私は貴方を許さない

白湯子

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第9章「愚者の記憶」

144話

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「わぁ…!!」


柔らかな手を引き薔薇園へと連れていけば、色とりどりの薔薇の花に少女は感嘆の声を上げた。
少女の白い頬は薔薇色に染まり、エメラルドの瞳は宝石の如くキラキラと輝く。まるで生まれて初めて薔薇を見たような反応だ。


「すごい!すごいっ!きれいっ!」
「…ぁ、」


少女は僕の手を離し、薔薇垣に向かって駆け出した。
咄嗟に繋いでいた手を伸ばしたが、その手は少女には届かず、虚しく宙を切った。


「…。」


少女の背中がどんどん小さくなる。僕から遠ざかる背中に何故かちくんと心臓の痛みを覚えたが、その痛みは薔薇と戯れる少女の姿を目に入れた瞬間、綺麗さっぱり消え失せた。

プラチナブロンドの髪を靡かせ、花びらと共に駆け回る少女。その姿はまるで可憐な薔薇の妖精。…いや、少女は妖精ではなく、誤って天界から地上に落ちてしまった天使なのかもしれない。

思わず口からため息がこぼれる。
少女を見ているだけで、永らく穢れに浸かっていた瞳が浄化されていくようだ。


「ねぇ!このお花の名前はなんていうの?」


少女からの質問に、はっと我に返る。
おっといけない。少女の可憐さにしばし恍惚としていた。


「…あぁ、そのお花の名前は薔薇だよ。」
「ばら?あれは?」


少女は白い薔薇を指さす。


「あれも薔薇だね。」
「じゃあ、これは?」


少女は赤い薔薇を指さす。


「これも薔薇。」
「色が違うのに全部ばらなの?」
「そうだけど……もしかして初めて見たの?」
「うん!初めて!」


鈴が転がるかのようにクスクスと笑った少女は「ばらっばらっばらっ!」と舌っ足らずに歌いながら、僕の前でクルクルと回り出した。星色の髪と若草色のドレスがふんわりと広がり、薔薇園の中心に花が咲く。まるで花の精が祝福の舞踊を披露しているようだ…!
僕は感動で熱くなる目頭を押さえ、少女がこの世界に存在していることを神に感謝した。

だがしかし。
僕はそこで少し冷静になる。

ノルデン人が薔薇を見たことがないだなんて…そんなことが本当に有り得るのだろうか。
郊外に住む溝鼠やデューデン国の魚類等ならいざ知らず、この子は貴族階級の令嬢なのだ。式典や贈り物によく用いられる薔薇の花を見る機会なんていくらでもあるはずなのに…。


「……もしかして君は、塔の中に幽閉されていた天使なの?」
「ん?」


少女は不思議そうに首を傾げた。ぽかんとしている君も大変美しい。
流石に塔に幽閉されていた天使説は飛躍しすぎたが、少女の正体が本当に天使だと言われても僕は驚かないだろう。


「…何でもないよ。…ところで、君は何色の花が好きかな?」


少女の手には未だに雑草の花が握られていた。美しい君にはそんな雑草は似合わない。早く君に綺麗な薔薇の花を持たせてあげたかった。美しいものと美しいものを掛け合わせたら、更に君の存在は高みに登るだろう。

僕の問いに少女は満面の笑みを浮かべながら答えた。


「えっとね、白!白が好き!」
「へぇ。」


なるほど、白薔薇か。
少女の回答に僕は笑みを深める。流石は僕のリトルレディ。無垢な君には相応しい花だ。

今の君はまだ幼い蕾だけれども、きっとあと数年もすれば白薔薇が似合う清らかなレディに成長するだろう。
…あぁ…!そんな君を見るのが今から待ち遠しい…!!
この僕が未来に期待する日が来るだなんて思ってもいなかった。

本当は蕾が花開く過程を1番近くで見守ってあげたい。だが僕の立場上、それは叶わぬ願いである。


―…つくづく嫌になる世界だ。


憂いに沈む僕の頭に、ふとある名案が浮かんだ。そうだ、少女のことをに頼めば…


「エリザベータッッ!!!!」


突如、薔薇園に轟いた女の怒声によって僕の思考は遮られた。
その聞くに耐えない声がするほうへ視線を向ければ、皇宮の渡り廊下から険悪な形相を浮かべた1人の女がこちらに向かってズカズカと歩いてくるのが見えた。

神聖な皇后の庭を許可なく足を踏み入れることの罪深さを、この女は知らないのだろうか。知らないならば、わからせてあげればいい。僕は女の足の腱を魔法で切ろうとした。

しかし、出来なかった。
その女性が、あまりにも少女と似ていたから。
一瞬の躊躇。だが次の瞬間には乾いた音が薔薇園に鳴り響いていた。

女が少女の頬に平手打ちを放ったのだ。

やけにゆっくりと華奢な身体が宙に浮き、そしてずしゃっと音を立てて少女は顔面から地面に倒れ込んだ。


「勝手にうろちょろしないで頂戴!あなたって子はどれだけ私に迷惑をかければ気がすむのっ!!!」


ヒステリックに罵声を吐き続ける女は倒れ込む少女の胸ぐらを掴み上げ、もう片方の手を振り上げた。


「―やめろッ!」


女の手が振り落とされる寸前、ハッと我に返った僕は声を張り上げた。
すると女はピタリと止まり、壊れた人形のようなぎこちない動きで僕を見下ろした。
まるで世界中の憎悪を掻き集めて煮詰めたような、おどろおどろしい翠色の瞳で。


「あら、皇太子殿下。ご機嫌麗しゅうございます。」


そう言って上品な笑みを浮かべる女は、先程までヒステリックに怒鳴っていた女とは別人のように見えた。その変わり身の早さにゾッとする。
少女の胸ぐらから手を離した女はスカートを摘み深々と頭を下げてきた。


「この度は私どもの教育が至らず、殿下には大変御迷惑をおかけしました。今後はこのようなことがなきよう娘を更に厳しく躾て参りたいと思いますので、何卒お許しください。」


噛むことなく流暢に述べた謝罪の言葉は、まるで最初から用意していた定型文のように感じた。


「……。」


女の得体の知れないおぞましさに、思わず言葉を失う。それをいいことに、女は更に言葉を重ねてきた。


「本当はもう少し成長してから殿下にお見せするつもりだったのですが…」


そう言って女は地べたに座り込んでいた少女の頭を掴み、俯いていた少女の顔をぐっと僕に見せつけてきた。


「―っ、」


思わず息を呑む。
少女の白い頬は真っ赤に腫れていた。


「ほぉら、私に似て綺麗な顔をしているでしょう?今は幼い故に至らない点も多いですが、あと数年もすればきっと殿下が気に入るような立派なレディになりますわ。」


私に似て綺麗?
至らない点?
僕が気に入るレディ?
この女はさっきから何を言っている。
少女は既に完成された存在なのだ。
それをお前が傷物にした。


「楽しみにしてて下さいませ。」


優雅な笑みを浮かべる美しい貴婦人と、苦痛の表情を浮かべながらポロポロと涙を流す少女。
その異様な光景に眩暈と吐き気を覚えた。

あぁ、なんて醜くおぞましい存在なのだろう。こんな害虫、生かしておく価値もない。
直ちに世界から駆除しなければ。
僕は自身の中に流れる魔力に意識に集中させた。血がグツグツと沸騰し、瞳に光が宿る。

そうだ、燃やしてしまおう。

皮も肉も骨も

その醜い魂ごと全て。


「…ごめんなさい、お母様。」


少女のか細い声に、僕の中で燃え滾っていた炎が一瞬で鎮火した。


「もう勝手にうろちょろしません。ごめんなさい…。」


何故、君が謝るのだ。ここに君を連れてきたのは僕だ。君が謝る必要なんてどこにも無い。
そう、言おうとした。だが言えなかった。
少女の顔を見たら何も言えなくなってしまった。

少女は笑っていた。
頬を腫らして、痛々しく笑っていた。

愕然とする僕に少女は一言だけ呟いた。
その呟きは声には出ていない。だが唇の動きで読み取ることはできた。

その言葉は『大丈夫だよ。』だった。























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