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四章 アビードからの出発

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 とても幸せな夢を見ていた。大きな屋敷を一つ建てて、仕事が終わると愛する妻のもとに帰る毎日だ。

 とうに誰もが彼女の金髪金目を受け入れていて、留守の間は、頼りのある狼の相棒がそばにいて守ってくれる。人間の言葉を喋ってくれる彼女の相棒は、動物と意思疎通が可能だ。

 黒大狼の相棒を持った、獣師の妻。

 ただいまと言うと、おかえりなさい、と言って彼女は笑う。玄関先でそのまま抱き上げると、昔よく遊んだみたいな笑顔を浮かべて、楽しそうに抱き締め返してくる。

 二人はよく話して、時間が許す限り一緒に過ごしている。そこには、ふてぶてしい顔で優雅に座る黒大狼の姿もあって、とても穏やかな時間が流れていた。

 いつか子供が出来たら、三人と一匹の暮らしになるのだろう。
 幸せな女性の顔をして、ふんわりと笑う彼女がとても愛おしい。早く両親に孫を見せてやりたいね、と妻が言って、子供は二人以上がいいなと答えると、ちょっと恥ずかしそうに微笑んできて、くらりとしてしまう。


 とてもリアルな夢である。

 抱き締めている彼女の体温と、吐息までこの身に感じた。


 そこで、セドリックは違和感を覚えた。ぎゅっと抱き締めている腕の中に、普段にはない暖かい熱があると気付いて目を開けた。確認しようと思って少し顔を下に向けると、くすぐったい柔らかな何かが顎先に触れた。

 小さな頭部の、柔らかな金色の髪が目に映った瞬間、頭が一気に覚醒した。脳裏に浮かんだ現状に「まさか」と思ってガバリと目を向けると、胸にかき抱いているラビの愛らしい寝顔が眼前に飛び込んできて、セドリックは飛び上がった。

 反射的に手を離して、ベッドの上で飛び退くように後ずさった。もう少しで悲鳴を上げる直前、狭いベッドが置かれている壁に頭を強打して、あまりの痛みに一人悶絶した。

 何故、彼女と同じベッドで寝ているのだろうか。

 痛みで覚醒した脳が、次第に眠りに落ちるまでの記憶を蘇らせた。あろうことか酒に酔って、寝惚けて彼女をベッドに連れ込み、抱き寄せた頭の髪に指を埋めて撫でたあげく、頭部に口付けを落としたのだった、と思い出した途端――

 セドリックの羞恥は限界を超えて、プツリと意識が途切れた。

             ※※※

 ゴッ、と鈍く響き渡った大きな音を聞いたような気がして、ラビは少し肌寒さを覚えて目を開けた。

 小さな窓から月明かりが射しこんでいるばかりで、室内は薄暗い。

 いつの間にか拘束が解除されている事に気付いて、上体を起こして目を擦った。辺りの様子を確認してみると、まるで壁際に張り付くような悪い寝相姿をしているセドリックがいた。

 いつそんな姿勢になってしまったのかは分からないが、彼は爆睡しているらしい。着たままのローブが変な具合に絡まっていて、少しばかり苦しそうに見えなくもないが、疲れもあるのだろうと思ったら、起こすような事をするのも気が引ける。

「…………ひとまず、自分の部屋に行くか」

 ラビは、自分の部屋でもう一度寝直す事を決めて、床に転がっている帽子を取って被った。

 欠伸をこぼしながら部屋を出ると、すぐそこで扉の開閉を待っていたらしいノエルが座っていた。

「ノエル、起きてたの?」
『まぁ、一応な』

 そう言いながら、ノエルがチラリと室内を覗きこんだ。

『行動予測を裏切らないというか……。音で状況はなんとなく察したが、全然疑われていないってのも、ここまでくると哀れだよなぁ…………』
「なにが?」
『あ~っと……、なんでもねぇよ』

 認めてはいるが釈然としない気持ちもあって、ノエルは結局、中立の立場でラビの後を付いていったのだった。

             ※※※
 
 二度目の就寝は、夢も見ないくらいぐっすりだった。

 スッキリと目が覚めた朝、ラビは支度を整えて、ノエルと共に宿の一階へと降りた。擦れ違う途中で帽子から覗く金髪に気付いて、端に寄った人が譲った廊下や階段を、身体の大きなノエルが悠々と尻尾を揺らせて歩いた。

 一階の開けたフロア兼食堂スペースには、ローブやターバンを巻いた数人の客達が、それぞれ椅子に腰かけて寛いでいた。しかし、ラビの金髪に遅れて気付くと「さて、そろそろ行くか」とわざとらしく口にして、そそくさと出て行った。

 そんな中、姿勢を楽に腰かけて、食堂の中央席を陣取っている男達がいた。一人は顎髭を小さく残したジンで、彼は両足を投げ出すような姿勢で、体調不良を訴えるように背もたれに身体を預けて、天井を仰いでいる。

 彼の向かいには、青年未満にも見えなくもない小柄なテトが腰かけていた。第三騎士団最年少の彼は、こちらに気付くと元気に手を振って挨拶してきた。

「おはよう! よく眠れたか?」
「うん、おはよう。オレは朝までぐっすりだったけど――」

 ラビは答えながら、そばに座ったノエルと共に、テトが大きな声を出した際に目頭を「くッ」と押さえたジンを見てしまった。彼は鈍い頭痛を緩和させるかのように、続けて額の左右に手をあてて揉み解し始めている。

 この二人は昨日、ここで夕食を済ませた後に飲みに出たのだ。そう思い出して、二日酔いだろうという推測が脳裏を過ぎった。

「こいつ、かなり参ってるみたいだけど、夜はかなり飲んだの?」
「ジョッキで軽く十数杯くらいだよ。四時間は眠れるように考えて、早いうちに戻ったし」
『十数杯は軽くねぇよ』

 テトがけろっとした様子で答えてすぐ、ノエルが冷静に指摘した。

 すると、彼の向かい側でジンが「テトは第三騎士団一の酒豪なんだ」と呻くような声を上げた。

「しかも二日酔いもないとか、最強過ぎるだろ。ペースにつられて飲んじまったら、もうアウトだ」
「じゃあ飲まなければいいじゃん」
「それでも飲んじまうのが男ってもんだろ。あんな美味いもん出されて、飲まずにいられるかってんだ」

 意味が分からないと思ってしまうのは、自分が男ではないせいだろうか。

 共感出来ず呆れて黙りこんでいると、テトが親切にも、ジンは酒に弱いわけではないので、すぐ体調も戻るタイプだと教えてくれた。

「いつも飲んだ翌日は、二時間くらいは頭抱えてる」
『それ、笑顔でさらりと語っていい内容なのか……?』

 同情も深刻さの欠片もないな、とノエルが呟いた。

 額の左右を挟みこむように揉み解していたジンが、ふと思い出したようにこちらを見て「そういや、そこに『狼』はいんのか?」と尋ねてきた。ラビは、カウンター側をチラリと見て、そこに誰もいないことを確認してから「うん」と頷いた。

「オレの隣にいるよ」
「この宿、朝一番は厨房を稼働していないらしくてさ。馬車に向かいながら食うことになるんだが、サンドイッチとかでも平気か?」
「ノエルはサンドイッチも好んで食べてるよ」

 ジンは、話すのも頭痛を誘発して辛い、という顔でゆっくりと顎を引いて「ならいい」と納得した。目頭の上を掌で解しにかかりながら、ふと「犬とか狼って、パンとか野菜とか、食うもんだったけ……?」と遅れて独り言を口にする。

 足元に視線を向けてくるテトに、ラビは続いて尋ねた。

「そっちが一番のり?」
「いんや? 一番乗りは副隊長だな。ヴァン先輩とサーバル先輩は、ユリシス様と一旦外に出た」

 そう言いながら、彼がカウンター席の奥へと指を向けた。

 そこには、組んだ手を額にあてているセドリックの姿があった。あまりにもひっそりと腰かけているため、ラビとノエルは気付くのに遅れた。

「…………あいつ、何してんの? 二日酔い?」
「副隊長はお酒弱いけど、翌日までは残らないぜ? 罪悪感を噛み締めてるってぶつぶつ言ってたけど、よく分かんねぇ」

 お酒が弱いのに任務中に飲んでしまった事について、自分なりに反省しているのだろうか。二日酔いもなくきちんと起床しているので、そこまで真剣に考える必要もないと思うけれど。

 ほぼ同時に首を傾げたラビとテトのそばで、ノエルが同情するような眼差しをセドリックに向けた。珍しい副隊長の様子について、ジンも考えかけたものの、すぐに頭を押さえて思考を諦める。

「うーあー……。駄目だ、今は考え事するだけでしんどい」
「お前いつも考えてないんじゃん?」

 ラビがきっぱり言い、ジンは「ひでぇ」と泣きそうになった。

 その時、開いた出入り口から一人の男が入ってきた。ここ数日で見慣れたお揃いのローブの下から、テト達と同じ軍服のズボンを覗かせて歩いてくるのは、軍人らしく鍛えられた体格をしたサーバルだった。

 こちらを見たサーバルの優しげな目が、それぞれを見渡し、それからラビで留まった。「おはよう」と告げた彼は、気に掛けるようにセドリックを見て、けれどしっかり自分の役目を果たそうという気持ちで、ぎこちない笑みを浮かべてこう言った。

「そろそろ出発しようか」
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