私は貴方を許さない

白湯子

文字の大きさ
上 下
76 / 212
第4章「好奇心は猫をも殺す」

73話

しおりを挟む


私は、弾かれたかのように後ろを振り返る。


「急に振り返ったら危ないですよ、姉上。」


すぐそこには、穏やかに微笑んでいる義弟が居た。


「ど、どうして、ここに…?」


義弟はこの時間はまだ学校にいるはずだ。
いつの間にに帰ってきたのだろう。
義弟に話しかけられるまで、彼の存在に全然気付かなかった。


「実験が早く終わったので帰ってきたんです。」


いつものように可愛らしく笑う義弟に、何故か底知れぬ恐怖を感じた私は思わず後退りをしてしまう。


「姉上?そんなに震えてどうかしましたか?」


1歩ずつ、義弟はこちらに近づいてくる。
何とか義弟と距離をとりたくて、後ろに下がるが、一向にその距離は広がらない。


「あぁ、もしかして…僕に怒られると思っています?大丈夫ですよ。貴女なら、いつ入っても構いません。」
「…ち、ちがう。」


見当違いなことを言ってくる義弟に首を振る。
わざとなのだろうか。私の手元にある物を見れば、何をしていたのか一目瞭然のはずなのに。

私は震える手で義弟の前に本を差し出した。


「…こ、これ、どうして、ユーリが持っているの?」


この本はここにあってはいけないものだ。
だってこれは私の…


「僕も姉上に聞きたいことがあります。」


そう言うと義弟は歩みを止め、私が本を取り出した鍵付きの引き出しを指さした。


「…?」
「ずっと昔から聞きたかったのですが、どうしてここの引き出しの鍵は、見当たらないのですか?」


この義弟は突然何を言い出すのだろう。
その机は義弟のなのだ。そんなの、義弟が知らないなら私が知っているはずがないじゃないか。

義弟の質問の意図がわからず困惑していると、義弟は不思議そうに首を傾げた。


「あれ、わかりませんか?まぁ、300年も前のことですし、さすがに覚えていませんよね。あ、別に鍵が無くても大丈夫ですよ。特に不満もありませんし。」
「何を言って…」


〝300年前〟

その言葉に、胸が嫌にざわつき始める。


「何って……この机、姉上のですよ?」
「は、」
「机だけじゃなく、ベッドや本棚、ソファ…この部屋にある全ての家具が以前、姉上が使っていたものです。何度か修復をしているので、完全に姉上の、というのは語弊があるかもしれませんね。」


クスクスと笑い出した義弟は、再び歩き出す。
お願いだから、こちらに来ないで欲しい。まだ、義弟の言葉を理解出来ていないのだ。
少しだけの時間でいい。1人になって、ぐちゃぐちゃになっている頭の中を整理したかった。


「……こ…ない、で……」


無理やり声を絞り出し、後ろに下がる。
だが、義弟は無情にも、その距離を詰めてくる。


「…あっ」


義弟の存在ばかりに気を取られていた私は、背後に近づくベッドの存在に気付かなかった。ベッドにふくらはぎをぶつけ、その勢いのまま後ろに倒れ込む。
痛みはない。なぜなら、柔らかなマットレスが私を優しく受け止めてくれたから。ふんわりと義弟の香りが鼻腔を擽る。

遠くの方から、床に本と鞄が落ちる音がした。


「姉上、大丈夫ですか?」


ベッドまで歩み寄って来た義弟は、心配そうに私を見下ろす。


「いや…、いや…来ないでよ…」


この日常と異なる異常な状況に、いつも通りの義弟がひどく恐ろしく感じる。
私は首をブルブルと横に振り、涙が溢れ始めた。


「…姉上、泣かないで。」


切なげな声を漏らした義弟は、あろうことか、ベッドの上に乗り上げ、私に股がってきた。
線は細くとも、義弟は正真正銘の男性だ。その男の身体にのしかかられてしまったら、ただの女である私では身動きが取れない。


「ひっ、」


思わず悲鳴に似た引き攣った声を漏らす。そんな私を悲しげに見つめる義弟は、そっと涙を拭った。
義弟がやっていることは、非道な暴漢のようであるのに、涙を拭う彼の手はひどく優しげで、そのチグハグな行動が私の冷静さを欠いていく。


「可哀想に…。こんなにも世界に怯えて。」


違う。
私は世界に怯えているんじゃない。目の前にいる義弟に怯えているのだ。

ミルクティーブラウン色の髪の隙間からこちらを覗き込むシトリンの瞳。その瞳は、いつもの甘い蜂蜜のような瞳ではなく、まるで獲物を狙う猛禽類の瞳にみえた。
不穏げな光を放つ瞳を前に、身体が思うように動かない。

こんなにも長い時間を一緒に過ごしてきたのに、彼が今何を考えているのか、全くわからなかった。
義弟のことは、誰よりも私が理解していると思っていたのに…。

私を見下ろす、貴方は誰?
こんな人、私は知らない。


「大丈夫ですよ、姉上。貴女を害するものは全て僕が摘み取ってあげます。」


震える耳元に、甘く蕩けそうな吐息で囁かれ、心臓が悲鳴を上げた。


「だから、貴女は何も思い出さなくていい。これからも、ずっと。」


誰もが見蕩れるような妖艶な笑みを浮かべた義弟は、私の細首に両手を添えてきた。


「―っ!?」


決して強い力では無いが、私は瞠目した。

首には人の生命に重要な、気管と太い血管が存在する。そこに手を添えられた私は、本能的に生命の危機を察し、目の前が真っ暗になった。


「…凄いドキドキしていますね。まるでここに貴女の心臓があるみたい。…ふふ、そんなに怯えた顔をしないでください。大丈夫ですよ、痛いことはしません。」


ふいに義弟は私に顔を近づける。
吐息が絡むほど近くに顔を覗き込まれて、意識が飛びそうになった。いや、半分意識は飛んでいる。


「貴女は覚えていないけれど、今まで何度もしてきていますから、何の心配もありません。だから、僕に身を任せて。」


首に添えられている義弟の手にぐっと力がはいり、僅かに首に圧がかかった。その甘い拘束に身体が痺れ、咄嗟に強く目を瞑る。

いやだ、死にたくない。
また惨めに死んでいくだなんて嫌だ。
私は、ただ…


「あと少しで、僕達の世界は完成します。だから、それまで何も思い出さないで。僕のりと……っ、」


首の拘束が緩んだと思ったら突然、義弟は私の身体に倒れ込んできた。
驚いた私は目を開く。


「え、なに…」


咄嗟に彼の身体を剥がそうとすると、彼の背中からぬるりとした不快な感触が指先に伝わってきた。

妙に温かい、場違いな液体。

恐る恐る自身の手の平を見る。

そこには赤い液体が、べったりとこびり付いていた。


あ、あ、か、あか、あか、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤……







何処かで嗅ぎ取ったことのある、鉄の香りが私の鼻腔を刺激した。












第4章 「好奇心は猫をも殺す」完
しおりを挟む
感想 431

あなたにおすすめの小説

望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】 男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。 少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。 けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。 少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。 それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。 その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。 そこには残酷な現実が待っていた―― *他サイトでも投稿中

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

隠れ蓑婚約者 ~了解です。貴方が王女殿下に相応しい地位を得るまで、ご協力申し上げます~

夏笆(なつは)
恋愛
 ロブレス侯爵家のフィロメナの婚約者は、魔法騎士としてその名を馳せる公爵家の三男ベルトラン・カルビノ。  ふたりの婚約が整ってすぐ、フィロメナは王女マリルーより、自身とベルトランは昔からの恋仲だと打ち明けられる。 『ベルトランはね、あたくしに相応しい爵位を得ようと必死なのよ。でも時間がかかるでしょう?だからその間、隠れ蓑としての婚約者、よろしくね』  可愛い見た目に反するフィロメナを貶める言葉に衝撃を受けるも、フィロメナはベルトランにも確認をしようとして、機先を制するように『マリルー王女の警護があるので、君と夜会に行くことは出来ない。今後についても、マリルー王女の警護を優先する』と言われてしまう。  更に『俺が同行できない夜会には、出席しないでくれ』と言われ、その後に王女マリルーより『ベルトランがごめんなさいね。夜会で貴女と遭遇してしまったら、あたくしの気持ちが落ち着かないだろうって配慮なの』と聞かされ、自由にしようと決意する。 『俺が同行出来ない夜会には、出席しないでくれと言った』 『そんなのいつもじゃない!そんなことしていたら、若さが逃げちゃうわ!』  夜会の出席を巡ってベルトランと口論になるも、フィロメナにはどうしても夜会に行きたい理由があった。  それは、ベルトランと婚約破棄をしてもひとりで生きていけるよう、靴の事業を広めること。  そんな折、フィロメナは、ベルトランから、魔法騎士の特別訓練を受けることになったと聞かされる。  期間は一年。  厳しくはあるが、訓練を修了すればベルトランは伯爵位を得ることが出来、王女との婚姻も可能となる。  つまり、その時に婚約破棄されると理解したフィロメナは、会うことも出来ないと言われた訓練中の一年で、何とか自立しようと努力していくのだが、そもそもすべてがすれ違っていた・・・・・。  この物語は、互いにひと目で恋に落ちた筈のふたりが、言葉足らずや誤解、曲解を繰り返すうちに、とんでもないすれ違いを引き起こす、魔法騎士や魔獣も出て来るファンタジーです。  あらすじの内容と実際のお話では、順序が一致しない場合があります。    小説家になろうでも、掲載しています。 Hotランキング1位、ありがとうございます。

処理中です...