私は貴方を許さない

白湯子

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第5章「正義の履き違え」

86話

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皇宮に身を置くようになって、本日で3日目。
昨日殿下が言っていたように、今日は終業式。3年生である彼は今、学校に居る。そして、あの人も学校に…

ふと、閉じられた窓硝子の外に視線を向ければ、手入れの行き届いた庭に、しんしんと降り積もる雪が見えた。北に位置しているノルデン帝国では見慣れた光景である。今夜はいつも以上に冷え込むだろう。


「…。」


あんなことがあったというのに、今の私は怖いぐらいに冷静だ。
世界で1番信頼していた義弟に裏切られたのだ。それも、1番残酷で恐ろしい形で。もっと取り乱していても可笑しくはないというのに…。
殿下が居てくれたから?それもあるだろう。自分よりも弱っている彼を見たら、こちらが取り乱している場合ではないと思ったのは確かだ。

だが、それよりも私の心を支配しているものは、今まで感じたことのないような離人感。
まるで、世界から切り離され、自分の生活を外から観察しているような……自分に起こったこと全てが他人事に思えてしまうのだ。

崩れ落ちてしまった世界が曖昧になり、現実味が消失している。
こうして降り積もる雪景色を見ても現実に起きているという感覚よりも、どちらかというとスノードームを見ている時のような感覚に近いのだ。

そんな不思議な感覚に首を傾げる。


―何なのかしら?


自身の胸に手を当てて考える。
こんな状況でも考えることを放棄してはいけない。なんの力も持っていない私にはこれしかできないのだから。


「…んー、」


ソファに座りしばらく考え込んで、1つの可能性に行き着いた。
…もしや、これは防衛機制というやつなのだろうか。
確か人間には、受け入れがたい状況に晒された時、その不安を軽減しようとする心理的メカニズムがあると、はるか昔に義弟が言っていたような気がする。
あの人がどんなつもりで、この話しを私にしたのかは分からないが、こんな状況下でもあの人のことを考えてしまうだなんて…


―もう、手遅れなのかしら?


思わず口元に自嘲的な笑みが浮かぶ。

私の心は、もう手の施しようがないほどに、壊れてしまっているのだろうか。そこまで考えてはっとする。
あぁ、いけない。また思考が悲観的になっている。どうも私は一人でいると駄目みたいだ。

一人になった途端、私は弱くなる。一人では何もできない、なんの解決策も浮かばない。そんな自分に嫌気がさす。

いつまでも殿下の優しさに、甘えては居られない。好意的な彼の態度に忘れそうになるが、彼は皇太子なのだ。将来はこの帝国を背負ってゆく尊き方。そんな彼を、このまま300年前に縛り付けたままにしておけない。早く彼を呪縛から解放させなければ。早く、早くと思えば思うほど思考は緩慢になっていき、心の隅の方では私から離れないでと叫んでいるのだ。


―本当、どうしようもない。


私は愛に飢えている。
どうやら、私はそれを彼に求めているらしい。
だが、そんな自分に


「…呆れる。」


矛盾だ。結局、自分のことしか考えていないじゃないか。

本日、何度目になのか分からない溜息を吐いた私は、ソファの背もたれに身体を預け、天井を仰いで目を閉じた。

…これから、どうすれば良いのだろう。

私と義弟は家族だ。私一人が騒いだところで、この関係は変わらない。
…いっその事、父に正直に話してみようか。父は私に甘い。きっと、私の話しを信じて…………くれるのだろうか?気が触れたと思われてしまう?
もし、父が私の話しを信じてくれたとして、その後はどうする。父にお願いして、あの人を断罪するのか?神でもない私が?あぁ、なんて、おこがましい。


そもそも、私は、あの人をどうしたいの?


殺したい?
(殺したくない。)


謝って欲しい?
(言葉だけの謝罪だなんて、求めていない。)


物理的、もしくは精神的に傷付けたい?
(傷付けたくない。)


私と同じ苦しみを味わせたい?
(それは本末転倒。また新たな悲劇を生むだけ。)


どこか遠い所に行って欲しい?
(どこにも行かないで、)



「そばにいて」





―――ドクンッッ、


「―うっ!?」


突然、心臓が激しく脈打ち始めるのを感じた。思わず、心臓を押さえ前屈みになる。その鼓動と比例するように、自分の呼吸が異常に速くなり、額に汗の玉が浮かんできた。

なんだ、なにが起きているのだ。

身体が、血管が、血が、熱い。
まるで、沸騰した血液がグツグツと音を立てながら、全身に張り巡らされている血管を駆け回っているようだ。激しい血流に、身体の至る所から、脈打つ鼓動が聞こえてくる。耳介付近に流れている血流の音に、聴覚が完全に支配されてしまった。


「あっ、」


わけも分からず何かに助けを求めるように、私は手を伸ばす。そして、そのままソファから崩れ落ちてしまった。


「う、」


無様に冷たい床に頬を擦りつけ、荒い呼吸を繰り返す。苦しさに、ボロボロと涙が溢れ、床を濡らしていく。
どくりどくりと激しく脈打つ頭の血管のせいで、意識がぼんやりとしてきた。
霞んでいく世界に、無力な私はどうすることもできない。
そのまま、しぬ、のだろうか。
このまま、このまま、このまま、

嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。

こんな世界だけど死にたくなくて、こんな世界でも生きていたくて、私は必死に手を伸ばす。だが、手を伸ばした先には何も無く、私の手は宙を切った。それでも、迫り来る死に抗いたくて、私は床に爪を立てる。どこにそんな力があったのか、床には僅かに爪痕が残り、その爪は少し剥がれ血が滲んだ。痛みは感じない。そんな余裕、今の私には、ない。


「た、助けて…、誰か…」


果たして、それは言葉になっていたのだろうか。ほとんどが、荒い呼吸音だ。言葉なんて紡いでいない。それでも、私は助けを乞う。


「…っ、…た……すけ………て…、」


頭に朧気に浮かんでいる人物に何度も、何度も、助けを求める。

が、最後は、もう言葉にならなかった。


「―――、」


言葉の残骸である熱い息を吐く。

すると、ふわりとした浮遊感が私の身体を包み込んだ。


あぁ、嫌だ、やめて、


私を、この世界から、


切り離さないで。






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