短篇集 日常のくすり

糸田造作

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短編集

反省の意

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ここはどこだろう。
男は目を覚まし、心の中で呟いた。
理解できるのは、視界は布地のようなもので遮られており、自分が仰向けの状態でいることだった。しかし、縛られているわけではなかった。

動けない。
不気味な金属音が遠くから微かに聞こえ、心臓を動かすことだけに集中しなければ恐怖で止まってしまうのではないかと思われた。そもそも、急に知らない場所で目を覚まし、目隠しされた状態で手足を自由に動かせる人間など、ドラマや映画の中にしかおらず、現実には恐怖と不安で呼吸することで精一杯なのである。

これからどうなるんだろうか。
男は大企業の会社員であった。彼の成績一つ一つが直接日本経済に関わると言っても良いほど大きな会社である。日々、プレッシャーに押しつぶされそうな中、なんとか今まで続けてこれたのは奇跡といっても良かった。

魔が差したんだ。
毎日眠れない様なストレスと不安から、会社の情報を渡せば、今後仕事をしなくとも遊んで暮らせる程の大金を用意してくれるというライバル会社に勤める友人の言葉に目が眩み実行した。夜遅くまで残業していると見せかけ、会社のデータを盗んだのだ。子供は夜遅くまで外にいては行けないが、会社員は夜遅くまで働いていると仕事熱心と思われるらしい。子供の頃に戻りたい。そんなことを思ってデータを盗み出したのが男の覚えている最後の記憶だった。

この音はなんだ。
水の流れる様な濁音が聞こえるや否や頭にぶっかけられた。知らない液体をかけられた時程、危険を感じる時はない。男は反射的に叫び声をあげた。嫌だ、死にたくない。ストレスで魔が差したとはいえ、日本有数の企業で長年働いてきたんだ。日本経済を動かしてきたんだ。なぜその自分がこんな所で殺されなければならないのか。せめて抵抗してから死んでやる。そう腹を括ると男の中に力が戻り、視界を遮る布を取り、身体を起き上がらせた。

「申し訳ございません。熱かったでしょうか。」
心配そうな目を向けている相手を見て、男は全てを理解した。

美容院である。
会社のデータを盗んだ後、姿をくらまそうとして変装を考えたのだ。その第一歩として髪型を変えるために美容院に来ていたのだった。しかし、散髪中、美容師さんと会話をするうちに自分の悪行がバレやしないかという不安が募り、とうとうシャンプー台に移動し、美容師さんが準備をするために離れた少しの間に気を失ってしまったのだった。

「大丈夫です。少し驚いてしまって。
ただ、散髪後で本当に申し訳ないのです  が、坊主にしてください。」

明日会社に辞表を出そう。
男は少年時代に反省を意を表すために坊主にしたことを思い出した。
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