上 下
23 / 28

彼は事件に幕を降ろす(1)上

しおりを挟む
 マサルを引き連れた宮橋が、足早に先頭を進んでいる。そのニメートル後方を、三鬼、藤堂、真由は歩いていた。

 先程、藤堂がマサル少年を連れてきてから、詳しいことは聞かされないまま「行くぞ」と少年の腕を取った彼に促されて、真由たちは、こうして宮橋の後ろをついていっていた。
 空には、平たい雲が浮かんでおり、やや深みを帯びた日差しに照らし出されている。気の早い店には、ぽつりぽつり明かりが灯り始めていた。

 宮橋は足が長いため、普段からでも歩くのがかなり速い。藤堂の横で、真由は早足で前に進んでいた。少し前を歩ている三鬼は、宮橋とほぼ同じぐらいの背丈があるので、肉付きの悪い細身の足を無理もせず前後に繰り出している。

 マサルは腕を引かれつつも、時々力の入らない足をもつれさせていた。その度に、宮橋が目もくれずに彼を引き上げる。

 車の進入が一部制限されてしまっているのも影響してか、それとも表側の事故が注目を集めている効果か、歩道を歩いている通行人は、普段の半分ほどもなかった。宮橋は黙ったまま、通行人が少なくなった歩道を進む。

「事故ですって、怖いわねぇ」
「近くで殺人事件もあったみたいだし、本当に物騒よねぇ」

 途中、買い物袋を持った中年の女性たちと擦れ違った。

 とくに視線も向けない宮橋の後ろで、藤堂が女性たちを目で追って「なんだか、呑気な調子の会話ですねぇ」と呟く。すると、三鬼が憮然としてこう言った。

「事故があったから警察関係者が多い、としか思ってねぇんだろ。まさに、その殺人事件の捜査真っ最中なんだけどな」
「まぁそうでしょうね。ところで三鬼さん、宮橋さんは一体何をしようとしているんですかね? なんか背中から、すごい緊迫した空気が溢れているような気がするんですけど……」
「ありゃ、穏便にガキを迎えに行くって雰囲気じゃねぇな」

 真由は、付き合いが長いという彼に、どういう意味ですか、と尋ねようとした。しかし、それよりも先に、宮橋がシャッターの降りた宝石店の前で立ち止まって、こちらを振り返っていた。

「これから起こる数分間は、なかったことになる。報告の義務はない。君達は、『ここで立ち止まったりしなかった、今も僕と一緒に容疑者を迎えに行っている最中』なんだ」
「ふうん? つまりまたあれか、俺らが説明出来ねぇようなことで、そのうえ、お前も質問には答えねぇ類(たぐい)のやつってわけだ?」

 三鬼は慣れたように、けれど『相変わらず忌々しい奴だな』とでも言うような顰め面で口にした。藤堂と真由は、困惑した表情で互を見合う。

 宮橋は何も答えなかった。ふと、マサルの腕を右手で掴んだまま、腕時計へと視線を滑らせる。それを見た三鬼の眉が、途端にピクリとはねた。

「さっきから、やけに時間を気にしているじゃねぇか」
「そんなことはないさ」

 宮橋は腕を降ろすと、俯くマサルを横目に留め、それから三鬼に視線を戻してこう続けた。

「いいか、君たちが守るのは、この少年だ。そして自分の身だ。――僕が合図を出したら、彼を保護しろ」

 三人に質問を許さず、宮橋はマサルを引き連れて道を左折した。

 チッと舌打ちして、三鬼が「おい待て!」と走り出した。真由も慌てて駆け出し、すぐに藤堂も続いたが、同じように左の道に入った瞬間、宮橋の鋭い声が上がっていた。


「そこで止まれ!」


 その制止の声を聞いた途端、先頭にいた三鬼が、咄嗟に手を横に伸ばして足を踏ん張って急停止した。遅れて道を曲がった真由と藤堂が、その腕に突っ込んで「いたぁ!?」「いてっ」と強制的に足が止まる。

 この道は、上下に並んで走る国道と、サンサンビルの大通りを繋ぐ抜け道の一つだった。移動時間短縮のためよく使われていて、普段からギリギリの間隔だろうと車が通る小道にもなっている。

 けれどどうしてか、真由たちが踏み込んだ時、その道は人の気配が一切なくなってしまっていた。二台の古びた自転車が、建物の脇に停めてあるだけだ。建物の換気扇が建物の側面についており、下へと伸びたパイプの先からは、水が滴っている。

 日中のむわっとした強い熱気が立ち込めたままの通りに、三鬼が思わず顔を歪めた。数十メートル先に見える大通りには、一定の間隔を開けた車が普段通り走っていく様子が見えていて、そちらの排気ガスを乗せた熱風がここに流れ込んできているのだ。

 真由は、三鬼の腕にぶつけてしまった顎先を撫でながら、五メートルほど先に離れて立っている宮橋へと目を向けた。ガタガタと震えていたマサルが、ふと堰を切ったみたいに「嫌だッ」と唐突に泣きじゃくって暴れ出し、びっくりしてしまう。

 マサルは、今すぐにでも逃げ出したい様子で、彼の大きな手から逃れようとしていた。それでも、宮橋の拘束はびくともしない。

「嫌だ! 俺は死にたくない! 離せよ!」
「僕の邪魔をしなければ、君は死なない。自身でも感じているように、次のターゲットは君だ」

 ひどく落ち着いた声が、威圧感を持って低く発せられ、マサルがビクリとして咄嗟のように口をつぐんで宮橋を見た。

「あ、あんた、一体何を知って――」
「時間がないから、無駄な質問は一切受け付けない。今言えることは、筒地山亮が電車で追っ手を振りきったように、現在保護されている他の少年たちも、署までの道のりの移動を続けていれば、君が殺されるまでは安全だということだ」

 宮橋は彼の腕を掴んだまま、「何せ僕らが歩きだしてもずっと、ヤツの目は君に向いているからね」と続ける。

「わざわざ条件の揃ったこの場所まできたんだ、そこにターゲットである君がいるのなら、ヤツは間違いなく出てくるよ」
「おい宮橋! 次のターゲットがそいつで、だからここに連れて来たって一体どういうことだ!?」

 聞いてないぞ、と三鬼が怒鳴る。しかし、宮橋は振り返らなかった。彼は正面奥の、国道が走る出口を見据える。

「――いいか、三鬼。君たちは今、いない存在なんだ。だから何があっても、たとえどんなことが起こったとしても、絶対にそこから動くな。そうすれば、ヤツからは見えない」

 宮橋は一度、肩越しに私情の読めない瞳をこちらへと向けた。薄暗ささえ覚える視界で、明るい茶色の瞳が、やけに浮き上がって見える。

「君たちは、自分の身と、マサル少年を守るんだぞ」

 再度そう言うと、宮橋は前方へと向き直ってしまう。

 不意に、鼓膜が低く振動するような違和感が起こった。気圧の変動のように耳が半詰まりする。真由は顔を顰め、三鬼と藤堂と揃って、耳に生じた異変を拭おうと唾を飲み込んだ。

 マサルが、ヒュっと喉を鳴らして泣き止んだ。彼は、ようやく手を離してくれたた宮橋の背中に回って、スーツのジャケットを掴む。

「そうだ、そこにいろ、マサル少年。死にたくはないだろう?」

 宮橋は、横目に彼を捉えて呟いた。マサルが首を上下に振った時――ブツリと電源が落ちるような音が一同の耳元で上がり、見えないフィルターに遮断されたかのように、外界の音がかき消えた。

 ブーンっと、強い耳鳴りが頭の芯を揺さぶった。真由は一瞬、重心がふやふやになってくらりとした。

 吐き気を起こす異常なその耳鳴りは、一瞬だった。気付いたら、ぱしりと腕を掴まれていた。

 目を向けると、片手で頭を押さえた藤堂が、「大丈夫ですか」と声を掛けてきた。真由がなんとか頷き返して見せると、三鬼がひとまず安全を取るように表情を歪めたまま手で指示し、藤堂が彼の後ろへと誘導する。


 風は、ぴたりと止んでいた。

 冷たい空気が身体に触れる。汗が吹き飛ぶような冷気を足元に感じるにも拘わらず、湿ったねっとりとした気配が上半身を絡みとって、額に嫌な汗をかいた。


 宮橋が、向こうを見据えたまま、緊張した顔に強がるような笑みを浮かべた。

「残念だったな。ここには『予定外の客』がいて、お前が完全には飲み込めない領域になっている。さっきみたいに具現化するしかないぞ、さぁ、どうする?」
「お前、何を言って――」

 三鬼がそう声を上げかけた時、真由は唐突に、聴覚が戻ったのを感じた。

 不意に耳鳴りが、国道側から流れてくる車の走行音に変わっていた。今まで止まっていたかのように、唐突に熱風に顔を打たれて「うわっ」とびっくりしたら、隣で藤堂が同じようにして、一瞬だけ反射的に目を瞑った。

 その時、どこからか、タイヤが滑るような甲高い音が響き渡ってきた。

 音の原因を探ろうと息を殺した三鬼が、その一瞬後、あることに気づいて「宮橋!」と叫んだ時には、ブレーキの悲鳴音が、建物に挟まれたこの通路に反響していた。

 一台の白い乗用車が、猛スピードで国道から折れてこちらに飛び込んできた。開いた運転席の扉が壁にぶち当たり、破壊音を上げて吹き飛ぶのを見て、真由は藤堂と揃って息ぴったりに「うぎゃあああ!?」と、なんとも色気のない悲鳴を上げた。
 その暴走車は、前輪をこちらに向けた状態で、コンマ数秒遅れで後輪を滑らせて、完全にこちらへと進行方向を定めた。ブレーキレバーを引いたままエンジンを吹かせた動きだったが、その車の運転席には――誰も座っていなかった。

「嘘だろッ」

 視認した三鬼の驚愕よりも早く、車はアクセルをいっぱいに踏み込んだまま、その直後にはブレーキを外していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

推理のスタートは『スタート』

天野純一
ミステリー
被害者の茅森美智代が遺した謎のダイイングメッセージ。彼女は近くにあった“カタカナパネル”というオモチャの中から、『ス』と『タ』と『ー』と『ト』だけを拾って脇に抱えていた。 『スタート』の4文字に始まり、すべてが繋がると浮かび上がる恐るべき犯人とは!? 原警部の鋭いロジックが光る本格ミステリ!

月明かりの儀式

葉羽
ミステリー
神藤葉羽と望月彩由美は、幼馴染でありながら、ある日、神秘的な洋館の探検に挑むことに決めた。洋館には、過去の住人たちの悲劇が秘められており、特に「月明かりの間」と呼ばれる部屋には不気味な伝説があった。二人はその場所で、古い肖像画や日記を通じて、禁断の儀式とそれに伴う呪いの存在を知る。 儀式を再現することで過去の住人たちを解放できるかもしれないと考えた葉羽は、仲間の彩由美と共に儀式を行うことを決意する。しかし、儀式の最中に影たちが現れ、彼らは過去の記憶を映し出しながら、真実を求めて叫ぶ。過去の住人たちの苦しみと後悔が明らかになる中、二人はその思いを受け止め、解放を目指す。 果たして、葉羽と彩由美は過去の悲劇を乗り越え、住人たちを解放することができるのか。そして、彼ら自身の運命はどうなるのか。月明かりの下で繰り広げられる、謎と感動の物語が展開されていく。

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

密室島の輪舞曲

葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。 洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。

【完結】縁因-えんいんー 第7回ホラー・ミステリー大賞奨励賞受賞

衿乃 光希
ミステリー
高校で、女子高生二人による殺人未遂事件が発生。 子供を亡くし、自宅療養中だった週刊誌の記者芙季子は、真相と動機に惹かれ仕事復帰する。 二人が抱える問題。親が抱える問題。芙季子と夫との問題。 たくさんの問題を抱えながら、それでも生きていく。 実際にある地名・職業・業界をモデルにさせて頂いておりますが、フィクションです。 R-15は念のためです。 第7回ホラー・ミステリー大賞にて9位で終了、奨励賞を頂きました。 皆さま、ありがとうございました。

蒼緋蔵家の番犬 2~実家編~

百門一新
ミステリー
異常な戦闘能力を持つエージェントナンバー4の雪弥は、任務を終えたら今度は実家「蒼緋蔵家」に帰省しなければならなくなる。 そこで待っていたのは美貌で顰め面の兄と執事、そして――そこで起こる新たな事件(惨劇)。動き出している「特殊筋」の者達との邂逅、そして「蒼緋蔵家」と「番犬」と呼ばれる存在の秘密も実家には眠っているようで……。 ※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。

処理中です...