妹に結婚者をとられて隣国へ逃げたら、麗しの伯爵様に捕まりました(物理的に)~旦那様が錯乱して私を愛犬だと勘違いなさっていて、大変困っています

百門一新

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鬼執事と行動の予測ができない旦那様

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 あれから気付けば四日が経った。

 でも『まだ四日なの』という思いもフェリシアの中には込み上げている。

 これまで異性と手を握ったこともないフェリシアには、『愛犬として伯爵様と交流する』というのは難易度がやばすぎた。

 彼は初日と変わらず〝愛犬〟との時間を持ちたがった。

 食事は必ず共にしたし、午前中は散歩と称して手を引いてフェリシアを庭園へ連れ、正午は食後の休憩だと言って寝椅子で彼女に膝枕をした。

 心臓に悪い。

 もう、フェリシアはくたくたである。

(なぜ膝枕なの、ジャスミン(♂)どれだけ可愛がられていたの)

 同じベッドで寝るのも引き続きで、正直メイド仕事兼『犬役』仕事が終わったあと、全然心が休ませないのは、きつい。

「……あの、できれば旦那様の過激なスキンシップはご遠慮いただきたいのですけれど……いえ、彼はあくまで愛犬様を相手にしているつもりなのだとは理解しているのですが」

 フェリシアはロジャーの休憩が終わり、イヴァンと一緒に彼が書斎に入室していくまでを見届けたところで、言った。

「今日まで頑張っていらしたではありませんか」
「それは旦那様の『迷子から戻ってきた愛犬への想い』とやらが、少しは落ち着くかなと想定していたからです」

 寝室には大きな犬用のクッションベッドがあるのは見た。

 フェリシアがそこに眠るのはさすがにつらいが、ロジャーがいつも自分のベッドに寝かせていなかったのを見て希望を見出した気がした。

 だが、今日も疲労が取れないような目覚めを、彼のベッドで迎えた。

「何かありましたか?」
「初日は枕で壁を作らせてもらえたんですけど、二日目からできなくて……そのうえ私の寝顔を朝に観察する度合いが強まったんですっ」

 フェリシアはわっと両手に顔を押し付けた。

 朝目覚めるたび、にこにこしているイケメンの顔面が視界に飛び込んできて、心臓が脅かされている。

 あまりにも美しすぎて、まだまだ彼の顔には慣れそうにない。

(寝顔を見られているとか恥ずかしすぎる)

 彼に『愛犬補正(?)』がかかっていればいいのだが、そこはどうなのだろう。

 フェリシアが相談すると、イヴァンが腕を組む。

「たかが寝顔を見られただけでは?」
「ひどい」

 この人、鬼だ。

 はぁ?という顔で見下ろしてくる執事に、フェリシアは『こいつ』と、つい令嬢としてはだめな気持ちが沸いてしまった。

 フェリシアはイヴァンが、ロジャーの仕事の速度と成果も素晴らしいと言っていたのは聞いた。

 朝の起床にやってきた際も、ロジャーがあとは着替えるまで用意を済ませてくれていることに『うん、俺が助かる』と独り言をしているのも、フェリシアはばっちり聞いている。

(私が貴族令嬢だったら同じことさせなかったと思うのですけれどっ)

 という言葉が喉元まで出かかったが、ぐぅっとこらえる。

「旦那様もそろそろ安心されて、専用ベッドに寝かせてくださるかと」
「そこは安心――ですけど、私さすがにそこに寝られるサイズではありませんよ? そこ、考えてくださっていますよね!?」
「もちろんです。その際には高級ブランケットとクッションをご用意させていただきます」

 そうじゃない。
 そこに眠ることになるのを阻止して欲しい。

「冗談ですよ」

 フェリシアの反応を数秒ほど眺めていたイヴァンが、訂正した。

(ほんとかなぁ……)

 ここ数日を伯爵邸で過ごして、フェリシアは彼が『ロジャーがよければなんでもいい』みたいなところがあることは察した。

 出会い頭『この執事、他人に容赦ない』と感じたのは、間違いではなかったらしい。

(でも、彼が言うくらいだから今夜はどうにかなるかも……?)

 フェリシアは、ちょっと待てよと考え直す。

 彼も、さすがに犬用のベッドで寝かせるほど鬼ではないだろう。メイドたちが慕っているくらい、フェリシアをちゃんと救い出してくれるはずだ。

「旦那様はジャスミンのことならなんでも知っていますからね。迷子になることは初めてですが、数日もすれば大丈夫だと思ってくださるかと。賢いオス犬でしたから」
「それなのに私を犬と勘違いしたのも不思議でならない点なのですが……」

 いまだ、そこは納得していない。

 とはいえ確かにオス犬だ。


 ロジャーもそもそも『一緒の就寝』から解放してくれるのではないかと期待したのだが――その夜も、フェリシアは彼と横になっていた。

 対策として枕を抱き締めるのは恒例だ。

「抱き枕が寂しければ僕にでも――」
「いいえ! 枕でっ、枕でじゅうぶんです!」

 フェリシアは見たことがないジャスミンに、旦那様にしがみついて寝るのはよしなさいと心で泣きながら思った。


 結局、その日もベッドで共に起床を迎えてしまった。

 いや、先に起きていたのはロジャーだ。またしても彼に『寝顔を見られ時間』を設けられてしまったと知ったフェリシアの精神は、朝一番からまたゴリゴリ削られた。

「はあぁ……」

 翌日、書斎前の廊下を掃除していたフェリシアは、モップの柄にうなだれてしまう。

 もしかして女性としての魅力が皆無なんじゃなかろうか。

 未婚のレディとして寝る直前まで精神が疲弊し続ける日々のせいか、こんな毎日を過ごしているとか嫁入りできない、と疲れ切った頭が考えだす。

(いえ、嫁入りが叶わなかったからここにいるわけで)

 改めて思ったら、ショックが倍になって襲いかかってきた。

 妹も一目で気に入っていたみたいだし、実業家であるオリバーも幸せそうな結婚式を迎えられた。

 それで何よりだと思うべきだ。

 フェリシアにはもったいない人だった。結ばれる運命ではなかった。

 ――自分のものをなんでも欲しがった妹。

 ふっと脳裏に忍び寄った考えに気付き、フェリシアは慌てて振り払う。

「ううんっ、あれは私に魅力がなさすぎただけよ」

 もし結婚できるとしたら、フェリシアには、フェリシアに合ういい人がいるだろう。

「……でも」

 と思って、フェリシアは顔を上げた。

 廊下の窓から見える大都会の町のほうを眺めて、ほろりとする。

(そもそも異性に抱き締めさせている時点でだめよね……)

 潔白でなくなったみたいに感じる。

 疲れているせいだろうか。そもそも、だって、慣れるはずがない。

(嫁入り前なのに手を握ったり、殿方と同じベッドで眠るなんて――)

 その時、ぽんっと肩に手を置かれて「ぴゃっ」と変な声が出た。

 手が広がり、落下しそうになったモップの柄を後ろから男の手が掴む。人払いがされた廊下だ。そこにいられる人物と言えば、と考えてフェリシアは恐る恐る肩越しに後ろを見てみる。

「あ、ありがとうございます、旦那様……」

 そこにいたのはロジャーだ。

 すると目が合った彼が、眉を軽く寄せた。

 そんな表情は初めてでフェリシアがビクッとすると、彼が手を伸ばして、彼女の顎をつまんで持ち上げた。

「どうした、ジャスミン」

 覗き込まれた近さに、彼女は呼吸を止めてしまう。

「何を俯いていた?」

 どうして、そんなことを気にするんだろう。

 フェリシアは心臓がどくどくしていた。彼の指が邪魔で、視線を外すこともできない。

(私のことは犬だと思っているのよね? どうして尋ねるの?)
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