私は貴方を許さない

白湯子

文字の大きさ
上 下
112 / 209
第7章「温室栽培」

108話

しおりを挟む


幼少期ユリウスside


自室でソファに座り本を読んでいると、扉の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。
公爵家の邸で走り回れるのは、あの人しか居ない。その淑女らしからぬ足音は、どんどんこちらに近づいてくる。そして―――


「ユーリ!!」


悲痛な叫びと共に、部屋に飛び込んできたのは、案の定、僕の姉だった。
姉は僕を見るなり、くしゃりと顔を歪ませ、ソファに座ったままの僕に駆け寄ってきた。


「ねぇ!ユーリ、どうしよう!動かなくなっちゃった…!!」


僕の足元で崩れ落ちるように両膝をついた姉は、今にも泣き出してしまいそうな顔で、その小さな手の平を僕に見せてきた。
そこに居たのは―――


―――羽を毟られ、無惨な姿に成り果てた、1匹の蝶だった。


ずっと、握り締めていたのだろう。蝶の青い羽はクシャクシャになっている。


「…姉上、何があったのですか?」


姉を刺激しないよう優しく尋ねれば、姉は「あのね、あのね、」と一生懸命話し始めた。


「お庭でね、遊んでいたら、蝶々さんが飛んできたの。とっても綺麗だったから、ユーリにも見せてあげようと思って……でもね、飛んで逃げちゃいそうだったから、羽をとったの。そうしたら、動かなくなっちゃって……。だから、お願い…!この前のクマさんみたいに、この蝶々さんもなおして…!」


腕が取れてしまったクマのぬいぐるみを魔法で直してあげたのは、つい最近のこと。
……羽を胴体にくっつけたとしても、蝶は動かないだろう。
姉の必死の懇願に、僕は首を横に振った。


「それは、できません。」
「どうして?」
「失った命は、2度と元には戻りません。」
「ユーリの魔法でも?」
「はい。」


魔法は、1を100にすることが出来ても、0を1にすることは出来ない。
無の状態から何かを生み出すことは出来ないのだ。それが出来るのは、この世界だけ。


「―っ!」


姉の顔はみるみる絶望に染まり、そのエメラルドの瞳からポロポロと涙が溢れ出した。


「ど、どうしよう…!私、悪いことしちゃった…!」


事切れた蝶を胸に抱きながら泣きじゃくる姉の頭を、僕は優しく撫でる。


「確かに姉上は悪いことをしてしまいました。」
「う…っ、ひっく…うぅ………」
「でも……僕の為、だったのでしょう?」
「う、うん…っ。だって、綺麗だったから、ユーリにも見せたくて…っ」
「えぇ、大丈夫ですよ。僕はちゃんと分かっています。だから、泣かないで。」
「…っ、うぅぅぅ…」


時に、子供は大人よりも残酷だ。
だがそれは、無知であるが故の残酷さ。良くも悪くも、子供は純粋なのだ。

こうして命と触れ合うことで、純粋無垢な子供たちは、命の尊さを学んでいくのかもしれない。


「姉上、よく聞いてください。僕達の命と同じように、虫の命にも限りがあります。決して、永遠のものではありません。死んでしまえば、そこで終わりなのです。」
「…うん…っ…ひっく…うん…!」
「虫達も限られた命の中で一生懸命に生きています。ですから、その命をむやみに奪っては駄目ですよ?」


姉は涙を流しながら、僕の言葉に何度も頷いた。僕はその零れ落ちる涙を指の背で拭う。

貴女が1匹の虫の為に、涙を流す必要なんてない。なぜなら、虫には感情というものが存在しないのだから。
涙を流すだけ、無駄なのだ。


「さ、姉上。その蝶々さんのお墓を作りましょう。」


*****


僕達は、中庭に蝶の墓を作った。
穴を掘って埋めただけの、とても簡易的なものだ。

姉は墓の前で座り込み、「無事に天国に行けますように。」と口に出しながらお祈りをしている。姉が一生懸命になればなるほど、その姿は滑稽に見えた。
虫は土に還るだけなのだ。そして、また世界の一部となる。ただそれだけ。
だが、それを姉に言うつもりは無い。
彼女は何も知らずに、純粋で無垢で、滑稽のままいればいい。


「ねぇ、ユーリ。蝶々さんは、ちゃんと天国に行けるかな?」
「大丈夫ですよ。姉上の願いは神様が叶えてくれます。」
「神様が?」
「えぇ。神様はいつでも僕達を見ていますから。」


息を吐くように嘘をつく。
この世界に、神は存在しない。
世界が神を創るのに、失敗してしまったから。神の代わりに残ってしまったのが、不完全な人間という名の生き物。世界の失敗作。

そして、僕達を見ているのは、神ではなく、永遠の時の中で世界の終わりを待つ、ただの傍観者だ。


「良かったぁ。蝶々さん、天国に行けるんだね。」


安心したように笑う姉は、花のように可愛らしい。

この可愛らしい姉の手の中で、息絶えた虫が心底羨ましかった。











嗚呼


願わくば


この虫のように


彼女の手の中で


息絶えたい。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

「君を愛することはない」の言葉通り、王子は生涯妻だけを愛し抜く。

長岡更紗
恋愛
子どもができない王子と王子妃に、側室が迎えられた話。 *1話目王子妃視点、2話目王子視点、3話目側室視点、4話王視点です。 *不妊の表現があります。許容できない方はブラウザバックをお願いします。 *他サイトにも投稿していまし。

心の鍵は開かない〜さようなら、殿下。〈第一章完・第二章開始〉

詩海猫
恋愛
侯爵令嬢フィオナ・ナスタチアムは五歳の時に初めて出会った皇弟フェアルドに見初められ、婚約を結ぶ。 侯爵家でもフェアルドからも溺愛され、幸せな子供時代を経たフィオナはやがて誰もが見惚れる美少女に成長した。 フェアルドとの婚姻も、そのまま恙無く行われるだろうと誰もが信じていた。 だが違った。 ーーー自分は、愛されてなどいなかった。 ☆エールくださった方ありがとうございます! *後宮生活 5 より閲覧注意報発令中 *前世話「心の鍵は壊せない」完結済み、R18にあたる為こちらとは別の作品ページとなっています。 *感想大歓迎ですが、先の予測書き込みは出来るだけ避けてくださると有り難いです。 *ハッピーエンドを目指していますが人によって受け止めかたは違うかもしれません。 *作者の適当な世界観で書いています、史実は関係ありません*

「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。  しかも、定番の悪役令嬢。 いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。  ですから婚約者の王子様。 私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。

婚約者が病弱な妹に恋をしたので、私は家を出ます。どうか、探さないでください。

待鳥園子
恋愛
婚約者が病弱な妹を見掛けて一目惚れし、私と婚約者を交換できないかと両親に聞いたらしい。 妹は清楚で可愛くて、しかも性格も良くて素直で可愛い。私が男でも、私よりもあの子が良いと、きっと思ってしまうはず。 ……これは、二人は悪くない。仕方ないこと。 けど、二人の邪魔者になるくらいなら、私が家出します! 自覚のない純粋培養貴族令嬢が腹黒策士な護衛騎士に囚われて何があっても抜け出せないほどに溺愛される話。

お幸せに、婚約者様。

ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの? ……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。 彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ? 婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。 お幸せに、婚約者様。 私も私で、幸せになりますので。

処理中です...