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第三章 グッバイ、ハロー

【第八話 決別】8-4 分かんないよ、生き別れだもん!

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 キョウが屋敷を去って数時間、私はとぼとぼといつも彼と見廻っている道を歩いていた。
 別に私は正式なハンターではないから一日くらいサボったって問題はない。キョウにだって見廻りは来なくていいと言われたのだから、この街に来ない方が良かったのかもしれない。
 だけど、屋敷にいるのは落ち着かなかった。

 壱政様は忙しくてすぐに帰ってしまった。レイフは話を聞いてくれそうだけど、そこまで親しいわけじゃないから人間の話をどこまでしていいかも分からない。
 だから結局一人でいるしかなくて。だけど一人でいるのはなんだか寂しくて。

 一人自体は平気なはずなのに、最近ずっと夜はキョウといたせいか落ち着かない。彼の見廻り範囲から離れた場所を歩いてみても、自然と足は慣れた道へと吸い込まれていってしまう。
 だからキョウに出会わないように気を付けながら、私は夜の街を歩いていた。

『そうだよキョウ、ちゃんと手続きしてるってことはきっと何か事情があったんじゃないかな? 執行官が身元引受人になるって正当な理由があるはずだし……』
『ッそれはアンタらにとっての理由だろ!? ハンターが狩るべき相手側に着いたんだぞ!? 明らかな裏切りだ……!!』

 キョウの言葉を思い出して、胸がぎゅっとなった。
 私からしてみれば、執行官が絡んでいたのであれば救いはあると思える。個人ではなく執行官が仕事でキョウの両親をノクステルナに招いたということは、それだけの事情があったということだ。
 でもキョウにとっては違う。キョウはハンターで、吸血鬼を嫌っている。だからどんな事情があれど、自分の両親が自分達の意思で人間に背を向けたという事実だけが引っかかるのだ。

「調子乗ってた……」

 最近のキョウはよく話してくれるようになったから。前よりも雰囲気が柔らかくなったから。
 それは私を受け入れてくれているのだと思っていた。吸血鬼のことは好きになれなくても、私のことはそれとは別に見てくれているんじゃないかと感じていた。

 でも、完全なうぬぼれだったのだ。

『……しばらく一人にしてくれ』

 あの時の彼の言葉は、私に対する拒絶。考え事をしたいから一人になりたいだけなのかもしれない。だけど、そうじゃないのかもしれない。

 キョウの中で私は吸血鬼だから。だから、近くにいて欲しくないのかも。

 どんどん嫌な方にばかり思考が寄っていく。こんなの私らしくないと思いたくても、もうこのままキョウには話してもらえなくなるんじゃないかとか、以前よりももっと強く拒絶されるんじゃないかとか、そういうようなことばかりが頭の中を暗く覆っていく。

「やだよぉ……」

 誰もいない夜道にしゃがみ込めば、都会特有のドブっぽい地面の臭いが近くなった。
 どれだけ綺麗なお店を並べてみたって、実際はドブネズミが闊歩するような汚れた街だ。昼間の明るさがなくなれば、それに隠された本性が姿を現す。

『見てくれも行動も真似してるけど、アンタ自身には人間っぽさの欠片もないじゃねェか!』

 少し前にキョウに言われたことが脳裏に蘇る。
 あの時は私も頭に血が上っていたし、キョウのことをそういうふうに見ていなかった。だけど。

「キッツいなぁ……」

 もっと彼に近付きたいと思ってしまった今は、この言葉は私の胸を抉る。
 吸血鬼でいることが嫌だなんて思ったことはなかったけれど、どうしても〝もし〟と考えてしまう。
 だって私は、キョウにとってはこの街の汚れと同じだ。人間のふりをしながら暗闇に潜んで、生き物の生き血を啜る。私自身はそんなことしたことないけれど、だけどキョウにとってはそれをする者達と私に大差はない。
 いつだって空気に混ざる血の匂いを探して、その匂いに引き寄せられて。食欲のままに相手を貪る――そんな、おとぎ話で出てくる悪役の吸血鬼。それがきっと彼にとっての私。

「……キョウの匂い」

 ふわり、鼻の奥を覚えのある匂いが過ぎる。これは以前彼が腕を切った時に嗅いだ匂いだ。皮の下の、血の匂い。

「こんなん思い出すとかいよいよ化け物じゃん……」

 匂いは記憶に直結していると言うけれど、まさかキョウのことを考えていて彼の血の匂いを思い出すとは思わなかった。そんなの私が彼を餌として見ていると言っているようなものじゃないか。人間と変わらないと言っておいて、結局キョウの言う化け物像そのままじゃないか。

「忘れろ忘れろ忘れろ……!」

 パーカーの袖に鼻を押し当てる。屋敷で使われている洗剤の匂いが肺いっぱいに吸い込まれる。
 人工的な匂いを一気に嗅いで気持ち悪くなってきたところで、立ち上がって都会の空気を思い切り吸い込んだ。

「……消えない?」

 空気に僅かに含まれるそれは、未だ私の嗅覚を刺激する。だけどおかしい。記憶の中の匂いを思い出す時はもっと存在感があるはずなのに、さっきからこの匂いは微かにしかしない。居酒屋とかタバコとか、いろんな匂いの中にちょこっとだけ混ざっているそれは、記憶というよりも実際に存在していると考えた方がよっぽど自然で。

「キョウ……怪我してるの……?」

 心臓がどきどきする。頭がぎゅっと締め付けられる。胸の中が、ざわざわと騒ぎ立てる。

「ッ……!」

 行ってどうするんだ、だなんて考えてる余裕はなかった。
 人目につかない路地裏に飛び込んで身体を影へと変える。そのまま高く舞い上がって、微かに香るキョウの血の匂いの方へと空気に紛れて一気に進んだ。

 見つけたのは高架下、ホームレスも寄り付かない真っ暗な道。拒絶されるかもと思ったけれど、そこに座り込んだキョウからする血の匂いの強さが私の背中を押した。

「キョウ!」

 ほとんど影のままキョウに飛びつく。キョウは突然現れた私に驚いたような顔をしたけれど、すぐにほっとしたように息を吐いた。

「ああ、アンタか……」
「この怪我どうしたの!? 一体何が……」

 左足に巻かれたベルトは、それだけ傷が深いことを示していた。だけど傷はそれだけじゃない。身体のあちこちに細かい傷がついていて、壁で見えない右肩は左足と同じくらいに血の匂いが濃い。

「これ、吸血鬼じゃないよね……? 何があったの? いやそれより先に病院か……普通の病院連れてって大丈夫? 拠点の方がいい?」
「ふっ……」
「なんで今笑ったの!?」

 キョウが笑ってくれたことは素直に嬉しい。嬉しいけれど、でも今は意味が分からない。

「本当よく喋るよな、アンタ」
「ッ笑ってる場合じゃないでしょ!? とりあえず手当てしなきゃ! どこかに向かってたの? そこで手当てできるの?」
「アンタんとこ行こうとしてた」
「は……」

 一体何を言っているのだろう――突然の言葉に頭が真っ白になったけれど、すぐに〝私〟ではなく〝私達の屋敷〟に向かおうとしていたのかと思い至った。すると何を勘違いしているんだと恥ずかしくなって、「あ、ああそういうあれか!」と誤魔化すように口を動かす。

「ってことはこの怪我、ハンター仲間にも知られない方がいいってことだよね? タクシー……は、乗せてくれるかな。私がおぶってってもいい?」
「……あんまり良くない」
「でももう電車終わってるし。タクシー乗るなら着替えないといけないと思うんだけど着替え無いし、それ以外にうち方面に行く方法って――」
「一葉」
「――……はい?」

 恥ずかしさを誤魔化すように屋敷へ行く方法を考えていると、耳が不思議な音を拾って思考が中断された。〝ひとは〟って……一葉? ……空耳?

「えっと……キョウ、今……私の名前呼んだ……? 幻聴……?」
「呼んじゃ駄目なのかよ」
「いっ……いやいいよいいよどんどんどうぞ!! ただ初めて呼ばれたからびっくりしただけで……!」

 私が答えればキョウは不機嫌そうに眉間に皺を寄せたけれど、すぐにその表情を和らげて私に視線を合わしてきた。少し不安そうなその顔はあんまり見たことがなくて、珍しい表情だと騒ぎたいのに彼の放つ真剣な雰囲気が私を身構えさせる。

「悪かったよ」
「ッ謝らなくていいよ! びっくりしただけだもん!」
「そうじゃなくて……今まで、意地張ってて悪かった」
「……おう?」

 ちょっと待って、理解が追いつかない。まずキョウに名前を呼ばれた。それはいいだろう。
 次、キョウがなんか謝ってきた。とても珍しいことだけど前にもあったことだ、どうにか飲み込める。
 でもその内容がよく分からない。今までキョウが意地を張っていたこと? どういうことだろうと思ったけれど、直前に初めて名前を呼ばれたことを考えるとそれ関連だよね。ということは私への態度とか振る舞い? 吸血鬼云々の暴言とかそのあたり?

 ……そのあたりを悪いと思える感覚があるの?

「あの……あなたはキョウですか?」
「他に誰がいるんだよ」
「キョウの……生き別れた双子の弟?」
「そんなんいねェよ」
「じゃあ兄で!」
「兄弟がいねェ」
「分かんないよ、生き別れだもん!」

 真夜中の静かな高架下に、私の力強い言葉が響く。それを聞いたキョウは呆れたような目をこちらに向け、気が抜けたような息を吐いた。

「そうだな、もうそれでいい。そんなことより頼みがある」
「あ、手当てだよね。ごめんごめん、背中乗って!」
「それもそうだけど……あの人、壱政さんに調べて欲しいことがある」
「……壱政様に?」

 キョウが壱政様の名前まで呼ぶなんて、という驚きはもやっとした感情に掻き消された。いやだって私の方が付き合い長いじゃん。キョウは壱政様にこの間会ったばっかりじゃん。なのに壱政様ももう名前呼んでもらえるなんてずるいぞと思いながらも、キョウが壱政様に頼み事があるなんてよほどのことだろうとどうにか文句を飲み込む。
 そうして渋々本題を聞いてやるかとキョウの方を見れば、その目はもうこちらを見ていなかった。

「キョウ……? 寝てる……?」

 聞こえるのはすやすやと気持ちの良さそうな寝息。怪我の具合を考えれば当然だ、むしろ今までよく普通に話せていたなと感心するべきだろう。
 それだけ彼の身体が弱っているという事実とあどけない寝顔に毒気が抜かれてしまった私は、今の隙にと自分よりも大きい身体を背中に乗せた。
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