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第九章 侍従

1 王の給仕(侍従視点)

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1 王の給仕 (侍従視点)



 厨房へ入るなり、今度は何をしたのかとメイド達がからかう。執事が俺を探していたそうだ。

 領主の部屋で油を売ってたことへのお小言か、はたまたマリアとの朝の逢瀬がバレたか。

 出向いて話を聞いて見れば、何のことはない。今夜の晩餐会で王の給仕を務めるように命じられた。

「要件は、それだけですか」
「まあ、そうだが……」

 執事は髭をいじって、咳払いをした。この感じは、他にもまだ何か頼みがあると見た。

「承知しました。では私はこれで!」

 さっさと切りあげようとする俺を、執事が引き止めた。嫌な予感しかしない。

「じつは、王は王子の縁談について大変心配なさっていてな」
「はあ……」
「王子の様子で何か気になるところがあれば報告せよとのことだ」

 俺は首を傾げる。

「それなら、ついさっき、行って来ましたよ」

 王子が恋煩いで会議に出られない的なことを伝えて来たところだ。

 涙、ため息、食欲不振にうわ言などなど。俺の実体験を盛り込んだ作り話を、王は真に受けてずいぶん心配していた。ケイトは後で困るかもしれないが知ったことではない。ズル休みの代償だ。

 だが執事の言うのは消えた娘のことではなかった。あからさまな指示は避けているものの、要するに、王の給仕をしながら、王子と皇女の会話も偵察しろってことらしい。

「王様がそんな事を?」
「まあ、はっきりと口にはされないが……。王の意向を汲んで動くのが家臣というものだ」

 王の意向というより、執事の意向のような気がしなくもない。

 頼まれなくたって野次馬はする気だったけど、人に言われて偵察するのは何だか面倒くさい。適当に承諾して退散した。


**********


 領主不在の面白くもない会議の後、王の身支度を手伝い、晩餐会の支度を整えに大広間に向かう。少し遠回りして厨房をのぞくと、そこは朝とは打って変わって戦場と化していた。鍋もかまどもフル稼働といったところ。料理長は気が狂ったようになって汗だくで指示を飛ばしている。煮込まれたソース、香草、鮮魚、塩漬け肉、焼き菓子。いろんな匂いが混じり合った蒸気が厨房を満たしている。

 大広間には人が集まり始めていた。俺は王のテーブルセッティングをしつつ、マリアの姿を探す。やはり、どこにも見当たらない。その代わりにジュンが広間に入って来るのが見えた。近衛隊長殿のお出ましは、ご婦人方が一斉に髪をいじったり赤くなったりするからすぐわかる。

 だがジュンは、彼女達の熱い視線にも気付かぬ様子。今日は珍しく、小姓を連れている。すらっとした綺麗な小姓だ。ジュンはその小姓をその他の小姓達の席へ連れて行き、何か言い含めている。

 ちょっと興味が湧いて近づいてみる。それとなくジュンと小姓達の顔を観察する。ジュンが連れてきた小姓は黒い衣装だから、宮廷の小姓ではなく騎士の見習い小姓なのだろう。ジュンの顔つきの柔和さに一瞬目を疑う。

「ジュンはもう行くの?」

 黒衣の小姓が心細げに言う。かなりの美形だ。ジュンは相好を崩して笑った。衝撃である。人前であんなふうに笑うジュンを見たのは初めてだった。

「ごめんね。よく先輩達のいう事を聞くんだよ」

 ジュンはそういうと小姓の前髪をさらりとかきあげて額にキスをした。小姓達は連れ立って厨房の方へ出ていった。ジュンはそれを心配そうに見送っている。

 俺がぽかんとして眺めていると、ジュンがこちらに気付いた。俺を見るなり露骨な渋面を作ってくる。全く可愛い従兄弟どのだ。そう嫌そうな顔をされると、かえって構いたくなってしまう。

「おい、ジュン。今の子は?」
「ノーコメント」

 これまた、つれない返事。

「なんだよ、ケチ。いいさ。自分で聞いてくるから……」

 お近づきになろうと歩きかけた俺の腕をむずと掴んでくる。ぐるりと視界が回転したと思ったら、俺は柱に押し付けられていた。

 まさかの壁ドン。次の瞬間、従兄弟殿の低い声が耳元で響く。

「やんごとない方のご子息だ。それ以上は詮索するな」
「やんごとない方?」

 俺は小姓の後ろ姿を見やる。すらっとした気品漂う立ち姿は、確かに誰かを彷彿とさせるような雰囲気がある。ジュンは俺の顎をぐいと掴んで、自分の方に向けた。

「あら、強引」

 俺は機嫌よく微笑みかけてやるのに、ジュンはにこりともしない。ジュンの背後でメイド達が色めきだっているのが視界に入る。

「あの子には絶っっっ対に手を出すなよ」
「な……」

 みくびってもらっちゃ困る。誰が小姓なんぞに手を出すものか。俺だって小姓時代には言い寄る輩に苦労したんだ。同じようなことを自分がする訳ないだろう。

「当たり前だろ! 色々教えてやろうとしただけ……」
「いいか、一言も口を聞くな」
「えっ」
「見るのも禁止だ」

 はあ?! 俺が色々言い返すのも聞かずに、ジュンはニヤリと笑って去っていった。なんなんだよ! 仲良くしてやろうと思っただけなのに。小姓くんがどんな目にあったって、知らんからな。


**********************


 そんなこんなで、なんだか釈然としないまま、晩餐会が始まった。ジュンのやつめ、今夜は警備としてではなく領主の乳母子として、なかなかいい席に陣取っている。俺は王の給仕でほぼ立ちっぱだっていうのに。

 ジュンは豪華な料理を前にしても、むっつり黙ってワインをあおるばかり。彼の周りだけ闇のオーラが出ている。

「わっかりやす……」

 やつの不機嫌の原因はわかっている。もちろん、領主様だ。

 ジュンの愛しの領主様は、今宵は隣に座った東の国の第二皇女に夢中のご様子。昨日の青いドレスの娘のことは忘れてしまったのだろうか。初対面とは思えないほど意気投合しているのだ。

 楽しげに語らう領主と皇女に、家臣達も両陛下も驚きと喜びを隠しきれないといった様子。あんな辛気臭い顔をしているのは、領主に惚れているジュンくらいのものだ。

 笑いを堪えている俺を、王が手招きした。

「王子はみずから、昨夜のおふれを取り下げるように頼んできた」

 王は給仕する俺にささやく。先ほど、領主が王の部屋にやってきて、人払いした後の話だろうか。

「だがお前は、王子はひどい恋煩いをしているという」

 王は片眉をあげて含み笑いをした。俺は涼しい顔で王の盃にワインを注ぐ。

「はてさて、どちらの王子が本当なのか……」

 皇女と王子の仲を喜んでいる王妃に頷きつつも、王は何かが引っかかるらしい。

 無邪気なお人よしと称される現国王。だが、彼の人を見る目はかなり鋭い。何せこのトーマを側近として重用するくらいだから。

「あちらのお席にも、料理を取り分けて参りましょうか」

 広げた扇の陰で顔を寄せ合ったり、領主の囁きに皇女が楽しげに笑ったり。家臣達の願望そのままの光景を繰り広げている「あちらのお席」には、王と同じく、俺も違和感を持っていた。政略結婚をあんなに嫌がっていた領主が、皇女相手に愛想よく振るまうなんて、何か裏がありそうなものだ。

「それとなく、な」

 俺は王直々に、それとなく、領主の偵察を命じられたわけだ。

 領主と皇女の席の近くで料理を取り分けながら、二人の会話に耳を傾ける。

 領主はまた財政改革の話をしていて、皇女はよくわからぬが故郷のペットか何かの話をしていて、実際のところ全然噛み合っていない。

 俺は吹き出しそうになった。やはり願望というものは人の目を狂わせる。家臣達の願いも虚しく、二人の会話から色恋の匂いは全くしてこないのだった。

「領主も皇女も、お立場をよくわきまえていらっしゃる点で、意気投合されているといったところでしょう」

 王の元に戻って報告する。

「ほう。それは、うまく行っているということか?」
「じゃじゃ馬と、聖職者。恋愛マスターの私に言わせますれば、脈なしですね」

 俺がそうささやくと、王は大きな声で笑った。王妃は驚いたように、王を見た。

 宴もたけなわ。早々に満腹した王は、もう新たに料理を取ろうとしない。楽しげに宴を眺めながらワインを召される程度だった。こうなると俺も暇になってくる。

 ジュンはどうしているかと目をやると、驚いたことに、自分の隣に例の黒衣の小姓をはべらせている。人にはあれだけ近付くな、だの手を出すな、だの言っていたくせに。給仕をさせるどころか、近衛隊長殿直々に小姓の口に料理を運んでやっているのには目を疑った。あいつ、酔っているのか?

 こういう時、妙な勘が働くのが俺の恋愛マスターたる所以なのだが、俺は何心なく領主を見た。

 するとどうだろう。領主は皇女に目もくれず、ジュンの方をじっと見つめているではないか。

 これは、と思う。

 ジュンも小姓の髪を撫でながら、チラと領主の方を見遣った。だが、領主とジュンの視線が交わることはなかった。折しも皇女が領主の耳元に顔を寄せて、小声で何か話しかけたから。

「え。何。何が起きてる……?」

 俺は思わずつぶやいた。名探偵トーマの血が騒ぐ。

 いつも眼中にもないはずのジュンを領主が見てた。ジュンはまるで領主を煽るかのように美しい小姓を愛でている。

 恋の鞘当てのように見えなくもなかった。

 それは一瞬の出来事にすぎなかった。だが、俺は確信していた。彼らの関係に、何か秘められた変化が起きていると。

 晩餐会が終わった後も、俺は彼らから目を離さなかった。王への報告が目的ではない。あくまで個人的な興味だ。ジュンと領主の間に何かが起きている。そんな野生の勘が働いたのだ。

 案の定、領主は晩餐会の終わった後、帰ろうとするジュンを呼び止めた。俺は柱の影からその会話を盗み聞く。


**********************


 王の就寝の支度を手伝いに行く。王は俺と執事以外の人間を寝室から下がらせると、待ちかねたように報告を促してきた。俺は、ジュンと領主の晩餐会後の会話をごくかいつまんで報告した。

 明日の午後、領主は皇女の館を訪問なさるそうな。王は興味を示した。それなら領主に同行せよという。執事を呼んで、俺を明日の貴賓館訪問に帯同させるように命じている。さすが、話が早い。

 あえて報告しなかったことが一つだけある。小姓の同行だ。あの金髪の麗しい小姓。どこかで見覚えがある。

 今朝がたの青いドレスといい、昼間の会議のパスといい、今夜の不自然な振る舞いといい、領主とジュンは何か隠している。俺の好奇心は高鳴るばかりだ。


**************


 王の部屋を辞した後、マリアを探して女中部屋を訪ねたがいなかった。

 王妃の部屋に昼食を運びに行ったのを見たものがいるが、その後の消息がしれない。晩餐会の間中、皆忙しく立ち働いていたのもあるだろうが、誰も知らないというのもおかしな話だ。

「それにしても、こんな時間まで戻らないなんてありえないだろ?」

 俺は心配で仕方がないのに、メイド達は意外なほど冷静で、そのうち帰ってくるでしょうと呑気に構えている。その様子に、俺はハッと息をのむ。

「わかった……マリアは俺以外の男と出かけてるんだな」
「マリアはそんな娘じゃありませんよ!」
「本当に? 俺にバレないように口裏を合わせているんじゃ……」

 みんなして嘘をついているのではないかと疑心暗鬼になる。

「何よそれ、とんだ迷探偵だこと」

 メイド達は大笑いする。

「あなたこそこんな時間に女中部屋なんか来ないでよ」
「そうよ、夜這いするにしてもあからさま過ぎますよ」
「夜這いなんかじゃないって。ただ愛しい恋人にお休みの挨拶を……」
「はいはいはいはい」

 笑い声とともに部屋を追い出されてしまった。

 俺は泣きたくなった。新たな失恋を覚悟しなくてはならないかも。領主のことを気にしている場合ではない。マリアが心配で、今夜は眠れそうにもない。












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