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第三章
〈二〉泥の攻防
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「もー嫌です!」
行雲御所の離れに、三郎の悲痛な叫びが響く。
「毎日毎日山に行くのはまあ良しとしましょう! でも! なんでいつも天真殿がいるんですか!」
「宮城の外だからだろうな」
「ごもっとも!」
うわあん、と声を上げながら、三郎は座る白柊の膝に縋り付いた。
「私あの人嫌です、四六時中『顔見せろ』だの『名前教えろ』だの! しかもたまに黙ったかと思えば『透けて見えるかも』とか言って人のことじろじろ見つめて!」
「……お前が大袈裟に反応するからじゃないか?」
虚鏡として動いていない時の三郎は反応が大きい。天真のような男からすれば、実際に顔や名前はどうでもよくても、その反応見たさにからかうこともあるだろう。
自分にも似たようなところがあるので白柊はそう思ったものの、目の届かないところで三郎に手を出されるのも気分が悪い。ぽん、と膝の上の頭に手を置いて、「山狩りは終わったのか?」と問いかけた。
「終わりましたよ。流石に毒虫なんかは月霜宮に持って来られませんが。っていうかこれなら四郎が行けば良かったんじゃないですか?」
「あいつは細かい仕事が苦手だろう。見逃しが多くなる」
「それは私が褒められている……?」
三郎が訝しげに首を傾げれば、白柊は「ああ、褒めてるさ」と投げやりに返した。
「持ち込めなかった虫は記録してあるんだろう?」
「勿論。それでこれどうするんです? こんなに色々集めちゃって……」
そう言う三郎の視線の先には、離れの軒先に並べられた大量の獲物があった。うさぎやリスといった小動物から、毒のあるものも含めた植物まで。大きな動物は目立つから記録だけでいいと言われていたため、今回ここには並んでいない。
集めるよう命じた白柊はじっとそれらを見つめていたが、一通り見終わると少し不満そうに三郎に目をやった。
「爬虫類がいない」
「冬眠中です」
「掘り返せ」
「えっ」
さも当然とばかりに言われて、三郎が顔を顰める。
「嫌ですよう、あの山には肌に毒を持った蛙だっているんです。無闇に掘り起こして毒食らったらどうするんです?」
「どうせ効かないだろう」
「致死性の猛毒ですよ? 死にはしませんが、触ったところがなんか痒くなります」
「……それで済むのか」
白柊が呆れたように呟いたが、三郎は聞いていなかったらしい。「痒いのは絶対嫌です」と言いながら、いかに土掘りが嫌か熱弁していた。しかしいくら三郎が駄々をこねたところで、それを聞く白柊でもない。話半分で適当に頷いていたが、ふと思いついたかのように問いかけた。
「なあ、毒っていうのは触ったら分かるものなのか?」
主から質問があれば、自分の主張を中断するのが三郎だ。ううむ、と考えるような仕草をした後、「物によりますね」と答え始めた。
「皮膚から吸収される毒でも、触れた箇所には全く異常が現れない場合があります。さっき言った蛙――ウルシガエルなんかがそうですね。私や虚鏡の人間は痒みが出ますが、これは体質というか、訓練によるものなので普通の人間には起こりません」
虚鏡では守護に就くことを想定して、毒が効かなくてもその存在は検知できるよう、身体に多少の反応は現れるように訓練しているのだ。やり方は至って単純で、毒に触れたらその箇所に痒みを与えるというもの。それを何度も何度も繰り返すことで身体に毒を覚えさせ、やがて毒に触れただけで痒みを発するようになる。
その訓練のことを思い出した三郎は、「考えただけで痒くなってきた……」と両腕を擦った。気を紛らわすために記憶を辿り、話に集中しようと口を開く。
「ちなみにウルシガエルより一回り小さいネツガエルっていう蛙も毒を持ってるんですけど、この毒は口とかから体内に入らない限り問題ありません。ま、こちらも致死性ですし、どっちも同じように物凄い高熱が出て苦しむんですけどね」
「蛙ばかりだな」
「だって白様が冬眠してるところ掘り返せって言うからぁ。ちゃんと他にもいますよ。蛇は勿論、植物も。ああ、このヒクイモズという鳥も毒を持ってます」
そう言って三郎は袋の中から慎重に鳥を取り出した。まだ生きているため、飛んでいかないよう足を掴む。
「鳥が?」
「多分先程言ったネツガエルを食べるからでしょうね。この鳥に触れた手で物を食べると、ネツガエルの毒と同じ症状が出ます。でも毒性は弱まっているので、ヒクイモズ自体を食べない限り死にはしません。ちゃんと処置すれば御三家でなくとも二、三日で回復しますよ」
そこまで言い終わった三郎は鳥をしまい、触れた方の手袋を外した。彼女は毒を食らっても問題ないが、毒の付いた手で白柊の口に入るものにうっかり触れるわけにはいかない。
懐から予備の手袋を取り出して着物の袖を捲くりあげると、いつもは黒い手袋に隠されている肌が顕になった。しかしすぐに新しい手袋をはめ、珍しく晒したその透き通るような肌を、二の腕まですっぽりと再び覆い隠す。
白柊はそれを眩しそうに目を細めて見ていたが、すぐに咳払いをして己を律した。三郎を女性として見るのをまだやめるつもりはないが、これでは天真と同じではないかと少し気まずくなったのだ。
「――こういうのは有名なのか? 蛙はともかく、鳥は間違って触れてしまいそうだ」
先程見たものを忘れるように、白柊は新たな疑問を投げかけた。
「山に狩りに出る人なら知ってるはずですよ。まあ、ちゃんと教えてくれる人がいる場合ですけど。それにしたって、自分が狙う獲物に関係のある物しか知らなくても不思議じゃありません」
「なるほどな」
そう言って、白柊は考えるように口元に手を当てた。そんな白柊を不思議そうに見ながら、三郎は主に声をかける。
「ていうか、急に毒に興味持ってどうしたんですか? 山狩りもその一環だったりします?」
「毒もそうだが、狩りに興味がある」
「え!? あ、もしや先日の茶会で男性陣の会話に入れなかったのが悔しかったんですか? ――あれ? そういうことなら白様がご自分で行かれれば良かったのでは?」
三郎が少しからかうように言ってみると、白柊からはじろりと鋭い視線が返された。「ごめんなさい、調子に乗りました」、顔を引き攣らせながら三郎が謝れば、白柊は大きな溜息を吐く。
「誰が自分でしたいと言った。俺が興味あるのは獲物の捕り方だ。こうやってお前に捕ってきてもらって、それぞれの捕り方の説明を聞いた方が楽だろう」
「まさかそれで狩りをしている気になってます……?」
「鷹狩りは鷹を使うし、鵜飼いは鵜を使う。ならば俺は守護を使って獲物を狩る」
「ちょっと! 人を鳥と一緒にしないでくださいよ!」
慌てたように言った三郎を見て、白柊は楽しそうに笑った。
§ § §
「――それで、冬眠中の生き物も掘り起こしてこいって?」
山の地面を掘る三郎の隣にしゃがみ込み、そこにいるのがさも当然のような顔で天真が問いかける。三郎ももう気にするのは無駄だと思っていたため、山中で突然話しかけられても流すようにしていた。
「そうです、なんか全部捕り方と特徴を把握しておきたいとかで。人を鳥と一緒にするだなんて失礼な話ですよね。これで狩りをしてるつもりなんだから、白様って本当――って聞いてます?」
「聞いてる聞いてる」
「じゃあなんで後ろに回るんですか」
「俺も色々考えてんだよ」
「は? ――うわっ!?」
べちょ、という音が聞こえたかと思うと、三郎の視界が闇に染まった。一瞬驚きで固まったものの、すぐに音の正体に気付いて声を上げる。
「なんで人の面に泥貼り付けるんですか!」
「大変だ! この泥水っぽいからこのままじゃ垂れて呼吸穴が塞がるぞ!」
「声が笑ってますが!?」
なんなんだ全く、と憤りながら三郎は必至で面を擦った。しかし視野確保のための穴にも泥が入り込み、視界は暗いまま。これは面を取るしか無いと思ったところで、やっと天真の意図に気が付いた。
「……顔が見たいだけですね?」
「そんなことねェよ? ほら、面に手を出すなって言われてるしな」
「泥付けた張本人がよく言う!」
「いやいや、俺は冬眠中の生き物掘り返そうとしただけ。んでほじくり返した泥が運悪く明月介殿の面に命中したってワケだ」
「思い切り手で擦りつけてましたが!?」
よくもいけしゃあしゃと――三郎は憤ったものの、現実として面を外さざるを得ない状況だ。普段なら見えなくてもそこまで困らないが、今は白柊の命で生き物採集をしなければならない。それにはどうしても視覚情報が必要で、覗き穴の塞がった面をつけたままではどうにもならなかった。
「……ちょっとこれ綺麗にするんで、あっち向いててください」
「えー、折角汚したのに」
「言い切りましたね!?」
三郎が怒りの声を上げれば、天真から「まァ俺も今回はやり方が悪かったし……」と同意と取れる言葉を返される。くるりと後ろを向いた後も、確認のため気配を探ったが天真が動く様子はない。
(これなら最初からやらなきゃいいのに)
面を取られたいわけではないが、本気で取る気がないのにこんなことをされるのはただ迷惑なだけだ。御所に帰ったら白柊にきつく言ってもらおうと考えながら、三郎は狐面を外した。
すると視界に広がったのは、久々に開けた視野で見る山の景色。そして蜂蜜色。
「おお、これはこれは……」
「何してんですか!?」
面を取った三郎の目の前にいたのは、彼女の顔を覗き込むようにして屈んだ天真だ。感心するように顎に指を当て、「こりゃァ白柊様も隠したいワケだ」と納得するような様子を見せている。
しかし納得行かないのは三郎だ。動く気配などなかったのに、こうして後ろだけでなく前までも取られてしまうとは悔しい以外の何物でもない。その感情のまま思い切り顔を顰めたが、天真は面白そうに笑うだけだった。
「こんな上玉、羽刄にもそうそういないぞ? もっと顔出しゃいいのに」
「私は虚鏡です。外見は隠すべきですし、己の美醜になど興味ありません」
「そうかそうか、俺は羽刄だ。綺麗な姉ちゃんが好きだし、ずっと見ていたい」
「それは羽刄どうのではなく貴方の性癖で――あぁ!?」
天真を睨みつけながら文句を言おうとした三郎だったが、言い切る前に相手の頭が目に入り思わず悲鳴を上げた。
「まだまだだな」
にやにやと笑いながら、天真は頭から泥のついた狐面を手に取り見せびらかす。
「返してください!」
三郎は必死に天真から取り返そうとするが、ひらりひらりと躱され指先に掠ることすらない。
「返して欲しい?」
「聞くなら返してください!」
「返してもいいけど、名前教えてくれたらな?」
「なっ! それじゃあ天真殿が得するだけじゃないですか!」
「当たり前だろ?」
意地悪く笑う天真に、三郎が顔を歪める。
「もういい! 自力で取ります!」
「取れるもんならな。っていうかいいの? こんなんに時間かけてたら、白柊様のおつかい終わらないぜ?」
「もう! そう思うなら動かないでくださいよ!」
「ほい」
「――っ!?」
ぽすん、と三郎の顔が何かにぶつかる。
「いらっしゃいませー」
その声に顔を上げれば、にこにこと笑う天真が自分を見ていた。それに自分の置かれた状況を理解して、三郎は「うわぁ!?」と思い切り叫び声を上げる。
「いやその悲鳴酷くない?」
「妥当で――って離してください!」
咄嗟に飛び退こうとしたのに動けない。何故だと思って探ってみれば、天真の腕が自分の腰を抱いているのが分かった。三郎はひい、と顔を歪めて、自分を見下ろす天真を睨みつける。
「ああ、今日は腰にもサラシ巻いてんのか。つまんねェな……――ん、何か言った?」
「触るな離せ!」
「な、ま、え」
一音ずつ区切るような言い方に、三郎の顔が一層歪む。そのまましばらくもがいていたが、やはりうまく逃げ出せない。
「――うわぁああああん!」
そう泣き叫ぶ声の後、愉快そうに「改めてよろしく、三郎殿」と笑う声が続いた。
行雲御所の離れに、三郎の悲痛な叫びが響く。
「毎日毎日山に行くのはまあ良しとしましょう! でも! なんでいつも天真殿がいるんですか!」
「宮城の外だからだろうな」
「ごもっとも!」
うわあん、と声を上げながら、三郎は座る白柊の膝に縋り付いた。
「私あの人嫌です、四六時中『顔見せろ』だの『名前教えろ』だの! しかもたまに黙ったかと思えば『透けて見えるかも』とか言って人のことじろじろ見つめて!」
「……お前が大袈裟に反応するからじゃないか?」
虚鏡として動いていない時の三郎は反応が大きい。天真のような男からすれば、実際に顔や名前はどうでもよくても、その反応見たさにからかうこともあるだろう。
自分にも似たようなところがあるので白柊はそう思ったものの、目の届かないところで三郎に手を出されるのも気分が悪い。ぽん、と膝の上の頭に手を置いて、「山狩りは終わったのか?」と問いかけた。
「終わりましたよ。流石に毒虫なんかは月霜宮に持って来られませんが。っていうかこれなら四郎が行けば良かったんじゃないですか?」
「あいつは細かい仕事が苦手だろう。見逃しが多くなる」
「それは私が褒められている……?」
三郎が訝しげに首を傾げれば、白柊は「ああ、褒めてるさ」と投げやりに返した。
「持ち込めなかった虫は記録してあるんだろう?」
「勿論。それでこれどうするんです? こんなに色々集めちゃって……」
そう言う三郎の視線の先には、離れの軒先に並べられた大量の獲物があった。うさぎやリスといった小動物から、毒のあるものも含めた植物まで。大きな動物は目立つから記録だけでいいと言われていたため、今回ここには並んでいない。
集めるよう命じた白柊はじっとそれらを見つめていたが、一通り見終わると少し不満そうに三郎に目をやった。
「爬虫類がいない」
「冬眠中です」
「掘り返せ」
「えっ」
さも当然とばかりに言われて、三郎が顔を顰める。
「嫌ですよう、あの山には肌に毒を持った蛙だっているんです。無闇に掘り起こして毒食らったらどうするんです?」
「どうせ効かないだろう」
「致死性の猛毒ですよ? 死にはしませんが、触ったところがなんか痒くなります」
「……それで済むのか」
白柊が呆れたように呟いたが、三郎は聞いていなかったらしい。「痒いのは絶対嫌です」と言いながら、いかに土掘りが嫌か熱弁していた。しかしいくら三郎が駄々をこねたところで、それを聞く白柊でもない。話半分で適当に頷いていたが、ふと思いついたかのように問いかけた。
「なあ、毒っていうのは触ったら分かるものなのか?」
主から質問があれば、自分の主張を中断するのが三郎だ。ううむ、と考えるような仕草をした後、「物によりますね」と答え始めた。
「皮膚から吸収される毒でも、触れた箇所には全く異常が現れない場合があります。さっき言った蛙――ウルシガエルなんかがそうですね。私や虚鏡の人間は痒みが出ますが、これは体質というか、訓練によるものなので普通の人間には起こりません」
虚鏡では守護に就くことを想定して、毒が効かなくてもその存在は検知できるよう、身体に多少の反応は現れるように訓練しているのだ。やり方は至って単純で、毒に触れたらその箇所に痒みを与えるというもの。それを何度も何度も繰り返すことで身体に毒を覚えさせ、やがて毒に触れただけで痒みを発するようになる。
その訓練のことを思い出した三郎は、「考えただけで痒くなってきた……」と両腕を擦った。気を紛らわすために記憶を辿り、話に集中しようと口を開く。
「ちなみにウルシガエルより一回り小さいネツガエルっていう蛙も毒を持ってるんですけど、この毒は口とかから体内に入らない限り問題ありません。ま、こちらも致死性ですし、どっちも同じように物凄い高熱が出て苦しむんですけどね」
「蛙ばかりだな」
「だって白様が冬眠してるところ掘り返せって言うからぁ。ちゃんと他にもいますよ。蛇は勿論、植物も。ああ、このヒクイモズという鳥も毒を持ってます」
そう言って三郎は袋の中から慎重に鳥を取り出した。まだ生きているため、飛んでいかないよう足を掴む。
「鳥が?」
「多分先程言ったネツガエルを食べるからでしょうね。この鳥に触れた手で物を食べると、ネツガエルの毒と同じ症状が出ます。でも毒性は弱まっているので、ヒクイモズ自体を食べない限り死にはしません。ちゃんと処置すれば御三家でなくとも二、三日で回復しますよ」
そこまで言い終わった三郎は鳥をしまい、触れた方の手袋を外した。彼女は毒を食らっても問題ないが、毒の付いた手で白柊の口に入るものにうっかり触れるわけにはいかない。
懐から予備の手袋を取り出して着物の袖を捲くりあげると、いつもは黒い手袋に隠されている肌が顕になった。しかしすぐに新しい手袋をはめ、珍しく晒したその透き通るような肌を、二の腕まですっぽりと再び覆い隠す。
白柊はそれを眩しそうに目を細めて見ていたが、すぐに咳払いをして己を律した。三郎を女性として見るのをまだやめるつもりはないが、これでは天真と同じではないかと少し気まずくなったのだ。
「――こういうのは有名なのか? 蛙はともかく、鳥は間違って触れてしまいそうだ」
先程見たものを忘れるように、白柊は新たな疑問を投げかけた。
「山に狩りに出る人なら知ってるはずですよ。まあ、ちゃんと教えてくれる人がいる場合ですけど。それにしたって、自分が狙う獲物に関係のある物しか知らなくても不思議じゃありません」
「なるほどな」
そう言って、白柊は考えるように口元に手を当てた。そんな白柊を不思議そうに見ながら、三郎は主に声をかける。
「ていうか、急に毒に興味持ってどうしたんですか? 山狩りもその一環だったりします?」
「毒もそうだが、狩りに興味がある」
「え!? あ、もしや先日の茶会で男性陣の会話に入れなかったのが悔しかったんですか? ――あれ? そういうことなら白様がご自分で行かれれば良かったのでは?」
三郎が少しからかうように言ってみると、白柊からはじろりと鋭い視線が返された。「ごめんなさい、調子に乗りました」、顔を引き攣らせながら三郎が謝れば、白柊は大きな溜息を吐く。
「誰が自分でしたいと言った。俺が興味あるのは獲物の捕り方だ。こうやってお前に捕ってきてもらって、それぞれの捕り方の説明を聞いた方が楽だろう」
「まさかそれで狩りをしている気になってます……?」
「鷹狩りは鷹を使うし、鵜飼いは鵜を使う。ならば俺は守護を使って獲物を狩る」
「ちょっと! 人を鳥と一緒にしないでくださいよ!」
慌てたように言った三郎を見て、白柊は楽しそうに笑った。
§ § §
「――それで、冬眠中の生き物も掘り起こしてこいって?」
山の地面を掘る三郎の隣にしゃがみ込み、そこにいるのがさも当然のような顔で天真が問いかける。三郎ももう気にするのは無駄だと思っていたため、山中で突然話しかけられても流すようにしていた。
「そうです、なんか全部捕り方と特徴を把握しておきたいとかで。人を鳥と一緒にするだなんて失礼な話ですよね。これで狩りをしてるつもりなんだから、白様って本当――って聞いてます?」
「聞いてる聞いてる」
「じゃあなんで後ろに回るんですか」
「俺も色々考えてんだよ」
「は? ――うわっ!?」
べちょ、という音が聞こえたかと思うと、三郎の視界が闇に染まった。一瞬驚きで固まったものの、すぐに音の正体に気付いて声を上げる。
「なんで人の面に泥貼り付けるんですか!」
「大変だ! この泥水っぽいからこのままじゃ垂れて呼吸穴が塞がるぞ!」
「声が笑ってますが!?」
なんなんだ全く、と憤りながら三郎は必至で面を擦った。しかし視野確保のための穴にも泥が入り込み、視界は暗いまま。これは面を取るしか無いと思ったところで、やっと天真の意図に気が付いた。
「……顔が見たいだけですね?」
「そんなことねェよ? ほら、面に手を出すなって言われてるしな」
「泥付けた張本人がよく言う!」
「いやいや、俺は冬眠中の生き物掘り返そうとしただけ。んでほじくり返した泥が運悪く明月介殿の面に命中したってワケだ」
「思い切り手で擦りつけてましたが!?」
よくもいけしゃあしゃと――三郎は憤ったものの、現実として面を外さざるを得ない状況だ。普段なら見えなくてもそこまで困らないが、今は白柊の命で生き物採集をしなければならない。それにはどうしても視覚情報が必要で、覗き穴の塞がった面をつけたままではどうにもならなかった。
「……ちょっとこれ綺麗にするんで、あっち向いててください」
「えー、折角汚したのに」
「言い切りましたね!?」
三郎が怒りの声を上げれば、天真から「まァ俺も今回はやり方が悪かったし……」と同意と取れる言葉を返される。くるりと後ろを向いた後も、確認のため気配を探ったが天真が動く様子はない。
(これなら最初からやらなきゃいいのに)
面を取られたいわけではないが、本気で取る気がないのにこんなことをされるのはただ迷惑なだけだ。御所に帰ったら白柊にきつく言ってもらおうと考えながら、三郎は狐面を外した。
すると視界に広がったのは、久々に開けた視野で見る山の景色。そして蜂蜜色。
「おお、これはこれは……」
「何してんですか!?」
面を取った三郎の目の前にいたのは、彼女の顔を覗き込むようにして屈んだ天真だ。感心するように顎に指を当て、「こりゃァ白柊様も隠したいワケだ」と納得するような様子を見せている。
しかし納得行かないのは三郎だ。動く気配などなかったのに、こうして後ろだけでなく前までも取られてしまうとは悔しい以外の何物でもない。その感情のまま思い切り顔を顰めたが、天真は面白そうに笑うだけだった。
「こんな上玉、羽刄にもそうそういないぞ? もっと顔出しゃいいのに」
「私は虚鏡です。外見は隠すべきですし、己の美醜になど興味ありません」
「そうかそうか、俺は羽刄だ。綺麗な姉ちゃんが好きだし、ずっと見ていたい」
「それは羽刄どうのではなく貴方の性癖で――あぁ!?」
天真を睨みつけながら文句を言おうとした三郎だったが、言い切る前に相手の頭が目に入り思わず悲鳴を上げた。
「まだまだだな」
にやにやと笑いながら、天真は頭から泥のついた狐面を手に取り見せびらかす。
「返してください!」
三郎は必死に天真から取り返そうとするが、ひらりひらりと躱され指先に掠ることすらない。
「返して欲しい?」
「聞くなら返してください!」
「返してもいいけど、名前教えてくれたらな?」
「なっ! それじゃあ天真殿が得するだけじゃないですか!」
「当たり前だろ?」
意地悪く笑う天真に、三郎が顔を歪める。
「もういい! 自力で取ります!」
「取れるもんならな。っていうかいいの? こんなんに時間かけてたら、白柊様のおつかい終わらないぜ?」
「もう! そう思うなら動かないでくださいよ!」
「ほい」
「――っ!?」
ぽすん、と三郎の顔が何かにぶつかる。
「いらっしゃいませー」
その声に顔を上げれば、にこにこと笑う天真が自分を見ていた。それに自分の置かれた状況を理解して、三郎は「うわぁ!?」と思い切り叫び声を上げる。
「いやその悲鳴酷くない?」
「妥当で――って離してください!」
咄嗟に飛び退こうとしたのに動けない。何故だと思って探ってみれば、天真の腕が自分の腰を抱いているのが分かった。三郎はひい、と顔を歪めて、自分を見下ろす天真を睨みつける。
「ああ、今日は腰にもサラシ巻いてんのか。つまんねェな……――ん、何か言った?」
「触るな離せ!」
「な、ま、え」
一音ずつ区切るような言い方に、三郎の顔が一層歪む。そのまましばらくもがいていたが、やはりうまく逃げ出せない。
「――うわぁああああん!」
そう泣き叫ぶ声の後、愉快そうに「改めてよろしく、三郎殿」と笑う声が続いた。
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