44 / 209
第3章「後退」
43話
しおりを挟むチョコレートムースに大満足した私はメルシー&リリーを後にし、同じ大通りにある屋台の前に来ていた。
「おっちゃん、ラム肉の串焼き2本ちょーだい。」
「あいよー!」
屋台のおじさんから、こなれた様子で串焼きを買う殿下をじっと見つめる。
「ほら、こっちがお前の分な。」
殿下から差し出された串焼きを反射的に受け取る。
ラム肉の香ばしい香りに唾液の分泌量が増えるのを感じた。これは食べなくてもわかる。絶対に美味しい。
今まで串焼きを食べる機会がなかった私は、物珍しく色んな角度から串焼きを眺める。そんな私の横居る殿下は、串焼きに豪快にかぶりついていた。
その姿はまさに下町の青年だ。そんな彼がこのノルデン帝国の皇太子だとは誰も思わないだろう。
「…。」
「なんだよ?」
私の視線に気づいた殿下は訝しそうに顔を顰める。
「…いえ、慣れているなと思いまして。」
「そうか?まぁ、町にはよく来るし?」
そう言う彼はあっという間にラム肉を平らげ、唇の端についていた肉汁をペロリと赤い舌で舐めとった。
はしたない、と思い眉を顰めるが美丈夫な彼がするとひどく扇情的に見える。その証拠にすれ違う娘たちは頬を赤く染めていた。
―顔がいいのって本当に得よね。
「お前も冷めないうちに早く食えよ。うめぇぞ。」
「…どうやって食べれば良いのでしょうか?」
「は?そんなん、さっき俺がやっていたみたいにかぶりつけばいいだろーが。」
「そんなはしたない事はできません。」
人前で口を大きく開けて食べるだなんて考えられない。困り顔で串焼きを見つめる私に殿下はため息をついた。
「これだから根っからのお嬢様育ちは…」
呆れたように呟く殿下に少しむっとする。
「殿下が特殊過ぎるのです。」
「あ、ここでは殿下っていうの禁止な。テオって呼べ。」
「あ、すみません。でん…テオ様。」
一応お忍びだという自覚はあったようだ。私も呼び方には気を付けなければと気引き締める。
「様もいらねぇーけど、まぁいいや。エリザ、はしたない云々は置いておいて取り敢えず食ってみろよ。郷は郷に従えって言うだろ?」
「ですが…」
「こういうのはだな、そのままかぶりついた方が1番美味い食べ方だ。やってみろ、世界が変わるぜ。」
“世界が変わる”
その言葉に、今まで築き上げてきた価値観が少し揺れた。
確かにそれは今の私に必要な変化なのかもしれない。
「おっ、兄ちゃん。分かってるねー!」
「でっしょー?」
おじさんと殿下は意気投合して楽しそうに笑っている。それを横見しつつ、モノは試しだと思った私は口を開きラム肉にかぶりついた。
歯を柔らかな肉に埋め、食いちぎる。そして噛めば噛むほど肉の旨みが口全体に広がった。存分にその旨みを堪能してからごくんと飲み込む。
「…美味しい。」
思わず、そう呟く。心無しかいつもよりも肉の味を楽しめたような…。
するとそれを見た殿下は嬉しそうに破顔した。
「だろォ?チョコレートをちまちま食っているお前よりも、今のお前の方が好きだわ。」
「ちまちまって…そう思っていたのですか!」
「ははっ。」
殿下の言葉に男女の気が無いのは分かっているのだが、アルベルト様の顔で“好き”だなんて言われると心が反応する。そんな自分に呆れた。
―自分が嫌になるわ…。
ため息を飲み込み、私は残りのラム肉にかぶりついた。
※※※※※
「おーい、大丈夫かー?」
噴水公園のベンチにぐったりと座っている私を殿下はニヤニヤと見下ろす。
ほぼ丸1日殿下に連れ回された私には、もはや殿下を睨む気力すら残っていなかった。
「お前、体力無さすぎるだろ。」
「…。」
その通りなので何も言い返せない。
「ほれ、飲み物。買ってきてやったぞ。優しい俺に感謝しろ。」
彼は余計な一言を言わなければならない呪いでもかかっているのだろうか、と思いつつ飲み物が注がれているカップを受け取った。
「…ありがとうございます。でん…」
「テーオ。」
「テオ様。」
「よろしい。」
満足気に笑った殿下は私の横にどっかりと座り、流れるようにその長い足を組んだ。その仕草は気取った素振りもなく、ごく自然体だ。普段はガサツで粗野な男だが、こういった所に優雅さが見られる。流石は皇族だ。
飲み物を一気に飲み干す彼を横目にしつつ、渡された水を口含むとレモンの爽やかさが口いっぱいに広がった。水だと思っていたが、カップの中身は果実水だったようだ。疲労した身体と心に染み渡っていくのを感じる。ほっと一息ついた。
「…悪かったな。」
横からポツリと呟く声が聞こえた。そちらを向くと殿下はあさっての方向を向いており、そんな彼に首を傾げる。
「つい調子に乗って連れ回しちまった。」
さっきまではニヤニヤと笑っていたくせに、バツが悪そうに謝る彼に思わず頬を緩める。彼は良くも悪くも正直なのだ。
「少し疲れましたが、新鮮で楽しかったですよ?」
この言葉は嘘ではない。
大通りにある屋台を全て制覇する勢いで食べ歩いたり、丁度今の期間だけ滞在しているサーカス団の演舞を観たり…殿下が財布を盗まれてその犯人を捕まえるという事故という名の事件が勃発したものの、今まで経験したことのないものばかりで、世界が少し変わって見えた。
「なら良かった。お前が楽しんでくれたのなら、俺は嬉しいから。」
「…。」
屈託なく笑う殿下を見て思わず黙る。
「何だよ。」
「…テオ様は思った事をすぐ口に出しますね。」
「そりゃ、言葉にしないとわかんないからな。そう言うお前は頭の中でぐるぐる考えて、結局何も言わないタイプだよな。」
「そんなこと…」
無い。とは言えなかった。確か、義弟にも同じようなことを言われたことがある。
急に黙り、果実水をちびちびと飲み始めた私の頭を殿下はポンポンと優しく叩いてきた。
「いいか、エリザ。人間ってのは、少ない情報でそいつのことを勝手に造り上げてしまう生き物なんだよ。」
突然語り出した彼に内心首を傾げつつ、黙って耳を傾ける。
「愚かなことに、その情報が本物なのどうかも分からずにだ。挙句の果てには、勝手に造り上げたそいつを嫌ったりもする。」
それには…心当たりのある。
仕方がないことだとはいえ、殿下のことをアルベルト様と思い怖がり、ずっと避けていた。
「本当、身勝手な生き物だよな。」と誰に言う訳でもなくそう呟いた殿下は、飲み干して空になったカップをゴミ箱に向かって投げた。宙を舞うカップは吸い込まれるようにゴミ箱の中に入る。私はそれをぼんやりと眺めた。
「そうならない為にも、言葉は大切だ。本当のそいつが知りたいのなら、とことん話し合わないとな。逆に知って欲しいときも同じことが言える。言わなくても分かって欲しいだの、察してくれだの言う奴も居るけどな…それはただのワガママだ。」
「…。」
その話を聞いて浮かんできたのは、皮肉にもアルベルト様のこと。
手元にある果実水の水面を眺めながら、昔のことを考える。
私は…伝えたいことを言葉にしていただろうか。答えはもちろん“NO”だ。思い返してみても、アルベルト様とまともに会話をした事はない。話しかけても冷たくされるとわかっていたから、いつも少し離れたところで彼の背中を眺めていた。いつか私の気持ちに気付いてくれると信じて…。
だが、それは殿下の言う通りワガママであり、アルベルト様から逃げたいたということなのだろう。
―あの時、勇気を出してアルベルト様に向き合っていたら何かが変わっていたのかしら…。
「試しにエリザ。俺は今、何を考えていると思う?」
「え?」
殿下からの突然の問いに我に返った私は、呆けた顔で殿下を見つめた。
「…分かりません。」
「ちゃんと考えろ。」
そう言われたら考えなければならない。唇に手を当てて思索する。そんな私を殿下はニヤニヤとしながら眺めていた。
しばらくして、ひとつの答えに辿り着いた私は口を開く。
「私の事、でしょうか?」
ただ単純に私のことを考えての質問だと思ってそう答えたが、彼はキョトンとした顔で私を見つめていた。どうしてそんな反応をするのか分からず、首を傾げる。
「…お前、可愛いこと言うんだな。」
「?」
「それは予想してなかったわー。」と言う殿下に、自分がとんでもなく自意識過剰な発言をしたことに気が付いた。
「ちがっ、そう意味ではありません!」
「じゃあ、どういう意味なんだよ?」
ニヤリとからかうような視線を受け、じわじわと憤怒が湧き上がる。また人をおちょくって!
「わかってて言ってますよね。…で、正解はなんですか?」
「めっちゃトイレに行きたい。」
「………早く行ってきてください。」
あまりにもしょうもない答えに私は呆れ、怒る気力も失われてしまった。
殿下はゲラゲラと下品に笑いながらベンチから立ち上がる。
「言っただろ?言葉にしないと伝わんないって」
ニヤリと笑う彼には妙な説得力があった。
※※※※※
果実水を飲み終えたカップをゴミ箱に捨てていると、殿下がお花摘みから帰ってきた。
何故かその手には真っ白な百合の花束が握られている。
「テオ様、それは?」
「行けばわかる。」
そう言って殿下歩き出す。私はその背中を追いかけた。
「行くってどちらに?」
殿下は私の問いに振り返らずに答える。
「今日の大本命のところ。」
31
お気に入りに追加
1,877
あなたにおすすめの小説
もしも○○だったら~らぶえっちシリーズ
中村 心響
恋愛
もしもシリーズと題しまして、オリジナル作品の二次創作。ファンサービスで書いた"もしも、あのキャラとこのキャラがこうだったら~"など、本編では有り得ない夢の妄想短編ストーリーの総集編となっております。
※ 作品
「男装バレてイケメンに~」
「灼熱の砂丘」
「イケメンはずんどうぽっちゃり…」
こちらの作品を先にお読みください。
各、作品のファン様へ。
こちらの作品は、ノリと悪ふざけで作者が書き散らした、らぶえっちだらけの物語りとなっております。
故に、本作品のイメージが崩れた!とか。
あのキャラにこんなことさせないで!とか。
その他諸々の苦情は一切受け付けておりません。(。ᵕᴗᵕ。)
二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです
矢野りと
恋愛
ある日、マーコック公爵家の屋敷から一歳になったばかりの娘の姿が忽然と消えた。
それから十六年後、リディアは自分が公爵令嬢だと知る。
本当の家族と感動の再会を果たし、温かく迎え入れられたリディア。
しかし、公爵家には自分と同じ年齢、同じ髪の色、同じ瞳の子がすでにいた。その子はリディアの身代わりとして縁戚から引き取られた養女だった。
『シャロンと申します、お姉様』
彼女が口にしたのは、両親が生まれたばかりのリディアに贈ったはずの名だった。
家族の愛情も本当の名前も婚約者も、すでにその子のものだと気づくのに時間は掛からなかった。
自分の居場所を見つけられず、葛藤するリディア。
『……今更見つかるなんて……』
ある晩、母である公爵夫人の本音を聞いてしまい、リディアは家族と距離を置こうと決意する。
これ以上、傷つくのは嫌だから……。
けれども、公爵家を出たリディアを家族はそっとしておいてはくれず……。
――どうして誘拐されたのか、誰にひとりだけ愛されるのか。それぞれの事情が絡み合っていく。
◇家族との関係に悩みながらも、自分らしく生きようと奮闘するリディア。そんな彼女が自分の居場所を見つけるお話です。
※この作品の設定は架空のものです。
※作品の内容が合わない時は、そっと閉じていただければ幸いです(_ _)
※感想欄のネタバレ配慮はありません。
※執筆中は余裕がないため、感想への返信はお礼のみになっておりますm(_ _;)m
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
TS調教施設 ~敵国に捕らえられ女体化ナノマシンで快楽調教されました~
エルトリア
SF
世界有数の大国ロタール連邦の軍人アルフ・エーベルバッハ。彼は敵国アウライ帝国との戦争で数え切れぬ武勲をあげ、僅か四年で少佐にまで昇進し、救国の英雄となる道を歩んでいた。
しかし、所属している基地が突如大規模な攻撃を受け、捕虜になったことにより、アルフの人生は一変する。
「さっさと殺すことだな」
そう鋭く静かに言い放った彼に待ち受けていたものは死よりも残酷で屈辱的な扱いだった。
「こ、これは。私の身体なのか…!?」
ナノマシンによる肉体改造によりアルフの身体は年端もいかない少女へと変容してしまう。
怒りに震えるアルフ。調教師と呼ばれる男はそれを見ながら言い放つ。
「お前は食事ではなく精液でしか栄養を摂取出来ない身体になったんだよ」
こうしてアルフは089という囚人番号を与えられ、雌奴隷として調教される第二の人生を歩み始めた。
【完結】冷遇された翡翠の令嬢は二度と貴方と婚約致しません!
ユユ
恋愛
酷い人生だった。
神様なんていないと思った。
死にゆく中、今まで必死に祈っていた自分が愚かに感じた。
苦しみながら意識を失ったはずが、起きたら婚約前だった。
絶対にあの男とは婚約しないと決めた。
そして未来に起きることに向けて対策をすることにした。
* 完結保証あり。
* 作り話です。
* 巻き戻りの話です。
* 処刑描写あり。
* R18は保険程度。
暇つぶしにどうぞ。
あなたたちのことなんて知らない
gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットの悪評を広げた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも解放されずに国王の命令で次の婚約者を選ぶことになる。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。
いらないと言ったのはあなたの方なのに
水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。
セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。
エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。
ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。
しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。
◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬
◇いいね、エールありがとうございます!
魔法学校のポンコツ先生は死に戻りの人生を謳歌したい
おのまとぺ
ファンタジー
魔法学校の教師として働いていたコレット・クラインは不慮の事故によって夢半ばで急逝したが、ある朝目覚めると初めて教師として採用された日に戻っていた。
「これは……やり直しのためのチャンスなのかも!」
一度目の人生では出来なかった充実した生活を取り戻すために奔走するコレット。しかし、時同じくして、セレスティア王国内では志を共にする者たちが不穏な動きを見せていた。
捻くれた生徒から、変わり者の教師陣。はたまた自分勝手な王子まで。一筋縄ではいかない人たちに囲まれても、ポンコツ先生は頑張ります!
◇ 表紙はシャーロット・デボワ伯爵夫人のコレクションより、三ヶ月前のレオン・カールトン近影。(※ストイックな男メーカー)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる