妹に結婚者をとられて隣国へ逃げたら、麗しの伯爵様に捕まりました(物理的に)~旦那様が錯乱して私を愛犬だと勘違いなさっていて、大変困っています

百門一新

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愛犬と枕とがんばるフェリシア

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 広い寝室で。二人きりだ。

 フェリシアは緊張で呼吸もままならなくなった。何かないかと視線をきょろょろし、頭上に飾りのごとく余分に置かれている枕を発見した。

(理由は分からないけど、ありがとう!)

 高位貴族の上等なベッドの仕様はよく分からないが、とにかくその枕を素早く掴んで引っ張り込み、胸の上に置いてぎゅっと抱き締める。ついでに二人の間にクッションを起きたくて仕方がなかったが、そこは耐えた。

「どうした、落ち着かないか?」

 不思議そうにロジャーが聞いてきた。

 そんなの当たり前だ。

 横になったフェリシアの髪が触れるほど近くに、横になっている男がいる。

 顔を向けてくるとさらに近く感じ、彼のサファイアみたいな美しい目にじっと見つめられたフェリシアは、ますます心臓がばくばくしてきた。

(美しくすぎて心臓に悪いわ)

 社交界で騒がれている美丈夫を『見に行きましょう!』と走り寄った経験だって皆無な令嬢だ。

 しかも就寝衣装のロジャーは、色っぽさも増して大変困る。

 すると、ロジャーが手を伸ばしてきた。

「っ」
「ジャスミン、落ち着いて」

 身構えた途端、気遣う目をされ、よしよしと頭を撫でられた。

「それとも、僕が抱き締めたほうが落ち着くか?」

 それは、無理。
 フェリシアは瞬時に首をぶんぶんと横に振った。

「ど、どうかこのままでっ、いえとても落ち着いてきました!」

 それを見たロジャーがきょとんとして、それから小さく笑う。

「枕も好きだったからな。もっと欲しいか?」
「はいっ」

 フェリシアは食い気味に答えた。彼が上に並んでいた枕へと腕を伸ばす。

(なんて長い腕なのかしら)

 つい、自分とは全然違う男らしい腕にどきどきしてしまった。シャツ越しでも骨格の違いはよく分かる。

 彼が動くと、清潔ないい匂いもした。

「はい、どうぞ」

 彼は随分愛犬に甘いようで、二つも枕を追加してくれた。フェリシアはお礼を素早く告げるとそれに飛びつき、彼との間に詰める。

 その様子をロジャーが、頬杖をついて楽しげに眺めた。

「抱き枕にするのか? それも好きだったな。僕にすればいいのに、お前ときたら優しい犬なものだから」

 懐かしそうに言葉は自然と途切れる。

 フェリシアは枕を抱き締めたまま上目遣いにロジャーを見た。微笑んだその目元に、ふと薄っすらと目のくまを見つけた。

「……眠れそうですか?」
「ああ。昼寝をしたのに、お前がいると眠くなるよ」

 それは――これまできちんとした眠りを得られなかったせいだ。

 フェリシアは二人を隔つ枕の壁へと身を寄せた。なぜか、今はそうすることが正解のように思えた。

 彼が腕をとき、枕に頭の横を押し付けてフェリシアを見てくる。

「戻ったばかりでお前が落ち着かない気持ちはよく分かるよ。僕も、ジャスミントがいない間はそうだった。寝ようにも寝られない日もあった。置いてあるお前のベッドが空な夜の光景が、全然、慣れなくて」

 少し眠そうだ。彼の言葉は思い出話を語るみたいで、ずっと昔に絵本を読み聞かせてもらっていた時みたいに、心地よくフェリシアの耳に届く。

 彼は今、愛犬との時間を過ごしている。

(私の言葉は必要としていなんいだわ)

 そう分かったから、フェリシアもかける言葉を迷うこともなく、ただただ彼を見つめ返していた。

 犬は話さない。時々『わん』とは言うけれど、今の彼は人間の言葉の応答を必要としていないのだ。

 だから、勝手に話しているのだと分かった。

「怖くないよジャスミン、朝が来たらまた僕がいるから」

 それは看病していた時の言葉だろうか?

(ジャスミンは最期を迎える前に、眠るのが不安になったのかしら)

 目が覚めることなく、愛する主人との別れが来るかもしれないと想像した――のかもしれない。

 ジャスミンも、それだけロジャーを愛していたのだろう。

 ロジャーから伝わるジャスミンへの愛を見ていると、フェリシアはそう感じた。

「僕にだって怖いものはある。大人になってそう気付いた、でも、こうして一緒に寝れば怖いものなんてない、そうだろう?」

 ロジャーの目が優しく笑う。

 それはフェリシアではなく、愛犬ジャスミンへの言葉だ。

「旦那様は、ジャスミンがとても大好きなんですね」

 羨ましくなって、思わず問いかけてしまった。

「そんなこと当たり前だろう。ジャスミン、大好きだよ」

 フェリシアの切なさに気付いたのか、ロジャーが笑ってまた頭を撫でる。

 ――でもその目も、優しさも、言葉も、全部ジャスミンのものだ。

 フェリシアは彼らの間の思い出を知らない。

 犬に愛を注ぐ変な人、というように言われているらしいけれど、それは家族に対する愛と同じだ。

(こうなってしまうくらいに、彼は今も心にぽっかりと穴が空いて、寂しいままなのだわ)

 フェリシアには――妹がいたから。

 祖母が亡くなった時、心に空いた大きな穴に飛び込んでくれたのは妹だった。何度も泣いてしまうフェリアを、そのたびに抱き締め、愛していたのだから仕方がない、泣いていいのよと言ってくれた優しい妹。

 そんな兄妹も、愛する人もいずロジャーは悲しみを消化できていない。

(ジャスミンには誰も敵わないのね)

 そう考えると緊張もほぐれた。イヴァンが口にしていた『安心』の意味が、正しく理解できた気がする。

「おやすみ、ジャスミン」

 ロジャーが欠伸をして、返事も待たずに目を閉じる。

 愛犬が普段言葉を返さないからなのだろう。そう分かったフェリシアは、あっさり眠ってしまった彼がなんだか可愛く思えて、小さく笑ってしまった。

「はい。おやすみなさいませ、旦那様」

 聞こえなくてもいいような囁き声で応え、目を閉じる。

 来たばかりの疲れもあって、フェリシアは一気に夢の世界へと落ちていった。
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