私は貴方を許さない

白湯子

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第9章「愚者の記憶」

174話

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アルベルトside


エリザの身体を抱き抱えながら、星の位置と月明かりを頼りに鬱蒼と生い茂る森の中を突き進む。
しかし、そんな僕を邪魔するかのように、何処からか流れてきた分厚い雲が、月と星々を覆い隠してしまった。
いまにも雪がおちてきそうな空を見上げ、僕は白い息をはく。

どうやらこの世界は、僕を世界の中心へと向かわせたくないらしい。

無駄な抵抗を。
星の位置ぐらい既に記憶済みだ。

世界を鼻で嗤った僕は、暗闇を見据えながら、歩を早めた。





◈◈◈◈◈


ほどなくして、僕は世界の中心へと辿り着いた。
眼前には今まで歩いてきた景色と同じように、木々が雑然と広がっている。
それを邪魔だなと思いながら、僕は立っている場所を中心に辺り一面を焼き払った。
視界を遮るものがなくなり、とても見晴らしがいい。
その開けた土地の中央にエリザの身体を硝子細工を扱うようにそっと寝かせ、片膝をついた僕は彼女の乱れた真珠色の髪を手櫛で整えた。


「世界が変わる瞬間を、そこで見ていて。」


彼女の髪に触れていた手を、世界の中心に押し当てる。そして魔力を一気に流し込んだ。
魔力を含んだ地面は瞬く間に淡い光を帯び始める。だが、まだまだ足りない。
僕は魔力を惜しみ無く注ぎ続ける。

膨大な魔力に、気流が上昇し、地上では竜巻が、上空では稲妻を孕む積乱雲が発生した。
背後で耳をつんざくような雷鳴が轟き、遠くの木々が激しく揺れる。それがまるで世界が「やめろやめろ」と言っているように聞こえ、加虐心を煽られた僕は、注ぎ込む魔力の量を増やした。

頭の中では、かつてないほど膨大かつ複雑怪奇な数式が、尋常ではない速さで積み重なり続けている。その処理に耐え切れなかった何処かの血管が焼き切れ、口の中に鉄の味が滲んだ。
だが、どれだけ血管が焼き切れようが、今は構わない。
どうせすぐに治癒してしまう身体だ。
魔法が完了するまで保ってくれたら、それでいい。

この秩序なき混沌とした世界を変えれるのは僕しかいないのだ。
世界の全てに干渉し、管理し、秩序ある理想の世界を構築する。
そうすれば、もう誰からも奪われない。
奪われたものも全て取り戻すこともできる。
理想の為ならば、どんな犠牲も厭わない。

僕の意志に応えるかのように、無限に湧き出る魔力を、世界に流し続ける。

しかし、終わりは唐突にやってきた。


「……………え…?」


電光が走り、頭上で凄まじい雷鳴がした瞬間、胸に焼けるような熱さをおぼえた。
今まで感じたことのない熱さに、恐る恐る視線を落とした僕は、思わず息を呑んだ。

己の胸、正確に言えばやや左の位置に、懐にしまっていたはずのナイフが、深々と突き刺さっていた。


「…な…んで…」


暴力的に視界に映り込む光景が受け入れられず、何かの冗談かと思った僕の口元には、奇妙に歪んだ笑みが浮かぶ。
こんなの、おかしい。
早く悪い夢から醒めようと、ワナワナと震える手でナイフを引き抜こうとしたが、それはできなかった。
僕の身体が、まるで糸を切られた操り人形のように、グシャリと音を立てて、前のめりに倒れ込んでしまったからだ。

一体全体、僕の身に何が起きているのだろう。

状況の把握が追いつかないまま、傷口からは鼓動に合わせて黒い液体が勝手に溢れ出る。
僕の中に宿る青の魔力は、主人の指示がなくとも自ら傷口を塞ごうと働き始めるが、外に溢れ出た量が多く、珍しく対応が間に合っていない。

次から次へと出ていく液体と比例して、身体から熱が奪われていく。だが、それと同時に混乱していた頭が冷え始め、少し冷静に思考が回り出した。
最初は叔父の仕業かと思った。だが、辺りにはヒトの気配どころか、生き物の気配すら感じない。先ほどまで騒いでいた空気も木々も、沈黙を守り、僕を静かに見下ろしている。
まるで僕が死ぬのをいまかいまかと待ち侘びているかのように。

しばらく思考を巡らせた僕は、ある答えに辿り着ついた。


「せぇかいぃぃぃぃぃっっ!!!!!」


身体の底から噴き上げる怒りを吐き出すかのように、僕は怒声を張り上げた。

こんな芸当を成し遂げられるのは、この世界しかいない。
どうしてお前はいつもいつも僕の邪魔ばかりするのだ。

辛うじて動く右手で地面を忌々しげに引っ掻くが、大した傷を与えることはできない。
ならばーーー

僕はカッと目を見開く。
瞳に焼けるような熱を感じた瞬間、辺り一面に炎が噴き上がった。
地面に染み込んだ血液が着火材となり、瞬く間に燃え上がった炎は、世界を呑み込もうと大きな口を開ける。
それは、かつて皇族が『蝗害』と呼び恐れた炎の再来だった。


「焼き尽くしてやる…!」


僕の邪魔ばかりする世界など、もういらない。
お前が僕を殺す前に、僕がお前を殺してやる。
くたばれ、世界。

強大な魔力の業火は、宿主の身体さえも焼き尽くそうと、貪欲に手を伸ばす。
皮膚が焼け、筋肉が焼け、神経が焼け、記憶が、焼ける。
走馬灯の帯に一度火がついてしまえば、その火は燃やし尽くすまで止まらない。
駆け足で新しい記憶から塵になってゆく。

黒くて、薄っぺらくて、呆気ない。

我ながら、塵のような人生だと思った。
そして僕も塵のように死んでいく。
これじゃまるで塵ななるために生まれてきたみたいじゃないか。
僕の口元に、思わず自虐的な笑みが浮かぶ。
塵ごときが、なにを躍起になっていたのだろうか。

覆いかぶさる無気力に身を委ねれば、虚脱していくような気だるさが、全身を蝕み始める。
もう、全て、どうでもいい。
唯一欲しいと願った彼女さえ、手に入れることができないのだ。
彼女のいない世界に、意味なんてない。
価値なんてない。

僕は背後から忍び寄る深淵に、身を預けようとした。


だがその瞬間。
走馬灯の帯を燃やし続けていた炎が、ある記憶に差し掛かった。
すぐに燃え尽きてしまいそうなほどに、古い記憶。
その記憶は、炎を纏いながら、僕の耳元で無邪気に囁いた。


『えっとね、白!白が好き!』


…うん、知っているよ。

閉じた瞼を再び開けば、そこには無邪気な笑みを浮かべる幼い彼女がいた。
以前、僕が何色の薔薇が好きかと聞いた時、彼女はそう答えた。
ちゃんと覚えている。
何年経っても覚えている。
そしてこれからも覚えているはずだった。

今となっては、こんな記憶、何の意味もーーー


「……あ……」


そこで僕はハッと思い出した。

名も知らぬ白い花を握り締め、笑顔で〝白〟と答えた小さな彼女。
あの時の彼女は一言も薔薇とは言っていなかった。
そして僕も、何色の花が好きかと聞いただけで、一言も薔薇とは言っていなかった。
全ては僕の思い込みで。
あの時の彼女が好きと答えた花はきっとーーー

目の前にいる幼い彼女が炎に呑まれる。

ーーー待って。

僕は手を伸ばす。

ーーー燃えないで。

彼女の身体が、ちぎれた黒蝶の羽のように舞い上がる。

ーーー行かないで。

















世界を呑み込もうと猛々しく燃え上がっていた炎は、まるでバケツの中の水をぶっかけられたかのように、煙を上げながら鎮火した。
高く上がる煙は、世界から僕たちを覆い隠す。
偶然なのか、それとも世界の意思なのか、突然吹いた風がその煙と雲を散らし、地上を露わにした。
そして、天高く昇る月が照らしたものは、悲惨な焼け野原


ーーーではなく、何処までも続く白い花畑だった。


その花畑の中央には僕と彼女が横たわっている。
彼女は焦げ跡ひとつなく綺麗なまま。
僕の方は僅かに残った魔力のおかげで表面上は治癒されたが、中身はもうボロボロだ。
全てを治癒できるほどの魔力は、もう残っていない。
ほとんどの魔力を、この花畑に使ってしまったから。

この花は僕の記憶だ。
この記憶だけは、燃やしたくなかった。
奪われたくなかった。
永遠のものにしたかった。
僕が消えても、記憶は、永遠に咲き続ける。

これは
花が枯れ、悲しいと言った彼女が、望んだ永遠だ。

風が吹き、白い欠片が空へ舞い上がり、そして舞い落ちてくる。
今の僕には、それが花びらなのか雪なのかわからない。
風が吹くだび、世界が僕を嗤っているような気がした。

…寒い。
とても寒い。
身体から熱が容赦なく消失していく。
この身体から熱が完全に消失してしまったら、僕はどこに行くのだろう。
そんなことを考える僕の背後に、黒い深淵が再び忍び寄る。

カタカタと手が震える。それは寒さではなく、恐怖からくるものだった。
深淵が怖い。
喰われるのが怖い。
死ぬのが怖い。
死への恐怖。
すぐに治癒してしまう魔力を持つ僕にとって、それは初めて味わう感覚だった。


「エリザ…」


助けて欲しくて、一緒にいて欲しくて、僕は縋るように彼女に手を伸ばす。
けれど、僕の手は僅かに届かない。
こんなにも近くにいるのに。

昔からそうだ。
昔から、僕の手は彼女に届かない。
まるで違う世界にいるみたいに。

どうして?
僕が君の好きな花を勘違いしていたから?
今ならちゃんとわかるよ。
この花でしょう?
合っているでしょう?
ねぇ、エリザ。
合っているのなら「うん」って言って。
返事して。
亡霊でも幻覚でも構わないから。

掠れた灰色の視界には、名も知れぬ白い花に包まれて静かに眠る彼女と、自身の腕。
その腕には、相変わらず白い花が咲いている。
白い花。
僕はそこで初めてまわりに咲いている花と腕に生えた花が同じであることに気が付いた。

身体の深くまで根を生やしたコイツを、僕は呪いと呼んでいた。
彼女が僕に植え付けた呪いだと。
けれど、彼女が僕を呪うなんてあり得ない。
ならば、この根は…

勝手に養分を吸い取りながら次々に花を咲かせる花を見て、僕は「あぁ、そうか」と笑った。


僕は世界の養分だ。

世界の餌である僕が、彼女に触れるわけがなかったのだ。
 


意識が、背後に迫る深淵に吸い込まれる。
もう何も見えない。聞こえない。

それは、夢の中で深淵に喰われる感覚と酷く似ていた。







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