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最終章 転がり落ちていく先は

【第十二話 期限】12-4 ……小僧って言っちゃってるじゃん

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『――だがもし予想どおりあの男が主犯なら、もうすぐ一葉の今の仕事も終わる』

 少しだけ心臓がきゅっとなった気がした。壱政様の言葉の意味を考えたいのに、頭がうまく働かない。えっと……どういうことだ?

「よく分からないんですけど、なんでですか? だって私がハンターのとこ行ってるのって、確か協力関係を駄目にしちゃいそうだったからじゃ……」
「それはだ。下手にお前の情報を取られたら困るから伏せていたが、元々ノストノクスが狙っていたのは奴らなんだよ。ただ誰が関与しているかも何も分からないから、外界で俺達が動いていてもハンター達がうるさくないようにしておきたかっただけだ」
「そうなんだ……」

 壱政様の話を聞きながら、この仕事をする時に言われたことを思い返した。

『最近外界に法を無視する奴らが流れ込んでるっていうのも、ハンター側と協議して慎重に対応を進めていたんだ。夜しか動けない俺らと違って人間は昼間でも情報収集ができるからな。それなのにお前のせいで面倒臭いことになっているんだぞ』

 これはてっきりそのあたりの事情を知らないハンターキョウの前に堂々と姿を現しちゃったことを咎められているのかと思っていたのだけど、今の壱政様の発言から察するに、実際はそれだけではなかったらしい。
 多分ノストノクスの指示で壱政様はウツギ達を狙っていたのだ。だけど当時はウツギという名前はおろか、それ以外の情報もほとんど分からない。分かっているのは悪さをしている吸血鬼の集団がいるということだけ。
 だから外界でじっくり調査したかったけれど、そのためにはハンター達との良好な関係が必要だった。彼らの情報網をアテにしていたというよりは、他の面倒事は避けたいという理由が大きいはずだ。

 だけど私のせいでそれが駄目になりかけてしまった。執行官が現れたという情報がハンター全体に知られたことで騒ぎになりかけたと聞いている。その後に面倒な要求をしてくる程度には、それまで調整していたハンター上層部の機嫌を損ねてしまったのだ。
 麗様がめちゃくちゃ大事になったと言っていたのはきっとこのせいだろう。ノストノクスが本気で動いていたことを私一人の行動でおじゃんにしてしまうところだったから、壱政様が頑張って調整してくれたのだ。

 で、その調整の結果できた私の役割がハンターを黙らせる係。
 相手のことが分からない以上、私に余計な情報を与えると向こうに取られてしまう可能性がある。この場合、向こうというのはハンターではなく悪さをしている吸血鬼達。だから私には必要最低限しか教えず、更にはちょっと事実と変えて伝えられていたのだろう。

 っていうのをなんとなく察したわけだけど、多分話はもっと大きいんだろうな。じゃなきゃ壱政様がノクステルナにずっといた説明が付かない。外界のことを調べたいなら外界にいた方がいいのに、そうしなかったってことはノクステルナにいる人達の中にも怪しい人がいたのだろう。
 今になって思えば、私が東京に行くよう指示を受けたのはそんな彼の手伝いのためだったのかもしれない。内容を聞く前にやらかしちゃったから知らないんだよね。

 なんて色々考えてみたところで、正直壱政様が自分はノクステルナにいるって私に言っていたこと自体が嘘の可能性も否めないんだけど。だって外界にいなきゃ私の和傘の出した信号を受け取れないから、本当にノクステルナにいたなら今頃私は死んで塵となっていたはずだ。そのあたりに触れないってことは聞かない方がいいのかな。
 改めて思うけれど、吸血鬼ってこういう時に不便だ。相手に操られてしまう危険があるせいで、全てが終わらないと全容を把握させてもらえないことが多いから。

「……寂しいな」

 ぽつりと零してしまえば、壱政様が怪訝そうに片眉を上げた。

「あ、いや違うんです。私に情報が伏せられるっていうのはいつもどおりだし、理由も理解してるんでむしろそうしてくれって思ってるんですけど、なんかこう蚊帳の外感というか……この仕事の終わりも予想できてなかったから、置いてきぼり感があるというか……」
「……それは本当に俺達に対してか?」
「え?」

 壱政様が嫌そうに顔を顰める。小さく溜息を吐いて、「あまり口を出したくないが」と私をじっと見つめた。

「人間は脆いぞ。簡単に死ぬし、年だって取る。人間の近くにいれば、いつだって置いていかれるのは俺達の方だ」
「……何の話ですか?」
「本当に分からなくて聞いているのか?」

 切れ長の目が私を見下ろす。懐かしいその眼差しは、まだ子供の頃に受けたもの。今みたいに仕事に関する叱責のためじゃなくて、私に自分で考えることを促すためのもの。

 壱政様は私の心の中が見えているのだろうか。分かっているのに、分からないふりをしたいだけだって。

「お前が全て受け入れられるならいい。だがもしその覚悟がないんだったらこれ以上は深入りするな。お前が受け入れなければならないことは相手にとっても同じ。小僧にもそれを強いる覚悟がないんだったら、一時いっときの感情で動くのはやめておけ」

 そこまで言うと、壱政様は静かに立ち上がって部屋を後にした。

「……小僧って言っちゃってるじゃん」

 誰もいなくなった部屋で一人、顔に手を当てて。頭の中ではずっと、壱政様の言葉が繰り返されていた。


 § § §


 ざあざあと雨の音が聞こえる。乾燥したこの季節には珍しい、本降りの雨だ。壱政様が帰った後に降り出したそれは徐々に勢いを強めて、閉め切った雨戸越しでもしっかりとその音を響かせるほどになっていた。
 折角なら雪にしてくれればいいのに、冬とはいえ東京じゃなかなか雪は降らない。雨粒の弾ける音と湿った匂いが、私の気分をどんどん暗くさせていく。

 私の今の仕事が終わる――それはハンターと一緒に動く必要がなくなるということ。最初はハンターと行動するなんて面倒だと思っていたのに、今は終わって欲しくないと思ってしまう。
 だってそれがなくなってしまったら、キョウと会う口実がなくなってしまうから。ハンターじゃなくたって会おうと思えば会えるけれど、会わない方がいいのかもしれないと思っている私もいて。そんな自分から目を背けるためには、仕事という名目が必要だった。

「――また壱政と喧嘩した?」

 布団の中で丸くなっている私に、様子を見に来たレイフが困ったように言った。廊下で止まったまま入ってこないのは私のせいだろう。彼は柔らかい殻に引きこもった相手を見て、ずかずかと近付いてくるような人じゃない。

「喧嘩とは……違います……」

 もぞ、と布団から顔を出す。レイフは何も悪いことなんてしていないのに、変な態度を取って気分を悪くさせたくはない。
 そんな私の姿を見たレイフは、優しく微笑みながら襖を閉めて私の隣に腰を下ろした。そこには和傘があったから邪魔になってしまうだろうと思って手を伸ばすと、「ああ、動かなくていいよ」と大きな手がそれを布団から遠ざける。ちょっと遠すぎてそわそわしたけれど、どうせ使うことはないだろうと思って気にしないことにした。

「喧嘩じゃないなら何だろうね。怒られたとか?」
「……近いかも」

 怒ってはいないけれど、キョウとのことをあんなふうに言ってきたということはそれに近しい感情だったのだろう。壱政様の言っていたことは真っ当だ。吸血鬼が人間を好きになるなんて、時間の流れが違うのにうまくいきっこない。吸血鬼である私がそう感じるだけじゃなくて、人間であるキョウにとってもそれはきっと同じ。
 壱政様も麗様もあんなふうに言うってことは、彼らは人間を好きになったことがあるのだろうか。本人になくても近くでそういう人を見たことがあるとかなのかな。だから私が吸血鬼と人間の違いに躓いてしまう前に止めようとしてくれているのかもしれない。

「レイフは……人間のこと、どう思ってます?」
「僕? うーん……ペットかなぁ」
「ペット!?」

 予想外の言葉に思わず布団から起き上がる。傷はだいぶ治っているから痛みはそれほどでもなかったものの、急に動いてふらふらした私の頭はそのまま枕に吸い込まれていった。頭がぐわんぐわんするのは本調子じゃないせい……だけではないよな。

「ごめんごめん、びっくりさせちゃったね」
「……本当ですよ」
「言い方が悪かったかな。何ていうか、人間って寿命が短いでしょ? しかも弱い。だから自分よりも儚い生き物だと思って可愛がってあげなきゃって思っちゃうんだよね」
「……なるほど」

 レイフは気を遣って言い直してくれたのだろうけど、今の発言の方が私には衝撃的だった。
 多分彼が人間に対して抱いている感情は、人間の小動物に対するそれと近い。私も人間は脆い生き物だとは思っているものの、彼ほど自分とは全く異なる生物として認識しているかと問われれば迷わず違うと答えられる。寿命や丈夫さが違うだけで、考え方や何やらは吸血鬼も人間もそこまで変わらない――そう思うのは、私がまだ吸血鬼の中では若いからだろうか。

 レイフは多分五百年くらいは生きている。長く生きれば生きるほど人間は別種の生き物だという感覚が強くなると聞いたことがあるから、きっと彼もそうなのだろう。となると、そんな相手を好きだなんだと言うのはレイフにとっては有り得ないことなのかもしれない。
 これは聞く相手を間違えちゃったなぁと思って次の話題を考えていると、レイフの方から「そういえば壱政は?」と疑問が投げかけられた。

「壱政様は帰りましたよ。麗様がまたノストノクスに軟禁されたみたいで」
「ああ……ってことは、しばらくは帰ってこれないのかな」

 少し困ったように言ったレイフはふと気付いたように立ち上がって、「空気入れ替えるね」とガラガラと音を立てて雨戸を開いた。いくら雨とはいえ、それができるということは今はもう夜だったのだろう。冷たい風のやってきた方を見れば真っ暗だった。

「寒い?」
「ちょっと」

 私の答えを聞いて、レイフは内側の障子戸をゆっくりと閉めた。手が通るくらいの隙間だけ開けて、「空気入れ替わったら閉めるから、ちょっとだけ我慢してね」と肩を竦める。
 それにしても急に空気入れ替えるって、そんなに淀んでたのかな。もしかして私臭いの……? いや、壱政様が何も言わなかったから多分大丈夫……なはず。あの人は綺麗好きな上にはっきり言うから基準として考えていい。
 第一、臭かったところでまだお風呂には入れそうにもないから一旦忘れよう。私は怪我人だ、大目に見て欲しい。

「そういえばあの人間の彼は? 昼間帰ったのは知ってるんだけど……また来るならお菓子用意しておいた方がいいかな?」
「そこまでしてもらわなくて大丈夫です! それにキョウもハンターの方で何かあったって言ってたんで忙しいと思います。後で顔を出してくれるとは聞いてるんですけど、実際いつ来るかは分からないし……」
「残念そうだね。来て欲しかった?」
「え!? や、それはその……ほら、暇じゃないですか! 傷は順調に治ってきてるけどまだ体力が戻らないから動けないし!」

 慌てて否定したのはなんでだろう。レイフの人間に対する認識を知ったからか、それとも私自身の問題か。
 障子戸の前に立ったままのレイフの金髪が冷たい風に揺れる。見慣れた着流しの袖が、こちらに向かって僅かにはためく。まるで彼がその冷たさを連れてきているかのような錯覚を覚えて、私はこっそりと視線を逸らした。

「今の一葉の状態で暇だと思うのはいいことだよ。それだけ身体が良くなってきてるってことなんだから」

 レイフは私の隣に座り直しながら言うと、あやすような優しい笑顔をこちらに向けた。

「それはそうですけど……早く動きたいです」
「内臓までやられちゃってたんでしょ? くっついたって言ってもまだ完全にではないはずだよ。無理に動けばまだ傷が開くだろうし、傷を治すために身体は頑張ってるから血だってきっと足りてない」
「栄養たくさん摂れば早く治るのかなぁ……」
「多少はね。でもそんな劇的には――」

 レイフの声が不自然に止まる。なんだろう――私の方を見ていた彼の顔が雨戸の方へと向けられた時、大きな音と共に障子戸が壊された。
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