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第二十章 王の部屋

7 有明の白鳥(領主視点)下

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7 有明の白鳥(領主視点)下


 僕たちは無言で海側の古い棟へ急いだ。城の尖塔の向こうで、銀色の小舟のような月が傾いていた。

「どういうことなんだ?」

 ジュンは額の傷を抑えながらつぶやいた。

「みんなしてオト、オトって」

 流石に、小生のイマジナリーフレンドに信奉者が現れたり、フクロウが懐いたりするはずはないとジュンも思ったのだろう。

「イチマルキウの周辺で、記憶をなくす者がでているって、古本屋のじいさんが言ってたけど……」

 古い神殿に通じる回廊が見えてきた。

「僕の記憶にも異常が出てるっていいたいの」
「分からないけど……一瞬、妙な光が見えたんだ。お前がオトを忘れる直前だよ」

 ジュンはハッとしたように立ち止まった。

「記憶の魔法……」
「なにそれ」
「記憶の魔法について、調べてたんだ。それがイチマルキウのカラクリだって、今日の昼、突き止めてきたんだ」
「お前がが?」

 オトのことを聞き込んで、イチマルキウについても調べ上げて。どこまで仕事が出来るんだ。

「情報源はどこ?」
「いや、僕、何でそんな事調べてたんだろう」
「たまたま耳に挟んだとか?」
「いや、違うな」

 ジュンは自分の記憶違いを正そうとするように、手をあげた。

「確か誰かが禁書を当たって……突き止めてきたんだ。薔薇の煙もザクロ酒も……全部本に書いてあったって」

 禁書と聞いて、小生はハッとする。

「お前がその人に、温室からの鍵を貸しただろ」
「……貸した」

 やっぱり。オトだ。オトは温室からしばらく姿を消していた。温室の奥のドアから通じる禁書の部屋で、魔法について調べていたんだ。

「誰に貸した?」
「誰に?」
「思い出せよ、オトに鍵を渡したんだろ?」

 ジュンは怯えたように自分の手のひらを見つめた。

 その時、月明かりのさす回廊の奥から、誰かの声がした。

「隊長殿?!」
「誰だ」
「僕です! ニケです、隊長殿!」

 軽快な足音とともに駆け寄ってきたのは、新人らしい近衛兵だった。

「トーマさまから、王の部屋に至急お出ましをとのご伝言です」
「王の部屋に?」

 やれやれ、トーマめ。こんな夜更けにたらい回しにするとは、一体……

「マリアとオトも一緒です」

 小生は吐きかけたため息を一気に吸いもどす。

「オトが一緒だって?」


***************


 小生はニケから訳を聞きだすと、一も二もなく駆け出した。

 バカなオト。

 彼は執事に、全てを言ってしまったのだ。おそらくはその、マリアというメイドを庇うために。

 王妃の秘蔵の品を欲しがる親のために盗みを働いたと。

 執事は、僕と彼がどんな関係にあるかを知っている。それがどんな色眼鏡となって働くか、きっとオトは分かっていない。

 そしてトーマは、恋人のマリアを何が何でも守ろうとするだろう。オトに全ての罪をなすりつけるかもしれない。

 トーマは、オトがアリスだと知っている。オトが女装して国中を欺いたことも、小生がいまでも彼に夢中であることも、それを皇女に見抜かれていることも。

 それらが悪意を持って公にされたら……。

「オト! アリオト!」

 階段を駆け上りながら僕は叫んでいた。

「アリオト!」

 全て事実だ。隠すつもりはない。

 でも。

 アリオトと僕の間に何が起きているのか。それは、自分たちの言葉で語りたかった。

 僕たちのひかれあう孤独がどんなものか。あの人たちに語れるはずがない。

「少しお待ちを、領主様!」

 ニケが息を切らしながら追いかけてくる。その後にはジュンもついてくる。

 二人に構っている暇はなかった。オトが誰かに誤解されたり、傷ついたりすることは、想像するだに苦しかった。

 もう夜明けが近かった。王の寝室に続く階段を登り切ると、正面にひらけた展望窓からは、有明の月が白んでいくのが見えた。

「父上! 開けますよ!」

 侍従がいなかったのをいいことに、僕は扉を蹴破るようにして開けた。

 奥の間には夜更けにも関わらず煌々とランプが灯されており、人の話し声もしている。

「アリオト!」

 そこには、この愚かな騒動に関わる登場人物一同が勢揃いしていた。

「……ケイト」

 僕の耳に入るのは、銀の鈴を震わすようなオトの声だけ。

 オトの濡れた瞳が僕を見た。

 それ以外は何も見えなかった。僕はアリオトに駆け寄って、見えない翼で彼を覆うようにうずくまった。

 何があったかは大体予想がついた。執事の喚く声も、王が諌める声も、しかしその時はどうでも良かった。

 このまま彼を、誰の手も届かない場所に連れて行き、いつまでも見つめあっていたかった。



ーーアリオト=ビョルン!



 誰かが彼の名前を呼んだ。

 目の前で何が起きているのか、にわかには信じられなかった。

 僕の腕の中で、アリオトの眼から光が消えた。


ーー我に従え!


 ふる、と首を振るアリオトの仕草。

 そこに、白鳥が長い首を気怠げにもたげる幻覚が重なった。

 それが、僕の見たアリオトの最後の姿だ。

 誰も触れていないはずの窓が大きく開け放たれ、冷たい朝の空気がなだれ込んだ。



二羽の白鳥が

  有明の空に吸い込まれていく



 その時すでに、僕は虚空を抱いていた。

 



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