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一章 勘付かれたラビの『秘密の見えない親友』

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 ルーファスに問われて、しばらくの間、誰も反応を返せないでいた。

 嘘なんて吐き慣れていないから、この場合の誤魔化し方が分からない。ラビがそうぐるぐると考えている中、先に硬直状態が解けたノエルが、そろりと腰を上げて苦々しく顔を歪めた。

『――だからこいつは苦手なんだよなぁ……人間の癖に隙がないうえ、予想が付かねぇ』

 ラビとしても、どうしてルーファスが、そんな事を口にしたのか分からなかった。思わず、先日の事件が終わった後に打ち明けていたセドリットとユリシスに目を向けると、彼らは全く予想外だと言わんばかりの、引き攣りそうな笑顔で固まっていた。

 どうやら、ノエルの件は口外していないらしい。もしかしたら、第三騎士団内の判断で、彼らの間だけの秘密として報告はしなかったのかもしれない。

 氷狼の暴走についても、そこに『姿の見えない不思議な小さな害獣』や、魔法のアイテムのような【月の石】、巨大化した黒大狼が関わった事は伏せている可能性がある。

 言ったところで信じてもらえない内容ではあるけれど、セドリック達の顔色を見る限り、改ざんした報告を行ったのは、それなりにリスクのあるまずい事なのだろう。思えば、ルーファスは彼らにとって組織のトップにあたる人間だ。

 もしかしてオレを巻き込まないために、そうしてくれたの……?

 そのせいで、彼らに何かしらの罰則が与えられたりしたらどうしよう、とラビは途端に心配になった。セドリックとユリシスの横顔を見つめていると、こちらを楽しそうに見つめてルーファスが、無駄な沈黙を終わらせるように話しを再開した。

「先日の氷狼の件があったラオルテの町に調査員をやったら、小さな獣師には『相棒の大きな黒い狼』がいると報告も受けてね。母上にそれとなく手紙を出したら、黒い大きな犬がそばにいた、と」

 語る彼の意図が読めず、ラビは息を呑んだ。こちらを見据える瞳には、深い慈愛の他は感じられない。

 すると、ルーファスが困ったような微笑を浮かべた。その笑顔は、まだ村で暮らしていた頃にもよく見ていたもので、そういう表情をするとセドリックと雰囲気がよく似ていて……

「私は何も責めていないよ。ただ、それに似た可能性については、昔からずっと考えていた――と言えば、君に伝わるだろうか?」

 そう言って、宥めるように弱々しく微笑えむ。

 幼かった少年時代を彷彿とさせるその笑みを見て、ラビは彼が本当に、責めるような感情の一つもなく、この質問をしたのだと気付いた。どうしてか、優位に立っているはずのルーファスから、申し訳なさと少しの切なさを覚えた。

「そもそも、ラビは家を出る際に言ったじゃないか」
「オレが言った事……?」
「そうだよ。一人暮らしをする事を止めた私に、『一人じゃないから』とだけ答えた。君は嘘をつけないからね。だから私は、両親の家に戻る君の意思を、妨げない事を決めたんだ」

 まるで信じているからこそ、たったそれだけの言葉を正面から受け止めて、見えない友達の存在をどこかで考えていた、というようなニュアンスだった。

 気難しい言い回しをする兄の台詞を聞いたセドリックが、ようやくといった様子で察したように「とんでもない人ですね」と前髪をかき上げた。

「つまり貴方は、たったそれだけの情報から疑問を抱き、ラビの様子を見ていたというんですか?」

 普通なら、その可能性について考える発想すらないだろう。王宮騎士団の最強総隊長という一面を知るセドリックやユリシスからすると、まさか当時のルーファスがそのように解釈し、察知し、今でもずっとそれを疑わず念頭に置き続けていたという時点で驚きを隠せない。

 ラビも、当時を思い返して戸惑ってしまった。話したら消えてしまいそうな『他の誰にも見えない秘密の友達』とはいえ、ノエルの存在を自分から否定するような言葉を発するのも怖くて、一度だけ、そうルーファスに答えた覚えはある。とはいえ、まさか、それを信じて身を引いたなんて思ってもいなかった。

 そんな一同の視線を受け止めたルーファスが、ふっと微笑を解いて、質問を投げてきた弟に目を向けた。

「ラビの『独り言』にも、何かしら理由があるのだろうと思った。ようやく今になってヒントがいくつか出てきて、私の方でも可能性を絞り込んで念入りに調べた。――それだけだよ、セドリック」

 少し考えれば不自然さは色々と出てくる、と彼は言いながら、書斎机の上にあった資料の束を拾い上げた。上司らしい冷やかで鋭い眼差しをセドリックに戻すと、手に持ったそれを軽く振って見せる。

「恐らく第三騎士団の中で、秘密にするとでもいう結論をしたのだろうね。けれど覚えておくといい、セドリック。緘口令を強いて隠し事をするのなら、徹底的にやるべきだ。おかげで、私の方で根回しに人員を裂く事になった」

 不思議な出来事だったのではないか、とする人々に、実はなんでもないものだったのだと情報をすり替え、植え付けるのも必要である。複数の仕掛け人をおけば噂は勝手に広がって事実となる。そこに証拠が何もなくとも、だ。

 普段の総隊長の顔で、そうつらつらと語るルーファスを見て、ユリシスが口角を引き攣らせ「さすが総隊長ですね……」と言った。セドリックは、これを直接ウチの隊長に言ってないといいんだけど、と胃腸がかなり弱い直属の上司を心配して口の中で呟く。

 プライベートでは見る事がなかった毅然とした雰囲気に、若干緊張を覚えたラビに気付いて、ルーファスは表情を和らげた。

「話しにくい内容であるだろうし、先に私が持っている手の内の情報を開示しよう。この件に関して、私がある程度の推測を立てられた理由について、まずは話すよ。それが合っているのか、正しいのか正確なところは分からないけれどね」

 今回の氷狼の事件には、関連性があると直感的に思ったのだと続けて、ルーファスは手に持っていた資料を書斎机の上戻した。なんでもない話を語るように、長椅子の背にもたれてのんびりとした様子で宙を見やる。

「今回の件を聞いた時に、私は総隊長となってから、古代博物館を視察する機会があった事を思い出してね。それは閲覧規制されている古い文献で『妖獣』という記述がされていて、魔術やら呪いやらがあった時代であった、と書かれていた」

 古(いにしえ)の滅び去った時代の存在については、技術の発展していなかった時代背景もあって、土地の風習で行われていた儀式的な物という見解もある。一種のお伽噺や、古代に残された神話なのではないか、ともされて歴史学的には価値を置かれていない。

 当時の人々にとって火や水は特に貴重だったから、それを発生させる害獣を『不思議な生物』として、そう呼んでいたのではないか……というのが現在の多くの学者達の見解だ。

 けれど博物館でチラリと説明を受けた時、妙に引っ掛かったのだとルーファスは語った。

「少し記憶を辿って、全く別系統の古書で同じキーワードを見掛けていた事に気付いた。大昔の人間が残した農業録だったはずで、だからこそ、それはそれで『おかしいな』と」

 まるで生活に根付いていたと思わせるくらいあっさりと、見逃してしまうほど自然に『妖獣』という単語が一つ書かれていたのを覚えていたらしい。もしお伽噺の中で語られるような創作単語だとしたら、それは矛盾が生じるものである。

 昔から記憶力は凄まじいものがあったが、たった一冊の本の文章中にあった、一単語を忘れずに覚え続けているというのも驚異的である。一体彼の頭の中には、どれほどの情報が記憶されているのだろうか?

 揃って大人しくなってしまったラビ達の前で、ルーファスは説明を続けた。

「調べてみると、『妖獣』というのは動物に近い形をしたモノ達だった、とされている。彼らは地上の生物ではなく、神の言葉や人の言葉も介する事が出来る知能を持ち、唐突にその姿を現した不思議な存在であった、と」

 つまり、とルーファスは一度言葉を区切り、ラビ達へ視線を戻してから学識を説くように先を続けた。

「そのいくつかの記述から、妖獣という存在の姿は、普段は一部の人間の目にしか映らないモノだったと私は推測した。そこで、ラオルテの氷狼の襲撃の際に、ラビの相棒であったらしいという目撃情報が上がった『突然現れた大型の黒い狼』も、それと同じではないのかと思った訳だよ。そうであれば辻褄は合う」
「…………」

 やばい、オレよりも理解している感がすごい。

 ラビは切れ者の幼馴染を前に、右にも左にも動けずにいた。ノエルが言っていた『妖獣』が当たり前のように生活の中に存在していた時代が、まさか文献にも少し残っているとは思ってもいなかったのだ。

 すると、セドリックが「兄さん」と慎重に口を開いた。

「それでは、あなたはラオルテの町で起こった事についても――」
「今のところ事実と結果のみだ。一般人は襲撃現場から避難していたから、『一際大きな獣の咆哮』の他、お前たちの戦いをハッキリ記録した者もいない」

 ルーファスは、弟からの問い掛けをスッパリと切り捨てた。ぐるぐると考えているラビに視線を向けると、その眼差しから威圧感を解いて、気遣い宥めるような微笑を浮かべる。


「だから存在しているのであれば、母上に見せた時と同じように、私の目の前にも姿を現して欲しいと思っているんだよ。君の『相棒』は、今もここにいるんだろう?」


 そう言って、彼がラビの周りへそっと目をやる。

 ユリシスが何か言いたそうな顔で、直属の上司であるセドリックに目配せした。セドリックとしても、彼女を傷つけて困らせる事だけはしたくないという想いから、事件の真相を知らない兄にどう説明したらいいものか判断が付かず、心配そうにラビの方を見下ろした。

 ラビは一生懸命考えていた。ルーファスの口調から察するに、今すぐに正体を現せと強く要求しているわけではない。

 とはいえ、したくても出来ないのが事実なのだ。先日の事件では【月の石】という存在があって、その過剰摂取により数日の間、ノエルの姿が全ての人間の目に映るようになっていたにすぎない。

 どうしよう。

 無理だって事を、どうやって説明したらいいの?

 ラビは困りはててしまい、素の表情で隣の幼馴染をチラリと見上げた。彼女の大きな金色の瞳とパチリと合ったセドリックが、「うッ」と弱い所を突かれたかのような顔で硬直する。

 それを見たユリシスが、首を伸ばしてラビを小さく睨み付け、小声でこう言った。

「あまり副隊長を困らせないで頂きたいですね」
「うるっさいな。オレだって一生懸命考えてるのッ、どうやって簡単に話したらいいのか分かんないんだけどこの眼鏡野郎ッ」
「君は、パニックになると本音と暴言が独特に混ざりますね」

 仕方ない、ここは自分が総隊長に、あの事件についてどうにか説明報告をするしかありませんね――とユリシスが呟いて、小さく息を吐いた時、


『ったく面倒臭ぇ野郎だなぁ』


 どこかラビの荒々しい口調を思わせるような、野太い声が室内に響き渡った。
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