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彼は事件に幕を降ろす(3)
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連続バラバラ殺人事件の容疑者が捕まった、という報道が流れたのは、午後八時のことだった。真犯人とされたうえで『事件は解決しました』と伝える内容には、実際に捜査に関わった人間からすると、早急な判断のような違和感を覚えさせた。
名前や年齢、顔写真などの詳しい情報は一切あかされず、報道時間もかなり短かった。ニュース番組は、殺人現場の詳しい様子を報道することもなく、特集が組まれて世間を騒ぎ立てる様子もなく、サラリと述べられるだけに終わった。そして午後九時になると、すみやかにドラマ番組へと切り替わっていった。
捜査一課には別件の仕事に戻ったメンバーもあり、ほとんどの席が空いて物寂しさが広がっていた。捜査本部室から戻ってきたホワイトボードの前で、書類作業に残った数人の捜査員たちが、電話番をしながら現在も作業を続けている。
そんな中、真由は先に業務を終えて、二階フロアの廊下にある、自動販売機の横のベンチで缶コーヒーを飲んでいた。
スカートから覗く、ぴたりとつけられた膝の上には、傷の入った桃色の携帯電話が置かれている。その脇には、ベンチに沿った壁に寄り掛けるようにして、荷物の入った手持ちタイプの小振りな鞄があった。
人が歩いてくる音を聞いて、ふっとそちらに顔を向けた。ようやく戻ってきた藤堂の姿を見て、つい小さく苦笑をこぼした。
「お疲れ様です、藤堂さん」
そう声を掛けると、彼からも「お疲れ様、橋端さん」と疲労が滲むような声で返答があった。仕事を終えたのは数十分前だったが、彼女は小楠と共に智久を連れていった藤堂を、こうして待っていたのである。
時刻はすでに、午後の九時を過ぎてしまっていた。藤堂が自動販売機にお金を入れ、点灯したボタンの一つを押した。
がこん、と音がして、彼が膝を折る様子を眺めていた真由は、携帯電話へ視線を戻した。鳴らぬ携帯電話には、メールの一つも入りはしない。
「宮橋さんからの電話でも、待っているんですか?」
言いながら、藤堂が隣に腰を降ろしてきた。図星だった真由は、けれど言い訳も出来ずに「うん」と答えて、ぎこちなく笑い返していた。
初対面をした時に、小楠に言われて、お互いの電話番号とメールアドレスは交換していた。けれど、一度もやりとりはないままだった。
「宮橋さん、病院に行ったって三鬼さんからは聞いたんですけど、その後、どうなったのかなぁって……」
「うーん。あの人、署で一番自由な人だからなぁ。多分、連絡はないと思いますよ」
言いながら。彼が缶コーヒーを開けた。
今日一日を過ごしてみた中で、恐らくはそうなんじゃないかなとは推測していた。その返答を聞いて、やっぱりそうかなぁと思うものの、連絡がきて欲しいなとも感じてしまう。
「あの、智久君は……?」
真由は、もやもやとした気持ちを抑えて、話を訊こうとしてずっと待っていた藤堂に尋ねた。珈琲を少し口にした彼が、複雑そうな表情を浮かべて廊下に視線を落とす。
「奥の部屋に案内したんですけど、今後の流れの説明を受けている間も、とても落ち着いていました。ハンバーグをありがとうございましたって、お礼を言って」
少し言葉が続かない様子で、藤堂が廊下の奥へと視線を流し向ける。
真由は、手元の缶コーヒーを見下ろして、意味もなく指先で水滴を拭った。数時間前のことを思い出して、口を開いた。
「ハンバーグ、美味しそうに食べていましたね。宮橋さんに言われていたのに、私、うっかり確認するみたいに尋ねてしまって、ごめんなさい……」
「まぁ、ちょっと驚きました。でも、橋端さんが尋ねていなかったら、俺だって確認していたかもしれません。とても、殺人犯には見えなくて」
同じことを思い返すような表情で、藤堂は言った。
「ほんとに、驚いてしまいました。橋端さんが質問したのもそうでしたけど、料理を待っていた智久君が、当たり前のように俺らを見つめ返して『僕がこの殺人事件の実行犯ですよ』って、真っ直ぐ言われたのがショックでもあった、と言うか……小楠警部が、明日話しを聞けば分かるだろうって、さっきも言っていました」
そう話を締めた彼が、ベンチの背に身体を預けた。大きく息を吐き出し、壁に後頭部をつけて天井を見上げる。
真由も身体から力を抜いて、尻の位置を楽にした。自然と開きそうになった足をどうにか踏みとどめてから、ふうっと息を吐く。ファミリーレストランでそう告げた智久の表情と目は、一つも嘘偽りがないのだと感じさせるもので、けれどそれが上手く受け止められないでいた。
「なんだか俺、短期間にいろんなことがあって、ちょっとしんどかったです」
「私もです。……三鬼さんがまだ走り回っているのが、信じられないです」
「あ~……先輩って結構、仕事熱心で体力の底を知らない感じもあるんでよ。俺も後少しやる事があるから、多分、それが終わるまでには戻ってくるかなとは思いますが」
ふっと、二人の間に沈黙が続いた。昼間が連続殺人事件で騒ぎになっていたせいか、夜の署内がやけに静かに感じてしまう。
「そういえば、私こっちに戻ってきた時に『宮橋さんが話すから大丈夫だよ』って言われたんですけど、あれってどういう意味なんですか?」
「ああ。宮橋さん絡みだと、いつもそうなんですよ。一番事件を理解して動いている人だからだとは思いますけど、詳細については、あの人が上にまとめて報告して、終わらせているみたいな感じなんです」
藤堂は、つらつらと言葉を続ける。
「結論と結果は語るけど、その間の解説がないタイプの人というか。先輩達は誰も突っ込まないし、上手く説明出来そうにないところも、しばらくすると勘違いにも思えてきて自分の中で『解決した事件だから』って整理がつくんですよね」
宮橋と捜査していた詳細部分を語ろうとすると、ふっと説明が難しいところがあると気付かされる。けれど、それは細々と所々にちりばめられているようにして、事件の大きな進展の強い印象でぼやけてもしまう気がする。
こうして事件のスピード解決から数時間経った今、捜査の合間に自分がどこで疑問を覚えて、何を不思議になったのかについては、細かくて小さいそれが続いていて、もう一体なんであったのか記憶がおぼろげだ。
一緒に事情聴取もしたはずなのに、智久の祖母と過ごした時間も、なんだか大部分がすっぽりと抜け落ちてしまっているようにも感じる。
真由は、犯人が自分一人であると口にしていた智久を思い返して、少し珈琲を飲んだ。隣で缶コーヒーを一気に飲みほした藤堂が、立ち上がって自動販売機横にあったゴミ箱に入れてふと、思い出したように「そういえば」と言った。
「銃を撃った時の宮橋さん、すごかったですね。僕はよく見えなかったんですけど、放り投げた何かに、いくつかの銃弾を命中させていましたよ」
「確か、携帯電話だったんじゃないでしょうか――ん? あれって保護した少年の私物ですけど、大丈夫なんですかね? というか、私てっきり飛んでくる部品でも撃っていたのかと思っていました」
どうして発砲したんだろう、というのも疑問の一つだったと思い出した。
そもそも車が突っ込んできて、偶然にも事故が起こってしまった方も大変驚かされた。どうして彼があの場に、一旦マサル少年を連れて行ったのかも、今更ながら思い返すと謎であると気付く。
あれ? そういえば宮橋さん、確か無人のパトカーを用意しておけって、行動を開始する前に指示を出していたような――
「すごい早撃ちでした。俺、あの人がピストルを抜くのを見たのは、初めてだったんですけど、あんなに上手いとは思わなかったなぁ」
掘り返してみると、説明されていない部分の謎が連なって出てきたけれど、ベンチに座り直す藤堂の声が聞こえて、真由の思考はそこで途切れてしまった。膝の上に置いたままの、何も連絡がこない携帯電話の方が気になっていた。
「彼は、うちで一番の使い手だからな」
その時、腹に響くテノールの声が上がった。廊下の角から曲がってやってきたのは小楠で、藤堂が座り直したベンチからすぐに身を起こして「お疲れ様です」と、立ち上がりざま生真面目に挨拶した。
真由も『小楠のおじさん』を労うように、彼の後に続いて立ち上がり、声を掛けた。
「お疲れ様です、小楠警部」
「ああ、異動早々に御苦労だった、真由君。すっかり残業になってしまったな」
小楠は小さく笑ったが、その目元には疲労が浮かんでいるように見えた。
「今日は、もうゆっくり休んだほうがいいと思いますけれど、まだ帰れない感じなんですか?」
「まぁ、今日中にやっておかなければならんことが、他にもあるからな」
真由がちょっと心配になって尋ねると、小楠は上司の顔に、少し親しみを滲ませてそう言った。勤務中は態度に出すまいと思っていても、気が緩んでつい友人の娘を気にかけてしまう。
ふと、真由は朝にもらった指示を思い出して「あ」と声を上げた。足元に視線を向けて、記憶を手繰り寄せる。
「そういえば私、『一人にするな』と言われていたのに、ずっとは宮橋さんについていられなかったな……」
「『相棒として』ということであれば、常に傍についているだけじゃないから大丈夫ですよ。先輩たちが、一番効率よく動けるようにサポートするのも大事です」
二年先輩として藤堂が教えると、小楠が「その通りだ、真由君は十分にやってくれたと思う」と相槌を打った。
「ただ、あいつはすぐに抜けてしまったからな。パートナーの件については、少し話を聞きたかったんだが…………」
その悩ましげな独白を聞いて、真由はたびたび考えていた不安が込み上げた。宮橋自身が相棒を持つことには否定的で、組まされても長続きしなかったという話は覚えている。実のところ、彼と別れてからそちらの心配が新たに浮上していた。
役に立ちたいと感じたばかりだ。戦力外通告のようにクビを言い渡されて、相棒でいられなくなったらと想像すると胸が苦しくなる。
「小楠警部、組まされた翌日に、パートナーを解消させられた人もいるんですか……?」
つい、真由は尋ねてしまっていた。
こちらを見た小楠が、難しそうな表情を浮かべて黙り込む。その様子には、あったらしい事が察せられた。続いてチラリと藤堂に目を向けてみると、「俺が見た中では、三日とかだったような?」と首を捻り、記憶は定かではないようだった。
すると小楠が、そこで深い溜息を吐いた。
「白状すると、当日で提案を蹴られるのがだいたいだ。それもあって『L事件特別捜査係』では、新人はまず仮の所属という扱いになっている」
「ということは、私も実際は、正式に配属が決まっている状態ではないんですか?」
「その通りだ。配属決定の条件として、宮橋の意思確認が必要でな」
だというのにあいつは、と小楠が眉間に出来た皺を指で解す。普段であれば、組まされた当日内に何かしら反応を伝えられて予測も立つらしい。しかし、今回はそれがないから分からないのだと、真由は彼の独り言で知った。
一旦解散の運びとなった真由は、朝一番に出勤したら一緒に智久のもとへ顔を出してみよう、と藤堂と約束して署を出た。
乗り慣れた軽自動車でアパートへ向かいながら、黄色いスポーツカーが見えたりしないだろうか、と探してしまった。見かけることはないだろうと分かっていたのに、そのままアパートに到着して、勝手に落胆を覚えた。
シャワーを浴びて身体の汗や埃を流しても、普段のように「まずは仕事帰りの一本のビール!」という気分にはなれなかった。上下の下着に白いシャツをはおったまま、部屋に満たした冷房の心地良さに、しばらく身体の熱をさましていた。
コンビニで見付けた限定アイスを食べて、そのままベッドに横になった。ふと、交番課の友人に感想を聞かれた時の答えが無いことに気づいて、味わう事もなくぼんやりと食べてしまったみたいだ、と察した。
「勿体ないことしたかな。……多分、疲れているのよね」
勤務初日の早々だったもの、と真由は一人呟いて、ふかふかのシーツに顔を押し付けた。こうしていると、一番安心出来る。
ひどく疲れているのに、枕の横にある携帯電話の存在が気になって、つい顔を上げてしまっていた。――あの人、今頃何をしているんだろう。傷の手当てをしてもらって、さぞ豪勢で高い家賃のマンションでくつろいでいるのかなあ。
「…………相棒なんだし、連絡の一つくらい寄こしてよ」
思わず携帯電話を引き寄せて愚痴った。勤務時間外ということを考えたら、自分から電話を掛ける勇気も出なくて、いつの間にか、真由は携帯電話を握りしめて眠りに落ちていた。
名前や年齢、顔写真などの詳しい情報は一切あかされず、報道時間もかなり短かった。ニュース番組は、殺人現場の詳しい様子を報道することもなく、特集が組まれて世間を騒ぎ立てる様子もなく、サラリと述べられるだけに終わった。そして午後九時になると、すみやかにドラマ番組へと切り替わっていった。
捜査一課には別件の仕事に戻ったメンバーもあり、ほとんどの席が空いて物寂しさが広がっていた。捜査本部室から戻ってきたホワイトボードの前で、書類作業に残った数人の捜査員たちが、電話番をしながら現在も作業を続けている。
そんな中、真由は先に業務を終えて、二階フロアの廊下にある、自動販売機の横のベンチで缶コーヒーを飲んでいた。
スカートから覗く、ぴたりとつけられた膝の上には、傷の入った桃色の携帯電話が置かれている。その脇には、ベンチに沿った壁に寄り掛けるようにして、荷物の入った手持ちタイプの小振りな鞄があった。
人が歩いてくる音を聞いて、ふっとそちらに顔を向けた。ようやく戻ってきた藤堂の姿を見て、つい小さく苦笑をこぼした。
「お疲れ様です、藤堂さん」
そう声を掛けると、彼からも「お疲れ様、橋端さん」と疲労が滲むような声で返答があった。仕事を終えたのは数十分前だったが、彼女は小楠と共に智久を連れていった藤堂を、こうして待っていたのである。
時刻はすでに、午後の九時を過ぎてしまっていた。藤堂が自動販売機にお金を入れ、点灯したボタンの一つを押した。
がこん、と音がして、彼が膝を折る様子を眺めていた真由は、携帯電話へ視線を戻した。鳴らぬ携帯電話には、メールの一つも入りはしない。
「宮橋さんからの電話でも、待っているんですか?」
言いながら、藤堂が隣に腰を降ろしてきた。図星だった真由は、けれど言い訳も出来ずに「うん」と答えて、ぎこちなく笑い返していた。
初対面をした時に、小楠に言われて、お互いの電話番号とメールアドレスは交換していた。けれど、一度もやりとりはないままだった。
「宮橋さん、病院に行ったって三鬼さんからは聞いたんですけど、その後、どうなったのかなぁって……」
「うーん。あの人、署で一番自由な人だからなぁ。多分、連絡はないと思いますよ」
言いながら。彼が缶コーヒーを開けた。
今日一日を過ごしてみた中で、恐らくはそうなんじゃないかなとは推測していた。その返答を聞いて、やっぱりそうかなぁと思うものの、連絡がきて欲しいなとも感じてしまう。
「あの、智久君は……?」
真由は、もやもやとした気持ちを抑えて、話を訊こうとしてずっと待っていた藤堂に尋ねた。珈琲を少し口にした彼が、複雑そうな表情を浮かべて廊下に視線を落とす。
「奥の部屋に案内したんですけど、今後の流れの説明を受けている間も、とても落ち着いていました。ハンバーグをありがとうございましたって、お礼を言って」
少し言葉が続かない様子で、藤堂が廊下の奥へと視線を流し向ける。
真由は、手元の缶コーヒーを見下ろして、意味もなく指先で水滴を拭った。数時間前のことを思い出して、口を開いた。
「ハンバーグ、美味しそうに食べていましたね。宮橋さんに言われていたのに、私、うっかり確認するみたいに尋ねてしまって、ごめんなさい……」
「まぁ、ちょっと驚きました。でも、橋端さんが尋ねていなかったら、俺だって確認していたかもしれません。とても、殺人犯には見えなくて」
同じことを思い返すような表情で、藤堂は言った。
「ほんとに、驚いてしまいました。橋端さんが質問したのもそうでしたけど、料理を待っていた智久君が、当たり前のように俺らを見つめ返して『僕がこの殺人事件の実行犯ですよ』って、真っ直ぐ言われたのがショックでもあった、と言うか……小楠警部が、明日話しを聞けば分かるだろうって、さっきも言っていました」
そう話を締めた彼が、ベンチの背に身体を預けた。大きく息を吐き出し、壁に後頭部をつけて天井を見上げる。
真由も身体から力を抜いて、尻の位置を楽にした。自然と開きそうになった足をどうにか踏みとどめてから、ふうっと息を吐く。ファミリーレストランでそう告げた智久の表情と目は、一つも嘘偽りがないのだと感じさせるもので、けれどそれが上手く受け止められないでいた。
「なんだか俺、短期間にいろんなことがあって、ちょっとしんどかったです」
「私もです。……三鬼さんがまだ走り回っているのが、信じられないです」
「あ~……先輩って結構、仕事熱心で体力の底を知らない感じもあるんでよ。俺も後少しやる事があるから、多分、それが終わるまでには戻ってくるかなとは思いますが」
ふっと、二人の間に沈黙が続いた。昼間が連続殺人事件で騒ぎになっていたせいか、夜の署内がやけに静かに感じてしまう。
「そういえば、私こっちに戻ってきた時に『宮橋さんが話すから大丈夫だよ』って言われたんですけど、あれってどういう意味なんですか?」
「ああ。宮橋さん絡みだと、いつもそうなんですよ。一番事件を理解して動いている人だからだとは思いますけど、詳細については、あの人が上にまとめて報告して、終わらせているみたいな感じなんです」
藤堂は、つらつらと言葉を続ける。
「結論と結果は語るけど、その間の解説がないタイプの人というか。先輩達は誰も突っ込まないし、上手く説明出来そうにないところも、しばらくすると勘違いにも思えてきて自分の中で『解決した事件だから』って整理がつくんですよね」
宮橋と捜査していた詳細部分を語ろうとすると、ふっと説明が難しいところがあると気付かされる。けれど、それは細々と所々にちりばめられているようにして、事件の大きな進展の強い印象でぼやけてもしまう気がする。
こうして事件のスピード解決から数時間経った今、捜査の合間に自分がどこで疑問を覚えて、何を不思議になったのかについては、細かくて小さいそれが続いていて、もう一体なんであったのか記憶がおぼろげだ。
一緒に事情聴取もしたはずなのに、智久の祖母と過ごした時間も、なんだか大部分がすっぽりと抜け落ちてしまっているようにも感じる。
真由は、犯人が自分一人であると口にしていた智久を思い返して、少し珈琲を飲んだ。隣で缶コーヒーを一気に飲みほした藤堂が、立ち上がって自動販売機横にあったゴミ箱に入れてふと、思い出したように「そういえば」と言った。
「銃を撃った時の宮橋さん、すごかったですね。僕はよく見えなかったんですけど、放り投げた何かに、いくつかの銃弾を命中させていましたよ」
「確か、携帯電話だったんじゃないでしょうか――ん? あれって保護した少年の私物ですけど、大丈夫なんですかね? というか、私てっきり飛んでくる部品でも撃っていたのかと思っていました」
どうして発砲したんだろう、というのも疑問の一つだったと思い出した。
そもそも車が突っ込んできて、偶然にも事故が起こってしまった方も大変驚かされた。どうして彼があの場に、一旦マサル少年を連れて行ったのかも、今更ながら思い返すと謎であると気付く。
あれ? そういえば宮橋さん、確か無人のパトカーを用意しておけって、行動を開始する前に指示を出していたような――
「すごい早撃ちでした。俺、あの人がピストルを抜くのを見たのは、初めてだったんですけど、あんなに上手いとは思わなかったなぁ」
掘り返してみると、説明されていない部分の謎が連なって出てきたけれど、ベンチに座り直す藤堂の声が聞こえて、真由の思考はそこで途切れてしまった。膝の上に置いたままの、何も連絡がこない携帯電話の方が気になっていた。
「彼は、うちで一番の使い手だからな」
その時、腹に響くテノールの声が上がった。廊下の角から曲がってやってきたのは小楠で、藤堂が座り直したベンチからすぐに身を起こして「お疲れ様です」と、立ち上がりざま生真面目に挨拶した。
真由も『小楠のおじさん』を労うように、彼の後に続いて立ち上がり、声を掛けた。
「お疲れ様です、小楠警部」
「ああ、異動早々に御苦労だった、真由君。すっかり残業になってしまったな」
小楠は小さく笑ったが、その目元には疲労が浮かんでいるように見えた。
「今日は、もうゆっくり休んだほうがいいと思いますけれど、まだ帰れない感じなんですか?」
「まぁ、今日中にやっておかなければならんことが、他にもあるからな」
真由がちょっと心配になって尋ねると、小楠は上司の顔に、少し親しみを滲ませてそう言った。勤務中は態度に出すまいと思っていても、気が緩んでつい友人の娘を気にかけてしまう。
ふと、真由は朝にもらった指示を思い出して「あ」と声を上げた。足元に視線を向けて、記憶を手繰り寄せる。
「そういえば私、『一人にするな』と言われていたのに、ずっとは宮橋さんについていられなかったな……」
「『相棒として』ということであれば、常に傍についているだけじゃないから大丈夫ですよ。先輩たちが、一番効率よく動けるようにサポートするのも大事です」
二年先輩として藤堂が教えると、小楠が「その通りだ、真由君は十分にやってくれたと思う」と相槌を打った。
「ただ、あいつはすぐに抜けてしまったからな。パートナーの件については、少し話を聞きたかったんだが…………」
その悩ましげな独白を聞いて、真由はたびたび考えていた不安が込み上げた。宮橋自身が相棒を持つことには否定的で、組まされても長続きしなかったという話は覚えている。実のところ、彼と別れてからそちらの心配が新たに浮上していた。
役に立ちたいと感じたばかりだ。戦力外通告のようにクビを言い渡されて、相棒でいられなくなったらと想像すると胸が苦しくなる。
「小楠警部、組まされた翌日に、パートナーを解消させられた人もいるんですか……?」
つい、真由は尋ねてしまっていた。
こちらを見た小楠が、難しそうな表情を浮かべて黙り込む。その様子には、あったらしい事が察せられた。続いてチラリと藤堂に目を向けてみると、「俺が見た中では、三日とかだったような?」と首を捻り、記憶は定かではないようだった。
すると小楠が、そこで深い溜息を吐いた。
「白状すると、当日で提案を蹴られるのがだいたいだ。それもあって『L事件特別捜査係』では、新人はまず仮の所属という扱いになっている」
「ということは、私も実際は、正式に配属が決まっている状態ではないんですか?」
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だというのにあいつは、と小楠が眉間に出来た皺を指で解す。普段であれば、組まされた当日内に何かしら反応を伝えられて予測も立つらしい。しかし、今回はそれがないから分からないのだと、真由は彼の独り言で知った。
一旦解散の運びとなった真由は、朝一番に出勤したら一緒に智久のもとへ顔を出してみよう、と藤堂と約束して署を出た。
乗り慣れた軽自動車でアパートへ向かいながら、黄色いスポーツカーが見えたりしないだろうか、と探してしまった。見かけることはないだろうと分かっていたのに、そのままアパートに到着して、勝手に落胆を覚えた。
シャワーを浴びて身体の汗や埃を流しても、普段のように「まずは仕事帰りの一本のビール!」という気分にはなれなかった。上下の下着に白いシャツをはおったまま、部屋に満たした冷房の心地良さに、しばらく身体の熱をさましていた。
コンビニで見付けた限定アイスを食べて、そのままベッドに横になった。ふと、交番課の友人に感想を聞かれた時の答えが無いことに気づいて、味わう事もなくぼんやりと食べてしまったみたいだ、と察した。
「勿体ないことしたかな。……多分、疲れているのよね」
勤務初日の早々だったもの、と真由は一人呟いて、ふかふかのシーツに顔を押し付けた。こうしていると、一番安心出来る。
ひどく疲れているのに、枕の横にある携帯電話の存在が気になって、つい顔を上げてしまっていた。――あの人、今頃何をしているんだろう。傷の手当てをしてもらって、さぞ豪勢で高い家賃のマンションでくつろいでいるのかなあ。
「…………相棒なんだし、連絡の一つくらい寄こしてよ」
思わず携帯電話を引き寄せて愚痴った。勤務時間外ということを考えたら、自分から電話を掛ける勇気も出なくて、いつの間にか、真由は携帯電話を握りしめて眠りに落ちていた。
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