96 / 209
第6章「不完全な羽化」
92話
しおりを挟む耳障りな女の甲高い声に刺激され、私の意識は浮上した。
重い瞼を開けば、目の前にそびえ立つ階段がぼんやりとした視界に映り込む。その階段の前で仰向けに倒れていることに気が付いた。
何故こんな所に寝ていたのだろう。身体を起こそうと、腕に力を入れると背中に激痛が走った。
「―っ、」
一気に意識が覚醒する。そして、その痛みに引き摺られるように、気を失う直前のことを思い出した。
あぁ、そうだ…!
私は聖女に、階段から突き落とされたんだった。私の身体を押した聖女の手の感覚が、身体に生々しく残っている。
打ち所が悪かったら、確実に死んでいた。
―――聖女は、私を殺そうとしたのだ。
「エリザベータ様!!」
その焦った声と共に、階段を駆け下りる足音が聞こえてくる。それが一体誰なのか、確認しなくてもわかる。
「あぁ、エリザベータ様…!」
視界に飛び込んできたのは案の定、聖女ベティの顔。彼女は今にも死んでしまいそうなほど悲痛に顔を歪めていた。私を殺そうとしたくせに、どうしてそんな顔をするのだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい…!」
膝をついた聖女は、私の手を握りボロボロと涙を流しながら謝ってきた。その泣き顔に胸が締め付けられる。そんなに泣いたら、綺麗な瞳が溶けてしまう。彼女の涙を拭ってあげたいが、身体を動かそうとするとズキンと激痛が襲いかかる。
私のために涙を流す彼女が、私を殺すはずがない。きっと、これは何かの間違いだ。
そうだ、そうだ……そうに違いない。あぁ、良かった。
私は安堵の息を洩らす。
「ごめんなさい、エリザベータ様…。私の力不足のせいで、また失敗してしまいました…っ」
力不足?また?失敗?
彼女の言葉に、どくりと心臓が嫌な音をたてた。自分の顔が強ばるのを感じる。
「また…貴女を…この世界から救えなかった…!私が失敗したせいで、貴女はこの世界に縛られたまま……あぁぁごめんなさい…!エリザベータ様…貴女を、この世界から解放してあげたかったのに…!!」
ブツブツと呟きながら、不穏げに煌めく瞳で私を見下ろす聖女。
聖女の言葉を理解した瞬間、背筋が凍った。
「貴女を、苦しみから救ってあげられるのは私だけなんです。私だけ、私だけ、私だけ私だけ私だけ私だけ私だけ私だけ私だけ私だけ私だけ私だけ私だけ…………あぁ、可哀想なエリザベータ様…こんなに震えて…怖いですよね?辛いですよね?こんな世界、いらないですよね…?もう、世界に怯えなくても良いんですよ?今度こそ、貴女を救ってみせます。私を…信じて…ね…?」
安心させるように口元に笑みを浮かべ、私の理性を堕落させるような、何処かで聞いたことのある甘いセリフを吐く聖女。一見すると、慈悲深く人畜無害で清らかな乙女だが、その瞳には一切甘さがなく、剣呑な色を孕んでいた。それが、全てを物語っている。彼女は、冗談抜きで私を殺そうとしたのだ。そして、それが救いになると本気で思っている。
「お……かしいわ…。」
どうしたら、そんな恐ろしい考えに行き着くのだろう。死ぬことが救いになるだなんて、彼女は何か大切なものを履き違えている。
ここまで彼女を掻き立てる理由は?想い人の姉に対する感情にしては、あまりにも度が過ぎていて、狂気的だ。
聖女に対して、アルベルト様以上の恐怖を感じた。
「さぁさぁ、皆様!ご覧になりましたか!?」
恐怖で固まる私の耳に、妙に芝居掛かった甲高い女の声が突き刺さった。この声は、先程にも…。
「これが、あのエリザベータ=アシェンブレーデル様の本性でございますわっ!」
声が降ってくる方に視線を向ければ、先程まで私が居た階段の踊り場に、こちらを見下ろす赤髪の女生徒が見えた。
艶やかな赤髪とルビーの瞳を持つ、気高き一輪の薔薇のような女性。
そこには最近姿を見せていなかった、カトリナ= クライネルトが悠然と立っていた。
「あぁ、見ました!見ましたとも!!この目でしっかりと!エリザベータ様が我らの愛しの聖女様を階段から突き落とそうとした所を!!」
今度は男性の芝居掛かった声が辺りに響く。カトリナの隣には入学初日、私に無礼な声を掛けてきたトミー =キッシンジャーが現れた。彼は大袈裟に腕を広げ、悲痛な表情を浮かべる。
「エリザベータ様は、聖女様の美しい容姿とそのお心に嫉妬したのです。あぁ、なんて醜い!そして、その醜い嫉妬心に駆られたエリザベータ様は、その感情の赴くままに聖女様を殺そうとした…!!」
「あぁ、なんて罪深い…!!ですが、神は全てを見ています。神は聖女様を救い、エリザベータ様に罰を与えました…!そう、」
2人は顔を合わせ、にたりと笑う。
「「エリザベータ様には天罰が下ったのです!!!」」
カトリナとトミーが声高らかに言い放つと、周りからどっと歓声が湧き上がるのが聞こえた。
「―!?」
この時、初めて気がついた。
私は、大勢の生徒たちに囲まれていたのだ。
「公爵令嬢が?」
「あぁ、やっぱり…」
「いつかやると思っていたよ。」
「以前、シューンベルク卿をいたぶっていたという噂があったわよね?」
「噂は本当だったんだよ。」
「火のないところに煙は立たないって言うものね…。」
「罪深い!!!」
「そいつを罰せろ!!」
「極悪だ!!」
「あぁ、自分を殺そうとした罪人に涙を流すだなんて……我らの聖女様はなんて慈悲深い…っ!!」
「聖女様!!」
「聖女様!!」
「聖女様!!」
「「我らの愛しの聖女様!!!」」
この異様な状況に、さっと顔を青くした私は恐ろしさに息を呑んだ。
全生徒の好奇な視線が突き刺ささり、心臓が大きく脈打つ。
一体何が起きているのだ。
いつの間にか、私が聖女を殺そうとしたことになっている。どうして、そうなるのだ。殺そうとしてきたのは私ではなく、聖女のほうだ。
弁解を求めるため、聖女に視線を向けるが、彼女は何も言わない。ボロボロと涙を流しながら口元に笑みを浮かべ、熱の篭った瞳で私を見下ろすだけ。その瞳が、いつの日だったか、義弟が見せた瞳と重なって………
「…ぁ…」
こんなの、可笑しい。早く、逃げないと。このままここに居たら気が狂いそうだ…!
そう思うのに、身体は石のように動かない。身体からは血の気が引き、どんどん体温が失われていく。私の手を握る彼女の手の冷たさのせいで、より一層身体が冷えていった。
それだけじゃない。背中がじんじんと疼痛を訴えて、息をするたびに激痛が走る。自然と呼吸が浅くなり、意識が朦朧とする。
いっその事このまま気を失ってしまいたい…そう思った時―――
「何を騒いでいるっ!!!」
当然、人だかりの向こうから鋭い声が飛んできた。その声に生徒たちの負のどよめきが起きる。そして、生徒たちは潮が引くように道を開け、そこから現れたのは…
「…殿下…?」
「―っ、エリザ…っ」
床に倒れたままの私を見つけた殿下は、サファイアの瞳を大きく見開き、顔を強ばらせたあと、弾かれたかのように私の元に駆け寄り傍らに膝をついた。
「おい!大丈夫か、何があった…!?」
この異様な空間に現れた、いつも通りのテオドール殿下。
「…あぁ、殿下…」
それに酷く安堵した私は、深い海に沈むように意識を手放した。
21
お気に入りに追加
1,877
あなたにおすすめの小説
もしも○○だったら~らぶえっちシリーズ
中村 心響
恋愛
もしもシリーズと題しまして、オリジナル作品の二次創作。ファンサービスで書いた"もしも、あのキャラとこのキャラがこうだったら~"など、本編では有り得ない夢の妄想短編ストーリーの総集編となっております。
※ 作品
「男装バレてイケメンに~」
「灼熱の砂丘」
「イケメンはずんどうぽっちゃり…」
こちらの作品を先にお読みください。
各、作品のファン様へ。
こちらの作品は、ノリと悪ふざけで作者が書き散らした、らぶえっちだらけの物語りとなっております。
故に、本作品のイメージが崩れた!とか。
あのキャラにこんなことさせないで!とか。
その他諸々の苦情は一切受け付けておりません。(。ᵕᴗᵕ。)
二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです
矢野りと
恋愛
ある日、マーコック公爵家の屋敷から一歳になったばかりの娘の姿が忽然と消えた。
それから十六年後、リディアは自分が公爵令嬢だと知る。
本当の家族と感動の再会を果たし、温かく迎え入れられたリディア。
しかし、公爵家には自分と同じ年齢、同じ髪の色、同じ瞳の子がすでにいた。その子はリディアの身代わりとして縁戚から引き取られた養女だった。
『シャロンと申します、お姉様』
彼女が口にしたのは、両親が生まれたばかりのリディアに贈ったはずの名だった。
家族の愛情も本当の名前も婚約者も、すでにその子のものだと気づくのに時間は掛からなかった。
自分の居場所を見つけられず、葛藤するリディア。
『……今更見つかるなんて……』
ある晩、母である公爵夫人の本音を聞いてしまい、リディアは家族と距離を置こうと決意する。
これ以上、傷つくのは嫌だから……。
けれども、公爵家を出たリディアを家族はそっとしておいてはくれず……。
――どうして誘拐されたのか、誰にひとりだけ愛されるのか。それぞれの事情が絡み合っていく。
◇家族との関係に悩みながらも、自分らしく生きようと奮闘するリディア。そんな彼女が自分の居場所を見つけるお話です。
※この作品の設定は架空のものです。
※作品の内容が合わない時は、そっと閉じていただければ幸いです(_ _)
※感想欄のネタバレ配慮はありません。
※執筆中は余裕がないため、感想への返信はお礼のみになっておりますm(_ _;)m
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
TS調教施設 ~敵国に捕らえられ女体化ナノマシンで快楽調教されました~
エルトリア
SF
世界有数の大国ロタール連邦の軍人アルフ・エーベルバッハ。彼は敵国アウライ帝国との戦争で数え切れぬ武勲をあげ、僅か四年で少佐にまで昇進し、救国の英雄となる道を歩んでいた。
しかし、所属している基地が突如大規模な攻撃を受け、捕虜になったことにより、アルフの人生は一変する。
「さっさと殺すことだな」
そう鋭く静かに言い放った彼に待ち受けていたものは死よりも残酷で屈辱的な扱いだった。
「こ、これは。私の身体なのか…!?」
ナノマシンによる肉体改造によりアルフの身体は年端もいかない少女へと変容してしまう。
怒りに震えるアルフ。調教師と呼ばれる男はそれを見ながら言い放つ。
「お前は食事ではなく精液でしか栄養を摂取出来ない身体になったんだよ」
こうしてアルフは089という囚人番号を与えられ、雌奴隷として調教される第二の人生を歩み始めた。
【完結】冷遇された翡翠の令嬢は二度と貴方と婚約致しません!
ユユ
恋愛
酷い人生だった。
神様なんていないと思った。
死にゆく中、今まで必死に祈っていた自分が愚かに感じた。
苦しみながら意識を失ったはずが、起きたら婚約前だった。
絶対にあの男とは婚約しないと決めた。
そして未来に起きることに向けて対策をすることにした。
* 完結保証あり。
* 作り話です。
* 巻き戻りの話です。
* 処刑描写あり。
* R18は保険程度。
暇つぶしにどうぞ。
あなたたちのことなんて知らない
gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットの悪評を広げた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも解放されずに国王の命令で次の婚約者を選ぶことになる。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。
いらないと言ったのはあなたの方なのに
水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。
セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。
エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。
ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。
しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。
◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬
◇いいね、エールありがとうございます!
魔法学校のポンコツ先生は死に戻りの人生を謳歌したい
おのまとぺ
ファンタジー
魔法学校の教師として働いていたコレット・クラインは不慮の事故によって夢半ばで急逝したが、ある朝目覚めると初めて教師として採用された日に戻っていた。
「これは……やり直しのためのチャンスなのかも!」
一度目の人生では出来なかった充実した生活を取り戻すために奔走するコレット。しかし、時同じくして、セレスティア王国内では志を共にする者たちが不穏な動きを見せていた。
捻くれた生徒から、変わり者の教師陣。はたまた自分勝手な王子まで。一筋縄ではいかない人たちに囲まれても、ポンコツ先生は頑張ります!
◇ 表紙はシャーロット・デボワ伯爵夫人のコレクションより、三ヶ月前のレオン・カールトン近影。(※ストイックな男メーカー)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる