私は貴方を許さない

白湯子

文字の大きさ
上 下
50 / 209
第3章「後退」

49話

しおりを挟む


モニカside


嗅ぎなれない消毒の香りが鼻腔を擽る。そのツンとした独特の香りに刺激され、私は重い瞼を開いた。


「…?」


ぼんやりとした視界に入り込むのは、上等な白い天井。自分の部屋では無いことが明らかであるが、微睡みから覚めたばかりの頭ではそれを理解するまで時間がかかる。


「気が付いたかい?」


すぐ側から声が聞こえてきた。声がした方へ視線を向ければ、初老の男性が椅子に腰掛け、私を心配そうに見下ろしていた。
この顔は知っている。皇族のお抱えの医者、皇宮医だ。
この時、自分がベッドの上で寝ていたことに気付いた。


「…ここは?」


ベッドからむくりと起き上がりながら、今まで発したことのない、しゃがれ声に驚いた。相当、喉がイカれているようだ。


「ここは、皇宮の医務室だよ。煙を多く吸い込み過ぎた君は、中庭で倒れていたんだ。」


ガンガン痛む頭を手で支える。
中庭…。その言葉に引っ張られるように思い出すのは、青い炎に焼かれる聖女の姿。


「…っ!」


思い出した。
そうだ、私は牢屋を飛び出して中庭に向かったんだ。そして、そこには炎に包まれる聖女と、それを見上げるアルベルトが…。


「せ、聖女マリーはどうなったんですか!?アル、陛下は…」
「静かに。聖女の名を口にしては、いけないよ。」


男の凄みのある声に、私は思わず押し黙る。その静かな威圧感に、ただならぬものを感じた。


「いいかい、聖女は初めから居なかったんだ。」
「…は、はぁ?」


―コイツは一体何を言ってんだ?


信じられないものを見るかのように、私は無言のまま男を見つめた。


「私たちは、悪い夢を見ていたんだよ。もう時期、この悪夢も私たちの中から完全に消える。それまで、君はここで大人しく寝ているんだ。」
「ま、待ってください。さっきから貴方は何を言って…分かるように説明して下さい。」


男が何を言っているのか、まるで理解ができない。理解できないのに、全身が嫌にざわめく。心臓は大きく鼓動を訴え、実際に耳にまで届いてしまいそうだった。
そんな私の様子を見た男は目を伏せ、静かに語り出す。


――そして、その言葉に耳を疑った。


男の話によると、アルベルトは、旅行から帰ってきた聖女を火刑台に縛り付けて、火を放ったそうだ。

その後、聖女の身体は、業火で滅却されたように骨一つ残さずに消滅され、それを確認したアルベルトは、皇宮に居る者にこう言った。

「聖女は初めから居なかった。この忌々しい記憶と歴史は消し去る。」と。

アルベルトはその言葉どおりに、自身の“青の魔力”を使い、ノルデン帝国全体に大規模な魔法をかけた。
魔法をかけられた帝国は、聖女の痕跡を完全に消滅させ、民衆は静かに聖女の記憶を失うという。
民衆から完全に聖女の記憶が消えれば、前と同じく聖女はおとぎ話の中の存在となるのだ。

そして、アルベルトは寝るまを惜しんで、傾いた財政の立て直しに尽力を注いでいる。


話し終えた男は水差しを取ってくると言って、傍を離れた。
一人残された私は、掛け布団を握り締める。


―ふざけるなっ!!!


心の底から湧き上がる憤怒の炎に、身体がわなわなと震え出す。私は怒りに目を見開き、唇をかみ締めた。

聖女の記憶を消す?初めから聖女は居なかった?
民衆を馬鹿にするのもいい加減にしろっ!

自分が聖女に惑わされたという事実を、便利な魔法を使って揉み消そうとしているだけじゃないか。
なんて、身勝手で不誠実な男なんだっ!!

今さら、正気に戻ったって遅いんだ!お嬢様はもうこの世に居ない。

そこで、ハッとする。
聖女の存在が消えれば、お嬢様の存在も消えてしまうのではないだろうか。

正気に戻ったアルベルトなら、お嬢様が冤罪だったことに気付いたはず。まさか、アルベルトはそのことも揉み消そとしているのでは?自分が聖女に言われるまま、無実のお嬢様を処刑してしまったという事実も全て、無かったことに…

怒りで目の前が真っ赤になる。許せない許せない許せない許せないっ!
アイツは邪魔者が消えた世界で、自分だけがのうのうと生きていくつもりなんだっ!!!

そんな奴、生かしておけない。
皇宮医は聖女のことを悪夢だと言っていたが、1番の悪夢はアルベルトがのうのうと生きていることだ!
私はすぐさまアルベルトを殺しに行こうとベッドから降り立つ。


「―あっ、」


そして、一歩も踏み出せないまま、その場に崩れ落ちた。
足に力が入らない。思い通りにならない自身の身体に舌打ちをする。


―くそっ!動け、動けよっ!


「何をやっているんだ!?」


水差しを持ってきた皇宮医が戻ってきてしまった。
皇宮医は床に倒れ込む私に駆け寄り、すぐさま身体を支える。


「安静にしていないと駄目じゃないか。」


そう言う男の目が淡く光り始めると、私の身体が中を浮き、そのままゆっくりとベッドの上へと戻された。
男は魔法を使ったのだと、遅れて気づく。


「君の身体は大量に煙を吸った上に、1週間も飲まず食わずだったせいで、もうボロボロなんだ。頼むから、大人しく寝ていてくれ。」


医者に厳しい声音でそう言われてしまったら、何も言い返せない。私は俯き、唇を噛んだ。


「今は色々と混乱していると思うけど、時期に陛下の魔法が効いてくるはずだ。そうすれば、もう大丈夫だよ。」


魔法が効くまで大人しく寝てろだって?冗談じゃない!
アルベルトの魔法が効いてしまえば、聖女の事を忘れてしまう!それだけでなく、お嬢様の事も、私が何のために皇宮に忍び込んだのか、その目的全てが…っ!
そんなのは駄目だ。
私しか居ないんだ。
お嬢様の無念を晴らせるのは、私しか…

黙り込む私に皇宮医は見当違いのとこを言ってくる。


「分かってくれたようで嬉しいよ、モニカ。」


「勘違いしてんじゃねーよ、ハゲ。」と言ってやりたかったが、皇宮医がしがない侍女である私の名前を知っていたことに驚いた。


「何で私の名前を…」
「あぁ、君は皇宮では有名人だからね。」
「有名人?」


…まさか、私がアルベルトを殺そうとしているのがバレたのだろうか。背中に嫌な汗が流れる。いや、バレているのなら私は今頃、冷たい牢屋の中だろう。
ふと、床に倒れ込むアルベルトを思い出す。


―そうだ!私はアルベルトに毒を盛ったことになっているんだった。


顔を青くする私を他所に、皇宮医は何故かくつくつと笑い出す。


「陛下にあんなお茶を出すなんて、君は心臓に毛でも生えているのかい?」
「…は?」
「陛下も仰っていたよ。「こんなにも不味い茶を飲んだのは生まれて初めてだ。」ってね。」
「…。」


私はすっと真顔になった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もしも○○だったら~らぶえっちシリーズ

中村 心響
恋愛
もしもシリーズと題しまして、オリジナル作品の二次創作。ファンサービスで書いた"もしも、あのキャラとこのキャラがこうだったら~"など、本編では有り得ない夢の妄想短編ストーリーの総集編となっております。 ※ 作品 「男装バレてイケメンに~」 「灼熱の砂丘」 「イケメンはずんどうぽっちゃり…」 こちらの作品を先にお読みください。 各、作品のファン様へ。 こちらの作品は、ノリと悪ふざけで作者が書き散らした、らぶえっちだらけの物語りとなっております。 故に、本作品のイメージが崩れた!とか。 あのキャラにこんなことさせないで!とか。 その他諸々の苦情は一切受け付けておりません。(。ᵕᴗᵕ。)

二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと
恋愛
ある日、マーコック公爵家の屋敷から一歳になったばかりの娘の姿が忽然と消えた。 それから十六年後、リディアは自分が公爵令嬢だと知る。 本当の家族と感動の再会を果たし、温かく迎え入れられたリディア。 しかし、公爵家には自分と同じ年齢、同じ髪の色、同じ瞳の子がすでにいた。その子はリディアの身代わりとして縁戚から引き取られた養女だった。 『シャロンと申します、お姉様』 彼女が口にしたのは、両親が生まれたばかりのリディアに贈ったはずの名だった。 家族の愛情も本当の名前も婚約者も、すでにその子のものだと気づくのに時間は掛からなかった。 自分の居場所を見つけられず、葛藤するリディア。 『……今更見つかるなんて……』 ある晩、母である公爵夫人の本音を聞いてしまい、リディアは家族と距離を置こうと決意する。  これ以上、傷つくのは嫌だから……。 けれども、公爵家を出たリディアを家族はそっとしておいてはくれず……。 ――どうして誘拐されたのか、誰にひとりだけ愛されるのか。それぞれの事情が絡み合っていく。 ◇家族との関係に悩みながらも、自分らしく生きようと奮闘するリディア。そんな彼女が自分の居場所を見つけるお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※作品の内容が合わない時は、そっと閉じていただければ幸いです(_ _) ※感想欄のネタバレ配慮はありません。 ※執筆中は余裕がないため、感想への返信はお礼のみになっておりますm(_ _;)m

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

TS調教施設 ~敵国に捕らえられ女体化ナノマシンで快楽調教されました~

エルトリア
SF
世界有数の大国ロタール連邦の軍人アルフ・エーベルバッハ。彼は敵国アウライ帝国との戦争で数え切れぬ武勲をあげ、僅か四年で少佐にまで昇進し、救国の英雄となる道を歩んでいた。 しかし、所属している基地が突如大規模な攻撃を受け、捕虜になったことにより、アルフの人生は一変する。 「さっさと殺すことだな」 そう鋭く静かに言い放った彼に待ち受けていたものは死よりも残酷で屈辱的な扱いだった。 「こ、これは。私の身体なのか…!?」 ナノマシンによる肉体改造によりアルフの身体は年端もいかない少女へと変容してしまう。 怒りに震えるアルフ。調教師と呼ばれる男はそれを見ながら言い放つ。 「お前は食事ではなく精液でしか栄養を摂取出来ない身体になったんだよ」 こうしてアルフは089という囚人番号を与えられ、雌奴隷として調教される第二の人生を歩み始めた。

【完結】冷遇された翡翠の令嬢は二度と貴方と婚約致しません!

ユユ
恋愛
酷い人生だった。 神様なんていないと思った。 死にゆく中、今まで必死に祈っていた自分が愚かに感じた。 苦しみながら意識を失ったはずが、起きたら婚約前だった。 絶対にあの男とは婚約しないと決めた。 そして未来に起きることに向けて対策をすることにした。 * 完結保証あり。 * 作り話です。 * 巻き戻りの話です。 * 処刑描写あり。 * R18は保険程度。 暇つぶしにどうぞ。

あなたたちのことなんて知らない

gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットの悪評を広げた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも解放されずに国王の命令で次の婚約者を選ぶことになる。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。

いらないと言ったのはあなたの方なのに

水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。 セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。 エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。 ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。 しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。 ◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬 ◇いいね、エールありがとうございます!

魔法学校のポンコツ先生は死に戻りの人生を謳歌したい

おのまとぺ
ファンタジー
魔法学校の教師として働いていたコレット・クラインは不慮の事故によって夢半ばで急逝したが、ある朝目覚めると初めて教師として採用された日に戻っていた。 「これは……やり直しのためのチャンスなのかも!」 一度目の人生では出来なかった充実した生活を取り戻すために奔走するコレット。しかし、時同じくして、セレスティア王国内では志を共にする者たちが不穏な動きを見せていた。 捻くれた生徒から、変わり者の教師陣。はたまた自分勝手な王子まで。一筋縄ではいかない人たちに囲まれても、ポンコツ先生は頑張ります! ◇ 表紙はシャーロット・デボワ伯爵夫人のコレクションより、三ヶ月前のレオン・カールトン近影。(※ストイックな男メーカー)

処理中です...