上 下
10 / 15

愛犬と枕とがんばるフェリシア

しおりを挟む
 広い寝室で。二人きりだ。

 フェリシアは緊張で呼吸もままならなくなった。何かないかと視線をきょろょろし、頭上に飾りのごとく余分に置かれている枕を発見した。

(理由は分からないけど、ありがとう!)

 高位貴族の上等なベッドの仕様はよく分からないが、とにかくその枕を素早く掴んで引っ張り込み、胸の上に置いてぎゅっと抱き締める。ついでに二人の間にクッションを起きたくて仕方がなかったが、そこは耐えた。

「どうした、落ち着かないか?」

 不思議そうにロジャーが聞いてきた。

 そんなの当たり前だ。

 横になったフェリシアの髪が触れるほど近くに、横になっている男がいる。

 顔を向けてくるとさらに近く感じ、彼のサファイアみたいな美しい目にじっと見つめられたフェリシアは、ますます心臓がばくばくしてきた。

(美しくすぎて心臓に悪いわ)

 社交界で騒がれている美丈夫を『見に行きましょう!』と走り寄った経験だって皆無な令嬢だ。

 しかも就寝衣装のロジャーは、色っぽさも増して大変困る。

 すると、ロジャーが手を伸ばしてきた。

「っ」
「ジャスミン、落ち着いて」

 身構えた途端、気遣う目をされ、よしよしと頭を撫でられた。

「それとも、僕が抱き締めたほうが落ち着くか?」

 それは、無理。
 フェリシアは瞬時に首をぶんぶんと横に振った。

「ど、どうかこのままでっ、いえとても落ち着いてきました!」

 それを見たロジャーがきょとんとして、それから小さく笑う。

「枕も好きだったからな。もっと欲しいか?」
「はいっ」

 フェリシアは食い気味に答えた。彼が上に並んでいた枕へと腕を伸ばす。

(なんて長い腕なのかしら)

 つい、自分とは全然違う男らしい腕にどきどきしてしまった。シャツ越しでも骨格の違いはよく分かる。

 彼が動くと、清潔ないい匂いもした。

「はい、どうぞ」

 彼は随分愛犬に甘いようで、二つも枕を追加してくれた。フェリシアはお礼を素早く告げるとそれに飛びつき、彼との間に詰める。

 その様子をロジャーが、頬杖をついて楽しげに眺めた。

「抱き枕にするのか? それも好きだったな。僕にすればいいのに、お前ときたら優しい犬なものだから」

 懐かしそうに言葉は自然と途切れる。

 フェリシアは枕を抱き締めたまま上目遣いにロジャーを見た。微笑んだその目元に、ふと薄っすらと目のくまを見つけた。

「……眠れそうですか?」
「ああ。昼寝をしたのに、お前がいると眠くなるよ」

 それは――これまできちんとした眠りを得られなかったせいだ。

 フェリシアは二人を隔つ枕の壁へと身を寄せた。なぜか、今はそうすることが正解のように思えた。

 彼が腕をとき、枕に頭の横を押し付けてフェリシアを見てくる。

「戻ったばかりでお前が落ち着かない気持ちはよく分かるよ。僕も、ジャスミントがいない間はそうだった。寝ようにも寝られない日もあった。置いてあるお前のベッドが空な夜の光景が、全然、慣れなくて」

 少し眠そうだ。彼の言葉は思い出話を語るみたいで、ずっと昔に絵本を読み聞かせてもらっていた時みたいに、心地よくフェリシアの耳に届く。

 彼は今、愛犬との時間を過ごしている。

(私の言葉は必要としていなんいだわ)

 そう分かったから、フェリシアもかける言葉を迷うこともなく、ただただ彼を見つめ返していた。

 犬は話さない。時々『わん』とは言うけれど、今の彼は人間の言葉の応答を必要としていないのだ。

 だから、勝手に話しているのだと分かった。

「怖くないよジャスミン、朝が来たらまた僕がいるから」

 それは看病していた時の言葉だろうか?

(ジャスミンは最期を迎える前に、眠るのが不安になったのかしら)

 目が覚めることなく、愛する主人との別れが来るかもしれないと想像した――のかもしれない。

 ジャスミンも、それだけロジャーを愛していたのだろう。

 ロジャーから伝わるジャスミンへの愛を見ていると、フェリシアはそう感じた。

「僕にだって怖いものはある。大人になってそう気付いた、でも、こうして一緒に寝れば怖いものなんてない、そうだろう?」

 ロジャーの目が優しく笑う。

 それはフェリシアではなく、愛犬ジャスミンへの言葉だ。

「旦那様は、ジャスミンがとても大好きなんですね」

 羨ましくなって、思わず問いかけてしまった。

「そんなこと当たり前だろう。ジャスミン、大好きだよ」

 フェリシアの切なさに気付いたのか、ロジャーが笑ってまた頭を撫でる。

 ――でもその目も、優しさも、言葉も、全部ジャスミンのものだ。

 フェリシアは彼らの間の思い出を知らない。

 犬に愛を注ぐ変な人、というように言われているらしいけれど、それは家族に対する愛と同じだ。

(こうなってしまうくらいに、彼は今も心にぽっかりと穴が空いて、寂しいままなのだわ)

 フェリシアには――妹がいたから。

 祖母が亡くなった時、心に空いた大きな穴に飛び込んでくれたのは妹だった。何度も泣いてしまうフェリアを、そのたびに抱き締め、愛していたのだから仕方がない、泣いていいのよと言ってくれた優しい妹。

 そんな兄妹も、愛する人もいずロジャーは悲しみを消化できていない。

(ジャスミンには誰も敵わないのね)

 そう考えると緊張もほぐれた。イヴァンが口にしていた『安心』の意味が、正しく理解できた気がする。

「おやすみ、ジャスミン」

 ロジャーが欠伸をして、返事も待たずに目を閉じる。

 愛犬が普段言葉を返さないからなのだろう。そう分かったフェリシアは、あっさり眠ってしまった彼がなんだか可愛く思えて、小さく笑ってしまった。

「はい。おやすみなさいませ、旦那様」

 聞こえなくてもいいような囁き声で応え、目を閉じる。

 来たばかりの疲れもあって、フェリシアは一気に夢の世界へと落ちていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました

まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました 第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます! 結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...