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大事なのは
しおりを挟む「リヒド様、婚約を解消しましょう。」
「は?」
言われたのが予想外だったのか、リヒド様が口を開けたままにしている。
それほど驚くことだろうか。ずっと私をないがしろにしてきたのに。
婚約者である私を大事にしないのであれば、
このままリヒド様を婿にするのを周りが反対する。
それは当然のことだ。家を継ぐのは私であって、婿になるリヒド様ではない。
王都とは離れているとはいえ、私の周りのものたちがお父様に報告する。
こうなるのが嫌だったから、何度も話し合おうとしていたのに。
リヒド様からの答えは必ず、
「え?ユミールとは友人だよ?何を誤解しているの?」だった。
この三年間何度も聞いたが、ずっと変わらなかった。
リヒド様はユミールを純粋な友人だと思っているのだろう。
だが、そのユミールからは何度も嫌味を言われてきた。
「え?婚約者?そんなのいるの?リヒドからは聞いていないわ。」
「きっと、あなたみたいな子が婚約者だなんて恥ずかしいと思っているのね。」
「私のほうがリヒドのことを理解できると思わない?」
「戦いの場では仲が良いものが組んだほうが有利なの、心だけじゃなく身体もね。」
なんていうことをずっと言われ来た。しかもリヒド様がいない時にこっそりとだ。
もちろんリヒド様にはその都度話している。
それなのに、私が言うことを一度も信じてもらえなかった。
「え?ユミールは令嬢が腐ったようなことはしないよ。
騎士科の人間がそんなくだらないことを言うわけないじゃないか。」
そう爽やかに笑った後、「仕方ないなセリーヌは」なんて慰められるのだ。
私の妄想だと思ったのか、やきもちを焼いたと思ったのかはわからない。
ただ、私がそういう嘘をつく人間だと思われたのはわかった。
同じ学園とはいえ、淑女科と騎士科は遠く離れている。
淑女科と貴族科は同じ校舎だが、
騎士科だけは馬術の授業があるために校舎が違う場所にある。
辺境伯長女の私と婚約した侯爵家二男のリヒド様は、
辺境騎士団をまとめるためにも騎士科を卒業しなくてはいけなかった。
せっかく同じ学園に通えるのに校舎が違うのは残念だったけれど、
放課後は会う時間を作れるはずだった。
それなのに、いつも約束の時間に遅れては
「ごめん。ユミールが練習につきあってほしいっていうから。」
「ユミールが試験に落ちて補習になったから慰めていたんだ。」
「ユミールが怪我をしたから医療室に連れて行って。」
いつもいつもいつもユミール。
私との約束よりもユミールを優先させることに納得がいかなくて、
抗議すると呆れるように言われる。
「何を誤解しているんだ?ユミールは騎士だ。
そのように誤解されるような曲がった精神はない。」
…たしかにリヒド様はまっすぐな騎士なのかもしれない。
浮気していると疑っているというわけではない。
だけど、何か違う。この胸のもやもやはどうしたらいいというの。
だけど、学園を卒業したら離れるはず。
そうなればもうこのもやもやは無くなるはず。
そう思っていたのに、二人が卒業後に同じクレール砦に就くと聞いて、
リヒド様に向けていた想いがすべて消え失せてしまった。
「どうしてだ!俺とセリーヌは幼いころからの婚約だっただろう。
俺はセリーヌと結婚すると思ったから、騎士科に入学したのに。」
「ええ、わかっていますわ。
だけど、いつまでも私よりも他の者を優先するような人を、
次期辺境伯にするわけにはいかないのです。」
「どういうことだ!俺はいつもセリーヌを一番に想っている!」
言われても理解できないようで声が大きくなるリヒド様に頭が痛くなりそうだ。
だけど、卒業して辺境伯領地に帰る前に片付けたい。
「まず、私との約束を何度も破りましたよね。」
「それは…練習が長引いて…。」
「ぞの練習相手はユミールですよね。授業外の練習だったと聞いています。」
「いや、だが。」
否定するリヒド様の言葉は聞かず、次の問題にすすむ。
「叔母様主催のお茶会の時も欠席しましたよね。」
「あの時は…ユミールが補習で落ちかけて…一緒に練習をしてほしいと。」
「ええ、聞いてますわ。叔母様よりもユミールのほうが大事ということですよね。」
「いや、そういうわけでは…。」
「そして、先週のことです。
お父様が王都に来た日、卒業後の話し合いの場に来ませんでしたよね?」
「あれは…ユミールがクレール砦に就職したいと言って、
砦の隊長に会わせて欲しいと言うから…連絡を取っていて…。」
ここまで言って、何がまずいのか理解できないリヒド様に、
なぜこの人を好きだったのかわからなくなる。
外見や成績は普通…まっすぐな性格は嫌いじゃなかった。
「俺はセリーヌと結婚したいと思っている。」
「お断りします。」
「なぜだ!俺以外の男を好きになったというのか?」
「…はぁぁ。」
もうため息しか出ない。
どうしたらこの人は自分のしたことを理解できるのだろう。
「リヒド様は私よりもユミールを優先しました。
何度も、何度もです。私がやめてくださいとお願いした後もずっとです。
それは私よりもユミールが大事だと思っているからでしょう。」
「そんなわけはない!
俺は…ユミールに異性としての気持ちは一切ない。
だから、セリーヌが言うのは…可愛いやきもちだと思って…。」
「やきもち?私だけでなく、辺境伯家からの呼び出しも無視しておいて、
それは言い訳としてはありえませんよ?」
「……それは…でも、違う。
俺は今でもセリーヌを大事に思っている。」
そう言い切って、私をまっすぐに見る顔だけは誠実に見える。
本当に、どうしてこんなくだらない男を好きだったのか…。
「もうすでにお父様もお母様も辺境伯騎士団も、
リヒド様は私を裏切ったと思っています。
私よりも平民のユミールを優先したのだと。」
「平民って、そんな言い方はないだろう!」
ほら。こんな婚約解消を言われた時ですら、ユミールを優先している。
どうしてこうまで言われているのかわからないのか。
「俺は婚約解消なんて納得しない!」
「リヒド様が納得しないと言って済む問題ではありません。」
「なぜだ。俺のほうが身分が高い。
俺が納得しない限り婚約は解消されないだろう?」
…本来ならばそうだ。
誠実なはずのリヒド様が身分の差を言い出すなんて。
いつからこんな傲慢な人になってしまったのか。
ため息をついている間に、音もなく部屋に入って来た人がいた。
「まだ納得しないのか。」
「ダニエル様!?」
「申し訳ありません。
リヒド様が私よりもユミールを優先していたという意識が無いようです。」
「は?嘘だろう?あんなに一緒にいただろう?
朝も一緒に走って、昼ご飯もユミールが作ってきたお弁当食べて、
放課後は二人きりで練習していたよな?」
第三王子のダニエル様は騎士科でリヒド様と一緒だ。
そのため、リヒド様とユミールがどのように過ごしているのかよく知っている。
「いや…あれは授業についていけないとユミールがいうので練習につきあって…。
お弁当はその礼だというので食べていましたが…。」
「ふぅん。休みの日も一緒に出掛けてたよね。
防具を買いに?だけど、その日はセリーヌと会う日だったよね?」
「防具の調子が悪いと相談されて…。
その日のうちに調整しないと次の日の授業に間に合わないので…。」
「で、それはセリーヌには関係あるの?」
「え?」
「ユミールが困ろうがセリーヌには関係ないよね。
侯爵家と辺境伯の結びつきは王家からの話だったはずだけど、
それよりも平民のお願いを大事にするって、どういうこと?」
「ダニエル様までユミールを平民だと侮るのですか!」
ダニエル様が平民という言葉を使ったのか気に入らないのかリヒド様が声を荒げる。
「侮っているのはお前だ。
王家と辺境伯家をどれだけ侮っているのだ?」
「は?…いえ、…そういうわけでは。」
「じゃあ、どういうわけなんだ?
セリーヌと辺境伯家との約束を無視してもいいと思っているのだろう?」
「いや…そういうわけでは。」
ダニエル様は眉間に指をあて、揉むようにして次の言葉を考える。
その気持ちがよくわかる。何を言ったら、リヒド様に伝わるのだろう。
「なぁ、それが俺の立場だったらどう思う?」
「え?」
「俺が婚約者の公爵令嬢との約束を破って、ユミールの練習につきあっていたら。」
「…まずいですね。公爵にどう思われるか…。」
「卒業後の話をするために公爵の時間をもらったのに、
ユミールの相談のために砦に行ってしまったら、公爵はどう思うだろうか?」
「…激怒されるでしょうね。宰相が激怒したらこの国が終わるのでは。」
ダニエル様の婚約者は公爵令嬢で父親は宰相だ。
この国で一番怒らせてはいけない人と言われている。
さすがにリヒド様も宰相との約束を破っていいとは思わないらしい。
「それと、お前がしたことと何が違うんだ?」
「……。」
「お前が思うよりも辺境伯領地は大事な土地だ。
隣国と争いにならないように、誰もが誠実に守ろうとしてくれている。
…わからないか?何が大事なのか見失ったお前には辺境伯は継がせられない。
父上からの婚約解消の命令だ。」
「……陛下からの命令…?」
「王命での解消を告げる前に話をさせたのは、セリーヌに頼まれたのだ。
最後に話をして、わかってくれるようなら命令は出さなかった。
王命の婚約を無視したお前はもう貴族ではいられない。」
「そんな…貴族ではいられないなんて…嘘ですよね?」
今にも崩れ落ちそうなリヒド様にダニエル様はにっこりと笑った。
「良かったな。ユミールと同じ平民になれる。
平民だと馬鹿にするなと言っていたな。
じゃあ、お前が平民になることもすぐに受け入れられるだろう?」
今まで平民だと馬鹿にするな、平民だからと差別するなと言っていた。
ユミールと同じ身分になったなら、もう気にすることなく一緒にいられるだろう。
「…嫌です…俺は侯爵家の…。
セリーヌ!悪かった!ちょっとセリーヌが妬くのが楽しかっただけなんだ!
俺はお前と結婚するから許してくれ!」
「…最悪だな。どうする、セリーヌ?」
「お断りします。何が大事なのかわからないような人とは結婚できませんわ。」
「だよね。リヒド、あきらめるんだな。」
崩れ落ちたリヒド様をダニエル様付きの騎士たちが引きずっていく。
これから一度侯爵家に連れて行かれ、貴族籍を抜く手続きをすることになる。
幼いころから結婚すると思っていた相手が引きずられていくのを見送る。
「…あれで良かったのか?」
「…もうあきらめました。どうにもならなかったからです。
何度も言いましたが、一度も聞いてもらえなかった。
そんな相手と結婚したら一生苦しむと思いました。」
「そうだな。…俺も何度か忠告はしたが、聞いてなかったようだ。
まぁ、砦にはそのまま送られる。仕事があれば生活はできるはずだ。
平民になるとしても死ぬわけじゃない。好きに生きるだろう。
…セリーヌ、君も。これで終わるわけじゃない。
まだ、これから好きに生きられる。」
「……そうでしょうか?婚約解消になったものにそんなことは…。」
「ブルーノ、入ってきていいよ。」
「え?」
ダにエル様の呼びかけに、気まずそうに入ってきたのはブルーノ様だった。
ダニエル様の生母である側妃様の妹の息子。
侯爵令息のブルーノ様は貴族科の同学年だった。
お互いの友人が婚約していたことから何度か話したことはあるが、どうしてここに?
「…すまない。セリーヌ嬢が泣くかもしれないと聞いて…。
どうしても慰めたくて…ここまで来てしまった。
俺なんかに聞かれたくはなかっただろう。すまない。」
「…いえ、ブルーノ様は事情も知っていたでしょうし、気にしておりません。」
ダニエル様がブルーノ様に話したせいでここに来たらしい。
優しくて気遣いのあるブルーノ様がこんなことを知ったら、気にしないわけがない。
少しだけダニエル様をにらんだら、にっこりと笑い返される。
「俺はね、辺境伯は大事だと思うけれど、
父上みたいに武力だけあればいいとは思っていない。
辺境伯騎士団を統率するには頭もよくなければいけないと考えているんだ。
俺は何も考えないリヒドよりもブルーノのほうがよっほどいいと思うんだよね。
じゃあ、俺は帰るから、二人でゆっくりと話してみなよ。」
あぜんとしている間にダニエル様と騎士たちは帰っていった。
残されたのは私とブルーノ様だけ。
見上げたらブルーノ様の耳が真っ赤になっている。
「セリーヌ嬢、屋敷まで送ります…。」
「…ありがとうございます。」
誠実な人がいいとは言うけれど、何に誠実かにもよると思う。
誰にでも誠実、私以外の人に誠実なのでは意味がない。
すっかり人に不信感を持ってしまった私を変えるために、
ブルーノ様が屋敷に通ってくれたのは257日。
それから婚約するまではあっという間だった。
陛下もお父様もブルーノ様を応援していたらしい。
砦に就職したリヒド様はユミール様と結婚することは無かったらしい。
同じ平民になったのだから何も問題は無かったはずだけど。
詳しく聞こうとするとブルーノ様が悲しそうな顔をするから止めにした。
大事なのは、過去の婚約者の今を知ることじゃない。
私の愛する旦那様を幸せにすることだから。
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