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消えた五人目(3)

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 宮橋と三鬼が大型トラックの向こうに視えなくなって、約十五分が過ぎようとしている。真由は壁際に背中を預けて、傷の付いた自分の携帯電話を見つめていた。

 手にすっぽりと収まったそれは、大きな外傷はないものの、表面にある桃色のコーティングが剥がれてしまっていた。凹んで歪な鉄の塊となってしまった軽自動車には、持ち主を含める関係者たちが集まっている。

 先程までここにいた田中と竹内は、ほんの数分前に救急車で運び出されていた。真由は彼らとろくに話も出来ないまま見送り、その隣には同じように脱力して、半ば放心している藤堂の姿もあった。

「先輩たち、どこに行ったんですかねぇ」
「うん…………」

 藤堂の何気ない呟きに、真由は心ない返事を上げた。

 通りには、様々な人が入り乱れている状況だった。交通に関しては、先程より流れはスムーズになっている。

 状況を一旦把握し終えたためか、応援に駆け付けた救急車やパトカーのサイレンは鳴り止み、赤いランプだけがクルクルと回っていた。トラックの事故で火が上がらなくて良かったよ、と交番課の何人かが話しながら通り過ぎていったのを、真由はなんとなく思い出してしまう。

「…………藤堂さんは、三鬼さんを追い駆けなくて良かったんですか?」
「『付いて来い』とは合図されませんでしたから。何も指示を出されなかったという事は、すぐに戻ってくるというわけで、なのでこうして待っています」

 そういえば、彼らは二年になるコンビだっけ、と思い返した。宮橋に拒絶されて、後を追う事が出来なかった自分とは違うんだなと感じたら、苦しくなって、真由は携帯電話をギュッと握りしめた。

「パートナーって、難しいですね」

 真由は、力なく呟いた。藤堂が首を伸ばすようにしてその横顔を見やり、口元にちょっとした笑みを浮かべて、視線を前に戻す。

「そうですね、難しいところだってあります。でも俺は、結構気に入ってます。少し前までは分からなかったけど、相棒としての自分の役割が見えてきて、いつの間にかその人と一緒に仕事しているのが当たり前みたいな、そんな感じですかね」

 二年先輩としての立場から語られた話につられて、チラリと目を上げてみると、うまい説明が思いつかないとでも言うように、困った笑みを浮かべて頬をかいている藤堂がいた。

 真由は携帯電話をポケットにしって、「藤堂さん」と呼んだ。視線に気づいた彼が、きょとんとした様子で見つめ返してきたので、正直な思いで尋ねてみた。

「それって、堅苦しい理由とか、要らなくてもいいんですか?」

 問うてすぐ、藤堂が大きな両目をパチパチとさせた。「まぁそりゃあ――」と独り言のように呟いた彼の瞳に、再び前向きな力が戻る。

「うん、そうですよ。俺たちは、せいいっぱい自分なりにサポートすればいいんです。俺は先輩に『ついてこい』って言われたから、頑張ってついて行ったって、文句を言われる筋合いはないですから」
「あっ、私も『僕について来い』って宮橋さんに言われました。じゃあ、精一杯ついていく事にします!」

 なんだか、ぐるぐると勝手に一人で悩んでいたのがおかしく思えた。そもそも、まだコンビとして組まされて、一日も経っていないのだ。自分が、すぐ三鬼や藤堂のようにスムーズに動けるはずもないだろう。

 小楠に紹介された当初は、コレ無理なんじゃないかな、とも感じていたのに、出来るだけ長く相棒としてあれるよう頑張りたいという気持ちがあった。まだ全然使えない新米刑事だというのなら、彼の役に立てるよう成長したい。

 真由は、藤堂とふっきれた顔でしっかりと頷き合った。お互いのパートナーである、宮橋と三鬼を探すため歩き出す。

 例の大型トラックを越えたところで、二人の姿を見つけた。少し離れた壁の方には宮橋の後ろ姿があり、シルバーの携帯電話で何やら話をしているようだった。こちらに気付いた三鬼が、「なんだ、お前らも来たのかよ」と言う。

 その時、携帯電話を下げた宮橋が、こちらを向いてツカツカと歩み寄ってきた。


「与魄智久を、殺人の容疑で逮捕する」


 真由と藤堂は「えっ」と叫びかけて、思わずお互いの口を塞ぎあっていた。

 三鬼が「お前ら、仲がいいな」と後輩組の息ぴったりの動作に感心していると、宮橋が顎をくいと持ち上げるように彼らを見下ろして、片方の手を腰に当てて続けた。

「藤堂、至急、署に逮捕状の手配を」
「あ、はい!」
「真由君、僕との約束は忘れてないな?」
「えぇと、『命令は絶対!』ですよね?」

 勢いで答えた真由は、ふと与魄智久の顔写真を思い返した。癖のない黒髪に細い首、大人しそうな顔立ちをした少年だ。その彼が、殺人の容疑者……?

 不意に、思考がぐらりと揺れた。どうしてか宮橋は捜査中ずっと、その少年に重点を置いていた気がするのだが、何かを忘れてしまったかのように集中力が霧散してしまう。
 数歩離れて藤堂が電話をかけ始める中、宮橋はすぐに三鬼へと向き直っていた。

「三鬼、どうせお前も付いてくるんだろ? 連続バラバラ殺人事件の容疑者を、これから確保する」
「容疑者って、そいつ十六歳の虫も殺せねぇようなガキだろ? そいつが、たった一人でやったって言うのか?」
「質問は一切受け付けない。僕たちが今すべき事は、『次の殺人が行われる前に、容疑者を捕まえてこの事件を終わらせる事』だ」

 宮橋は、質問を拒絶するように「犯行の件については、あとで本人に訊けばいい」と、シルバーの携帯電話をズボンの後ろポケットに入れた。三鬼が珍しく文句も続けず「分かった」とあっさり答えて、こう訊く。

「それで? その口振りからすると、容疑者のガキはこの辺にいるんだな?」
「ああ、そうだ。さっき直接話した」

 電話を終わった藤堂と、一部始終を見守っていた真由が、あっさり受理した様子を意外だと言わんばかりに瞬きする。三鬼はかまわず、続けられるであろう宮橋の説明を聞くため、彼に歩み寄った。

「んで、電話で何を話した?」
「自首という形であれば、刑が少しは軽くなるだろう。電話で僕に居場所を明かしたのも、それを約束した結果さ」
「なんだ、自分から居場所を明かしたのか?」

 三鬼が、わざと後輩二人に聞こえるように言って、実に面倒臭ぇなぁという表情でそっぽを向いた。

 肩をすくめつつ説明していた宮橋が、不意に真面目な表情に戻した。三鬼が「なんだよ?」と眉間に深く皺を刻むと、その後ろにいた真由と藤堂ではなく、更にその向こう側へ視線を投げる。

「話は聞いたな、佐藤(さとう)ら諸君。僕らは、殺人の容疑者を確保次第、署に連行する。保護対象の少年たちに関しては、署にて再保護、および事情聴取だ」

 声を投げかけられてすぐ、事故を起こした大型トラックの影から、周辺の捜索に当たっていた捜査員たちが、申し訳なさそうにして出てきた。

 先頭に立っていたのは、班をまとめている二年下の後輩刑事、佐藤である。宮橋の捜査には何度も関わっていて、全員が彼の逆鱗に触れた経験を持っていた。

 三鬼が両眉を上げて、思わず佐藤に言葉を掛けた。

「お前ら、全部聞いてたのか?」
「すみません、三鬼さん。藤堂と橋端が向かうのが見えて、もしかして何か、宮橋さんの方で動きが出たのかな、と……」
「……いや、そのほうが早い。あいつの事だから、聞かせたくない話だったら最初っから追い出していただろうしな」

 まるで自分に言い聞かせるような声量で言い、三鬼が仏頂面をそらして、宮橋へと視線を移した。全員が、それにつられるようにして目を向ける。

 宮橋は、佐藤と目が合ったところで、指示を続けた。

「容疑者を連行するための車を、近くに一つ用意させておいてくれ。それから、十五番地の角に『無人のパトカー』を一台、停めておくんだ」
「十五番地? えぇと、はい、分かりました。鍵はどうします?」
「鍵は掛けていても構わない。但し、人は近くに置くな。僕が指示しない限り、勝手な行動はしないように。――終わったら、こちらから連絡する」

 どういう理由があっての指示なのだろう、と真由は首を傾げた。指示を聞き届けた先輩刑事たちが、忙しなく動き出して去っていくのを、不思議そうに見送ってしまった。 
 佐藤たちが動き出したのを確認した後、宮橋が腕時計を睨みつけた。それを見た三鬼が「時間がないのか」と静かに問うと、彼は顔を上げて、小馬鹿にするようにニヤリとする。

「馬鹿だな。犯人とは合意の上で、僕らは迎えに行くだけなんだ。そんなはずがないだろう?」

 真由は、ふと、その不敵な笑顔が、無理をしているように見えた。不安に似た感情が混み上げて、変だなと思って自分の心音に耳を傾けた。
 
 相手はたった一人の少年という疑問もあるけれど、一見すると容疑者の確保も目前であるのに、あやふやながらも心配心で落ち着かない。

 思わず、藤堂が見つめている、宮橋とは同期である三鬼の様子を窺った。彼は眉根を寄せて、いつものように怪訝顔をしているけれど、何かを気にかけているような印象も覚えた。


――宮橋を一人にするな。


 ふっと、そんな小楠警部の言葉が蘇った。そう告げた際の彼の表情が重なった三鬼が、顰め面でわざとらしいくらいの溜息を吐いて「おい、宮橋」と呼ぶのを、真由はじっと見つめてしまう。

「お前の事だから、どうせ保護対象者を署に連れていいってのは、邪魔だからどかすついでに、佐藤たちの方の気をそらすためなんだろ。また、何をしでかそうと企んでるんだ?」
「よく分かっているじゃないか。君も、少しは利口になったようだね」
「バカヤロー、そうでなきゃ事が進まねぇだろが」

 三鬼は、比較的声量を抑えてそう言った。事故もあってか、向こうの通り側に見える人々の話題は、もっぱら事故処理班と被害者たちに向いているようだが、いちおうは警戒しての事だ。

「で、どうすりゃいい? どうせまた、お前が一人で迎えに行くってか? 相手は十六歳のガキだしな、大勢で行くと面倒なことになるってんだろ」

 三鬼は声を落として、投げやりに言葉を吐き出した。すると宮橋が、ちょっと苦笑を浮かべて「今回は、そうでもないんだな、これが」と曖昧な返事をした。

「先に言って、僕は確認したじゃないか。どうせついてくるんだろうって」
「まぁ、言われたな?」
「実は、君たちには、マサル少年を守って欲しいんだ。その役目をお願いしたい」
「はぁ? ちょ、それどういう意み――」
「彼、まだ近くにいるんだろう? 連れて来てくれないかな」

 そう言って台詞を遮った宮橋は、腕時計に目を落として、ぼそりと僅かに唇を動かせた。

 小さな声だったので、真由たちは何も聞きとれなかった。三鬼が苛立ちを露わに「お前が署で保護っつったんだろうが」と言い始めたそばで、喧嘩に発展する可能性を察知した藤堂が、慌てて「確認してきますッ」と走って行った。

 宮橋は、藤堂の後ろ姿をちらりと見送ると、唐突に、緊張したこの場には不似合いな、実に胡散臭い美麗な笑みを浮かべて向き直った。真由が「へ」と思考を止めて、三鬼が「うげっ」と警戒したように一歩後退する。

「君たちは、『飛んでくる障害物から』マサル君とやらを守って欲しい。いいかい、たとえ『何が起こっても』僕の指示には絶対に従え。そして、目的を忘れるな、君達が守るのはマサル君だからな」

 マサル、という単語を強調して、宮橋は念を押すように言った。三鬼が口をへの字に曲げ、疑わしげに彼を注視する。

「……聞き捨てならねぇ言葉が色々と出てきたが、どうせ質問しても答えねぇんだろ? ――くそッ、分かったよ! お前の指示に従おう」
「よろしく頼むよ」

 宮橋は答えながら、また腕時計を見やった。こちらに背を向けて、トラックから離れるように少し歩く。

 彼の背中を見つめていた真由は、近くにいた三鬼に「時間を気にしてますね」と声を掛けた。三鬼は厳しい顔つきで、彼の方を睨みつけたまま「ああ」と呟いた。


 二人の視線は感じていた。宮橋は時計の秒針が、正確に時間を刻み続ける音を聞き、時刻が更に、もう一分先へ進むのを確認する。

「六時七分。――そろそろ時間がないな」

 必要なのは、昼と夜の狭間だった。

 脳裏に『マサル』という名前を持った少年を『視』て、そこに藤堂が合流して連れてくる気配を覚え、宮橋は一度、見え過ぎる自分の目を静かに閉じた。
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