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第十七章 観劇会
2 扉の前で 上
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2 扉の前で 上
どこにも通じない階段を登って、平然とした顔でまた降りてくる僕を、宮廷の人たちはどう思っただろう。
広いお城に踏み込むや否や、僕は迷子になっていた。冷汗をかきつつ宮廷小姓を装って歩き回る。
ようやく見覚えのあるフロアに出た。領主様の部屋と思しき扉の前には、綺麗な服を着た若い侍従さんが立っていた。
扉の向こうにはケイトがいる。そう思っただけで心臓がどきどきしたけど、意を決して近寄った。
金髪に青い瞳の侍従さんは、人形のようにまっすぐ前を見たまま動かない。
「領主様はおいでですか」
侍従さんは目だけをきろっと動かして僕をみた。
「東の国の皇女様より、領主様にお言付けです」
僕は手紙を差し出した。
「これを渡していただけますか」
侍従さんは黙って手紙を受け取った。
「こんな時間にですか」
侍従さんは僕の顔をじっと見つめてくる。僕はどぎまぎしてしまった。
「領主様は今夜はもうお休みです。お急ぎの手紙でしょうか?」
「はい……恐れながら」
侍従さんは眉をしかめたが、とりあえず受け取ってはくれるようだった。
僕がその場を去ろうとすると、鋭い口調で呼び止められた。
侍従さんは部屋に入りかけたのに、急に気が変わったように引返してきたのだ。
「君、昼間もここにいたよね?」
「え?」
彼は身を屈め、ずいと僕の顔を覗き込んだ。
「執事と入れ替わりに領主様の部屋から出てきただろ」
侍従さんの言葉に、僕は震えあがった。
「なんでそれを?!」
「ずっとここに立ってるんだから当たり前だろ」
あの時の僕は気が動転していたから、ドアの前に侍従さんが立っていることに気が付かなかった。
「ねえ、さっきはどうやって部屋に入ったの。見張りの僕は執事に散々怒られたんだぜ」
僕はうっと息を呑んだ。侍従さんには申し訳ないが、それは言えない。
「君は何者だい。宮廷小姓じゃないのはわかってるよ。宮廷で働く者の顔は全て覚えているんだから」
「本当に?」
「僕は、人の顔は一度見たら忘れないんだ」
「そ、それはすごい……」
王宮に出入りする人の数なんてものすごい量だろうに。さすがは領主様付きの侍従さんだ。
「感心してないで質問に答えろ。なぜ領主様の周りをうろちょろしてるんだ」
どう答えたものか。ジュンの小姓を名乗るのは簡単だけど、それでジュンに咎が及んだら困る。
「皇女様の小姓か?」
僕は曖昧に頷いた。侍従さんはもはや不信感を隠しもせず、僕と手紙とを交互にジロジロ見た。
「《これは本当に皇女様からのお手紙?》」
なぜか東の国の言葉で話しかけられた。
「《もちろんです》」
僕もつられて東の国の言葉で返した。侍従さんはしかめっ面のまま手紙をひらひらさせて言った。
「《それにしては妙だ。皇女様の封蝋がない》」
そこで僕は、この手紙が確かに皇女様からのものであることを説明した。
「《この手紙は、皇女様が小劇場でしたためられたものです。封蝋がないのはそのため……》」
「ふーん、君からの私信ではないのか」
「まさか!」
侍従さんは疑わしそうに封筒を検分している。
「領主様に中を読んでいただければ分かるよ」
「悪いけど、君が例の少年だって分かったからには取次ぎ出来ない。執事の言付けでね」
「えっ?!」
「執事長があんなに取り乱すのは珍しいぜ。……君、いったいなにをやらかしたんだ?」
「何をって……」
「領主様と二人っきりでおぞましい事でもしてたんだろ」
僕はきょとんとした。
「なんのこと」
「とぼけるなよ。今日の昼間のことだ」
おぞましいこと。その言葉に、胸が抉られるような気がした。
「領主様の部屋にはどうやって入ったんだい。僕はずっとここに立ってたんだ」
侍従さんの人形のような顔は次第に興奮を帯びてきた。
「昨日だってそうだ。僕は見張りをサボってなんかいない。それなのに領主様は急に姿を消した……」
侍従さんはここでずっと見張りを続けているのに、領主さまは勝手に出て行った。裏切られたような思いがあったんだろう。
「誰も信じてくれないけど、僕にはわかってるんだ。領主様の部屋には隠し扉があるに違いない」
その思いが、僕に対する怒りに形を変えて、沸々と湧きあがって来たみたいだった。
「君はそこから出入りしていたんだ。そうだろ?」
侍従さんは僕の顎を指で掴むと、くいと持ち上げた。
「女の子みたいに可愛いじゃないか。その顔で領主様に取り入って、隠し扉のありかを聞き出したか」
言い返したかったけど、侍従さんの指がほっぺに食い込んでいて何も言えない。僕は間抜けなひよこみたいに口を尖らせていた。
「東の国の小姓となれば、スパイの可能性もあるな」
あらぬ疑いにもほどがある。僕はびっくりして首をふった。
「まあいい。直接執事長に説明しろ」
侍従さんは僕の顔から手を離すと、扉の脇に取り付けられている伝声管の蓋を開けた。
「……何をする気?」
「君が訪ねてきたら、すぐに報告するように言われているんだ」
僕は侍従さんの袖にすがった。
「ねえ、そんなことより、早くその手紙を領主様に渡して。皇女様がお困りになる」
「これがお前の私信でないという証拠は」
「皇女様に聞けばいいさ。小劇場のロビーで、直々にお預かりしたんだ」
「ならばそうしよう」
「ええっ?!」
侍従さんは本気で皇女様と執事さんに確認を取るつもりらしい。
僕は頭を抱えた。観劇中の皇女様にわざわざそんな確認をするなんて信じられない。
皇女様に申し訳なくて、僕は消え入りたい気持ちだった。
「いかがわしい小姓」の僕がしゃしゃり出て手紙を取り持ったせいで、とんだ騒動になってしまいそうだ。
「ねえ……僕はただの小姓で、その手紙は本当に緊急のご連絡だよ?」
侍従さんは鼻で笑った。
「だったらどうして、執事の名前を出した途端に顔色が変わったんだい。やましいところがあるからだろ?」
僕は言葉に詰まった。
そりゃ……執事さんにはあんな場面を見られちゃったんだもの、やましいところしかない。執事さんが僕を領主様に近付けたくないと思うのは当然だ。
だけど、部屋付きの侍従さんにも警戒されているとは考えもしなかった。僕は、甘かったんだ。それだけのことをしたという自覚が足りていなかった。
でも僕はもう、扉の前まで来てしまったんだ。その責任を取らなくちゃならない。感傷に浸っている場合じゃなさそうだ。
どこにも通じない階段を登って、平然とした顔でまた降りてくる僕を、宮廷の人たちはどう思っただろう。
広いお城に踏み込むや否や、僕は迷子になっていた。冷汗をかきつつ宮廷小姓を装って歩き回る。
ようやく見覚えのあるフロアに出た。領主様の部屋と思しき扉の前には、綺麗な服を着た若い侍従さんが立っていた。
扉の向こうにはケイトがいる。そう思っただけで心臓がどきどきしたけど、意を決して近寄った。
金髪に青い瞳の侍従さんは、人形のようにまっすぐ前を見たまま動かない。
「領主様はおいでですか」
侍従さんは目だけをきろっと動かして僕をみた。
「東の国の皇女様より、領主様にお言付けです」
僕は手紙を差し出した。
「これを渡していただけますか」
侍従さんは黙って手紙を受け取った。
「こんな時間にですか」
侍従さんは僕の顔をじっと見つめてくる。僕はどぎまぎしてしまった。
「領主様は今夜はもうお休みです。お急ぎの手紙でしょうか?」
「はい……恐れながら」
侍従さんは眉をしかめたが、とりあえず受け取ってはくれるようだった。
僕がその場を去ろうとすると、鋭い口調で呼び止められた。
侍従さんは部屋に入りかけたのに、急に気が変わったように引返してきたのだ。
「君、昼間もここにいたよね?」
「え?」
彼は身を屈め、ずいと僕の顔を覗き込んだ。
「執事と入れ替わりに領主様の部屋から出てきただろ」
侍従さんの言葉に、僕は震えあがった。
「なんでそれを?!」
「ずっとここに立ってるんだから当たり前だろ」
あの時の僕は気が動転していたから、ドアの前に侍従さんが立っていることに気が付かなかった。
「ねえ、さっきはどうやって部屋に入ったの。見張りの僕は執事に散々怒られたんだぜ」
僕はうっと息を呑んだ。侍従さんには申し訳ないが、それは言えない。
「君は何者だい。宮廷小姓じゃないのはわかってるよ。宮廷で働く者の顔は全て覚えているんだから」
「本当に?」
「僕は、人の顔は一度見たら忘れないんだ」
「そ、それはすごい……」
王宮に出入りする人の数なんてものすごい量だろうに。さすがは領主様付きの侍従さんだ。
「感心してないで質問に答えろ。なぜ領主様の周りをうろちょろしてるんだ」
どう答えたものか。ジュンの小姓を名乗るのは簡単だけど、それでジュンに咎が及んだら困る。
「皇女様の小姓か?」
僕は曖昧に頷いた。侍従さんはもはや不信感を隠しもせず、僕と手紙とを交互にジロジロ見た。
「《これは本当に皇女様からのお手紙?》」
なぜか東の国の言葉で話しかけられた。
「《もちろんです》」
僕もつられて東の国の言葉で返した。侍従さんはしかめっ面のまま手紙をひらひらさせて言った。
「《それにしては妙だ。皇女様の封蝋がない》」
そこで僕は、この手紙が確かに皇女様からのものであることを説明した。
「《この手紙は、皇女様が小劇場でしたためられたものです。封蝋がないのはそのため……》」
「ふーん、君からの私信ではないのか」
「まさか!」
侍従さんは疑わしそうに封筒を検分している。
「領主様に中を読んでいただければ分かるよ」
「悪いけど、君が例の少年だって分かったからには取次ぎ出来ない。執事の言付けでね」
「えっ?!」
「執事長があんなに取り乱すのは珍しいぜ。……君、いったいなにをやらかしたんだ?」
「何をって……」
「領主様と二人っきりでおぞましい事でもしてたんだろ」
僕はきょとんとした。
「なんのこと」
「とぼけるなよ。今日の昼間のことだ」
おぞましいこと。その言葉に、胸が抉られるような気がした。
「領主様の部屋にはどうやって入ったんだい。僕はずっとここに立ってたんだ」
侍従さんの人形のような顔は次第に興奮を帯びてきた。
「昨日だってそうだ。僕は見張りをサボってなんかいない。それなのに領主様は急に姿を消した……」
侍従さんはここでずっと見張りを続けているのに、領主さまは勝手に出て行った。裏切られたような思いがあったんだろう。
「誰も信じてくれないけど、僕にはわかってるんだ。領主様の部屋には隠し扉があるに違いない」
その思いが、僕に対する怒りに形を変えて、沸々と湧きあがって来たみたいだった。
「君はそこから出入りしていたんだ。そうだろ?」
侍従さんは僕の顎を指で掴むと、くいと持ち上げた。
「女の子みたいに可愛いじゃないか。その顔で領主様に取り入って、隠し扉のありかを聞き出したか」
言い返したかったけど、侍従さんの指がほっぺに食い込んでいて何も言えない。僕は間抜けなひよこみたいに口を尖らせていた。
「東の国の小姓となれば、スパイの可能性もあるな」
あらぬ疑いにもほどがある。僕はびっくりして首をふった。
「まあいい。直接執事長に説明しろ」
侍従さんは僕の顔から手を離すと、扉の脇に取り付けられている伝声管の蓋を開けた。
「……何をする気?」
「君が訪ねてきたら、すぐに報告するように言われているんだ」
僕は侍従さんの袖にすがった。
「ねえ、そんなことより、早くその手紙を領主様に渡して。皇女様がお困りになる」
「これがお前の私信でないという証拠は」
「皇女様に聞けばいいさ。小劇場のロビーで、直々にお預かりしたんだ」
「ならばそうしよう」
「ええっ?!」
侍従さんは本気で皇女様と執事さんに確認を取るつもりらしい。
僕は頭を抱えた。観劇中の皇女様にわざわざそんな確認をするなんて信じられない。
皇女様に申し訳なくて、僕は消え入りたい気持ちだった。
「いかがわしい小姓」の僕がしゃしゃり出て手紙を取り持ったせいで、とんだ騒動になってしまいそうだ。
「ねえ……僕はただの小姓で、その手紙は本当に緊急のご連絡だよ?」
侍従さんは鼻で笑った。
「だったらどうして、執事の名前を出した途端に顔色が変わったんだい。やましいところがあるからだろ?」
僕は言葉に詰まった。
そりゃ……執事さんにはあんな場面を見られちゃったんだもの、やましいところしかない。執事さんが僕を領主様に近付けたくないと思うのは当然だ。
だけど、部屋付きの侍従さんにも警戒されているとは考えもしなかった。僕は、甘かったんだ。それだけのことをしたという自覚が足りていなかった。
でも僕はもう、扉の前まで来てしまったんだ。その責任を取らなくちゃならない。感傷に浸っている場合じゃなさそうだ。
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