116 / 164
第十八章 叙勲の間
8 青い蝶々 下
しおりを挟む
8 青い蝶々 下
ピノが一緒に森に帰ろうと言ってくれたのは心から嬉しかった。でも、僕はザクロさんと話をつける必要がある。
「ありがとう、ピノ。でも僕、まだやらなくちゃならない事があるんだ」
ピノはほっぺを膨らまして言った。
「どうせ、スケシタが手に入らなくて困ってるんだろ」
「知ってたの?」
「もちろん。俺は何でもお見通しさ。だから帰りが遅くなったんだろ」
まあ……すごく簡単にいうと、そうかもしれない。僕はちょっと考えてから頷いた。
「よし。手伝ってやるからさっさとお使いをすませちゃえよ」
ピノは水盤に浮かんだ花びらを一枚取ると、目を閉じて、小さく呪文を唱えた。
花びらはピノの手のひらの上で白い光を放った。光とともに、花びらは柔らかな布地に姿を変えた。
「これでどう?」
ピノの手には、軽くて光沢のある、絹のガウンのようなものがあった。
「えっ、これは何?」
「見てみろ、ちゃんと透けてるだろ」
どうやら、スケスケショウブシタギを偽造しようとしてくれたらしい。薄くて透明な、天女の羽衣みたいだった。
「これをザクロにやったらどうだ?」
「うーん……」
ピノのイメージするスケシタには、彼の心の清らかさが現れていた。
本当のスケシタが、どんなにどぎついしろものか。この純真無垢なピノに対して、僕の口からはとても言えなかった。
なんだかんだ言っても、ピノはお子ちゃまだしなあ。そんな事を考えてる僕の顔を見たピノは、子犬みたいなふわふわ眉をムッとさせて言った。
「これじゃだめか」
「うーん、ちょっと、本物と比べて清楚すぎるかも」
ピノはため息をついて羽衣を水に捨てた。水に落ちた途端、衣は花びらに戻った。
「何だよその顔。プリッツみたいだぜ」
今の僕がプリッツみたいだって言うなら、プリッツも、ピノのおこちゃまな一面に密かにキュンとしてるんだろうな。
「ごめん。ピノがあんまり可愛いから」
「かっ……バカ言うな!」
ピノは顔を真っ赤にして怒った。
「可愛いのはお前であって、俺じゃない!」
ピノは僕の膝の上に抱っこされておきながら偉そうだ。
「俺を褒めるなら渋いと言えよ」
僕は笑ってしまったけれど、ピノは大真面目な顔だった。
「それなら、東の国まで行って、ホンモノってやつをとってきてやろうか」
「は?」
「魔法博物館に展示されてるかもって、イチマルキウのおっちゃんが言ってたぜ」
ピノは僕を探しにイチマルキウまで行ってきてくれたらしい。
「東の国くらい、一瞬で往復できるぜ」
ピノは得意げだった。僕は驚きつつも、公共の展示物を取ってはいけないんだよとピノを止めた。
「ザクロさんにスケシタを渡すつもりはないんだ。違法の品だってわかったから」
「そうなのか? でも手ぶらで帰ったら酷い目に会うんじゃないか」
それでもザクロさんに会って確かめたいことがたくさんあるんだと言うと、ピノはふんと鼻を鳴らした。
「だったらどうしてさっさと帰らないの」
「え……」
「アリスには、まだ他にも、すぐに帰れない理由があるんだ。そうだろ?」
ピノはニヤニヤしながら僕の髪を指で弄ぶ。
「俺たちの贈り物、どうだった? 髪は切ったんだね」
「あ……」
僕はハッとした。ピノに会ったら真っ先にお願いしようと思っていたことがあったじゃないか。
「ピノ、実は僕、ちょっと困ったことになってて……」
一体、どこから話そうか。ピノたちがくれた贈り物と、領主様との関係を……。
「知ってるよ」
ピノは、ぽかんとする僕の鼻先を指でつつきながら言った。
「当ててやろうか」
「え?」
「愛が重いんだろ」
ピノはにんまりと笑う。僕は言葉もなく、固まってしまった。
「愛されちゃって困ってるんだろ。賢くて、ハンサムで、権力のある男に」
「いや……そうじゃなくて……あれ……?」
僕は首を横に振りかけて、混乱する。
僕とケイトのこの状況はもはや、そんな一言で説明できるものではないと、いつの間にか思っていた。
「何でもお見通しだって言ったろ」
「お見通し……」
本当に、ピノは全部全部、お見通しなのだろうか。僕の胸の痛みも、ケイトの視線の切なさも。
「逃げようとしても、縛られるんだろ。奴の愛ってやつに」
ピノは肩をすくめると、僕に微笑みかけた。僕はその無邪気な笑顔から、ふと水盤に視線を逸らした。
さっきの白い花びらが波紋を描きながらくるくる回っていた。僕が黙っていると、ピノも水面を見た。水面越しに目が合った。
妖精様は何でもお見通し。だけど、恋がどんなものかまでは、きっと知らないんだ。それが、どんなにどぎつくて、苦しくて、汚いものか。
「違う?」
ピノは恋を知らない。でも、言ってることは間違っていなかった。
要するに、そういうことだ。
僕はケイトから離れられなかった。だからいまだにここにいる。さっさと帰るべきなのに。
「助けてほしい?」
僕は、こく、と頷いた。ピノは面白そうに声を上げて笑った。
「しかしなあ。贈り物は普通の魔法と違って返品不可なんだよ」
そうだった。森を出る時も二人はそう言っていたんだ。分かっていたこととはいえ、改めてはっきり言われるとがっくりした。
「だから、僕と森に行こうって言ってるんだ。あそこならヤツだって絶対に追いかけて来れないから」
ピノは目をキラキラさせて言った。
「そっか……そうだね」
それは確かにそうなんだ。
「でも、彼を悲しませることになるでしょう」
僕がそういうと、ピノは飛び上がって僕に向き直った。
「そんなこと気にしてるの? やっぱり、アリスは優しすぎるよ」
ピノはため息をついた。僕は思い切って、ピノに相談してみることにした。
「あのさ、贈り物は取り消し不可だとしても……恋を無かったことにすることはできないかな」
「んー、なんかふわっとしてんなあ」
もうちょっと具体的に願ってくれないと叶えてやりようがないとピノは言った。
「じゃあさ……彼に、別の魔法をかけることはできる?」
「たとえば?」
本当はザクロさんから聞き出そうと思っていたことだったけれど。もしかしたら、ピノならすぐにでも叶えてくれるんじゃないだろうか。
「彼の記憶から僕の記憶を抜き取るなんてことは……」
「天才かよ」
ピノは驚いたように目を見開いた。
「それならできる」
「ほ、本当に?!」
ピノが手をくるりと回すと、そこには金色の手鏡のようなものが現れた。ただその面にはガラス板ではなく、白い霜のはった氷が嵌め込まれている。ピノはそれにふうっと息を吐きかけた。
「アリス、見て。こいつだろ?」
「あっ……」
氷の鏡には、領主様の姿があった。そのすぐ隣にはジュンがいる。ジュンは真剣な目で領主様を見つめている。
「これ何?」
「氷面鏡だよ。何でも見たいものを映せる鏡さ……何だあいつ、浮気してるぜ」
湖のほとりの東屋に、二人は並んで座っていた。額を寄せ合って、何か親密に語らっている。僕は胸がぎゅっと締めつけられるようだった。
「浮気なんかじゃないよ。これが本来の、あるべき形なんだ」
真夜中、東屋に来てって、領主様は僕に言ってた。だけど僕は行けないから……夜通し待ちぼうけさせてしまうのが気がかりだった。
でも、この二人の姿を見て安心した。僕が消えても、領主様の隣にはジュンが居てくれる。これ以上のことはなかった。
「本当に、奴から君の記憶を抜き取ってもいいのか?」
「うん」
僕はうなずいた。
「記憶を抜き取るのは難しくない。ただ、記憶を閉じ込める容れ物がいる」
「容れ物?」
「君の魂と交換でどう」
「えっ?!」
突然の交換条件に僕はびっくりしてしまった。
「人間の記憶ってのはそれなりに複雑なんだよ。人間の魂でしか閉じ込められない」
「そ、そうなんだ……」
ケイトから大事な記憶を奪うんだ。だったら、僕もそれくらいの代償は払うべきかもしれない。
「わかった。お願いします」
僕は目を閉じて言った。大丈夫。ケイトのためなら、死ぬのは怖くない。
「じゃあ、いくよ」
最後にザクロさんと話せなかったことだけが、心残りだ。でも、もう、いい。領主様を早く楽にしてあげてほしい。
「うん。お願い」
ピノは僕の額にキスをした。僕は目をぎゅっとつぶったまま、何か起こるのを待った。
「……やっぱな」
僕はそっと目を開けた。ピノが怒ったようにくちびるを尖らしている。
「ねえ、アリスってのは、本当の名前じゃないんだろ」
「あっ!」
「ダメだよ、ちゃんと本当の名前を教えてくれなきゃ。魔法がうまくかからないだろ」
「ごめんなさい」
僕は本当の名前を教えた。
「アリオト・ビョルンね……」
ピノは噛み締めるように僕の名前を呼んだ。僕の体を、冷たい震えが走った。ピノは気持ちよさそうに笑った。
「おいで、アリオト」
ピノの瞳から、目を逸らすことができない。ピノは僕を抱きしめると、もう一度、額にキスをした。額の真ん中に、温かい印が刻まれたような気がした。
「よし、これでいい。これで全てうまくいくぞ!」
ピノは叫ぶと、僕の膝を飛び降りた。くるくると回りながら、月を仰いで笑った。僕は呆気に取られて、そんなピノのはしゃぎっぷりを見ていた。
「ねえ、ピノ。今ので本当に僕の魂を取ったの? 何も変わらないんだけど……」
「これを見て!」
ピノは息を切らしながら、手のひらを差し出した。金色に光る、花の蕾のようなものがそこにはあった。
「君の魂で作った容れ物さ」
「えっ、こわ……」
自分の魂だと言って見せられても、とても触ってみる気にはなれなかった。
「僕、死なないの?」
「は?」
「魂を取られたのに、僕、どうして生きてるの」
「バカだな。俺が君を殺すわけないだろ……ほんのひとかけでいいのさ」
ピノはくつくつと笑った。金色の蕾はふわふわと、シャボンのようにピノの周りを漂った。
「今から、これに奴の記憶を閉じ込めてやる……見てな」
ピノは氷面鏡を覗き込みながら、パチンと指を鳴らした。
空中に浮かんでいた金色の蕾が、光りはじめた。信じられないことだった。領主様の僕に関する記憶が、ピノのスナップ一つで、消えていくなんて。今、湖のほとりの東屋で、ケイトはどんな顔をしているだろう。
次第に花はほころび、回転しながら、ゆっくりと沈むように落ちてくる。ケイト、大好きなケイト。すっかり開ききった薔薇のようなそれを、ピノはそっと手のひらで受けた。
「綺麗だな」
しばらく花に見惚れたあと、ピノは顔をあげ、小さな声で言った。
「どうして泣くの?」
ピノに言われて初めて、自分の涙に気がついた。ピノは急に悲しそうな顔になって、僕をぎゅっと抱きしめた。
ピノが一緒に森に帰ろうと言ってくれたのは心から嬉しかった。でも、僕はザクロさんと話をつける必要がある。
「ありがとう、ピノ。でも僕、まだやらなくちゃならない事があるんだ」
ピノはほっぺを膨らまして言った。
「どうせ、スケシタが手に入らなくて困ってるんだろ」
「知ってたの?」
「もちろん。俺は何でもお見通しさ。だから帰りが遅くなったんだろ」
まあ……すごく簡単にいうと、そうかもしれない。僕はちょっと考えてから頷いた。
「よし。手伝ってやるからさっさとお使いをすませちゃえよ」
ピノは水盤に浮かんだ花びらを一枚取ると、目を閉じて、小さく呪文を唱えた。
花びらはピノの手のひらの上で白い光を放った。光とともに、花びらは柔らかな布地に姿を変えた。
「これでどう?」
ピノの手には、軽くて光沢のある、絹のガウンのようなものがあった。
「えっ、これは何?」
「見てみろ、ちゃんと透けてるだろ」
どうやら、スケスケショウブシタギを偽造しようとしてくれたらしい。薄くて透明な、天女の羽衣みたいだった。
「これをザクロにやったらどうだ?」
「うーん……」
ピノのイメージするスケシタには、彼の心の清らかさが現れていた。
本当のスケシタが、どんなにどぎついしろものか。この純真無垢なピノに対して、僕の口からはとても言えなかった。
なんだかんだ言っても、ピノはお子ちゃまだしなあ。そんな事を考えてる僕の顔を見たピノは、子犬みたいなふわふわ眉をムッとさせて言った。
「これじゃだめか」
「うーん、ちょっと、本物と比べて清楚すぎるかも」
ピノはため息をついて羽衣を水に捨てた。水に落ちた途端、衣は花びらに戻った。
「何だよその顔。プリッツみたいだぜ」
今の僕がプリッツみたいだって言うなら、プリッツも、ピノのおこちゃまな一面に密かにキュンとしてるんだろうな。
「ごめん。ピノがあんまり可愛いから」
「かっ……バカ言うな!」
ピノは顔を真っ赤にして怒った。
「可愛いのはお前であって、俺じゃない!」
ピノは僕の膝の上に抱っこされておきながら偉そうだ。
「俺を褒めるなら渋いと言えよ」
僕は笑ってしまったけれど、ピノは大真面目な顔だった。
「それなら、東の国まで行って、ホンモノってやつをとってきてやろうか」
「は?」
「魔法博物館に展示されてるかもって、イチマルキウのおっちゃんが言ってたぜ」
ピノは僕を探しにイチマルキウまで行ってきてくれたらしい。
「東の国くらい、一瞬で往復できるぜ」
ピノは得意げだった。僕は驚きつつも、公共の展示物を取ってはいけないんだよとピノを止めた。
「ザクロさんにスケシタを渡すつもりはないんだ。違法の品だってわかったから」
「そうなのか? でも手ぶらで帰ったら酷い目に会うんじゃないか」
それでもザクロさんに会って確かめたいことがたくさんあるんだと言うと、ピノはふんと鼻を鳴らした。
「だったらどうしてさっさと帰らないの」
「え……」
「アリスには、まだ他にも、すぐに帰れない理由があるんだ。そうだろ?」
ピノはニヤニヤしながら僕の髪を指で弄ぶ。
「俺たちの贈り物、どうだった? 髪は切ったんだね」
「あ……」
僕はハッとした。ピノに会ったら真っ先にお願いしようと思っていたことがあったじゃないか。
「ピノ、実は僕、ちょっと困ったことになってて……」
一体、どこから話そうか。ピノたちがくれた贈り物と、領主様との関係を……。
「知ってるよ」
ピノは、ぽかんとする僕の鼻先を指でつつきながら言った。
「当ててやろうか」
「え?」
「愛が重いんだろ」
ピノはにんまりと笑う。僕は言葉もなく、固まってしまった。
「愛されちゃって困ってるんだろ。賢くて、ハンサムで、権力のある男に」
「いや……そうじゃなくて……あれ……?」
僕は首を横に振りかけて、混乱する。
僕とケイトのこの状況はもはや、そんな一言で説明できるものではないと、いつの間にか思っていた。
「何でもお見通しだって言ったろ」
「お見通し……」
本当に、ピノは全部全部、お見通しなのだろうか。僕の胸の痛みも、ケイトの視線の切なさも。
「逃げようとしても、縛られるんだろ。奴の愛ってやつに」
ピノは肩をすくめると、僕に微笑みかけた。僕はその無邪気な笑顔から、ふと水盤に視線を逸らした。
さっきの白い花びらが波紋を描きながらくるくる回っていた。僕が黙っていると、ピノも水面を見た。水面越しに目が合った。
妖精様は何でもお見通し。だけど、恋がどんなものかまでは、きっと知らないんだ。それが、どんなにどぎつくて、苦しくて、汚いものか。
「違う?」
ピノは恋を知らない。でも、言ってることは間違っていなかった。
要するに、そういうことだ。
僕はケイトから離れられなかった。だからいまだにここにいる。さっさと帰るべきなのに。
「助けてほしい?」
僕は、こく、と頷いた。ピノは面白そうに声を上げて笑った。
「しかしなあ。贈り物は普通の魔法と違って返品不可なんだよ」
そうだった。森を出る時も二人はそう言っていたんだ。分かっていたこととはいえ、改めてはっきり言われるとがっくりした。
「だから、僕と森に行こうって言ってるんだ。あそこならヤツだって絶対に追いかけて来れないから」
ピノは目をキラキラさせて言った。
「そっか……そうだね」
それは確かにそうなんだ。
「でも、彼を悲しませることになるでしょう」
僕がそういうと、ピノは飛び上がって僕に向き直った。
「そんなこと気にしてるの? やっぱり、アリスは優しすぎるよ」
ピノはため息をついた。僕は思い切って、ピノに相談してみることにした。
「あのさ、贈り物は取り消し不可だとしても……恋を無かったことにすることはできないかな」
「んー、なんかふわっとしてんなあ」
もうちょっと具体的に願ってくれないと叶えてやりようがないとピノは言った。
「じゃあさ……彼に、別の魔法をかけることはできる?」
「たとえば?」
本当はザクロさんから聞き出そうと思っていたことだったけれど。もしかしたら、ピノならすぐにでも叶えてくれるんじゃないだろうか。
「彼の記憶から僕の記憶を抜き取るなんてことは……」
「天才かよ」
ピノは驚いたように目を見開いた。
「それならできる」
「ほ、本当に?!」
ピノが手をくるりと回すと、そこには金色の手鏡のようなものが現れた。ただその面にはガラス板ではなく、白い霜のはった氷が嵌め込まれている。ピノはそれにふうっと息を吐きかけた。
「アリス、見て。こいつだろ?」
「あっ……」
氷の鏡には、領主様の姿があった。そのすぐ隣にはジュンがいる。ジュンは真剣な目で領主様を見つめている。
「これ何?」
「氷面鏡だよ。何でも見たいものを映せる鏡さ……何だあいつ、浮気してるぜ」
湖のほとりの東屋に、二人は並んで座っていた。額を寄せ合って、何か親密に語らっている。僕は胸がぎゅっと締めつけられるようだった。
「浮気なんかじゃないよ。これが本来の、あるべき形なんだ」
真夜中、東屋に来てって、領主様は僕に言ってた。だけど僕は行けないから……夜通し待ちぼうけさせてしまうのが気がかりだった。
でも、この二人の姿を見て安心した。僕が消えても、領主様の隣にはジュンが居てくれる。これ以上のことはなかった。
「本当に、奴から君の記憶を抜き取ってもいいのか?」
「うん」
僕はうなずいた。
「記憶を抜き取るのは難しくない。ただ、記憶を閉じ込める容れ物がいる」
「容れ物?」
「君の魂と交換でどう」
「えっ?!」
突然の交換条件に僕はびっくりしてしまった。
「人間の記憶ってのはそれなりに複雑なんだよ。人間の魂でしか閉じ込められない」
「そ、そうなんだ……」
ケイトから大事な記憶を奪うんだ。だったら、僕もそれくらいの代償は払うべきかもしれない。
「わかった。お願いします」
僕は目を閉じて言った。大丈夫。ケイトのためなら、死ぬのは怖くない。
「じゃあ、いくよ」
最後にザクロさんと話せなかったことだけが、心残りだ。でも、もう、いい。領主様を早く楽にしてあげてほしい。
「うん。お願い」
ピノは僕の額にキスをした。僕は目をぎゅっとつぶったまま、何か起こるのを待った。
「……やっぱな」
僕はそっと目を開けた。ピノが怒ったようにくちびるを尖らしている。
「ねえ、アリスってのは、本当の名前じゃないんだろ」
「あっ!」
「ダメだよ、ちゃんと本当の名前を教えてくれなきゃ。魔法がうまくかからないだろ」
「ごめんなさい」
僕は本当の名前を教えた。
「アリオト・ビョルンね……」
ピノは噛み締めるように僕の名前を呼んだ。僕の体を、冷たい震えが走った。ピノは気持ちよさそうに笑った。
「おいで、アリオト」
ピノの瞳から、目を逸らすことができない。ピノは僕を抱きしめると、もう一度、額にキスをした。額の真ん中に、温かい印が刻まれたような気がした。
「よし、これでいい。これで全てうまくいくぞ!」
ピノは叫ぶと、僕の膝を飛び降りた。くるくると回りながら、月を仰いで笑った。僕は呆気に取られて、そんなピノのはしゃぎっぷりを見ていた。
「ねえ、ピノ。今ので本当に僕の魂を取ったの? 何も変わらないんだけど……」
「これを見て!」
ピノは息を切らしながら、手のひらを差し出した。金色に光る、花の蕾のようなものがそこにはあった。
「君の魂で作った容れ物さ」
「えっ、こわ……」
自分の魂だと言って見せられても、とても触ってみる気にはなれなかった。
「僕、死なないの?」
「は?」
「魂を取られたのに、僕、どうして生きてるの」
「バカだな。俺が君を殺すわけないだろ……ほんのひとかけでいいのさ」
ピノはくつくつと笑った。金色の蕾はふわふわと、シャボンのようにピノの周りを漂った。
「今から、これに奴の記憶を閉じ込めてやる……見てな」
ピノは氷面鏡を覗き込みながら、パチンと指を鳴らした。
空中に浮かんでいた金色の蕾が、光りはじめた。信じられないことだった。領主様の僕に関する記憶が、ピノのスナップ一つで、消えていくなんて。今、湖のほとりの東屋で、ケイトはどんな顔をしているだろう。
次第に花はほころび、回転しながら、ゆっくりと沈むように落ちてくる。ケイト、大好きなケイト。すっかり開ききった薔薇のようなそれを、ピノはそっと手のひらで受けた。
「綺麗だな」
しばらく花に見惚れたあと、ピノは顔をあげ、小さな声で言った。
「どうして泣くの?」
ピノに言われて初めて、自分の涙に気がついた。ピノは急に悲しそうな顔になって、僕をぎゅっと抱きしめた。
19
お気に入りに追加
47
あなたにおすすめの小説
【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。
白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。
息子よ……。父を性的な目で見るのはやめなさい
チョロケロ
BL
《息子×父》拾った子供が成長したらおかしくなってしまった。どうしたらいいものか……。
ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。
宜しくお願いします。
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!
棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。
真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~
シキ
BL
全寮制学園モノBL。
倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。
倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……?
真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。
一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。
こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。
今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。
当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。
平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
────妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの高校一年生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の主人公への好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる