173 / 209
第9章「愚者の記憶」
168話
しおりを挟むアルベルトside
『〇月✕日
明日はお城でピアノの発表会。
でも、1回も上手く弾けたことがない。
どうしよう、お母様に怒られちゃう。』
『〇月✕日
やっぱり失敗しちゃった。
お母様にいっぱい怒られたけど、いいこともあった。
絵本みたいな、キラキラの王子様に出会ったの!
甘い匂いがするお花もくれたし、かっこよくて、優しくて、あんな人初めて!
モニカが教えてくれたけど、お花の名前はカモミールっていうんだって。
カモミール、カモミール、カモミール。
うん、忘れない。
王子様に、また会いたいな。』
『〇月✕日
王子様は本当に王子様だった!
お勉強をいっぱい頑張れば王子様に会えるって、お母様が言ってた。
いっぱい、いっぱい頑張ろう。』
『〇月✕日
王子様から貰ったお花、枯れちゃった。
哀しい。
凄く、哀しい。
枯れないで、ずっと咲いていれば良いのに。
どうして、枯れちゃうんだろう。
哀しい。』
瞬きさえも忘れて、僕は黙々とその拙い字を目で追いかける。
『〇月✕日
今日は王子様に会うことができた。
本当は駆け寄りたかったけど、それははしたないから我慢した。
はしたないことは悪いこと。王子様に嫌われちゃう。
遠くから見ているだけでも、今は幸せ。
いつか、色々とお話できたら良いな。』
『〇月✕日
王子様は、とても忙しそう。私に構っている暇はないみたい。
私も王子様を見習って、頑張ろう。』
『〇月✕日
どうしよう。
軟膏を塗っても手の傷が治らない。
どうしようどうしようどうしよう。
王子様は頑張った証拠だって言ってくれたけど……こんな手じゃ、やっぱり…
治るまで手袋をしていよう。』
その拙い字はどんどん洗練された美しい文字に変わってゆく。それは、記載者の成長を意味していた。
『〇月✕日
今日もあの人は忙しい日々を過ごしている。最近、陛下から一部の政務を任されたみたい。
膨大な量の政務を次々と片付けていく姿は、とっても素敵。心から尊敬する。
私も頑張らないと。次はデューデン語を勉強しよう。』
『〇月✕日
今日は、ずっと楽しみにしていた社交界デビューの日だった。
色々とトラブルはあったけれど、無事に参加出来て良かった。
でも、久々にお会い出来たあの人は、何だか素っ気なくて、目を合わせてくれなかった。
頑張ったつもりだったけれど、まだまだ私の努力が足りないみたい。
早く彼に認めて貰えるように、もっと頑張ろう。』
『〇月✕日
あの人との婚約が決まった!
嬉しい!それ以外の言葉が見つからない。
今日は素敵な夢が見られそう。』
ページを捲るたび心臓が激しく脈打ち、指先が震え、呼吸が乱れる。
苦しい、息ができない。
体内に酸素を上手く取り込めず、意識が朦朧とする。
それでも、何かに取り憑かれたかのように、僕はその字を追うことを止めることができなかった。
『〇月✕日
あの人から、サイズの合っていない華美なドレスが届いた。
母と使用人たちは喜んでいたが、私のことなんて微塵も考えていない事務的な贈り物に悲しくなる。
今までも、定期的にダイアやエメラルドなのどの宝石を送ってくれたが、サファイアの宝石だけは決して贈られることは無かった。
婚約は許しても、心は許さないと言われているみたい。』
『〇月✕日
今日は豪華な薔薇の花束が贈られてきた。
メッセージカードは白紙。何も書かないのなら、わざわざ入れなくてもいいのに。
昔のように1輪のカモミールを差し出してくれることは、もうないのかな。』
『〇月✕日
陛下から、あの人に国境視察の命が下った。
国境付近は、治安が悪いと聞く。そんな所になん月も滞在するみたい。
魔力の無い私がいくら願ったところで、何も変わらない。それでも、あの人が無事に帰ってくることを願う。
神様、どうかあの人のことをお守りください。』
『〇月✕日
今日は両陛下のお茶会に行ってきた。
魔力のない出来損ない私に、お2人はとてもよくしてくれる。
けれど、時折私のことをペルラって呼ぶの。
無意識だったみたいで、お2人は気付いてはいなかったみたいだけれど…。
お2人が私に優しくしてくれるのは
きっと──────』
「…ウソだ…」
バサバサと音を立てながら、古びた本が床に落ちる。
そして、それを追いかけるかのように僕の身体も膝から崩れ落ちた。
「こんなの、全部、デタラメだ…っ!」
頭を抱え、体を折り曲げた僕は、ほとんど叫喚に近い奇声を床に吐き出した。
「アイツはっ!僕を陥れる為にこんな虚言の日記を残していったんだっ!!わざわざ鍵までかけてっ!僕を苦しめるために…!!こんな…っこんな…!!」
いくら毒の言葉を重ねても言葉にならない焦燥が後から後から湧き上がり、頭の中でぎりぎりと軋みまわる。
「何が王子様だ、何が尊敬するだ…!!僕との婚約が嬉しい!?嘘ばかり書きやがって!!そんな素振り1度も…っ」
ふいに、アイツのエメラルドの瞳が脳裏に蘇る。
そうだ。いつだってアイツは、僕のことをじっと見ていた。
何か言いたげな、暴くような、探るような、そんな不快な目で。
そんな不快な目。
では敬愛の目とはどんな目だ?
僕は知らない。
だって僕はそんな感情、誰にも抱いたことが、ない。
今まで、1度も。
だから、僕は、知らな、い。
何も、シラ知ら、ない。
あの瞳の、感情なんて。
ち、違う、僕は知っ、てイル。
僕は、全てを知っている。
い、いや、違う。そんなもの世界に存在しない。
それらは人間共が自分に都合よく作り出した言葉であって…!
だから、つまり、僕が…!僕が言っていることだけが真実であって…それ以外は全て…!!
収拾がつかないほど感情が、頭の神経を麻痺させ、思考がまとまらない。
酸素も上手く体内に取り込めることが出来ずに徐々に霞がかかる意識の中、先程床に落とした本が目に留まる。
恐らく開き癖がついているのであろうページには長めに綴られた文字が。
これ以上、読んではいけない。
しかし。
僕の瞳は、その意志に反して、文字を追いかけてしまった。
『ノルデンの春はまだまだ寒いけれど、あの人と結婚したらデューデン国で流行っているピクニックに行ってみたい。
確か芝生の上にシートを敷いて、食べ物を並べる…だったかしら?
食後にカモミールティーを入れて差し上げたいけれど、ノルデン人の舌には合わないのよね…。
多分、あの人も苦手なはず。
美味しいのに、残念。
嗜好の押し付けはいけない。
けれど、いつか一緒にお茶できたら…とても素敵ね。
四季の中で1番過ごしやしい夏は、あの人と一緒に森林の中を散歩してみたい。
清々しい空気の中、手を繋いで─は、はしたないって言われてしまうかしら?
手は繋げなくても、今までお話できなかった分、沢山お話をしたい。
でも、話すのは得意じゃないから…あの人の気を悪くしてしまうかも…。
会話の勉強ってどうやるのかしら?
秋は実りの季節。
皇后様のお茶会で食べた林檎ケーキを、あの人と一緒に食べたい。
確かあの時食べたケーキは、ラルフ様の手料理で、あの人の好物でもあったはず。
ラルフ様にお願いすれば、同じものを作ってくれるかしら?
でも、あの人、少し怖い。
それはきっと私をアルベルト様の婚約者として認めていないから。
いつかラルフ様にも認めてもらえるように頑張らないと。
ノルデンの冬はとっても寒いから、時間が許すまであの人と一緒に暖かな布団の中を微睡んでいたい。
あの人は真面目な人だから、冬でも早起きしてしまうでしょうけど。そんな所も素敵。
未だにあの屋根に積もった雪が滑り落ちる音が怖い。
もしその音で起きてしまった時、隣にあの人が居てくれるのなら、それ以上幸せなことはないでしょうね。』
少し掠れながらも、サラサラと書かれた美しい文字。
が、最後の1文だけは、様子が違っていた。
『なんて、所詮は夢物語。』
インク溜りが目立つ、力の抜けた字で
彼女の日記の最期は、そう締めくくられていた。
20
お気に入りに追加
1,877
あなたにおすすめの小説
〖完結〗私が死ねばいいのですね。
藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。
両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。
それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。
冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。
クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。
そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全21話で完結になります。
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。
尾道小町
恋愛
登場人物紹介
ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢
17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。
ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。
シェーン・ロングベルク公爵 25歳
結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。
ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳
優秀でシェーンに、こき使われている。
コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳
ヴィヴィアンの幼馴染み。
アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳
シェーンの元婚約者。
ルーク・ダルシュール侯爵25歳
嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。
ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。
ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。
この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
「君を愛することはない」の言葉通り、王子は生涯妻だけを愛し抜く。
長岡更紗
恋愛
子どもができない王子と王子妃に、側室が迎えられた話。
*1話目王子妃視点、2話目王子視点、3話目側室視点、4話王視点です。
*不妊の表現があります。許容できない方はブラウザバックをお願いします。
*他サイトにも投稿していまし。
心の鍵は開かない〜さようなら、殿下。〈第一章完・第二章開始〉
詩海猫
恋愛
侯爵令嬢フィオナ・ナスタチアムは五歳の時に初めて出会った皇弟フェアルドに見初められ、婚約を結ぶ。
侯爵家でもフェアルドからも溺愛され、幸せな子供時代を経たフィオナはやがて誰もが見惚れる美少女に成長した。
フェアルドとの婚姻も、そのまま恙無く行われるだろうと誰もが信じていた。
だが違った。
ーーー自分は、愛されてなどいなかった。
☆エールくださった方ありがとうございます!
*後宮生活 5 より閲覧注意報発令中
*前世話「心の鍵は壊せない」完結済み、R18にあたる為こちらとは別の作品ページとなっています。
*感想大歓迎ですが、先の予測書き込みは出来るだけ避けてくださると有り難いです。
*ハッピーエンドを目指していますが人によって受け止めかたは違うかもしれません。
*作者の適当な世界観で書いています、史実は関係ありません*
「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい
みおな
恋愛
私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。
しかも、定番の悪役令嬢。
いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。
ですから婚約者の王子様。
私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。
婚約者が病弱な妹に恋をしたので、私は家を出ます。どうか、探さないでください。
待鳥園子
恋愛
婚約者が病弱な妹を見掛けて一目惚れし、私と婚約者を交換できないかと両親に聞いたらしい。
妹は清楚で可愛くて、しかも性格も良くて素直で可愛い。私が男でも、私よりもあの子が良いと、きっと思ってしまうはず。
……これは、二人は悪くない。仕方ないこと。
けど、二人の邪魔者になるくらいなら、私が家出します!
自覚のない純粋培養貴族令嬢が腹黒策士な護衛騎士に囚われて何があっても抜け出せないほどに溺愛される話。
お幸せに、婚約者様。
ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの?
……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。
彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ?
婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。
お幸せに、婚約者様。
私も私で、幸せになりますので。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる