18 / 18
最終話
しおりを挟む
その日、仲村渠は中部にある大病院の前で、一人そわそわと待っていた。
共に心配していた友人の城間も、妻の見舞いを望んでおり、絶対に置いていくなよと再三強く言われたのだ。
城間は、学生時代の仲村渠の先輩である。
今回の件に関しては、元医師として手助けをしてくれたこともあり、いくら昔から時間にルーズな男であることを知っていても、仲村渠は『一緒に行くから、待ってろ!』という約束は拒めなかった。
実をいうと、仲村渠も、一人を心細く感じてもいた。
大病院の玄関前にある、駐車場へと行ける歩道の中腹に立ち尽くしたまま、仲村渠は時々首をあちらこちらへと向けて、城間の姿を探した。
待ち合わせの時間からは、すでに十五分が過ぎている。
「ふぅ……」
緊張を息で吐き出しながら視線を上げると、頭上には雲が多い青空があった。
例の現象が解決したあと、仲村渠は、城間と以前擦れ違ってしまった喫茶店でようやく顔を合わせることができた。
面白おかしく、をモットーに生きているような元医者の友人は、今回の件について話を聞きたがっていた。喫茶店にて仲村渠が長い話を行っている間、城間は「ふむふむ」と先生顔で頷き、珈琲を三杯とサンドイッチを胃に収めていた。
――けれど、謎は、謎。
結局は『奇妙な話だ』と落ち着いた。
『まあ、そういうことは、私にも経験が皆無という訳ではないからな。お前や、彼女の身に取り返しのつかない大変なことが起きなくて、よかったよ』
城間はある日、そう感想を締めていた。
仲村渠の話が順調に進んだ要因の一つには、城間が東風平のことを知っていた、という意外な接点がその日に明らかになったからだ。それはに城間自身もかなり驚いていた。
仲村渠は当初、名前を伏せて話し聞かせていたのだが、途中で城間が
『なぁ、それって東風平君のことじゃないか?』
なんて言ったのである。
仲村渠が『そうだ』と肯定すると、城間は『なるほどなぁ』と言い、もう納得しきりの顔で話を聞きに徹していた。
どうやら昔、城間は東風平という知人に世話になったそうだが、当時関わったらしい詳細については何も語らなかった。仲村渠も今回、説明するのもとても苦労する、いや難しくて結局友人にもうまく語れになかった件があったので、聞き出そうとはしなかった。
平日の病院には、出入りする人間が多かった。
午前中だから混んでいないと踏んでいたのだが、仲村渠の見当違いであったようだ。
表玄関の前には介護用の送迎バスが何度か停まり、外に設置されたベンチには入れ替わり立ち替わり人が座って空きがない。
今日は、初の見舞いということもあり、仲村渠は清楚に見える一番いいシャツと、皺のないスラックスのズボンを選んだつもりだった。しかし、自分の姿を今一度確認しても、落ち着かない気持ちになる。
緊張、というよりも、不安の方が大きいのだ。
末の息子には、見舞いの件について事前に連絡を取っていた。
何かあれば長男から手厳しい一報が入るはず……身構えていたのだが、なんの知らせもないまま当日が来てしまったのも、仲村渠をどぎきさせている。
(まさか病室に踏み込んだ瞬間に殴られるんじゃないだろうな……)
そんな不安ばかりが、仲村渠の脳裏を過ぎっていくのだ。
その時、城間が向こうから歩いてくるのが見えた。
背筋をシャンと伸ばした細身の男だ。白い頭髪はやや薄くなっているが、体脂肪はほとんどなく、背も高いままだ。
城間は今でも視力がしっかり残っているから、仲村渠の姿に気がつくと手を振って「おぉ~い」と笑顔をこぼした。仲村渠は、恥ずかしい奴めだ、と舌打ちしたくなったが、緊張で口が渇いてうまくできなかった。
「なんだ、妙な顔をして」
開口一番、城間は仲村渠の顔をまじまじと見てきた。
「他に言うことはないのか」
仲村渠が指摘すると、彼は「ふうむ」と首を捻り、それからポンと相槌を打った。
「ま、死に別れたわけじゃないんだ。まだまだ、これからたくさん話すこともできるだろう。だから、大丈夫だよ。変な顔をしなさんな」
――大丈夫。
その言葉にじんっときて、仲村渠は友人を見つめていた。
七年前、先に逝った妻を見送った男の心の底からの笑顔が、眩しかった。
後悔なく接してきたから、もう思い残す事はないのだと、あの時に語っていた城間の当時の言葉が今になって胸に沁みる。
「おぉーい。そこのお二人さんっ」
その時、既視感を覚える呼び声が、遠く頭上で聞こえた。
つられて、仲村渠と城間は、揃って顔を上げた。
そこにあったのは病棟のベランダだった。二人の頭一個分も小さい華奢な男がいて、目が合うとさらに「おおーい、おおーい」と子供のように手を振って合図してくる。
「おや、誰だろう?」
城間がとぼけたように首を傾げ、横目に仲村渠を見た。
「ふうむ。外の世界で生きていけなさそうな、あの緩みまくった面……はて、酒を飲んだ時の誰かさんにそっくりだな」
「俺の末の息子だ。あいつは俺ではなく、彼女に似ているんだ」
仲村渠は、茶化してくる友人の腹に軽く拳をれるふりをした。
そうしている間に、ベランダにもう一つ、影が増えた。
癖の入った白髪交じりの長い髪が風に煽られ、それを片方の手で押さえて、こちらを見降ろす女性の姿がある。
ハタと視線が交わった瞬間、仲村渠の口許が緩んだ。
胸に溢れてくる暖かい気持ちに、自分が泣きたいのか、笑いたいのか、分からないまま仲村渠は込み上げるままの、笑顔を顔に浮かべて手を振った。
別れて長い歳月を置いた妻も、仲村渠に向かって上品に手を振ってきた。
彼女はそれから、仲村渠の友人へも続いて微笑みかけると、あの頃と変わらぬ控えめな会釈を返した。
「ふふ、こちらへいらして」
「ああ、今、行くよ」
仲村渠は妻にそう答えると、茶化し言葉を言い始めた城間の腕を掴み、病院の中へとずんずん進んでいった。
了
共に心配していた友人の城間も、妻の見舞いを望んでおり、絶対に置いていくなよと再三強く言われたのだ。
城間は、学生時代の仲村渠の先輩である。
今回の件に関しては、元医師として手助けをしてくれたこともあり、いくら昔から時間にルーズな男であることを知っていても、仲村渠は『一緒に行くから、待ってろ!』という約束は拒めなかった。
実をいうと、仲村渠も、一人を心細く感じてもいた。
大病院の玄関前にある、駐車場へと行ける歩道の中腹に立ち尽くしたまま、仲村渠は時々首をあちらこちらへと向けて、城間の姿を探した。
待ち合わせの時間からは、すでに十五分が過ぎている。
「ふぅ……」
緊張を息で吐き出しながら視線を上げると、頭上には雲が多い青空があった。
例の現象が解決したあと、仲村渠は、城間と以前擦れ違ってしまった喫茶店でようやく顔を合わせることができた。
面白おかしく、をモットーに生きているような元医者の友人は、今回の件について話を聞きたがっていた。喫茶店にて仲村渠が長い話を行っている間、城間は「ふむふむ」と先生顔で頷き、珈琲を三杯とサンドイッチを胃に収めていた。
――けれど、謎は、謎。
結局は『奇妙な話だ』と落ち着いた。
『まあ、そういうことは、私にも経験が皆無という訳ではないからな。お前や、彼女の身に取り返しのつかない大変なことが起きなくて、よかったよ』
城間はある日、そう感想を締めていた。
仲村渠の話が順調に進んだ要因の一つには、城間が東風平のことを知っていた、という意外な接点がその日に明らかになったからだ。それはに城間自身もかなり驚いていた。
仲村渠は当初、名前を伏せて話し聞かせていたのだが、途中で城間が
『なぁ、それって東風平君のことじゃないか?』
なんて言ったのである。
仲村渠が『そうだ』と肯定すると、城間は『なるほどなぁ』と言い、もう納得しきりの顔で話を聞きに徹していた。
どうやら昔、城間は東風平という知人に世話になったそうだが、当時関わったらしい詳細については何も語らなかった。仲村渠も今回、説明するのもとても苦労する、いや難しくて結局友人にもうまく語れになかった件があったので、聞き出そうとはしなかった。
平日の病院には、出入りする人間が多かった。
午前中だから混んでいないと踏んでいたのだが、仲村渠の見当違いであったようだ。
表玄関の前には介護用の送迎バスが何度か停まり、外に設置されたベンチには入れ替わり立ち替わり人が座って空きがない。
今日は、初の見舞いということもあり、仲村渠は清楚に見える一番いいシャツと、皺のないスラックスのズボンを選んだつもりだった。しかし、自分の姿を今一度確認しても、落ち着かない気持ちになる。
緊張、というよりも、不安の方が大きいのだ。
末の息子には、見舞いの件について事前に連絡を取っていた。
何かあれば長男から手厳しい一報が入るはず……身構えていたのだが、なんの知らせもないまま当日が来てしまったのも、仲村渠をどぎきさせている。
(まさか病室に踏み込んだ瞬間に殴られるんじゃないだろうな……)
そんな不安ばかりが、仲村渠の脳裏を過ぎっていくのだ。
その時、城間が向こうから歩いてくるのが見えた。
背筋をシャンと伸ばした細身の男だ。白い頭髪はやや薄くなっているが、体脂肪はほとんどなく、背も高いままだ。
城間は今でも視力がしっかり残っているから、仲村渠の姿に気がつくと手を振って「おぉ~い」と笑顔をこぼした。仲村渠は、恥ずかしい奴めだ、と舌打ちしたくなったが、緊張で口が渇いてうまくできなかった。
「なんだ、妙な顔をして」
開口一番、城間は仲村渠の顔をまじまじと見てきた。
「他に言うことはないのか」
仲村渠が指摘すると、彼は「ふうむ」と首を捻り、それからポンと相槌を打った。
「ま、死に別れたわけじゃないんだ。まだまだ、これからたくさん話すこともできるだろう。だから、大丈夫だよ。変な顔をしなさんな」
――大丈夫。
その言葉にじんっときて、仲村渠は友人を見つめていた。
七年前、先に逝った妻を見送った男の心の底からの笑顔が、眩しかった。
後悔なく接してきたから、もう思い残す事はないのだと、あの時に語っていた城間の当時の言葉が今になって胸に沁みる。
「おぉーい。そこのお二人さんっ」
その時、既視感を覚える呼び声が、遠く頭上で聞こえた。
つられて、仲村渠と城間は、揃って顔を上げた。
そこにあったのは病棟のベランダだった。二人の頭一個分も小さい華奢な男がいて、目が合うとさらに「おおーい、おおーい」と子供のように手を振って合図してくる。
「おや、誰だろう?」
城間がとぼけたように首を傾げ、横目に仲村渠を見た。
「ふうむ。外の世界で生きていけなさそうな、あの緩みまくった面……はて、酒を飲んだ時の誰かさんにそっくりだな」
「俺の末の息子だ。あいつは俺ではなく、彼女に似ているんだ」
仲村渠は、茶化してくる友人の腹に軽く拳をれるふりをした。
そうしている間に、ベランダにもう一つ、影が増えた。
癖の入った白髪交じりの長い髪が風に煽られ、それを片方の手で押さえて、こちらを見降ろす女性の姿がある。
ハタと視線が交わった瞬間、仲村渠の口許が緩んだ。
胸に溢れてくる暖かい気持ちに、自分が泣きたいのか、笑いたいのか、分からないまま仲村渠は込み上げるままの、笑顔を顔に浮かべて手を振った。
別れて長い歳月を置いた妻も、仲村渠に向かって上品に手を振ってきた。
彼女はそれから、仲村渠の友人へも続いて微笑みかけると、あの頃と変わらぬ控えめな会釈を返した。
「ふふ、こちらへいらして」
「ああ、今、行くよ」
仲村渠は妻にそう答えると、茶化し言葉を言い始めた城間の腕を掴み、病院の中へとずんずん進んでいった。
了
0
お気に入りに追加
27
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
白状してはダメですか。僕は……さよならなんて、したくなかった
百門一新
現代文学
三十五歳の「僕」は、妻に七回目のプチ家出をされた同僚兼友人の泣き事を聞かされている。場所はいきつけの『居酒屋あっちゃん』。感情豊かで喜怒哀楽のたびにこちらを巻き込んでくる彼と、それに付き合う「僕」の話――。
※「小説家になろう」「カクヨム」等にも掲載しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
カラダから、はじまる。
佐倉 蘭
現代文学
世の中には、どんなに願っても、どんなに努力しても、絶対に実らない恋がある……
そんなこと、能天気にしあわせに浸っている、あの二人には、一生、わからないだろう……
わたしがこの世で唯一愛した男は——妹の夫になる。
※「あなたの運命の人に逢わせてあげます」「常務の愛娘の『田中さん』を探せ!」「もう一度、愛してくれないか」「政略結婚はせつない恋の予感⁉︎」「お見合いだけど、恋することからはじめよう」のネタバレを含みます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる