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1章 ヴァーゲ交易港
3話 プランダ
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「私はプランダ・ベッカーと申します。この家の主です。貴方様がアレを受け取ってくださったのですな。これは、これは……随分と心強い継承者様で」
プランダと名乗る老婆は、またしても身体を揺らして笑う。
「初めまして。僕はリオ、こっちは相棒のカーンです。彼に、この本の持ち主は貴方だったと聞きました」
僕は、僕達を案内してくれた男性を一瞥する。
「貴重な本、本当に手放してしまってもよかったのですか?」
「その本をご存知で?」
白髪の下、未だ光衰えぬ青色の瞳がキラリと輝いた。
僕は正直迷っていた。正直に言うべきか否か。しかし老婆は、好奇心の火に炙られ続ける魔術士のように爛々と輝いていた。
見覚えのある目だ。希望を見つけると、皆このような表情を浮かべる。この顔に、僕は弱いのだ。
「……知ってる。僕はこれを知っている。正確には知ることが出来る。もし貴女がこの内容を知りたいなら、教えられますよ。全文すぐには無理ですけど」
「おお。それは、それは……」
有り難い限りです。そう老婆は深々と頭を下げる。そうかと思えば彼女は、女性や僕達を連れて来てくれた男性に目を向けると、
「ベンノ、ディアナ。この方々に食事と寝床を」
「えっ、いや、そんな……」
当然僕は遠慮する。確かに今晩の宿は見つけていないし、考えてもいないが、そこまで世話になる訳にはいかない。
しかし老婆の方はというと、どうやら世話をする気満々のようで、歯抜けの目立つ口元を歪めると、
「魔術士とは貪欲であるものです。気を悪くしないでください、若きお方。私はすぐにでもその本を食らってしまいたいのです」
ホホホと老婆は笑う。垂れ下がった白髪の奥で、綺麗な青色が輝いていた。
□ □
結局僕達は、本の内容の教授と引き換えに、宿と食事を提供してもらえることになった。
この家の主、プランダ・ベッカーはヴァーゲ交易港随一の魔術士で、時に医師の真似事として薬を作ることもあるのだという。夕刻、老女が手にして有り難がっていた小瓶の中身も、プランダの作であるという。
世間話もそこそこに、彼女は自分の経歴をぽつぽつと話し始めた。まるで何かを探っているかのように。
「五十年前の戦争の時、私は竜騎魔術士隊の一員でしてね、こう見えても、昔は薬草の調合よりも砲台の役割の方が好きだったのですよ」
「竜騎魔術士隊って、あれだよね。竜に乗る魔術士……兵隊?」
「ええ、ええ。よく御存知で」
懐かしそうに目を細める。プランダの瞳は、絶えず僕を捉え続けていた。
日常の生活や戦争において大きな力を発揮する竜。それを軍事面で利用する竜騎士隊。どこかの国が発案し、構築された組織は、いつしか人間界の全土に広がり、やがて派生部隊を成すまで注目された。
プランダが属していたという、竜に跨る魔術士の集まり――竜騎魔術士隊も、時代に沿って編み出された力の一つだった。
空を舞う手段の少ない人間族にとって、竜は馬に並んで多く用いられる生き物だ。
よい竜の血を受け継ぐ国は空を制し、地を統べると言われる程に竜の存在は大きく、それを扱う者達も、竜と同等かそれ以上の待遇を受けているという。
そして僕は、それと関わったことがある。
僕たちが住処としていたシュティーア王国の竜騎士隊。勇敢な空の覇者達。彼らは人間界屈指の戦力を持っていた。今では解体されて見る影もないが、彼らは先の戦争において大いに活躍し、人間軍にとって大きな心の支えになっていたに違いない。
だが今日における世では、英雄を英雄として語ることは許されていなかった。それは神族との共存を望んだ人間による枷であり、同時に、それを受け入れた神族の圧力であった。
「あれからもう五十年ですか。道理で衰えるわけです」
「……プランダ、何歳なの?」
「ホホホ。さて、いくつだと思いますか?」
人間の命は七十年と言われている。だが目前の老婆は、その寿命を一回りも二回りも超えていると言われても納得できるくらいに読めなかった。垂れ下がった髪で顔の大半が隠れているから、ということもあるかもしれない。
僕が悩んでいると、部屋の奥から女性がやって来た。僕達を出迎えてくれた若い女性だ。名をディアナというらしい。
彼女は彼女の兄――僕達をこの家の導いてくれた男性、ベンノと共に、プランダの元に養子として入ったそうだ。成人するより前、十歳のころだったという。
ディアナは物に埋もれていた机の天板を発掘して、濡らした布巾でホコリを拭う。
食事の度にこうして掘り出しているのだろうか。もう少し片付ければいいのに、と思ったところで、僕は旅に出る前に住処にしていた家を思い出した。そういえば、僕の部屋もこんな感じだった。
どこからか漂ってきた香りに、僕のお腹が鳴った。
「リオ殿。よろしければ食事の前に、あの本について軽くご教授を願えませぬか?」
「……ご飯食べてからじゃ駄目?」
そう尋ねてみても、プランダは身体を揺らすばかりだ。待ちきれない――そう駄々を捏ねているかのようだ。
教授とはいっても、僕に伝えられることは限られている。それに、僕はほとんど本を読めていない。序文すら読みきってはいないのだ。
詳しくは教えられないかも。そう断った僕に本が手渡された。
僕の後ろに控える相棒カーン。それに預けていた、古びた大きな本――それは、僕達が目前の家族に出会うきっかけとなったものだった。それを膝の上で開きつつ、僕は空腹を宥める。
「えっと、そうだな。先に何を伝えておけばいいかな。……まず、これは魔界の本で、魔界の文字で書かれているんだ」
「魔界といえば、三界のうちの一つですな」
「そう。この世を構成する三つの世界のうちの一つ。それで、この本ではその成り立ち――というか、成り立つ以前の話というか。少なくとも太古の時代が描かれているみたいだよ」
「ほう、それはそれは……」
感慨深げにプランダは頷く。
家の奥から湯気の漂う皿が運ばれても、匂いに誘われた男がやって来ても、老婆の興味は移らない。ただ頷いて、幾重もの衣を揺らしていた。
プランダと名乗る老婆は、またしても身体を揺らして笑う。
「初めまして。僕はリオ、こっちは相棒のカーンです。彼に、この本の持ち主は貴方だったと聞きました」
僕は、僕達を案内してくれた男性を一瞥する。
「貴重な本、本当に手放してしまってもよかったのですか?」
「その本をご存知で?」
白髪の下、未だ光衰えぬ青色の瞳がキラリと輝いた。
僕は正直迷っていた。正直に言うべきか否か。しかし老婆は、好奇心の火に炙られ続ける魔術士のように爛々と輝いていた。
見覚えのある目だ。希望を見つけると、皆このような表情を浮かべる。この顔に、僕は弱いのだ。
「……知ってる。僕はこれを知っている。正確には知ることが出来る。もし貴女がこの内容を知りたいなら、教えられますよ。全文すぐには無理ですけど」
「おお。それは、それは……」
有り難い限りです。そう老婆は深々と頭を下げる。そうかと思えば彼女は、女性や僕達を連れて来てくれた男性に目を向けると、
「ベンノ、ディアナ。この方々に食事と寝床を」
「えっ、いや、そんな……」
当然僕は遠慮する。確かに今晩の宿は見つけていないし、考えてもいないが、そこまで世話になる訳にはいかない。
しかし老婆の方はというと、どうやら世話をする気満々のようで、歯抜けの目立つ口元を歪めると、
「魔術士とは貪欲であるものです。気を悪くしないでください、若きお方。私はすぐにでもその本を食らってしまいたいのです」
ホホホと老婆は笑う。垂れ下がった白髪の奥で、綺麗な青色が輝いていた。
□ □
結局僕達は、本の内容の教授と引き換えに、宿と食事を提供してもらえることになった。
この家の主、プランダ・ベッカーはヴァーゲ交易港随一の魔術士で、時に医師の真似事として薬を作ることもあるのだという。夕刻、老女が手にして有り難がっていた小瓶の中身も、プランダの作であるという。
世間話もそこそこに、彼女は自分の経歴をぽつぽつと話し始めた。まるで何かを探っているかのように。
「五十年前の戦争の時、私は竜騎魔術士隊の一員でしてね、こう見えても、昔は薬草の調合よりも砲台の役割の方が好きだったのですよ」
「竜騎魔術士隊って、あれだよね。竜に乗る魔術士……兵隊?」
「ええ、ええ。よく御存知で」
懐かしそうに目を細める。プランダの瞳は、絶えず僕を捉え続けていた。
日常の生活や戦争において大きな力を発揮する竜。それを軍事面で利用する竜騎士隊。どこかの国が発案し、構築された組織は、いつしか人間界の全土に広がり、やがて派生部隊を成すまで注目された。
プランダが属していたという、竜に跨る魔術士の集まり――竜騎魔術士隊も、時代に沿って編み出された力の一つだった。
空を舞う手段の少ない人間族にとって、竜は馬に並んで多く用いられる生き物だ。
よい竜の血を受け継ぐ国は空を制し、地を統べると言われる程に竜の存在は大きく、それを扱う者達も、竜と同等かそれ以上の待遇を受けているという。
そして僕は、それと関わったことがある。
僕たちが住処としていたシュティーア王国の竜騎士隊。勇敢な空の覇者達。彼らは人間界屈指の戦力を持っていた。今では解体されて見る影もないが、彼らは先の戦争において大いに活躍し、人間軍にとって大きな心の支えになっていたに違いない。
だが今日における世では、英雄を英雄として語ることは許されていなかった。それは神族との共存を望んだ人間による枷であり、同時に、それを受け入れた神族の圧力であった。
「あれからもう五十年ですか。道理で衰えるわけです」
「……プランダ、何歳なの?」
「ホホホ。さて、いくつだと思いますか?」
人間の命は七十年と言われている。だが目前の老婆は、その寿命を一回りも二回りも超えていると言われても納得できるくらいに読めなかった。垂れ下がった髪で顔の大半が隠れているから、ということもあるかもしれない。
僕が悩んでいると、部屋の奥から女性がやって来た。僕達を出迎えてくれた若い女性だ。名をディアナというらしい。
彼女は彼女の兄――僕達をこの家の導いてくれた男性、ベンノと共に、プランダの元に養子として入ったそうだ。成人するより前、十歳のころだったという。
ディアナは物に埋もれていた机の天板を発掘して、濡らした布巾でホコリを拭う。
食事の度にこうして掘り出しているのだろうか。もう少し片付ければいいのに、と思ったところで、僕は旅に出る前に住処にしていた家を思い出した。そういえば、僕の部屋もこんな感じだった。
どこからか漂ってきた香りに、僕のお腹が鳴った。
「リオ殿。よろしければ食事の前に、あの本について軽くご教授を願えませぬか?」
「……ご飯食べてからじゃ駄目?」
そう尋ねてみても、プランダは身体を揺らすばかりだ。待ちきれない――そう駄々を捏ねているかのようだ。
教授とはいっても、僕に伝えられることは限られている。それに、僕はほとんど本を読めていない。序文すら読みきってはいないのだ。
詳しくは教えられないかも。そう断った僕に本が手渡された。
僕の後ろに控える相棒カーン。それに預けていた、古びた大きな本――それは、僕達が目前の家族に出会うきっかけとなったものだった。それを膝の上で開きつつ、僕は空腹を宥める。
「えっと、そうだな。先に何を伝えておけばいいかな。……まず、これは魔界の本で、魔界の文字で書かれているんだ」
「魔界といえば、三界のうちの一つですな」
「そう。この世を構成する三つの世界のうちの一つ。それで、この本ではその成り立ち――というか、成り立つ以前の話というか。少なくとも太古の時代が描かれているみたいだよ」
「ほう、それはそれは……」
感慨深げにプランダは頷く。
家の奥から湯気の漂う皿が運ばれても、匂いに誘われた男がやって来ても、老婆の興味は移らない。ただ頷いて、幾重もの衣を揺らしていた。
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