ファントムペイン

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――9月12日。

「燕~」

俺の膝に頭を預けた夜鷹が、楽しげに擦り寄って来る。
俺の太ももや下腹部に、頬ずりをする。
今日の夜鷹は、なんだか機嫌が良さそうだった。
夜鷹は手足を失ったショックで、人が変わったよに荒れてしまった。
そんな夜鷹の機嫌が良いと、俺も嬉しい。

「ふふ、御機嫌だな。調子が良いのか?」
「うん。今日は痛みもないし、調子いいよ」
「そっか」

夜鷹は事故にあってから、外出する事が全くなくなった。
一日の全てを、この狭い部屋の中で過ごす。
他人の目が気になるのか、外出する事を拒むのだ。
俺がたまには外に出た方がいいと言うと、必ずと言っていいほど逆上する。
だから最近は俺も諦めて、外へ誘う事はなくなった。

――だけど……今なら…………。

ここまで夜鷹の機嫌が良い事は、相当珍しい。
もしかしたら今日なら、外へ行ってくれるかもしれない。


「あのさ、夜鷹……」
「ん~?」
「……あの、外に、行ってみないか?」
「……………………嫌だ」
「今日は天気も良いし、ちょっと散歩くらいいいじゃないか」
「は?やだって言ってんだろ」


やはり、外は嫌なのか。
最後に外出したのは、いつだっただろう。


「なんで外なんかに誘うの?
 俺が好奇の目に晒されてもいいワケ?
 笑われてもいいワケ?」
「誰もお前を笑ったりしないよ。
 俺が笑わせないさ」
「そんな事、簡単に言うな!
 お前には分かんないよ、俺の気持ちなんて」
「そんな寂しい事、言うなよ……」
「じゃあ分かるのか?
 手と足が無くなった人間の気持ちが、手足のあるお前に分かるのか?」
「それは……」

急激に不機嫌になった夜鷹を見て、先程の言葉は失言だったと後悔する。
今更言わなければ良かったなんて思っても、もう遅い。
俺の言葉で夜鷹を傷付けてしまった。


「俺はこんな惨めな姿、誰にも見られたくないんだよ!
 笑われるのも、珍しがられるのも、同情されるのも嫌だ!
 外へなんか行きたくない!行かない!!」
「夜鷹……俺、夜鷹の為を思って……」
「本当に俺の為を思うなら、外へ行こうなんて簡単に言うなって!!
 そんな簡単な事じゃないんだよ!!」
「…………っ」

夜鷹に怒鳴られて、委縮してしまう。
せっかく今日は夜鷹の機嫌が良かったのに……
怒鳴られないで済むと思ったのに……
楽しく過ごせると思ったのに……
それなのに、俺のくだらない一言のせいで、全てを台無しにしてしまった。

「…………っ、…………ばか。
 お前なんか嫌いだ……」







――…………
――……

「夜鷹……飯、できたけど……」

あれからずっと夜鷹は、不貞腐れたようにベッドに横たわっていた。
「嫌いだ」と言われてから、何時間くらいが経過したのだろう。
そろそろトイレにも連れて行ってやらないと。

「お腹空いてるだろ?」
「…………要らない」
「でも…………」
「うるさいな、要らないって言ってるだろ!」
「…………っ、じゃあ、トイレは……?」
「うざい。眠いんだよ、ほっといてよ」
「…………」





夜鷹と口を利かないまま、時間がどんどん経過していって、ついに夜になってしまった。
テーブルの上には、昼に食べて貰えなかった料理が残っている。

――夜鷹は大丈夫かな……。

水分補給もしていないし、トイレにも一度も行っていない。
夜鷹の事だから意地を張って、トイレに行きたくても言い出せないでいるのかもしれない。
もう一度謝ったら、許して貰えるだろうか。
とにかく、声を掛けてみよう。
そう思って、夜鷹の居る部屋の扉を開けた。


「夜鷹……」
「…………燕」


不貞寝しているかと思いきや、起きていたようで、夜鷹から名を呼ばれる。


「あの…………」
「ごめんなさいっ……!」
「えっ……」


『ごめんなさい』、夜鷹は確かにそう言った。
俺の言おうとしていた言葉を先に言われてしまった。

「ごめん、ごめんね……」

夜鷹の長い睫毛で縁取られた綺麗な瞳から、涙が零れ落ちる。
涙は蛍光灯の光に反射して、キラキラと輝いていた。

「嫌いだなんて、そんなの嘘だ……。
 大好きだよ……ごめんなさい……」
「夜鷹……」
「いつも怒鳴って、酷い事ばっか言ってごめん……。
 お前に当たってばかりでごめんね……。
 嫌いにならないで、見捨てないで……。
 俺、お前に見捨てられたら、生きていけない……。
 生きていけないんだよ……」
「夜鷹っ……俺も……俺も、ごめんな……」

夜鷹に近づいて、彼の美術品のように美しい顔に手を伸ばした。
頬を伝う雫を、指先で優しく掬ってやる。

「嫌いになんてならないから……
 見捨てたりしないから……だから…………泣かないで……」

夜鷹をそっと抱きしめる。
夜鷹は、強く抱きしめたら折れてしまいそうな程に細い。
元々華奢ではあったけれど、事故に遭ってから更に痩せてしまった。
そんな夜鷹を壊さないように、大切に、優しく、丁寧に、両腕で包み込んだ。


「燕……ありがとう……ごめんね……
 一人じゃ何も出来ない俺を支えてくれて、本当にありがとう……
 …………大好き、だよ」
「…………うん」


俺の耳元で囁かれる、感謝と愛の言葉。
そういった言葉を貰うたびに、俺の心はぎゅうぎゅうと締めつけられるような痛みに襲われる。
俺にはそんな言葉を貰う資格はないのに……
それなのに夜鷹は、俺を好きだと言い続ける。


「悔しいな……
 お前を抱きしめ返してやる腕がないなんて……」
「…………」


悲しそうに囁かれたその言葉。
夜鷹の声が切なくて悲しくて、俺はどうしようもなくなって、夜鷹を抱きしめる腕の力を強めた。
俺だって、本当は、夜鷹と手を繋ぎたい。
抱きしめるばかりではなく、抱きしめられたい。
頭を撫でられたい。
触られたい。
夜鷹には、出来ない事ばかりだ。
それがとても、悲しい。
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