明するつもりだと話す。
「ちなみに、私は王宮側の執務室で仕事がありますので、訓練場までは同行できません」
「えっ、嘘」
「頑張ってください」
なんてことだ。面倒臭くなったみたいに丸投げしたようにフェリシアは感じた。
「王宮でどう犬役をこなせばいいのか助言くらいお願いしますっ」
「無理です。不自然に思われない方法が浮かびません」
よくよく見てみると、イヴァンの横顔は諦めきっている。
「主人想いならそこ頑張ってくださいよおおおおおおおおお!」
フェリシアは思わず涙目で主張したが、ロジャーはやはりこの会話にも反応する様子がなかった。
王宮行きがフェリシアは大変不安になった。
一日の終わりは彼と同じベッドで就寝しなければならないというのも、全然心が休まらない。
そのうえロジャーは『長い間迷子になっていた愛犬が家に慣れた』と思ったのか、二人の間のクッションを取っ払ったのだ。そして――隣同士横に並んでいるだけでもじゅうぶん近いのに、なぜかフェリシアの肩を抱き寄せた。
(なぜ!? 近いわっ)
愛犬は犬用ベッドだと聞いていたのに、話が違う。
フェリシアは、イヴァンとエーゼに目で助けを求めたが、二人も意外そうに見つめていた。
「旦那様、ジャスミンは――」
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「――そう、でございますか」
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「私はもう慣れました!」
そう主張してみたのだが、ロジャーはまるで想像の中の〝愛犬ジャスミン〟と喋っているみたいに、話しが通じない。
「ジャスミンはまだ慣れていない。不安だろう」
「いえ、不安はありませ――」
「そうかそうか、不安か。それでは抱き締めてあげよう」
「ふぎゃっ」
反論した途端に両手が背に回り、彼のほうへ引き寄せられてフェリシアはぎゅむっと胸板に顔を押し付けられた。
悲鳴が寝室に上がったが止める人はいない。
【ロジャーの考えに反対したら抱擁という恐ろしい目に遭う】
その夜の一件でそう学習したフェリシアは、引き続き彼がしたいようにさせることを決めた。
抱き締められてしまうのは避けたいと思った。
自分でも分からないくらい胸がどきどきするからだ。
令嬢教育を受けてから抱き締められた記憶はあまりない。そのせいで、自分を犬だと見えているうえ思い込んでいるとんでもない男の腕に、こんな安心感も同時に抱いてしまうのだろうか。
というわけで、フェリシアが落ち着くまでには時間が要った。
二度と耳に『躾』をされない心構えで、数日を過ごした。そうするとロジャーの愛犬扱いに対して、冷静でいられるようになってきた。
(同じベッドというのは淑女としてもアウトだし精神的に削られるのに、それを含めて一日が始まると冷静に受け止められるようになったのも嫌ね……)
犬役は仕事だ。
そう思って接することには慣れたが、平常心でいなければならないという感情が腹の中で暴れているせいで、疲労感は拭えない。
「それはお可哀そうに……」
「フェリシア様、どうぞデザートをお食べください。午後も頑張って」
厨房仕事の雑務を手伝う傍ら、話しを聞いてくれたコックたちが甘いものをくれた。
「ありがとうございます」
「いえ、平気そうに見えて葛藤しているのだなと……」
「それはそうだろう、犬役だぞ? 俺もいまだにわけが分からん」
「旦那様が気付く気配はまだないんですよね?」
「はい」
そこにはフェリシアも困り果てているところだ。デザートを食べながら、同年代のコックに答えて、頷く。
見つめ合って数秒後、そこにいた全員がフェリシアと共に溜息をこぼした。
「いきいきとされているのはイヴァン様だけだよな……」
「旦那様の仕事がすごく円滑なんだと」
「気付いてショックを受けてしまうことを心配されていないのでしょうか」
気になってフェリシアは尋ねてみた。
これまで新しい、いや、異国の国敵地に到着した途端おかしな境遇に置かれたせいで、慣れるにも時間がかかった。とはいえ冷静になって思い返してみると、フェリシアは今日までにイヴァンの考えをすべて聞いたわけではない。
屋敷で仕事を始めてから、イヴァンがどれだけ優秀な執事なのかは分かった。
時間を作ろうとしない限り対面の機会はない。ロジャー関係で向こうから手短に指示を受ける時くらいしか見ないでいる。
「俺は大旦那様時代からよく知ってる」
料理長が悩ましげな表情で腕を組んで、そう言った。
「二年かけて少しずつ、旦那様らしいやり方で受け入れようとはしていた。最後、乗り越えなくちゃいけないところに旦那様は立ったんだろう。苦しくていったん現実逃避した――そう思わないか?」
質問されたコックたちが「はい」とためらいがちに答える。
「今は嘘でも、徐々に傷は癒えていくものだと思う。我に返った時、旦那様はそこを乗り越える力を持っていると俺は思うんだ」
「乗り越える、力……」
「だから、フェリシア様にはご迷惑をおかけするが、そばにいてやってほしい。今の旦那様は、二年ぶりに見る元気な姿なんだ」
久しぶりに、というのは、フェリシアがこの屋敷で過ごすようになってからひしひしと実感していることだ。
この屋敷の誰もが喜んでいた。戸惑いはあるものの、イヴァンが医者に聞いた話にも安心している。
(うぅ、でもこのことを家に知られたら大変になりそう……)
考えが頭にずっしりとのしかかってきたものの、フェリシアはぐっとこらえ、
「はい……」
と答えて、デザートを平らげた。
犬役なのは屋敷内だけだし、ひとまず今のところ何も打開策もないので頑張るしかない。
◇◇◇
だが午後、普段の日課とは違うことが起こった。
「えっ、仕事場にですか!?」
書斎から出てきたロジャーをイヴァンと迎えたのち、休憩室へと移動したばかりのタイミングで、フェリシアは驚きの声を上げた。
メイドたちは彼がこれから外出するのは知っていたのか、ロジャーがベストの上から着る外出用のジャケットなどを渡している。
(させないのね……)
その姿はフェリシアには見慣れず、つい眺めてしまう。ロジャーがてきぱき着用している姿を見ると、彼は自分でなんでもできる人なのだとは分かる。
若い頃は騎士として訓練も受けていた時期があったのも、関係しているのだろう。
「嫌なの?」
ロジャーの目が、不思議そうにフェリシアを捉えた。
今、他のことを考えているどころではなかった。何せ彼は――『愛犬を職場に連れていく』と言ったのだ。
(無理。いえ、止めないとっ)
ロジャーがこれから行くのは王宮だ。彼が任されている護衛と警備を管轄としている第二部隊のほうを見に行くようだが、そこに無関係のフェリシアが行ったら……と考えると恐ろしい。
他国の王宮に行くなんて思ってもいなかったことだ。
「あ、あの、嫌というか、さすがに職場は縁慮したほうがいいと思うのです」
「陛下から許可はいただいている」
「え」
フェリシアは、言い訳の希望が打ち砕かれるのを感じた。
「……とすると毎回……?」
おそるおそる述べた言葉が続かない。慌てるフェリシアの様子を見つめていたロジャーが、「ぷっ」と笑ったからだ。
「いつも連れて行っていただろう?」
彼のそんな言葉を受け、フェリシアは心の中で涙を流した。
(それ、私じゃなくてわんこ様のお話ですよね……)
どう説明するつもりなのだろう。さすがにみんな動揺すると思うのだ。
フェリシアは助けを求めてイヴァンを見た。彼はフェリシアのことを完全に無視して、外出の手配の報告を使用人から受けている。
(あ、これ無理そうだわ)
見捨てられた気分になって沈黙する。
「旦那様、剣を」
「ありがとうイヴァン」
ロジャーが受け取るのをフェリシアは見た。それは柄部分にも金の装飾がされ、陛下から賜った特別な一本の一つであるとは分かる。
「軍区から出る際に正面庭園を散歩しよう。好きだっただろう?」
――だからそれ、犬の話!
フェリシアは口をぐっと閉じていた。行くのは決定事項だ。ますます令嬢と知られないほうがいいだろう。
「メイド服のままでいいんですよね?」
ロジャーに続いて部屋を出ながら、イヴァンにこそっと確認した。
「もちろんです。それ以外だと入るのも難しいかと」
「ですよね……」
イヴァンは手帳を見返しながら、お付きのメイドだと説明するつもりだと話す。
「ちなみに、私は王宮側の執務室で仕事がありますので、訓練場までは同行できません」
「えっ、嘘」
「頑張ってください」
なんてことだ。面倒臭くなったみたいに丸投げしたようにフェリシアは感じた。
「王宮でどう犬役をこなせばいいのか助言くらいお願いしますっ」
「無理です。不自然に思われない方法が浮かびません」
よくよく見てみると、イヴァンの横顔は諦めきっている。
「主人想いならそこ頑張ってくださいよおおおおおおおおお!」
フェリシアは思わず涙目で主張したが、ロジャーはやはりこの会話にも反応する様子がなかった。
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