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変わり者刑事と呼ばれる男(1)

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 早々に三人目の被害者が出た事で、凶悪な連続殺人事件として県警に本格的な捜査本部が設けられた。『高校生バラバラ殺人事件』の札が掲げられた署内には慌ただしさがあり、いつも以上に緊張した空気が流れている。

 情報が書き殴られたホワイトボードが各課から集められ、一列に並べられていた。しきりに電話での怒号も交わされ、出入りする各捜査員たちの急くような靴音が響く。
 先程、緊急会議を行った小楠は、新たに第三の殺人現場となった場所に捜査員らを派遣した後、そのボード板を睨んでいた。

 彼は、苦渋の色を隠せなかった。被害者は全てN高校の生徒であり、まだ十六歳と若い。関連性があると見て取り、被害者たちが『いつもつるんでいる主要メンバー』の名前と人数を、急ぎ確認しているところだ。

 それなのに、不思議と誰一人として捕まらない現状が続いている。そのせいもあって、小楠は苛立ちと焦燥で押し潰されそうだった。

「小楠警部」

 声を掛けられた小楠は、厳しい顔つきのまま振り返った。また上からの電話かと身構えるが、宮橋たちと同じくらい長い付き合いのある部下の姿を確認して、「なんだ」とだけ問う。

「一部判明している例の生徒たちですが、朝に登校のため家から出たのは確認されているようです。ただ、その全員が学校には来ていないそうです」
「何?」

 小楠の眉間に、稲妻のような深い皺が入った。

「先程、田中(たなか)が、彼らをよく知っているという青年との接触に成功しまして。そこから聞き出して、メンバー全員の名前も分かりました。どうやら中学時代から恐喝している生徒がいて、彼らと同じ高校に通っているそうです」

 小楠は無言で頷くと、腹に響くような怒号で室内にいた男たちに指示を出した。残っていた捜査員たちの捜査意欲に拍車がかかり、「これ以上の被害者を出さない」と意気込む彼らを、けれど複雑な胸中で見つめていた。

 これで事件が少しでも小さくなるとは、実のところ思っていなかった。起こった三つの事件をまとめながら浮かんだ言葉では説明ではない多くの謎が、彼の中で渦を巻いている。
 常識で測り得ない事を、まるで定義に押しはめて形上の捜査を行うのが、L事件においては暗黙のルールだった。警察機関という立場上、犯人と被害者のいる事件でなければならない。――それが宮橋の提示した条件でもあった。

 しかし、これは長年携わってきた不可解な事件の中でも、あまりにもペースが速い。非常に危険で残虐性があり、被害者の死亡率は、今のところ百パーセントときている。

 そう考えながら、小楠は作業に携わる部下に尋ねた。

「おい、例の不良メンバーは何人だ?」
「全員で八人です」
「そのうち、三人が殺されたのか……」
「すぐに残りの五人の情報を出します」

 少し明るい兆しが見えたという彼の表情に対し、小楠の表情は硬かった。ホワイトボードの前にいる部下たちを眺め、それから視線を設置された会議用テーブルへと移す。そこには事件現場の生々しい写真が広げられていた。

「…………ひどいものだ」

 小楠は、その一枚を取り上げた。嫌な予感に、思わず顔が歪む。
 その時、胸ポケットで携帯電話が震えた。小楠は慣れたように傷だらけのそれを取り上げ、すぐ耳に押しあてた。

「こちら小楠」
『三鬼です。第一、第二被害者に比べて、こちらも随分ひどい状況ですよ』
「宮橋も来ていたか?」
『はい。とはいえ、すぐに出ていきましたけどね。今回は、珍しく防犯カメラの映像も見ていきませんでした。こっちの現場も、不審な点が多いです。俺も、これまで色々と妙な事件には遭遇してきましたが、なんだかヤバい感じがします』

 三鬼の不慣れな敬語言葉を聞きながら、小楠は持っていた写真をテーブルの上に戻した。メールで送られてきた画像が印刷された、三番目の現場写真へと目を向ける。

「こちらで今、写真をチェックしているが――確かにひどいな。宮橋は何か言っていたか?」
『俺にはまるで理解不能なんですが、天井についていた血痕は、引きずられて持って行かれたとか。他にも色々言っていましたが……なんだったかな』

 電話の向こうで、三鬼が思い出せず言葉を濁した。

『天井の写真も撮って送ったと思うんですが、そっちに出てます?』

 小楠は、テーブルにある写真の上に視線を巡らせ、太い血の線が壁際で不自然に途切れているものに目を留めた。

「ああ、今確認した。他には何かあったか?」
『そうだなあ……。ああ、それから現場の確認の前に、宮橋の後ろを歩いていた藤堂が、奴がじっと見ていたっていう廊下で、客を外に出した時にはなかった血痕を見付けまして。検証の結果、被害者の血痕である事が判明しました』
「お前が現場入りした時にも、なかったものという事か?」
『はい、その通りです。不思議なんですが、他にもそんなものが数カ所出てきたんですよ。でも、有り得ないんです。天井や、受付にあるテーブルの下からも出てきた血の痕は、鑑識の言い分だと、俺たちが乗り込んだ三十分の間に付いた物だって言うんですよ。……それこそ有り得ないでしょ。そうしたら、事件を起こした犯人は、しばらく俺たちと一緒に同じ建物内にいたって事になる』

 小楠はつい想像してしまい、ゾッとしてすぐに言葉を返す事が出なかった。電話の向こうで、強がっているような口調でそう話した三鬼も、乾いた笑みをこぼして沈黙していた。

 今まで、同じような奇妙で恐ろしい事件には、何度か遭遇した事がある。

 しかし、経験しているからといって、気味の悪いそれらの謎を完全に理解し得た事はない。


――見通しの悪い肉眼を通すからいけない。
――小楠警部。フィルター越しの機器で覗くといい。その方が、あなた達にはよく『視える』かもしれないから。

――ああ、でも無理なんだろうなあ……きっとあなたにだって、僕の世界を理解してはもらえないのだろう。


 そう語っていた明るい茶色の瞳が、小楠の脳裏を横切った。

 あの時、宮橋の見開いた瞳は絶望を捉えていた。新米だった彼の元に、三つ上の先輩刑事が、パートナーとしてあった頃の話だ。

 十年前のあの日、小楠は他の部下たちと共に、宮橋の後を追っていた。辿りついたそこで、その刑事の右腕がキレイに消失するのを見た。そして、パニック状態になった部下たちの目の前で、彼は『全部がなくなってしまった』のだ。

 絶望で表情から力が抜けた宮橋が、珍しく少し幼い眼差しをして、何もない宙に腕を伸ばしたのを覚えている。その直後に彼の腕も消えて、どこからともなく消失したはずの部下の声が聞こえてきた。

 なんと叫んでいたのか分からない。彼は既に狂っていたようだった。身体が消えたまま歓喜し、怯え、むせび泣く声が現場には響き渡っていて、小楠たちは誰もが動けなかった。

 不意に無音となり、数秒ほど周りの風景が全て消え失せた。

 消失したはずの彼が見えたような気がした一瞬後に、小楠や三鬼たちの視界は戻っていて、やはり宙に向かって伸ばされている宮橋の両腕だけがなかった。

 宮橋はじっと一点を見つめて、普段の『暇潰しに刑事になっただけだから、いつでも好きな時に辞めてやるさ』という余裕もなく、必死に「さあ、返すんだ」「僕は彼の腕をしかと掴んでいる、こちら側の人間の干渉を受けているんだぞ」と、小楠たちがよく分からないことを言った。けれど――


――ああ、頼むから『彼を食べないでくれ』。


 次の瞬間、宮橋の両手が現われて、消えた刑事の左腕だけがあった。悲鳴、絶叫、叫びがあった――と、小楠は忘れられない過去の回想を続ける。

 本当に、雨ばかりが続いていた日だった。多くのパトカーや救急車が駆けつけ、次々に負傷者と救出された者たちへの対応が始まる中、宮橋は先輩刑事の腕を掴んだままでいた。
 事件ですっかり憔悴し、心を折られた小楠たちは何も出来なかった。雨に打たれて見つめている先で、まだ目尻に薄皺もなかった三鬼が、無防備に佇む彼の肩を掴んで正面から名を叫んだ。


――宮橋……どうした、いつもみたいに俺を罵倒しないのか…………おい、返事をしろよ……。なあ宮橋…………頼むから、こっちを見てくれ。


 もう刑事としてはやっていけないほど、完全に心が叩き潰されたのかと思った。しかし、宮橋は長らく佇んだ後、ようやく三鬼を見つめ返して「どうして」と、たった一言ポツリと口にした。

 開きかけた口から、残る言葉は出てはこなかった。ただ、まるで置いていかれた子供みたいな目で三鬼を見つめていた。すると、ゆっくりと眼球を抉ろうとするのを見て、彼が飛びかかり「やめろ宮橋!」と叫んで――

『でも警部』

 小楠は、呼びかけられた声に、現実へと思考が引き戻された。記憶の残像を頭から振り払い、「なんだ」と、電話の向こうにいる三鬼に問う。

『返り血を浴びたまま、被害者の身体の一部を持って、店内を徘徊するなんて無理ですよ。防犯カメラにも、何も映っちゃいなかった。それから宮橋は、殺人は続く、とも言ってました』

 話を続ける三鬼に、小楠は咳払いを一つして気丈な声を繕った。

「先程、被害者生徒たちが普段つるんでいるという、例のメンバー全員の身元が判明した。人数は八人。彼らは中学時代から、恐喝の対象にしている特定の生徒がいて、今、同じ高校に通っているそうだ。その生徒と、不良メンバーの五人を探し出して事情聴取するつもりだ。お前と藤堂にも、その件に当たってもらう」
『分かりました。あいつに頼まれているので、生徒の名前を送ってもらってもいいですか?』
「ああ、高島(たかしま)の方から送らせる。宮橋にも、絶対に単独行動はするなと伝えておけ、一旦戻って来るように伝えるんだ。いいか、もしもの場合は、今回はお前たちとの四人で行動してもらうかもしれない」

 小楠は、三鬼からの返事は待たなかった。携帯電話をしまってざっと辺りを見回すと、ノートパソコンにかじりついているであろう、高島の姿を探した。

 まるでホラー映画や小説の中のいるようじゃないか、と、つい難しい表情を浮かべてしまっている自分の顔に手をやった。そもそも宮橋は、正確じゃない事は絶対に言わない男だ。彼が「殺人はまだ続く」と言えば、更に被害者は出るのだ。それは確かだった。

 小楠は、長い息を吐き出した。ふと、宮橋が真由とここを出る際「早急に」と言っていた事が思い出されて、嫌な予感が背筋を駆け抜けた。

「おい、誰か宮橋を見た者はいるか?」

 たまらず問い掛けていた。近くにいた捜査員たちが、きょとんとした顔を上げて立ち止まる。彼らは互いに顔を見合わせ、その中の一人がおずおずとした様子で声を上げた。

「あの、今回の事件、宮橋さんも加わっているんですか?」
「ああ、そうだ。宮橋絡みの事件だ」

 すると、場に小さなざわめきが起こった。彼らは今まで知らなかったらしい。小楠はこちらから連絡するしかないか、と考えつつ動揺する部下たちに告げた。

「今回起こっている事件には、これまで以上に未知数だ。もしもの場合、また宮橋が第一で指示をする事にな――」

 その時、室内に慌ただしく男たちが入ってきた。髪を振り乱してやってきた中年の男二人に、一体何事だと視線が集まる中、小楠がそこにいた全員を代表してそれを声にした。

 時刻は午後三時四十分だった。

 後ろの一人が入り口で足をとられて崩れ落ちるのも構わず、先に駆けこんだ大男が、息を切らしながら真っ直ぐに小楠を見つめて、こう叫んだ。

「四人目のバラバラ死体が上がりました!」
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