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第十八章 叙勲の間

8 青い蝶々 下

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8 青い蝶々 下



 ピノが一緒に森に帰ろうと言ってくれたのは心から嬉しかった。でも、僕はザクロさんと話をつける必要がある。

「ありがとう、ピノ。でも僕、まだやらなくちゃならない事があるんだ」

 ピノはほっぺを膨らまして言った。

「どうせ、スケシタが手に入らなくて困ってるんだろ」
「知ってたの?」
「もちろん。俺は何でもお見通しさ。だから帰りが遅くなったんだろ」

 まあ……すごく簡単にいうと、そうかもしれない。僕はちょっと考えてから頷いた。

「よし。手伝ってやるからさっさとお使いをすませちゃえよ」

 ピノは水盤に浮かんだ花びらを一枚取ると、目を閉じて、小さく呪文を唱えた。

 花びらはピノの手のひらの上で白い光を放った。光とともに、花びらは柔らかな布地に姿を変えた。

「これでどう?」

 ピノの手には、軽くて光沢のある、絹のガウンのようなものがあった。

「えっ、これは何?」
「見てみろ、ちゃんと透けてるだろ」

 どうやら、スケスケショウブシタギを偽造しようとしてくれたらしい。薄くて透明な、天女の羽衣みたいだった。

「これをザクロにやったらどうだ?」
「うーん……」

 ピノのイメージするスケシタには、彼の心の清らかさが現れていた。

 本当のスケシタが、どんなにどぎついしろものか。この純真無垢なピノに対して、僕の口からはとても言えなかった。

 なんだかんだ言っても、ピノはお子ちゃまだしなあ。そんな事を考えてる僕の顔を見たピノは、子犬みたいなふわふわ眉をムッとさせて言った。

「これじゃだめか」
「うーん、ちょっと、本物と比べて清楚すぎるかも」

 ピノはため息をついて羽衣を水に捨てた。水に落ちた途端、衣は花びらに戻った。

「何だよその顔。プリッツみたいだぜ」

 今の僕がプリッツみたいだって言うなら、プリッツも、ピノのおこちゃまな一面に密かにキュンとしてるんだろうな。
 
「ごめん。ピノがあんまり可愛いから」
「かっ……バカ言うな!」

 ピノは顔を真っ赤にして怒った。

「可愛いのはお前であって、俺じゃない!」

 ピノは僕の膝の上に抱っこされておきながら偉そうだ。

「俺を褒めるなら渋いと言えよ」

 僕は笑ってしまったけれど、ピノは大真面目な顔だった。

「それなら、東の国まで行って、ホンモノってやつをとってきてやろうか」
「は?」
「魔法博物館に展示されてるかもって、イチマルキウのおっちゃんが言ってたぜ」

 ピノは僕を探しにイチマルキウまで行ってきてくれたらしい。

「東の国くらい、一瞬で往復できるぜ」

 ピノは得意げだった。僕は驚きつつも、公共の展示物を取ってはいけないんだよとピノを止めた。

「ザクロさんにスケシタを渡すつもりはないんだ。違法の品だってわかったから」
「そうなのか? でも手ぶらで帰ったら酷い目に会うんじゃないか」

 それでもザクロさんに会って確かめたいことがたくさんあるんだと言うと、ピノはふんと鼻を鳴らした。

「だったらどうしてさっさと帰らないの」
「え……」
「アリスには、まだ他にも、すぐに帰れない理由があるんだ。そうだろ?」

 ピノはニヤニヤしながら僕の髪を指で弄ぶ。

「俺たちの贈り物、どうだった? 髪は切ったんだね」
「あ……」

 僕はハッとした。ピノに会ったら真っ先にお願いしようと思っていたことがあったじゃないか。

「ピノ、実は僕、ちょっと困ったことになってて……」

 一体、どこから話そうか。ピノたちがくれた贈り物と、領主様との関係を……。

「知ってるよ」

 ピノは、ぽかんとする僕の鼻先を指でつつきながら言った。

「当ててやろうか」
「え?」
「愛が重いんだろ」

 ピノはにんまりと笑う。僕は言葉もなく、固まってしまった。

「愛されちゃって困ってるんだろ。賢くて、ハンサムで、権力のある男に」
「いや……そうじゃなくて……あれ……?」

 僕は首を横に振りかけて、混乱する。

 僕とケイトのこの状況はもはや、そんな一言で説明できるものではないと、いつの間にか思っていた。

「何でもお見通しだって言ったろ」
「お見通し……」

 本当に、ピノは全部全部、お見通しなのだろうか。僕の胸の痛みも、ケイトの視線の切なさも。

「逃げようとしても、縛られるんだろ。奴の愛ってやつに」

 ピノは肩をすくめると、僕に微笑みかけた。僕はその無邪気な笑顔から、ふと水盤に視線を逸らした。

 さっきの白い花びらが波紋を描きながらくるくる回っていた。僕が黙っていると、ピノも水面を見た。水面越しに目が合った。

 妖精様は何でもお見通し。だけど、恋がどんなものかまでは、きっと知らないんだ。それが、どんなにどぎつくて、苦しくて、汚いものか。

「違う?」

 ピノは恋を知らない。でも、言ってることは間違っていなかった。

 要するに、そういうことだ。

 僕はケイトから離れられなかった。だからいまだにここにいる。さっさと帰るべきなのに。

「助けてほしい?」

 僕は、こく、と頷いた。ピノは面白そうに声を上げて笑った。

「しかしなあ。贈り物は普通の魔法と違って返品不可なんだよ」

 そうだった。森を出る時も二人はそう言っていたんだ。分かっていたこととはいえ、改めてはっきり言われるとがっくりした。

「だから、僕と森に行こうって言ってるんだ。あそこならヤツだって絶対に追いかけて来れないから」

 ピノは目をキラキラさせて言った。

「そっか……そうだね」

 それは確かにそうなんだ。

「でも、彼を悲しませることになるでしょう」

 僕がそういうと、ピノは飛び上がって僕に向き直った。

「そんなこと気にしてるの? やっぱり、アリスは優しすぎるよ」

 ピノはため息をついた。僕は思い切って、ピノに相談してみることにした。

「あのさ、贈り物は取り消し不可だとしても……恋を無かったことにすることはできないかな」
「んー、なんかふわっとしてんなあ」

 もうちょっと具体的に願ってくれないと叶えてやりようがないとピノは言った。

「じゃあさ……彼に、別の魔法をかけることはできる?」
「たとえば?」

 本当はザクロさんから聞き出そうと思っていたことだったけれど。もしかしたら、ピノならすぐにでも叶えてくれるんじゃないだろうか。

「彼の記憶から僕の記憶を抜き取るなんてことは……」
「天才かよ」

 ピノは驚いたように目を見開いた。

「それならできる」
「ほ、本当に?!」

 ピノが手をくるりと回すと、そこには金色の手鏡のようなものが現れた。ただその面にはガラス板ではなく、白い霜のはった氷が嵌め込まれている。ピノはそれにふうっと息を吐きかけた。

「アリス、見て。こいつだろ?」
「あっ……」

 氷の鏡には、領主様の姿があった。そのすぐ隣にはジュンがいる。ジュンは真剣な目で領主様を見つめている。

「これ何?」
「氷面鏡だよ。何でも見たいものを映せる鏡さ……何だあいつ、浮気してるぜ」

 湖のほとりの東屋に、二人は並んで座っていた。額を寄せ合って、何か親密に語らっている。僕は胸がぎゅっと締めつけられるようだった。

「浮気なんかじゃないよ。これが本来の、あるべき形なんだ」

 真夜中、東屋に来てって、領主様は僕に言ってた。だけど僕は行けないから……夜通し待ちぼうけさせてしまうのが気がかりだった。

 でも、この二人の姿を見て安心した。僕が消えても、領主様の隣にはジュンが居てくれる。これ以上のことはなかった。

「本当に、奴から君の記憶を抜き取ってもいいのか?」
「うん」

 僕はうなずいた。

「記憶を抜き取るのは難しくない。ただ、記憶を閉じ込める容れ物がいる」
「容れ物?」
「君の魂と交換でどう」
「えっ?!」

 突然の交換条件に僕はびっくりしてしまった。

「人間の記憶ってのはそれなりに複雑なんだよ。人間の魂でしか閉じ込められない」
「そ、そうなんだ……」

 ケイトから大事な記憶を奪うんだ。だったら、僕もそれくらいの代償は払うべきかもしれない。

「わかった。お願いします」

 僕は目を閉じて言った。大丈夫。ケイトのためなら、死ぬのは怖くない。

「じゃあ、いくよ」

 最後にザクロさんと話せなかったことだけが、心残りだ。でも、もう、いい。領主様を早く楽にしてあげてほしい。

「うん。お願い」

 ピノは僕の額にキスをした。僕は目をぎゅっとつぶったまま、何か起こるのを待った。

「……やっぱな」

 僕はそっと目を開けた。ピノが怒ったようにくちびるを尖らしている。

「ねえ、アリスってのは、本当の名前じゃないんだろ」
「あっ!」
「ダメだよ、ちゃんと本当の名前を教えてくれなきゃ。魔法がうまくかからないだろ」
「ごめんなさい」

 僕は本当の名前を教えた。

「アリオト・ビョルンね……」

 ピノは噛み締めるように僕の名前を呼んだ。僕の体を、冷たい震えが走った。ピノは気持ちよさそうに笑った。

「おいで、アリオト」

 ピノの瞳から、目を逸らすことができない。ピノは僕を抱きしめると、もう一度、額にキスをした。額の真ん中に、温かい印が刻まれたような気がした。

「よし、これでいい。これで全てうまくいくぞ!」

 ピノは叫ぶと、僕の膝を飛び降りた。くるくると回りながら、月を仰いで笑った。僕は呆気に取られて、そんなピノのはしゃぎっぷりを見ていた。

「ねえ、ピノ。今ので本当に僕の魂を取ったの? 何も変わらないんだけど……」
「これを見て!」

 ピノは息を切らしながら、手のひらを差し出した。金色に光る、花の蕾のようなものがそこにはあった。
 
「君の魂で作った容れ物さ」
「えっ、こわ……」

 自分の魂だと言って見せられても、とても触ってみる気にはなれなかった。

「僕、死なないの?」
「は?」
「魂を取られたのに、僕、どうして生きてるの」
「バカだな。俺が君を殺すわけないだろ……ほんのひとかけでいいのさ」

 ピノはくつくつと笑った。金色の蕾はふわふわと、シャボンのようにピノの周りを漂った。

「今から、これに奴の記憶を閉じ込めてやる……見てな」

 ピノは氷面鏡を覗き込みながら、パチンと指を鳴らした。

 空中に浮かんでいた金色の蕾が、光りはじめた。信じられないことだった。領主様の僕に関する記憶が、ピノのスナップ一つで、消えていくなんて。今、湖のほとりの東屋で、ケイトはどんな顔をしているだろう。
 
 次第に花はほころび、回転しながら、ゆっくりと沈むように落ちてくる。ケイト、大好きなケイト。すっかり開ききった薔薇のようなそれを、ピノはそっと手のひらで受けた。

「綺麗だな」

 しばらく花に見惚れたあと、ピノは顔をあげ、小さな声で言った。

「どうして泣くの?」

 ピノに言われて初めて、自分の涙に気がついた。ピノは急に悲しそうな顔になって、僕をぎゅっと抱きしめた。
 

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