私は貴方を許さない

白湯子

文字の大きさ
上 下
98 / 209
第6章「不完全な羽化」

94話

しおりを挟む


ここは、俗世を離れた深い海の底。私は二枚貝となり、閉ざされた世界で静かに眠っている。


「―――ベータ」


誰かが私の名を呼んだ気がした。
貝の隙間から、ブクッと気泡が零れる。


「エリザベータ。」


今度ははっきりと聞こえた。
その声に引っ張られるかのように、私の身体は上に登っていく。

そして、バサッと勢いよく水面から顔を出したのと同時に、私の意識は緩やかな微睡みから覚めた。


「おはよう、エリザベータ。」


寝惚けまなこのぼんやりとした視界に、薄く笑っているエメラルドの瞳の少女が映り込む。彼女の後ろには雲一つない満天の星空が広がっていた。

むくりと上体を起こすと甘い林檎のような香りが、ふんわりと鼻腔を掠める。その香りに誘われるかのように顔を上げれば、真っ白な花々が辺り一面に咲き乱れていた。


―――そう、カモミールだ。


月夜に照らされたカモミールは雪原のごとく、白く、蒼く、淡い光を放っている。そのカモミール畑に終わりは見えない。果てしなく、何処までも続いているように思えた。

この光景を見た私は直ぐに、自分が夢の中にいることに気付く。
目が覚めると忘れてしまう不思議な夢。

全体をぐるりと見渡した私は視線を少女に移し、ギクリと身体を強ばらせた。何故なら、少女は赤い鎖で繋がれていたから。

腰まで伸びている真っ直ぐなプラチナブロンドの髪に、真っ白なドレスを身に纏っている少女には、陰鬱な赤色が不気味に映える。
首には真っ赤な首輪を、両足首には真っ赤な足枷を。その鎖は地面に繋がっていた。

だが、少女は鎖を気にする素振りもなく、私の傍らでカモミールを摘み取り、その茎を器用に編み込みながら、鼻歌交じりで花冠を作っていた。その姿は、まるで無邪気に花遊び興じる幼い子供のよう。
それがより一層、彼女の異質さを際立たせていた。


「いつもみたいに、何をしているのって聞かないの?」


少女は手元を見ながら、突然私に話しかけてきた。


「聞かないわ。だって、見ればわかるもの。花冠を作っているのでしょう?」


少女の手にある、長く連なったカモミールを輪っかにすれば、立派な花冠の完成だ。それは誰の目から見ても明らかである。
だが、少女は鼻で笑った。


「貴女は、またそうやって…。思い込みで決めつけるのは良くないわ。」


人を小馬鹿にするような態度に、少しムッとした私は、ついついむっつりとした声を出してしまう。


「じゃあ、何を作っているの?」
「花冠よ。」
「…やっぱりそうじゃない。」


私はからかわれているのだろうか。それが顔に出てしまったのだろう。私の顔を見て可笑しそうにクスクスと笑う少女に、怒る気力は失せてしまった。


「えぇ、そうね。結果は同じだけど、その答えを知る過程が大切なのよ。」
「過程?」
「えぇ。思い込みだけじゃ、大切なものは見えてこないわ。」


手元から顔を上げ、私をじっと見つめてくる少女。少女の視線に、何故か居心地の悪さを覚えた私は思わず視線を逸らす。それを見た少女は「そうやって貴女は目を背けるのね。」と言って、心底失望したように息を吐いた。

少女は私に対して、基本辛烈だ。それは、少女がこの場所に囚われていることと何か関係があるのだろうか。


「…そんな貴女の気持ちなんてお構い無しに、それぞれの歯車が回り始めているのよ。」


この少女は突然何を言い出すのだと、首を傾げる。そんな私に構うことなく、少女は語り続けた。


「でもね、1人で回っていても空回りするだけで、なんの意味も無いわ。歯車同士の歯と歯が噛み合って、初めて世界が動き出すの。」


正直、少女が何を言っているのか理解できなかった。世界を動かすだなんて、いくらなんでも規模が大きすぎる。
頭にハテナマークを浮かべて首を捻っていると、少女の鋭い視線が突き刺さった。


「よく聞いて、エリザベータ。貴女は、周りの歯車と比べると小さくて、今にも壊れてしまいそうなほどに脆いわ。そんな歯車なんて、世界にあっても無くても構わない、ちっぽけな存在だとは思わない?そうとは知らずに貴女は、誰とも噛み合おうとはせずに1人でクルクルと回っているの。その姿が、あまりにも滑稽すぎて見ているこっちがイライラするのよ。」


早口で一気に捲し立てた少女は、募る苛立ちを落ち着かせようと深く息を吐く。
わかりやすく苛立っている人間に対して、どう口を挟めば良いのだろう。私の陳腐の脳みそでは火に油を注ぐような言葉しか浮かばない。結局、私は口を噤むことしかできなかった。

少女は何度か鼻で呼吸した後、ゆっくりと口を開いた。


「…どうしようもない貴女だけど、それぞれの歯車と噛み合うことが出来るのは、貴女しか居ないのよ。」


真っ直ぐに私を見つめるその瞳から、今度は目を背けることが出来なかった。
私を責めるような、縋るような、貶すような…そんな様々な感情が入り交じった瞳。その瞳は私の呼吸を抑制した。

しばらく見つめ合っていると、ふいに少女は目線を下に落とす。釣られて私も視線を落とすと、少女の手には完成した花冠が握られていた。それを見た私は思わず息を呑む。何故なら、真っ白なたカモミールがいつの間にか、陰鬱な赤色に染まっていたから。


「世界が前進するか、それとも後退してしまうのかは、貴女次第。」


そう言いながら少女は赤い花冠を何の躊躇もなく、私の頭の上に乗せてきた。それと同時に後頭部に、ずっしりとした重みを感じる。まるで生暖かい水を含んで、ぐっしょりと濡れた雑巾を頭に乗せられたような感覚。その不快な感触に全身に鳥肌が立った。


「重い?それは世界の重さよ。貴女が殺した世界の重さ。」


花冠から滴る生暖かい液体は私の頭を濡らし、頬を伝う。ポタリ、ポタリと手の甲に落ちてきた雫は、やはり赤かった。


「この世界は愛を知って、初めて産声を上げたの。」


少女は私に手を伸ばし、頬を伝う液体を自身の親指で拭う。


「愛って不思議よね。奇跡を産む愛もあれば、憎しみを産む愛もある。まるで魔法…というよりも呪いと言った方がいいかしら。」


拭ったことにより親指に付着した液体を、少女は流れるように私の唇に何度か往復させるようにして塗り込む。すると、私の唇は紅をさしたかのように赤く染った。

唇の隙間から液体が入り込み、口腔内にじんわりと鉄の味が広がる。その鉄の中から、微かに甘い香りを感じ取れた。


「その愛が歪んでいればいるほど、奇跡のような呪いが産まれるのよ。」


そう言って少女は花のように笑った。









しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!

あきのみどり
恋愛
【ヒロイン溺愛のシスコンお兄様(予定)×悪役令嬢(予定)】 小説の悪役令嬢に転生した令嬢グステルは、自分がいずれヒロインを陥れ、失敗し、獄死する運命であることを知っていた。 その運命から逃れるべく、九つの時に家出して平穏に生きていたが。 ある日彼女のもとへ、その運命に引き戻そうとする青年がやってきた。 その青年が、ヒロインを溺愛する彼女の兄、自分の天敵たる男だと知りグステルは怯えるが、彼はなぜかグステルにぜんぜん冷たくない。それどころか彼女のもとへ日参し、大事なはずの妹も蔑ろにしはじめて──。 優しいはずのヒロインにもひがまれ、さらに実家にはグステルの偽者も現れて物語は次第に思ってもみなかった方向へ。 運命を変えようとした悪役令嬢予定者グステルと、そんな彼女にうっかりシスコンの運命を変えられてしまった次期侯爵の想定外ラブコメ。 ※話数は多いですが、1話1話は短め。ちょこちょこ更新中です! ●3月9日19時 37の続きのエピソードを一つ飛ばしてしまっていたので、38話目を追加し、38話として投稿していた『ラーラ・ハンナバルト①』を『39』として投稿し直しましたm(_ _)m なろうさんにも同作品を投稿中です。

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

「君を愛することはない」の言葉通り、王子は生涯妻だけを愛し抜く。

長岡更紗
恋愛
子どもができない王子と王子妃に、側室が迎えられた話。 *1話目王子妃視点、2話目王子視点、3話目側室視点、4話王視点です。 *不妊の表現があります。許容できない方はブラウザバックをお願いします。 *他サイトにも投稿していまし。

心の鍵は開かない〜さようなら、殿下。〈第一章完・第二章開始〉

詩海猫
恋愛
侯爵令嬢フィオナ・ナスタチアムは五歳の時に初めて出会った皇弟フェアルドに見初められ、婚約を結ぶ。 侯爵家でもフェアルドからも溺愛され、幸せな子供時代を経たフィオナはやがて誰もが見惚れる美少女に成長した。 フェアルドとの婚姻も、そのまま恙無く行われるだろうと誰もが信じていた。 だが違った。 ーーー自分は、愛されてなどいなかった。 ☆エールくださった方ありがとうございます! *後宮生活 5 より閲覧注意報発令中 *前世話「心の鍵は壊せない」完結済み、R18にあたる為こちらとは別の作品ページとなっています。 *感想大歓迎ですが、先の予測書き込みは出来るだけ避けてくださると有り難いです。 *ハッピーエンドを目指していますが人によって受け止めかたは違うかもしれません。 *作者の適当な世界観で書いています、史実は関係ありません*

「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。  しかも、定番の悪役令嬢。 いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。  ですから婚約者の王子様。 私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。

婚約者が病弱な妹に恋をしたので、私は家を出ます。どうか、探さないでください。

待鳥園子
恋愛
婚約者が病弱な妹を見掛けて一目惚れし、私と婚約者を交換できないかと両親に聞いたらしい。 妹は清楚で可愛くて、しかも性格も良くて素直で可愛い。私が男でも、私よりもあの子が良いと、きっと思ってしまうはず。 ……これは、二人は悪くない。仕方ないこと。 けど、二人の邪魔者になるくらいなら、私が家出します! 自覚のない純粋培養貴族令嬢が腹黒策士な護衛騎士に囚われて何があっても抜け出せないほどに溺愛される話。

処理中です...