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第9章「愚者の記憶」
155話
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「本日、面接官を務めさせていただきますラルフ=ブランシュネージュ=ノルデンと申します。」
応接間に飾られた絵画や彫刻が見守る中、叔父による使用人採用面接が始まった。
3人掛けのソファーに座る叔父の前には、コーエン家で侍女と庭師をしていたという男女が2人が、それぞれ来客用の1人掛けの椅子に酷く緊張した面持ちで腰掛けている。
「そして私の隣に居らっしゃるのが――」
「僕のことは気にしなくていいよ。」
叔父の言葉を遮った僕は、頬杖をつきながらテーブル越しの彼らに向かってニコリと微笑みかけた。
「ただの見学だからね。いっその事、空気だと思ってくれて構わない。」
『『いや、思えねぇーよ!』』
顔面蒼白の彼らが、内心でそう叫んでいるなんて知る由もない。
「それではまず初めに、簡単な自己紹介をお願いします。」
「あ、はい!えっと、おれ…じゃなくて、私は―――」
淡々とした叔父の質問に、つっかえながらも懸命に答えてゆく年若い男女。質問の内容自体は当たり障りのないものなのだが、叔父の銀縁眼鏡の下から覗く鋭い三白眼が彼らに必要以上の威圧感を与えていた。
そんな彼らの身にならないやり取りを眺めた僕は、組んでいた足を組みかえて密かにため息をつく。
〝元コーエン家の使用人〟という言葉に釣られて、つい同席してしまったが…
「……。」
僕は彼らに一体何を期待していたのだろう。
「―――では最後に、1歩踏み込んだ質問をします。」
眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、じっと彼らを見据える叔父。
緊張を隠しきれない彼らから、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。
「あなた達は何故、コーエン家の使用人をお辞めになったのですか?」
「―っ、」
彼らの顔に明らかな動揺が走る。それを叔父が見逃すはずがなかった。
「おや、何かお話できない事情がおありなのですか?」
「い、いえ、そんな事は…」
視線を彷徨わせ言い淀む男。その態度は自分に疚しいところがあると言っているようなものだった。
叔父と僕の訝しむ視線が男に集中する。すると、ずっと大人しかった女が男を庇うようにして声を張り上げた。
「かっ、彼は何も悪くありません!悪いの全部、エリザベータ様なんです!!」
女が発した名前に僕と叔父はピクリと反応する。
「お、おい、待てって。」
男が慌てた様子で女を止めに入ったが、女はそれに構わず何やら焦った様子でペラペラと話し始めた。
「きょ、今日の朝!私たちは何も悪くないのに、お嬢様が一方的に暴力を奮ってきて…う、嘘じゃありませんよ!?ほ、ほら、よく見てください!私たちの頬、腫れていますよね!?」
女は自身の頬を指さす。言われてみれば確かに、彼らの頬には微かに叩かれたような跡が残っていた。
…あの子が暴力を?と思ったが、成長した今の彼女ならばありうる気がした。
「それだけじゃありません!お嬢様は気に入らないからと言って、私たちを御屋敷から追い出したんです…!昔っからお嬢様は酷くて酷くて……外では清楚な淑女を演じていますが、御屋敷の中では血も涙もない極悪非道の悪魔なんです!この前だって、殿下からの贈り物を要らないと言って奥様や使用人達に横流ししていたんですよ!?それにそれに、お嬢様は殿下の婚約者であるにもかかわらず、夜な夜な色んな男性と逢瀬を楽しんでいて…!!奥様に似て顔がいいから皆、騙されていますけど、あの人はそうやって偉い人に取り入って、今の地位を―――」
喋っていくうちに気持ちよくなっていったのか、たどたどしがった口調が流暢なものに変わり、女は得々として捲し立てる。
女が興奮して熱を上げていくのに対して、僕の頭はどんどん冷めていった。
「……。」
きっとこれが、長年見続けてきた夢から醒めていく感覚なのだろう。
「口を慎みなさい。」
突然、応接間に落とされた冷ややかな声に、女の口がピタリと止まる。
「殿下の御前であることをお忘れですか?リア = バール嬢。」
そう言って叔父は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、眼鏡越しに彼らを鋭く見据えた。
「―っっ!!」
蛇に睨まれた蛙のように、彼らの顔色がサーッと青褪める。
丁寧な口調ながらも叔父の声には、人を強制的に従わせることに慣れた者だけが持つ、凄みと威厳があった。
「…所詮、虫の子は虫か。」
久々に口を開いた僕の声に、年若い男女はビクッと肩を震わす。
「殿下?…っ、」
隣にいる叔父が小さく息を呑んだ様子が伝わってきた。そんな叔父に僕は笑ってみせる。
叔父の眼鏡に映る僕の瞳は、いつもよりも暗く見えた。
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「―――か、」
「………。」
「殿下。」
「―!」
執務机に座り頬杖をついていた僕は、傍らに立っている叔父の声にはっと我に返った。
「大丈夫ですか?」
無表情ながらも心配そうに声を掛けてくる叔父。
「…あぁ、大丈夫。少し、ぼんやりしていただけだから。」
僕は目頭を揉む。
今は2日前のことを思い出している場合じゃない。
僕は手元にある書類に視線を落とした。
「体調が優れないのでしたら、別の者に行かせましょうか?」
「必要ない。予定通り僕が行く。」
「ですが…」
「僕が行って見てきた方が早い。」
「…。」
「そうでしょう?ラルフ。」
「……貴方がそう仰るのであれば」
今朝方、父から「南の国境視察」の命が僕に下った。
本来ならば、この国には「国境視察団」が存在する為、僕がわざわざ足を運ぶ必要はない。だが、その視察団一行がデューデン国との国境に行ったきり帰ってこないという問題が発生した。僕に命が下る前に何人かの上位魔力保持者が南へ様子を見に行ったが、その彼らももれなく帰ってこないらしい。それに焦りを覚えた父が、藁にもすがる思いで僕に国境視察を命じてきたのだ。
因みに。あの日以来、両親との会話は一切なく、必要なことは全て叔父を通している。
「一体、南で何が起きているんでしょう。」
「さぁね。」
そう言いながらも、何となく見当はつく。大方、デューデン国から密入国してきた輩による犯行だろう。
あの時、僕の政策を大人しく聞いていればこんな事にはならなかったというのに。いつでも自分が正しいと思っているエリザベータのすまし顔が屈辱で歪むのを想像して、少しだけ溜飲が下がる。
「…殿下。」
「なに?」
書類から視線を上げれば、叔父の案ずるような視線とぶつかった。
「最近、ちゃんと休めていますか?」
「……。」
突然の指摘に思わず押し黙る。すると叔父はやれやれと息を吐き、眼鏡を押し上げた。
「仕事熱心なのはいいことですが、根を詰めすぎずては身体がもちませんよ。」
「……。」
最近の僕は暇さえあれば仕事ばかりしている。少しでも時間があると余計なことばかり考えてしまうのだ。
「少し気分転換でもしてきたら如何です?丁度、薔薇園が見頃ですよ。」
「…それ本気で言っているの?」
僕は薔薇の花が嫌いだ。特に赤い薔薇が。
薔薇の香りを嗅ぐ度に、あの閨授業でのおぞましい記憶が蘇り、吐き気を催してしまうのだ。それを重々承知しているはずの叔父をじろりと睨みつければ、叔父は少し肩をすくめてみせた。
「皇宮の庭園には薔薇以外の花もあります。きっと殿下を癒してくれる花が見つかりますよ。」
「……。」
本当にそんなモノが存在するのだろうか。
長年、癒しの花だと思っていた子が、実は虫の子だったとわかった今、何も信じられない。けれど息抜きは必要だ。花には興味ないが、外の空気でも吸って気分を変えよう。
僕は庭園に向かうことにした。
◈◈◈◈◈
庭園に足を踏み入れた僕は思わず顔を顰める。さっそく薔薇の香りが鼻先を刺激してきたからだ。
これでは気分転換どころか、かえって気分を悪くしてしまう。
脳内の叔父に悪態をつきながら執務室に戻ろうと踵を返すと、薔薇垣の向う側から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「――薔薇、ありがとう。」
「いえいえ。これぐらい。」
何気なく薔薇垣の向う側を覗き込んだ僕は、ハッと息を呑む。
そこには麦わら帽子を被った庭師と思わしき男と、今1番会いたくないエリザベータの姿があった。
「でも、大丈夫なの?皇宮の薔薇を勝手に摘んでしまって。」
「1本ぐらい大丈夫っすよー。あ、でも親方に見つかったら何か言われそうなので内密に。」
「ふふっ、分かったわ。」
あのエリザベータが軽薄そうな男と一緒にクスクスと笑い合っている。それを理解した瞬間、僕の後頭部に鈍器で殴られたような衝撃が走った。
僕の前では一切笑わなかった彼女が。
僕からの贈り物を一切喜ばなかった彼女が。
何処の馬の骨とも知れぬ下賎虫から、たった1本の薔薇を貰って嬉しそうに笑っている。
何故、どうして。意味がわからない。
甘ったるい薔薇の香りが僕の思考を奪い、理性をドロドロに溶かしてゆく。
ふと、そんな頭に使用人採用面接時に女が発していた言葉が浮かんできた。
『奥様に似て顔がいいから皆、騙されていますけど、あの人はそうやって偉い人に取り入って、今の地位を―――』
「…………ぁ、はは…、」
僕の口から掠れた笑い声が漏れる。
あぁ、やっとわかった。
彼女は花でも虫でもない。卑しい虫を引き寄せ糧にする食虫植物だったのだ。
気付けば、僕は彼女が庭師から受け取った1本の薔薇を握り締めていた。そして僕の下には、薔薇を奪い返そうと白い手袋に包まれた手を伸ばしてくる彼女が。
…あぁ、気に食わない。
僕の中にヘドロのような黒い種が、どろりと溜まる。
掌の中でくしゃりと潰れた赤い薔薇の感触も、噎せ返るような甘い香りも、貴女の反抗的な態度も、僕の前では決して外さないその白い手袋の存在も。
五感で感じるもの全てが気に食わない。
僕は全てを払い除けたい一心で、彼女の頭上に花びらを散らした。
ハラハラと舞い落ちる真っ赤な花びらと、大きく見開いたエメラルドの瞳。その光景に僕は酷い嫌悪感を抱く。
「…貴女に赤い薔薇は似合わない。」
卑しい虫を喰らうことしか能のない食虫植物である貴女が、花を愛でるなど身の程知らずも甚だしい。
いっその事、忌々しい彼女をこの場で燃やしてしまいたい。だがそれを脳裏にチラつく幼い彼女が邪魔をする。
あぁ、早く。この頭の中に住み着いてる彼女を追い出さなければ。
僕は人形のように固まったままの彼女の横を通り過ぎて、自室に向かった。
◈◈◈◈◈
自室に辿り着いた僕は、真っ先にあの部屋へと向かい、その扉を荒々しく開けた。
一斉に集まる視線に、思わず忌々しげに舌打ちをする。そこにはいつものように笑顔で僕を出迎えるエリザベータの肖像画が、ずらりと並べられていた。
少し前までは彼女達の笑顔に癒されていたのだが、今は吐き気を覚えるほどにただただ不快であった。
部屋の中に足を踏み入れた僕は、自身の血流に混じる青の魔力に意識を集中させる。
すぐさまグツグツと煮え滾る魔力。その魔力を炎へと変換させ、エリザベータの肖像画に向かって勢いよく解き放った。
ゴォーッ!!!と凄まじい唸り声を上げながら青い炎に包まれる肖像画たち。
最初は笑顔だった彼女たちの表情が、みるみる苦悶なものに変わってゆく。それが、とても愉快だった。
「あ、あははは…!」
笑いが止まらない。早くこうすれば良かった。
僕がずっと夢を見続けていた原因は彼女達の存在のせいだ。変わらずにここにいた彼女達。だから僕は気付けずに、ずっと騙され続けていた。ずっと、ずっと、ずっと…!!!
真っ黒に焦げた額縁に囲まれ、笑い続けていた僕はピタリと笑うのを止める。部屋の中央に、いつまでたっても燃えないゴミを見つけてしまったからだ。
白い薔薇の花びらが敷き詰められた頑丈なガラスケース。その中には、出会った頃のエリザベータを模して造った一体のビスクドールが納められている。この人形は磁器製である為、塵にするのが難しい。忌々しい存在。
ガラスケースの中で、何も知らずすまし顔で寝ているその姿は、今のエリザベータに憎らしいほどそっくりだった。
僕は踏み潰すようにしてガラスケースを叩き割った。パリーンッッ!!と甲高い音が部屋に響き、細かいガラスの破片が宙を舞う。そのひと欠片が僕の頬を掠め、ピッと鮮血を散らしたが今の僕にとってそんなことはどうだっていい。今はただただこの人形を壊したくて壊したくて仕方がない。
人形の上に馬乗りになった僕は、人形の首に両手を添えてぐっと力を込めた。
「は、はははっ!」
人形の白い首が、ビキビキと音を立てながら、ひび割れる。その音が最っ高に堪らない。蜘蛛の巣のようなヒビが入った白い首を見て、僕は甘美な愉悦を覚えた。
もっと、もっと、もっと…!!
そして、人形の首は最後に1番甲高い叫び声を上げながら粉々に砕け散った。
ゴロンと、胴から離れた頭がケースの端に転がる様を見た僕は、思わずクスクスと笑う。あぁ、なんと滑稽な。
ゆるりと立ち上がり、僕は人形の頭に足を乗せる。すぐに潰すのはつまらない。僕は少しづつ、少しづつ体重をかけていった。
「…初めて君を見つけた時、僕は本当に嬉しかったんだよ。」
ピッ、ピギギギ…
「こんな醜い世界に、君みたいな綺麗な花が咲いてたんだ!ってね。」
ピキピキギギグググ、ピッ、
「けれど君は僕を裏切った。」
パキッ!!
「ずっとずっと信じていた僕を、君は裏切った。」
ピキピキギギギギギギ…パリンッッパリンッッ…パキッ…
「だから、」
ピッッ…!
「僕は貴女を許さない。」
人形の頭は耳障りな叫び声を上げながら、無様に砕け散った。
「貴女を皇后の椅子から一生離れなれないよう縛り付けて、」
人形の残骸を僕はグリグリと踏み潰す。
「飼い殺してあげる。」
これから始まる最高の復讐劇に、僕は胸を躍らせた。
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