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大事だったのは(リヒド視点)
しおりを挟む俺とセリーヌが婚約したのがいつだったのかは覚えていない。
そのくらい幼い時の婚約だったんだと思う。
そのことに不満は無かった。
侯爵家は兄上が継ぐから俺はどこかに婿入りするか独り立ちしなくてはいけない。
だったら、最初から婿入り先が決まっているほうがいい。
俺が婿入りすることになった辺境伯領地は隣国との境目にあるために、
いつも争いごとが絶えない場所だった。
学園に入るまでの夏は一か月間辺境伯領地に預けられ、
セリーヌと一緒に過ごすことになっていた。
もう夏が終わると言う頃、帰る俺にすがりついて泣くセリーヌが可愛くて、
早く大人になって結婚出来れば離れずにすむなんて思っていた頃もあった。
それが少しずつ変わっていったのは学園の騎士科に入学してから。
同じ学園でも淑女科に通っているセリーヌとは忙しさが違う。
毎日のように放課後セリーヌに会いに行くのは嫌じゃないが大変ではあった。
そんな時、ユミールに出会った。
ユミールは女性にしては大柄だったが、
騎士科に入学する男たちに比べたら小さく、腕も足も細く力も足りなかった。
そして、残念なことにこの学年の騎士科の女性はユミールだけだった。
何度か女だということでからかわれて泣きそうな顔をしているのを見かけた。
可哀そうだな。辺境伯領地にはたくましい女騎士がたくさんいた。
女だって鍛えたら騎士として働けるのに、あいつらは何もわかっちゃいない。
そう思ってユミールに声をかけた。女だって頑張ればちゃんと騎士になれるって。
そのせいなのかユミールに話しかけられることが増えた。
「練習につきあってほしい、他の奴らはつきあってくれないから。」
「相談に乗ってほしい、平民だからと馬鹿にしないのはリヒドだけだから。」
そんな風に言われると相手しないわけにはいかない。
放課後はできるだけセリーヌと会っているんだと話してみたが、
「大変だね。結婚したら嫌でも毎日一緒にいることになるのに。
騎士科で大変な時期くらい自分のことを優先してもいいんじゃないか?
騎士の奥さんになるってそういう我慢も大事なはずだよね。」
そう言われてみたらそうだ。
結婚したら俺は辺境伯領地に住むことになる。一生だ。
騎士団に所属すれば領地から出ることさえ難しくなり、
俺は侯爵家に帰ることもできなくなる。
…それなのに、学生でいる間も毎日セリーヌのために時間をつかっていいのか?
今のうちにしかできないことがあるかもしれない、そう気がついた。
「お願い、馬術の先生に次の授業までに練習して来いって怒られたんだ。
リヒドなら馬の扱いに慣れているだろう。練習につきあってくれない?」
「剣の使い方がなっていないって言われたんだ。
どこがおかしいか指摘してくれない?」
ユミールは本気で騎士を目指しているから、男たちよりも練習熱心だった。
女だから先生に目を付けられることも多く、
騎士科で一番弱い男よりも厳しく指導されていた。
ちょっとくらい遅れてもいいか。ユミールの練習を見てやるくらい、いいよな。
そんなふうにユミールにつきあうことが増え、セリーヌに会いに行くのが遅くなり、
行くのが二日に一度、三日に一度と減っていき。
だんだんと週に一度行けばいいくらいになっていった。
その頃からセリーヌは口うるさくなっていった。
練習よりも自分を優先してほしいなんて、
騎士の妻になるものが言うべきじゃないのに。
ここは甘やかしてはいけない。そう思い、俺は行動を変えなかった。
ある休みの日、気が重かったけれど王都にある辺境伯の屋敷に向かおうとしていた。
その日はセリーヌの叔母に呼ばれていた。
辺境伯の妹である叔母上は中央貴族に嫁いでいて、娘が三人もいた。
女五人に囲まれて飲むお茶は騒がしくて、いつもつまらなかった。
話題のドレス、話題のお菓子、娘たちは誰と結婚するのか。
そんなの俺にとってはどうでもいい話で、呼ばれるたびにうんざりしていた。
「助けて、リヒド!防具が壊れてしまって!」
慌てたユミールが部屋に飛び込んできて、その手には壊れた胸当てが握られていた。
革の紐を通す部分が壊れて、使い物にならなくなっていた。
「これは直さないと使えないな。」
「どうしよう。防具を修理できる場所なんて知らない。」
「俺の知っているところを紹介するよ。安く済むと思うから。」
「ありがとう!やっぱりリヒドに相談して正解だった。一緒に行ってくれるよね!」
喜んでいるユミールを断れなくて、セリーヌには行けない旨の手紙を送った。
大事な用事ができたからと。
仕方ない。俺が紹介しなければ修理してもらえないかもしれないし、安くならない。
辺境伯に婿入りする俺だから顔がきく。ユミールだけ行かせるわけにはいかない。
次に会った時、セリーヌは怒っていたようだが、何を言われても平気だった。
だって仕方ないだろう。騎士科は忙しいのだから。
ユミールのことを心配しているようだったが、あれは女ではない。
騎士を目指すものだ。
同じ騎士を目指すものとして差別することは許さない。
そう言えばセリーヌも納得したようだ。
三年目、最終学年に入り実戦的な授業ばかりになった。
その中でも野外訓練は過酷で、二人組になって一泊を森で過ごす。
森の中は大型の魔獣はいなくても小型の魔獣ならいくらでもいる。
ユミールはここでも相手を探すのに苦労していた。
わざわざ苦労してまで女と組みたい奴なんているもんか、そう言われていた。
「…ごめん、リヒド。私と組んでもらえない?
皆嫌がって…組んでもらえないんだ。」
悔しいのか泣きそうになりながらお願いされて、すぐに了承した。
騎士なら誰と組んでも戦えなくてはいけない。
ユミールはそれほど足手まといになるとは思えなかった。
毎日訓練を続けていたユミールはそれなりに強くなっていると思う。
俺と組むことになったユミールは喜んで、
「ありがとう!足手まといにならないように練習時間をもっと増やすね!」
そう言って今まで以上に練習しようと意気込んでいた。
初めての野営の時、血まみれの手を川で洗いながら震えていた。
怖くてではない。興奮状態から落ち着かなかった。
これまでの訓練とは全く違う。生き物を刺す感覚が手から消えなかった。
「…リヒド、大丈夫?気が高ぶって落ち着かないんでしょう?」
「ああ。身体が勝手に震えて…落ち着かない。興奮が冷めないんだ。」
「…わかった。私が落ち着かせるから…こっちに来て。」
手を引かれてテントの中に二人で入っていく。
狭いテントの中に入ってすぐ、ユミールが服を脱ぎ始める。
「何をしている?」
「ん?知らない?騎士はこうやって落ちつかせるって聞いたわ。
男同士でやるのが普通らしいけれど…私が相手でもいいよね?」
今までユミールが女だからと言ったことはない。
だが、これは本当にいいのだろうか。
男同士でやることならユミールが相手でもいいのか?
断るきっかけが無いままに押し倒され、そのまま身体をつなげてしまった。
一度してしまえば抵抗は無かった。
野外訓練の度に落ち着かない身体を持て余し、身体を重ねる。
確かにやった後は落ち着いて仮眠できる。
なるほど。男同士でも必要な理由がわかる気がする。これは大事なことだ。
「…なぁ、リヒド。いいかげん他の奴と組んだほうがいいと思うぞ。」
「え?」
野外訓練が半分終わった頃に第三王子のダニエル様に注意を受ける。
ダニエル様は宰相の娘と婚約していて、公爵家に婿入りする予定だが、
本人の希望により騎士科に入学していた。
放課後は領主になるために勉強していると聞いたが、
騎士として働かないのがもったいないと思うほどの腕前だった。
「毎回同じ者と組んでいるのはお前とユミールだけだ。
これでは訓練にならないだろう。」
「…ですが、ユミールは他の者が組んでくれないと…。」
「わかった。次の訓練はユミールと組めるものを探しておく。
お前はいいかげんユミールとは離れたほうがいい。
わかっているのか?ユミールと噂になっているぞ…。
あまり辺境伯を怒らせるな。」
ユミールと噂になっている?いったい何の噂だ。
俺とユミールは騎士としての仲間意識でつながっている。
…これも女騎士への嫌がらせか?いや、もしかしたら平民だからなのか。
侯爵家の俺と一緒にいる時は何も言われないらしいが、
ユミールへの嫌がらせは確実にされている。
あの胸当ても不自然な壊れ方をしていると修理士が話していた。
誰かが嫌がらせで無理やり壊したのだろうと。
ユミールのことは心配だったが、ダニエル様が代われと言うのなら従うしかない。
不安げなユミールを励まして野外訓練に向かった。
ユミールの相手に選ばれたのは男性騎士でも一二を争う大男のジャックだった。
大丈夫かと心配ではあったが、俺も自分の相手を探し小柄なアガンと組んだ。
アガンは気が弱く、こいつもユミールと同じで嫌がらせをされていた。
一夜明け、野外訓練が終わると身体が重く感じた。
慣れない相手を気遣いながらの訓練は予想以上にきつかった。
その日、寮の俺の部屋まで来てユミールは悔し泣きをしていた。
「全然待ってくれなくて、置いていかれて…。あんなの訓練になっていない。
ずっと女は体力が無いって馬鹿にされて…。」
「いや、俺はアガンと組んでみたけれど、ユミールのほうが優秀だ。
ジャックが体力ありすぎるからだろう。俺と比べても身体の大きさが違うんだ。」
「…そうだよね。私が女だから体力がないわけじゃないよね…よかった。」
涙を拭いて笑ったユミールは、なぜか俺の上に乗り上げてきた。
野外訓練じゃないのに、気が高ぶったのか?
仕方ない…気がすむまでつきあうしかないな。
俺もアガンとはそういう気にならなかったから身体が落ち着かなかった。
寮の部屋だということを忘れ身体を重ねたが、隣の部屋からの苦情は来なかった。
あともう少しで卒業するという頃。
俺はこのまま辺境伯領地に行っていいのかと悩み始めた。
違う場所で修行してから婿入りしたほうがいいのではないかと。
その悩みを義父になる辺境伯に手紙で送ったところ、
辺境伯領地から少し離れたところにあるクレール砦に就くようにとすすめられた。
期間は二年。それだけ砦で修行すれば一人前の騎士になれるだろうと。
セリーヌにも報告したが、辺境伯のすすめだと話したためか反対はされなかった。
もう少しだけ自由でいられる。
二年間は自分のことだけを考えていられる。
気が楽になって、ユミールにも報告した。クレール砦に行くのだと。
それから二週間たって、辺境伯が用事で王都に来ると連絡があった。
俺がクリーク砦に行くことで結婚の予定などが変更になっている。
その話し合いをしたいから王都の屋敷に来るように指示されていて、
少しだけ面倒なことになったと思った。
その連絡には、砦に行く前に結婚したらいいのではと書いてあったからだ。
確かに結婚してから修行に行くこともできるだろう。
だけど、辺境伯の人間となってから砦に行けば扱いが変わる。
俺自身を成長させたいから修行するのに、辺境伯婿として見られるのは嫌だった。
行くのが嫌だと思っていたせいなのか、その日だということをすっかり忘れていた。
前の日にユミールにお願いされ、クリーク砦に行くことになっていた。
クリーク砦には女性騎士も多くいる。
ユミールもそこで働きたいから隊長に会わせてほしいという願いだった。
ユミールの進路は心配していた。俺がいないところに行って大丈夫なのかと。
同じ砦で働くなら何かあった時に助けてやれる。
そう思って、一緒にクリーク砦の隊長に会ってお願いした。
そのかいあってかユミールも砦で働けることになった。
辺境伯と約束があったと思い出したのは寮に帰って来てからだ。
セリーヌからの手紙が届けられていた。
しまったと思ったが遅かった。忙しい辺境伯はもう帰ってしまっていた。
仕方なく謝罪の手紙を辺境伯に送って、セリーヌにも謝った。
来週は卒業だ。
セリーヌとの待ち合わせ、二時間遅れてしまったが仕方ない。
毎回お茶を飲むだけで何かしているわけではない。少しくらい遅れてもいいだろう。
どうせ結婚したら毎日顔をあわせることになるんだし。
そう思っていたからか、セリーヌが言ったことが信じられなかった。
「リヒド様、婚約を解消しましょう。」
「は?」
何を言っているんだと思ったが、セリーヌの目は本気だった。
冷たく俺をにらむような目つき。いつからこんな顔をするようになった?
甘い砂糖菓子のようなふわふわした女の子だったのに。
俺が辺境伯領地からいなくなる時、泣いてすがるような弱弱しい子だったのに。
慌てて宥めようとしたけれど、効果はなかった。
セリーヌは俺がユミールを優先するのが許せないようだった。
そんなこと言われても仕方ないのに。
女性だから、平民だからと差別されるユミールは可哀そうだと思わないのか?
セリーヌだけじゃなく、第三王子のダニエル様にも冷たくされ、
近衛騎士に抑えつけられたまま馬車に乗せられた。
連れて行かれたのは侯爵家。俺の実家だった。
そこには父上と兄上が待っていて、書類に署名するように言われる。
二人とも厳しい顔で、なんの書類なのかも言ってくれない。
署名すれば解放されるのかと署名すれば、俺は貴族籍から外されたと言われる。
…ダニエル様が言っていたのは本当だと言うのか?嘘だろう?
今まで辺境伯に婿入りするために頑張ってきたんだ。
こんな簡単に捨てられていいわけないだろう?
信じられないまま寮に戻され、学園を卒業するとクリーク砦から迎えが来た。
同じ学園から砦に向かうのは俺とユミールだけだった。
ユミールはうれしそうだったが、俺は何も考えたくなかった。
きっと…砦で二年修行したら辺境伯が迎えに来てくれる。
セリーヌが結婚したいのは俺のはずだから、泣いて迎えに来るだろう。
砦では平民たちと同じ扱いをされた。
八人の大部屋に放り込まれ、一番下だからと掃除や洗濯も俺の仕事だと言われる。
平民の世話を貴族の俺がするなんてと言いたかったが、これも修行なのだろう。
黙々とこなしていたら、上司に気に入られたらしく飲みに連れて行かれた。
そこは飲み屋でもあり、娼館でもあった。
俺についてくれていた女の子に手を引かれて二階へと連れて行かれる。
二階は小さな個室がたくさんあって、部屋にはベッドしかなかった。
女の子は小さくて可愛らしくて、酔いもあって自然に押し倒していた。
次の日、大部屋でくつろいでいたら外が騒がしい。
部屋に泣き叫びながら入ってきたのはユミールだった。
「リヒド!娼館に行ったって本当なの!?どうして!」
「あ?上司に連れて行かれたからだが、どうかしたのか?」
「ひどい!私がいるのに、他の女を抱くなんて!裏切り者!」
「…なんで他の女を抱くと裏切り者なんだ?」
セリーヌに責められるというのならまだわかるが、どうしてユミールが怒るんだ。
そう思ったからそう聞いただけなのに、ユミールは俺を殴って出て行った。
「初めても捧げたのに!もう知らない!」
後に残された俺は大部屋の先輩たちに責められ続け、事情を説明する。
ちゃんと話せば理解されると思ったのに、
その場にいた全員が俺のことを無視するようになった。
それからユミールが他の男と一緒にいるのをよく見るようになった。
噂では誰とでも寝る女だと言われていたようだ。
…女だからと差別されたくないと言っていたユミールがそんな真似をするなんて。
軽蔑すると思っていたが、同じ部屋の者からはお前のせいだとまた責められる。
意味が分からない。どうして俺のせいになるんだろう。
気がついたらユミールを見かけなくなった。
上司から呼び出され、ユミールは砦から出て行かされたと言われた。
風紀を乱したから辞めさせられたんだと。
そして、セリーヌが結婚したことを聞いた。
…セリーヌが俺じゃなく、他の男と結婚した。
まだ学園から卒業して一年しかたっていないのに。
俺が二年修行したら迎えに来るんじゃなかったのか?
もしかして、俺はずっとこの砦にいることになるのか?
貴族じゃなく、平民として、周りから見下されて…このまま?
もう何もしたくなかったが、動かなければ殴られる。
働かなければ食事ももらえなくなる。
毎日、何も考えずに動き、食事をし、ただ眠る。
俺は…どこで間違ったんだろう。
思い出すセリーヌは冷たい顔で、甘い砂糖菓子のようだった笑顔が思い出せない。
俺が大事だったのは、その甘い笑顔を守ることだったはずなのに。
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