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5章 忘れられた国

55話 僕だけ

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「……そういえば、イアン君に会いましたか?」

 この時ばかりは、腹の底がひっくり返りそうになった。

 当てつけのようだ。汚れた布を見て、的確にその名を挙げる。もはや確信犯と称しても過言ではないその様に、クローイの手も止まった。

 村長は全てを知っているのではないか。全てを知った上で、サミュエルに語らせようとしているのではないか。そうだとすれば、鬼畜の所業である。

「俺をここに連れて来てから、会ってないんです。親に会いに行くとか、そんなことを洩れ聞いたから、多分街の中にはいると思うんですけど」

 そう重ねれば尚のこと――。

 平静を装って、腕にできた傷を覆う。可能な限り結び目をきつく、圧迫して血を止める。

 傷が深い場合は、刺さっている物を取り除かない方がよい――友人の言葉が蘇るが、今となっては後の祭りである。

「後でちゃんと診てもらおうね」

 労わる様にクローイが声を掛けてくる。

 村長の村に、怪我人を診察できる人物はいない。現状、深い傷はマルケン巡査部長の医療班に頼るより他ない。その状況に瀕して村長も思うところがあったのだろう、キュッと顔を引き締めて、思考に耽っていた。

「……こっち」

 心配そうなクローイを横目に、サミュエルは先導する。村長は大人しく付いて来た。そのさらに後ろを、クローイがおずおずと追う。

 目的の場所は遠くない。螺旋階段を降りると、すぐに到着する。

 絨毯が伸びる暗い廊下。その隅に、人目を憚るように山がある。白と赤のまだら模様を浮かべる布。

 いくらどんくさい村長でも察したのだろう、足が止まった。

「僕が殺した」

 誰かが息を飲む。それは村長かもしれないし、クローイかもしれない。確かめる勇気はなかった。

「サミュエル君の所為じゃないよ! だって……だって、あれは――」

 クローイの慰めも、今となっては鬱陶うっとうしいより他ない。

 救いはいらない。いや、救いですらない。むしろそれは、地獄へと突き落とす悪意なき悪意である。その言葉を掛けられるたび、サミュエルは自身を嫌いになる。

「……顔、見てもいいですか?」

「見ない方がいいと思うけど」

 村長はサミュエルの忠告には耳を貸さず、布を外す。そうかと思えば、ぱっと布を取り落とした。布の下から見馴れた髪が覗く。

「ほらね」

 信じ難いことではあるが、村長は初めて死体を見たのだろう。

 争い一つない世界に囲われた少年が、壁外へ出て初めて現実を知る――見覚えのある光景だ。だが一度驚いて気が済んだらしい。村長は布を持つと、そうっと掛け直した。

 膝を付き、指先まで伸ばした手を合わせる。軽く背を丸め、黙祷する。初めて目にする、死者に対する礼の型だった。

「……クローイさん、作れますか?」

「お墓を、ですか?」

「棺と墓標。木製ですけど、ないよりはマシでしょう」

「分かりました。作業台を……借りてきます……」

 クローイが歩き出す。とぼとぼと、その背はすっかりしょぼくれた様子だったが、やがて音が――筒の中で矢が跳ねる音が小刻みになった。走り出したらしい。

 音が聞こえなくなると、村長は立ち上がる。ランプの外にいる為、その表情は読み取れない。衣擦れが、彼が動いたことを物語る。

「イアン君、ここの出身なんですよね。どこか墓地とか……そういう所、ありますかね。親御さんに連絡もした方がいいかな」

「アイツに親はいない。七歳の時、死んだ」

 ハと息を飲む音がする。

 今思えば、「親に会う」とはそういうことだったのかもしれない。村長を連行した時点で、彼の運命は決していた。腹を括っていたのだろう。そうだとすれば、あまりにも不毛である。

「いわゆる母子家庭ってやつで、アイツが生まれた時には父親はいなかったらしい。女手一つで育ててくれたけど、流行り病に倒れてそのまま。その後は国に……孤児院に育てられた」

 貧しくも温かい家庭で育ったサミュエルとは、まるで正反対である。

 サミュエルにとって国とは忠誠を尽くすべき対象、ただそれだけであったが、あの少年にとってはその限りではない。育ての親――いわば恩師のようなものであった。思い入れが違う。

「……僕とは違う。僕にアイツは理解できない。親友って、相棒って思ってたのは、僕だけだった」

 生まれ持ったものから異なる。最初から、あの少年との線は交わっていなかったのだ。一瞬、ただ近付いただけ。それを錯覚して、付け上がった。

「分からない、イアンが。分からない。何で、こんなことに……」

 鼻の奥がツンとする。闇の中から覗けば丸見えなのに、子供のように嗚咽をあげそうになる。片目から溢れる涙を――流す権利もない液体を、必死に堪えようとする。しかし一粒が、無情にもポロリと伝い落ちた。

 男がそれを目にしたかは定かではない。だが彼の纏う雰囲気が、少しだけ和らいだような気がした。

「サミュエル君、お父さんとお母さんに会いに行きましょうか」

「……あのさぁ」

 無神経にも程がある。出自も含めて苦悩しているのに、両親との再会を勧めてくるなど、本当にこの男は人の心が分かるのだろうか。

 サミュエルの軽蔑が伝わったのか、村長はパタパタと手を動かす。

「あの、いや、その……長いこと親御さんと会ってないんですよね。だから顔を見せてあげた方がいいんじゃないかって。それに、気晴らしというか、その……」

「気遣いには感謝するよ。でも、僕は……」

「会わないんですか」

「もう死んだって思ってるよ。どうせ。わざわざ出て行って混乱させるまでもない」

「……そうですかねぇ。まあ、とりあえず、お医者さんに行きましょうか」

 そのくらいならいいでしょう、そう言わんばかりに手が差し出される。

 サミュエルの腕にはナイフの投擲による傷がある。放っておくべきではない。感染症に罹ったら、それこそ面倒なことになる。

「何この手。子供扱いしないでくれる」

「あ、すみません。……じゃあ、行きましょうか」

 手を引っ込め、村長は歩を進める。サミュエルは友人を一瞥すると、その背を追った。

 少しだけ後悔したのは秘密である。
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